3 ちゃんと帰してもらえました


 移動中、先輩はずっと無言だった。


 噂通りの能面顔のまま、先輩はまるで人形のように真っすぐに歩く。

 階段でもスピードを変えることなく、一段一段間違いなくエスカレーターのようにスムーズに登っていく。

 つい面白くて同じ歩調で歩きながら後ろをついていった。


 目的の教室の前まで来ると、機械人形のようにクルリと先輩が振り返った。

 唐突に振り向かれてぎょっとする私に、先輩が能面のまま少しぶっきらぼうに尋ねる。


「最後に君の名を教えてもらってもいいかな?」

「な、名前ですか?」

「別に、校則違反をつけようという訳ではないから安心していい」


 警戒する私を安心させようとしているのか、先輩は不器用に唇の端をつりあげて、微かな笑みを浮かべてる。その様子が可笑しくて、つい私はするりと自分の名前を答えてしまった。


「こがね。山之内黄金やまのうちこがねです」


 私の名前を聞いた途端、館山先輩の頬が自然と笑みにゆるんでいった。今度の笑みは多分本物の自然な微笑み。だけどそれは男性とは思えない、ため息が出そうなほどあでやかな微笑みで、見てるこちらのほうが赤くなってしまいそう……そうじゃなくて!


「なにがおかしいんですか?」


 なんか恥ずかしくて悔しくて、ついでに名前を笑われたのもカチンときた。

 私がムッとしてっかかると、館山先輩がスッと扉を指さす。


「なんでもない。ほら黄金こがね君、授業はもう始まっているようだよ」


 確かに中から先生が最初に朗読をする生徒の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 でもどうしても気になった。


 今の発音、絶対私の名前を漢字で思い浮かべてた!


 思わず言い返そうかとして、だけどすぐに考え直す。

 これ以上この人と関わらないほうがいい。

 自分の中のなにかがそう強く警鐘を鳴らしてる気がする。

 文句を言おうと開いた口を閉じ直し、私は形だけ会釈えしゃくして教室へ静かに滑り込んだ。


「山之内さん、遅かったね」


 後ろの扉から入って何気なくエミリちゃんの横に座れば、すぐにエミリちゃんが顔を寄せてきて心配そうに小声で尋ねてくれる。


「なんでもないの、途中面倒な人に引っかかっちゃっただけ」

「面倒な人って?」


 私はすぐにテキストを用意しながらエミリちゃんに顔を寄せて短く伝える。


能面顔のうめんがおの生活指導委員長」

「うわぁ、さすが山之内さん。あの委員長に授業に遅れるところなんて見つかったら、普通は雷落とされてそのまま教員室行きよ」


 あ、あれ? 本当だ。よく考えたら結局しかられないで済んじゃってる。


「先輩も忙しかったんじゃないかな」


 どうでもいいや、と当てずっぽうに私が答えると、エミリちゃんがちょっとだけウットリした顔でどこか遠くを見る。


「でもあの館山先輩と二人っきりなんて、怖いけどちょっとうらやましい」

「え?」

「えって山之内さん。だってあの先輩、『生活指導委員長』ってところを抜かせば素敵でしょ?」

「確かに『生活指導委員長』ってところを抜かせば、顔はいいわよね」

「それだけじゃなくて! あの年でご実家の歴史のある道場で師範代しはんだいつとめてらっしゃるって言うし、成績もトップをゆずったことがないんですって」


 へー。あの顔で文武両道に長けてるとかってちょっとずるいな。


「でも『生活指導委員長』よ?」

「そう、『生活指導委員長』なのですよねぇ」


 二人でちょっとため息ついて笑ってしまう。やっぱりエミリちゃんとは気が合う。改めて彼女と友好を深めようと心に決めて、私はすでに始まっていた授業に頭を戻した。


        ∮ ・ ∮


 それっきり、しばらく館山先輩は私の周りに現れなかった。


 あとから落ち着いて思い返し、あの紫陽花を見られてしまった事実に震え上がった私は、いつ先輩に呼び出されるか、はたまた訳の分からないワイドショーとかが乗り込んでくるんじゃないかとビクビクしながら過ごしていたのだけど。

 二ヶ月も過ぎる頃にはすっかり恐怖も薄れ、あの日あったことも忘れ始め、私はごく普通に高校生活を過ごし始めていた。


 エミリちゃん情報は正しかった。あの能面先輩、二年生の中でも飛び抜けて優秀でいつも全教科学年トップを走り続けてるらしい。

 平均じゃなくて全教科。


 そしてそれと同時に。


「こがねちゃん凄いです~、今回も学年一位でしたわね」


 二学期の期末試験成績上位者の名前が張り出された廊下に出れば、エミリちゃんと数人の生徒が顔を輝かせてけよりお祝いを言ってくれる。

 まあ私のは平均だけどね。


 エミリちゃんとはあれから更に仲良くなって、今では名前呼びも許してしまった。

 名前に大きなコンプレックスのある私にとって、これは快挙かいきょだ。

 だって、エミリちゃんが呼ぶとなぜか漢字で呼ばれてる気がしない。

 エミリちゃんてば最高の親友だ。


 廊下には他にも沢山の生徒が立ち止まり、張り出された紙を見あげてる。

 その紙の一番端に私と館山先輩の名前が縦に並んでた。

 一年生の一位と二年生の一位。

 それだけが、あれ以来私と先輩の数少ない接点だった。


「山之内さん、おめでとう」


 唐突に思いもよらぬ声をかけられ私が後ろを振りむくと、それだけ言いって去っていく館山先輩の後ろ姿が目に入った。


 そう、それだけだった。


 それっきり、館山先輩とはなにも関わりのないままに、私の平穏な高校生活はゆっくりと過ぎていった。

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