環境大賞

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 田川は満足げだった。窓からの眺めは広々とまでは行かないが、家々の間から少しだけ遠くの山並みが見える。畳も壁紙も新しい。40歳を前にして早くも「マイホーム」を実現した。といっても、築20年の木造中古住宅で都心からも遠い。まあ普通のサラリーマンとしては上出来だろう。

 田川は大手自動車メーカー、月産自動車の環境企画課に勤務している。都心のオフィスに通っていた。部署名の通り、環境問題に取り組んでいる。もちろん企業だから、企業の為になる事をやっている。例えば、企業が如何に環境問題に取り組んでいるかを宣伝したり、その為のイベントを開催したりする。環境に関する国際標準であるISO14001の取得も担当してる。また、環境に起因する訴訟などが起きないように注意するのも重要な役割だ。問題があると会社のイメージダウンに繋がってしまう。


 師走の声を聞き、もう随分と寒くなってきた。窓からは、名残惜しそうにいくらかの葉を残したけやき並木が見える。部屋の片付けも一段落し、据え付けたばかりのテレビを付けてくつろいだ。田川は流れているニュースの一つに目を留めた。

《東京都は「環境大賞」を新設しました。受賞者には・・・・・・》

 田川はタブレットを取り出し、ニュースでやっていた「環境大賞」を調べ始めた。興味があったからだが、内容に拠っては仕事にも関係する。

「ふーん、企業向けでは無いなあ」

 受賞の基準や応募要項などを探す。

「個人向けだな。受賞者は10名とある。受賞基準は『環境に優しい人』か。あれ、これだけだ。詳しい説明が何も無いな」

 さらに調べて行く。

「都民は誰でも受賞対象とある。でも、応募要領が無いなあ。まだ応募が始まっていないからだろうか」

 田川は仕事柄、環境の知識は豊富だ。日常生活の中では、結構それなりに実践もしている。なので、この大賞に応募したいと考え始めたのだ。ちょっと下心もあった。受賞すれば社内でも評判になり、評価が上がるかもしれないと思ったのだ。ただ、田川はそれほどは功利的な男という訳ではない。

 やっと、どうして応募規定が無いか分かった。説明にはこうあった。

「都が、都内在住者の中から受賞者を選出します。候補者には事前に聞き取りを行い、それを元に最終選考を行います」

 田川はなるほど、ノーベル賞みたいなものか、と思うと同時に少し疑問だった。

「都民は1400万人もいる。応募無しで、都がこの中から候補者を選考するというのはどういう事だろう」


 田川は念のために都に問い合わせてみたが、公表されている以上の事は分からなかった。「環境に優しい人」については、こんな回答だった。

「具体的な評価基準を示してしまうと、ピンポイントでそれをクリアしようとする人が多く現れます。ですので、一般的な指標として『環境に優しい人』と言うに留めています」

 なるほどと思いつつ、では、どうすれば良いかの名案は浮かんでこない。まあ、一般的に環境に良いと思われることを総合的にやっていけばいいのだろうと、田川は考えていた。しかし、やはり疑問は残る。

「そうして俺が努力したとする。でも、それを都はどうやって認識するのだろう。応募も自己申告も不要と言うし」

 疑問は残ったが、環境大賞には田川を後押しする特典があった。それは、都庁のロビーに受賞者の写真と名前を掲示すると言うものだ。1年間掲げられる。ウチの上司や社長が都庁を訪れた時、目にするかもしれない。知り合いをさりげなく都庁の展望台に誘って、

「あれ見える? あの写真、俺だよ」

と言ってみたい。趣味と実益を兼ねて田川は「環境大賞」に応募、いや、参加する事にした。


 田川は大々的にやることにした。やるなら徹底してやりたい。これには、大々的にやれば都の目に留まるのではないか、という思惑もあった。仕事を通じて環境に優しいライフスタイルのノウハウは持っている。なにしろ田川は環境の「プロ」だ。

 まずは、車からだ。田川は自動車メーカー勤務という事もあり車が好きだ。普通のガソリン車のハッチバックと、キャンピングカーを持っていた。2台も車を持っていては環境に優しいなんて言えるはずも無い。あまり使わず、持て余していたキャンピングカーを売ることにした。外に借りていた駐車場代も浮く。思ったより高く売れたこともあり、ハッチバックの方は思い切って「PHEV(プラグインハイブリッド車)」に買い換えた。これは「環境に優しい人」の代名詞だ。都の審査員による評価に結構インパクトがあるに違いない。本当は燃料電池車にしたかったが、さすがに高すぎる。それに水素スタンドも少ないので不便だ。


 次に手を付けたのは家だ。まだ手に入れたばかりだが、環境対策を大義名分にして改造することにした。まずは窓を全て二重ガラスにした。それから壁の中の断熱材も増強した。厚手の絨毯を新調して敷き詰めた。これで特に冬場は快適になるはずだ。都の省エネリフォームに関する補助金も申請した。これに都の審査員が気付いてくれれば、またポイントアップだ。

 エアコンや冷蔵庫は、最初から省エネタイプのものにしていたため、そのまま使う事にする。しかし、ガス給湯器はいささか古くなっていたこともあり、高効率タイプの製品に交換した。

 最後まで迷っていたが、やるなら徹底的にという事で、思い切って太陽光発電も導入した。これによりいくらかは光熱費の節約にもなる。屋根に設置するので、これは目立つ。都の審査員の目に留まるだろう。家にかけたお金は何百万円にもなってしまった。ローンを払い始めた田川にはきつかったが、これも受賞のためと貯金を崩して充てた。


「ピンポーン♪」

 ドアチャイムが鳴った。

「おう、加西かさいか」

 加西は田川の学生時代からの友人だ。ただ、田川が卒業後直ぐに今の会社に就職したのに対して、加西は派遣やバイトばかりして過ごしている。

「加西、今はどんな仕事しているんだ?」

 田川は初めて入る家に、きょろきょろしている加西に言った。

「あー、チラシ配りさ。ほとんど最低賃金」

 加西は続けた。

「いい家だな。この若さで持ち家とは立派だよ。俺はまだあの四畳半に住んでるよ」

 田川は、加西にコーヒーを入れた。落ち着いた所で話し始めた。

「お前は興味無いかもしれないが、この家は環境に優しんだ。大枚はたいてリフォームしたよ」

 田川は二重ガラスや太陽光発電について説明した。聞いていた加西は言った。

「細かい事は良く分からないけど、良くやるなあ。お前が環境関係の仕事しているのは聞いている。でも家まで環境、環境ってやることないだろ」

 概ね予想通りの反応に田川は続けた。

「それがだ、俺は東京都の『環境大賞』に挑戦する事にしたんだ。車を買い替えたのも家を改造したのもその為さ」

 加西は、なるほどという顔をして言った。

「そうか。その環境なんとかというのは始めて聞いたが、もう応募したのか。賞金はいくらだい? 受賞はいつ分かるんだい?」

 田川はちょっと返事に困った。

「それが、応募は無いんだ。都が審査して全都民の中から受賞者を決める。発表は来年初めだ」

「気の長い話しだな。全都民って言ったら俺も入っているか。まあ、俺は環境に関心無いし、お前みたいに環境にいい事なんか何もやって無いから、はなっからダメだけどな」

 田川は太陽光発電式の置時計に目を遣ってから、加西に言った。

「おう、メシ食いに行こう。昼過ぎて、そろそろ店もすいてくる頃だ。いい食堂を見つけたんだ。折角来てくれたから、今日は俺がおごるよ」

 田川は、まだ真新しいPHEVに加西を乗せた。歩いても10分くらいだが、新車を見せたかったのだ。


「良かった、ランチタイムに間に合ったな。飲み物が1つ付いてくる。俺はしょうが焼き、飲み物はオレンジジュース、加西は?」

「ああ、同じでいいよ、ああ、ごはんは大盛りで」

 注文した物が運ばれてくると、田川は鞄から箸を取り出した。「マイ箸」だ。加西は割り箸を取りながら、それを見ていた。田川は説明した。

「いつもマイ箸を持っているんだ。割り箸は森林資源を消費するからね」

 加西は感心するというより、面倒くさそうな顔をして、大盛りのご飯を食べている。

 田川は、店の事を話し始めた。

「ここのオーナーは環境問題に感心があって、野菜もできるだけ地元のものを使っているんだ。それからこれ、非プラスチック素材のストローなんだ」

 田川は箸入れからちょっと太いストローを取り出すと、オレンジジュースのコップに挿した。聞いていた加西は既にストロー無しでオレンジジュースを飲み始めていた。

「お前は、まだあの四畳半か。相変わらず物がなんにも無くて、ガランとしたままか」

 田川は昨年、加西の部屋を訪ねた時の事を思い出していた。築50年以上の古い木造の下宿屋で、部屋は四畳半だ。小ぶりな押入れがあるだけで、それで全てだ。洗面所もトイレも共用。台所らしいものは無いが、流しの横に共用のガスコンロが1つと、洗濯機がある。

「ああ、まだあそこに居るよ。物も増えていない」

「まるで、学生時代のようだな。俺たちいつも金なくて、物も無かったもんな」

 田川のそんな言葉に、加西は少し笑みを浮かべて思い出すように言った。

「学食の250円の大盛りカレー、あれが無かったら飢え死にしてたかもな。今も似たような生活さ。増えたのはスマホくらいかな。電気製品も買っていない。ほとんど自炊しないから、冷蔵庫も要らないし。だから電気代も安くあがっているよ」

 聞いていた田川は合わせるように言った。

「で、相変わらず図書館通いと散歩か」

 加西は以前、田川に趣味と言えば読書で、図書館で借りてきた本を読めれば十分だと話した事があった。また、それ以外は散歩するくらいだとも言った。加西は文学部だったので、読書が好きなのだろう。英語なら原本も読める。ちなみに田川は理学部環境科学科だ。

「ああ、そうだよ。散歩の代わりに自転車に乗ることもあるけど。電車やバスは余り乗らないね、お金かかかるし。必要ないから遠くに行くこともない。あぁ、でも年に1回くらいは遠出するな。乗り放題切符の発売時期に合わせて、テント持って行くんだ。今年は東北の方に行こうと思っている。安いキャンプ場だと、テント1泊500円くらいだ。探せば無料の所だってある」

「お前、もしかしてまだあのテント使っているのか」

「ああ、あっちこっち継ぎ当てしてるけど、まだ使えるよ」

 田川が言ったのは、学生時代に使っていた二人用のテントの事だ。田川もその中で加西と一緒に寝たことがある。二人用と言っても実際に二人寝ると、寝返りも打てないくらいだ。その学生時代のテントを今も使っている。なんと物持ちの良いことか。田川が、車も電気製品も、より燃費や運転効率の良いものにどんどん買い換えているのとは対照的だ。


 夏も真っ盛りのある日、田川はお台場にいた。会社が主催する「月産自動車 夏休み環境展」の為だ。これは田川の環境企画課が主催する。課にとって一年で一番大きなイベントだ。会社の環境への取り組みをアピールする絶好の機会なので、会社も重視している。

 沢山の家族連れが来ていた。子供達の夏休みの自由研究にも役立つため、人気がある。会場の真ん中には、ペットボトルで作ったゴジラが展示されている。ペットボトルで風車を作るコーナーもある。これで何が環境保護になるのか、田川自身にも良く分からなかったが、環境教育の場面で良く行われているので、とりあえずここでもやる事にしている。

 自動車のリサイクルについて解説した大きなパネルもある。素麺そうめんも振舞われていた。水素ガスと燃料電池で電気を作り、それでお湯を沸かして作った素麺だ。なんでそんな面倒くさい事をするのか良く分からないが、環境に良い素麺という事で人気だった。

 ステージでは「環境クイズ」が行われていた。白熊のぬいぐるみを被った田川が司会をしていた。

「さあ、みなさん! 白熊さんが困っているのはどうしてかな」

 会場では子供達が盛んに手を挙げる。

「はい!」

「はい!」

 田川は後ろの方にいた子供を当てた。子供は元気に答える。

「氷が解けちゃうと、餌がとれなくなっちゃうからです!」

「はい、正解です。良くできました。氷が解けるのは温暖化が原因です。そこで次の問題です。温暖化を防ぐのに一番いいのは次のどれでしょう?

 ①ハイブリッドカーに乗る

 ②ダンプカーに乗る

 ③スポーツカーでぶっ飛ばす」

 もちろん、会社の思惑としては1番と答えてほしい。子供達は笑いながら、1番、1番と言っている。ところが、隅の方で聞いていた女の子がさっと手を挙げた。あれっ、と思った田川は、その子を当ててみた。すると女の子はすっと立ち上がると言った。

「車に乗らないのが一番いいと思います。私んちには車がありません」

 これには会場が沸いた。子供達も親達も笑っている。その子の親が困った様子でいる。田川は否定する訳にも行かないので、適当にやり過ごした。

「はい、そうですね。ありがとう。では、次の問題に行きます・・・・・・」


 秋も深まり、受賞レースも大詰めを迎えていた、、、と田川は思っていた。ただ、都からの反応は何も無いので、「受賞レース」の実感は全然ない。

「そういえば、候補者に連絡が来るはずだ。でも、いったいいつ来るのだろう」

 だんだんと焦り始めた田川は都に問い合わせてみた。都の答えは次の様な事務的なものだった。

《候補者には12月のしかるべき時にご連絡します。特に日時は決まっていません》

 待つしかない。やるべきことは全てやった。田川はまだ受賞した訳でも無いのに、ある種の満足感を覚えていた。


 しばらくして、加西から電話があった。師走の声を聞き、街ではクリスマスソングが掛かり、通りにはイルミネーションが灯り始めた。

「田川? 俺。昨日さあ、東京都の職員が環境の調査に来て、いろいろ聞いてったんだ。ただ、お前の言っていたなんとか大賞とか受賞とかは言ってなかったけど」

 自分の受賞の行方ゆくえで頭が一杯だった田川は加西の電話を聞き流していた。どうせ古い木造なので環境は環境でも、衛生環境の調査に来たんだろう、などとと思っていた。これが実は「環境大賞」のヒアリングだったと知るには、年明けを待つことになる。


 とうとう年末を迎えた。街は静かに新しい年を待っていた。夜遅くなって、小雪が舞い始めた。除夜の鐘が遠く聞こえてくる。もう、年明けまでいくらも時間はない。テレビでは年末年始の特別番組が流れていた。田川は、リフォームのおかげで快適になった居室でテレビを見ていた。

「あー、とうとう都からの連絡は無かったな。環境大賞は所詮無理だったという事か。1400万人から選ばれるんじゃあ、ハードル高いよな。ずいぶん出費したけど、ちゃんと利用しているから無駄ではなかったという事にしよう」

 都からの連絡をじっと待っていたが、ここにきて田川も、やっと諦める決心がついた。受賞者が決まったら、是非受賞者に何をしたか聞いてみたい。もしかしたら、田川が買うのを諦めた燃料電池車を買ったのかもしれない。家の発電にもガス会社の燃料電池システムを導入したのかもしれない。家が、北欧式の高断熱住宅だったのかもしれない。考えればいろいろと出てくる。

「上には上がいるんだろうな。でもそんな事をしたら、何千万円もかかってしまう。さすがにそれは無理だな、俺には」


 こうして年が明けた。仕事始めから何日かが過ぎ、田川も環境大賞について忘れかけていた頃、また加西から電話があった。話しを聞いた田川は思わず口走ってしまった。

「えっ、なんでお前が?」

 そう、加西が環境大賞を受賞したのだ。今朝方、都から連絡があったという。受賞式があるから来週都庁に来てほしいとの事らしい。その時、ロビーに飾る写真も撮るらしい。田川の頭は、状況を消化できずにいた。

「全力投球してきた俺がダメで、何もしていない、いや、そもそも環境問題に関心もなく、知識も無い加西が受賞するなんて理論的にあり得ない」

 田川は、加西の授賞式に参列させてもらう事にした。加西を祝福するという事もあるが、この機会に都の職員にもう一度、審査基準について正すためだ。面と向かって聞けば何か教えてくれるだろう。「環境に優しい人」だけでは釈然としない。


 都庁の広いロビーの壁には、大きく「環境大賞受賞者」と書かれ、その下に受賞者の、先ほど撮影したばかりの顔写真が並んでいた。その一番端は、良く知った加西だ。写真はいやでも来庁する全ての人の目に触れる。報道陣も沢山来ていた。

「本当はあそこに俺の写真が掲げられるはずだったんだけどなあ」

 田川は口惜しそうに並んだ写真を見上げていた。


「それでは授賞式を始めます・・・・・・」


 式典は滞りなく進んだ。ちょっと気になったのは、受賞者の身なりだ。こう言っては悪いがまるでホームレスのような人もいる。実際に、すえた匂いが漂ってくる。ただ、都の職員は一向に気にしていない様子だ。

 また、受賞者の中に若い女の子もいた。新卒という雰囲気で、悪いがこちらも環境問題に取り組んでいるという雰囲気はしない。どちらかというと原宿あたりを徘徊していそうな感じだ。


 田川は写真を眺めていて、あることに気が付いた。加西の名前の下には《世田谷区》と書かれているのだが、他の受賞者の住所表記がなんだか変だ。こんな調子だ。

《隅田川 鐘状橋》

《中川 佐伯橋》

《ネットカフェ西新宿》

《池袋中央公園》


 式典が終わった。田川は都の職員と思われる人に駆け寄った。そして聞いた。

「あの、私、受賞者の加西の友人なんですけど、審査基準なんかについて教えてもらえますか」

 職員は、適当に答えて終わりにしようとしたが、田川が余りに熱心に聞いてくるので少し時間を割いて説明をしてくれた。

「そうですか、この賞のためにいろいろと投資なさったんですね。本当余り話してはいけないんですが、折角ここまで来てくれましたから少しだけお話しします」

 そういって職員は、話してくれた。

「基本は『ものを消費しない』事です。つまり『買わない』ということです。それが環境に良くても悪くてもです。買うという事はものを生産し、輸送し、リサイクルし、廃棄する事に繋がります。これらは全て鉱工業活動と物流を誘起します。買わなければ何も起きません。鉛筆一本だってです」

 田川にとってこれは衝撃的だった。田川が受賞の為にやってきた事はまるで無駄だったという事になる。いや、田川のやっている環境関連の仕事でさえ、否定されかねない。職員は続けた。

「受賞者の写真をご覧になりましたか。〇〇橋や〇〇公園と書かれているのはホームレスの方で、その橋の下や公園で暮らしています。選考ではまず、『普通の暮らし』をしている人を除外します。四畳半を越える居住スペースに住む人や、車やバイクを所有している人です。これは都が持っている徴税情報などである程度自動的に選別できます。そして、1万人程度まで絞り込みます。そこからは人海戦術です。環境課の職員は社会福祉課の応援も貰って、都内の全てのホームレスを訪問しました。また、ネットカフェも訪問します。今日来ていた若い女性はずっとネットカフェで生活しています。余り感心できませんが、環境面では優れています。所有物は衣類などを入れた鞄一つだけです」

 田川は、加西の四畳半を思い出してなるほどと思った。職員は「少しだけ」と言っておきながら、段々と饒舌になって来ていた。

「あなたの友人の加西さんは四畳半住まいです。他の候補者と比べると見劣りしますが、彼は読書が趣味で、図書館にも徒歩で通っています。環境負荷が非常に低いのです。一応、『普通の下限』くらいの生活ですが、ホームレスでなくても受賞は可能だという、ある種の象徴的な事例として、受賞が決まりました。彼の日常の様々な行動様式も評価されています」

 田川は、食堂で加西が非プラスチック製のストローすら使わなかったのを思い出していた。そういえばお絞りも使っていなかったっけ。

「加西さんから、自動車メーカーで環境関係の仕事をしている友人がいると聞きましたが、もしかして貴方でしょうか。ひょっとして月産自動車の?」

 田川が頷くと、職員は続けた。

「御社の『夏休み環境展』に行きましたよ。都による環境に関する情報収集の一環でね」

 田川は、白熊を被っていたのは自分だと告げると、職員は笑いながら続けた。こいつ、いつのまにか随分と馴れ馴れしくなってきた。

「あー、そうですか。それにしてもあの時は面白かったですね。クイズの回答で『ハイブリッドカー』と答えて欲しかった所に、女の子が『車に乗らないのが一番』と言ったものだから。まあ、我々は心の中で拍手喝采しましたが」

 田川も思い出して思わず苦笑してしまった。その職員は腕時計をちらっと見ると言った。

「そろそろ戻ります。これからも、お仕事を通じて環境問題に取り組んでください。あっ、それから評価基準について、ついついお話ししてしまいましたが、他の人には話さないでください。変に競争になっちゃいますから」

 報道陣は受賞者のインタビューに忙しい。ホームレスの一人が記者にマイクを向けられていた。匂うのか、記者は少し身を引いてマイクを突き出している。

「受賞おめでとうございます。環境省による、家電や車の買い替え推奨についてどう思いますか」

「えっ? 俺は家電も車も持っていないんで分からんよ」

 くだんのネットカフェ女性もインタビューを受けていた。

「経産省の家庭用太陽光発電推進についてどう思いますか」

「私、家無いから分かんない」

 加西にも記者が付いていた。

「受賞、やりましたね。ところでCO2の排出権取引についてご意見を」

「何それ? 難しい事は分からん、帰って本が読みたい」


 田川は、こいつ思ったより秀逸なやつだ、と思いながらエレベーターの方に去ってゆく職員を見ていると、入れ替わりに加西がやってきた。

「おっ、加西おめでとう。やっぱり『環境大賞』に相応しいのはお前だ。俺じゃない」

 加西は田川の言っている意味が良く分からなかったが、手に持つ小さなカードを田川の目の前に差し出して嬉しそうに言った。

「これ、副賞の食券なんだって。余り贅沢なものはダメなんだけど、普通の定食なんかを一ヶ月間タダで食べられるんだ。凄いだろ」

 加西は本当に嬉しそうだ。受賞の喜びというより、99%はこの食券の喜びだ。後で聞いた話しだが、この食券は社会福祉的な意味があったらしい。環境大賞を受賞する人はほとんどが貧困層だ。これらの人の救済措置だという。しかも、これは受賞者の10人だけでなく、候補者としてヒアリングを受けた、恐らくは1万人近い人、全員に配布されると言う。都税を払っている身としては複雑な思いだが、当局としても社会福祉の一環だと言えば通りが良かろうとの事らしい。


 PHEVで加西を家まで送り届けた田川は、自宅へ向かう道を複雑な思いで車を走らせていた。

「ま、俺には無理だな。持ってるものぜーんぶ捨てて、橋の下で生活する訳にはいかないし。それにしても、仕事も気が重くなるな。これからも『皆さん、環境に優しいハイブリッドカーに乗り換えましょう!』と言い続けなくちゃいけないし」

 家に帰り、テレビのスイッチを付けた。テレビでは東京都の環境大賞の受賞者が決まったというニュースをやっていた。受賞者の写真の中に加西もいた。

 田川は今年の「夏休み環境展」をどうしたものかと考えていた。ちょっと思いついた。こんなクイズはどうだろう。

《さて、皆さん、次のうち一番環境にいいのは誰でしょう?

 ①ハイブリッドカーに乗っている人

 ②省エネ家電を揃えている人

 ③ホームレスの人》

 田川はかぶりを振りながら思った。

「まだ時間はあるさ、ゆっくり考えよう。あの女の子が、爆笑では無く、拍手してもらえるような日が来るといいんだけどな」

 窓の外では、すっかり葉を落とした欅並木が冬晴れの深い青空に映えていた。

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