怨獄の静 

銀牙

第1話

  怨獄の静 プロローグ


 時は戦国。


 人になり代わり、あやかしが、城主となり国を治める時代。


 豊後の国の山間にある恩極村おんごくむらに天川葵と静という一組の母と娘が住んでおった。


 母は美しく、その身から溢れる気品はさる高貴なお方の血族であるともっぱらの噂だった。


 娘の静はよく喋る利発な娘で、歳の頃は十二、三。

 母の着物をこっそりとその身に被せては喜びを得る、黒髪の似合う娘であった。


 ある日、葵は村長から村の外れにある古寺に、宴の手伝いに行くよう依頼された。


 気は進まなかったが、夫を持たぬ身。村の援助無しではろくに畑も耕せぬ事は重々承知していた葵は、この申し出を受け、夕刻、出かけて行った。


そして深夜。

 月は紅い光を放ち、その日が人ではなく闇の生物の物であると誰もが知っていた。


 静は母の身を案じ、一人、古寺に忍び込み、母の姿を探した。

 寺の灯りは消されており、奥の間から溢れる明かりが頼りであった。


 ゆっくりと襖に指をかけ、覗き込んだその一室で、母はその美しい五体を引き裂かれ、室内にいる者達のおもちゃにされていたのだ。


 その一室にいた者達の正体は八卦衆。  

 人間を辞め、人知れず妖怪となり、国を動かしている筈の八人の城主たち。


 狐、蛇、猫、蛙、百足、蝙蝠、蜘蛛、蛾。

 

 城主たちはその己の奇怪な本体を曝け出し、宴に喜びの声をあげていた。


 天井まで飛び散った鮮血に舌鼓を打ち、分割された葵の肌を舐め上げ、法悦と歓喜の声を上げるその姿に、静は人生最後とも思える絶叫を上げた。


 踵を返し、脱兎の如く逃走を計る静。


 宴の様子を見られた城主たちは、慌てて追走を始める。


 山中に逃げ込んだ静であったが、地の利と側に立つ母の霊体に導かれ、山の頂上に居を構える桃次郎という老人に匿ってもらう。


 静を探し出せずに陽は昇り、日光を浴びては弱体化する城主たちは突如、姿を消した。


 静は精神的ショックで一切の言葉を失っており、桃次郎は静に起こった事柄を推察。 

 

 これから静の身を護るためにも、四神「玄武」を操る術法「玄道」を静に学ばせる為に、ある学び舎と一人の男の元へと静を導く。


 そして物語は始まる。



 怨獄の静  第一話


■状況説明

 刻は戦国。


 列島を二分する人と妖の大戦が終結するも、闇の住人たちはいつか人の世に出ようと爪を研ぐ。闇夜に光るは紅い月。人になり代わり妖が力を増す、そんな時代。


■場面転換 

 バックでは鋼の足が四本取り付けられた城が、山地を移動している。

 

■状況説明

 そんななか、霊獣をその身に宿らせ、国を守護する「護人(もりと)」と呼ばれる者達がいた。 


 そしてここ、豊後国の奥深くに護人を育てる学び舎。霊山泊があった。


■場面転換

 白い旅衣装の天川静(あまのがわしずか)と同じく旅支度をした竜王院薫(りゅうおういんかおる)。そして二人に師匠である玄斎先生(げんさいせんせい)が話しかける。


玄斎「薫よ」


薫「はい、先生!」


玄斎「静は四霊獣玄武と霊導線を結んでおるものの、母が殺されてから言葉を失って既に一年。

 心を開いたお前とは意思疎通は出来るが、これからが、ちと心配じゃ」


静(このお花、とってもキレイ。薫ちゃんに

  もあげようっと!)


 無邪気に道端にしゃがみ込み、美しい花を選んで摘む静。薫には静の念波が届くため、薫はやれやれといった表情で静をみている。


玄斎「この娘は顔に似合わず、い、つ、も、やり過ぎる。手がつけられんくらいにな」


 自分の事を言われている事に気が付いたのか、バッと顔を上げ、玄斎を見る静。


 玄斎がニコッと笑顔を見せると、安心したのか静も笑顔を返す。同年代の子に比べ、幼い印象を受ける。

 体型も小柄の薫よりさらに小さく、花や虫と戯れる姿は童女と言っても差し支えない。


薫(そう。先生の予感は常に当たっていた。静ちゃんの道力は未だ未知数。刺激せぬよう、無用の争いからは遠ざけねば)


■状況説明

 こうして静と薫は案内人の導きにより、全国に点在する修行場、霊山泊を巡る修行の旅に出た。


 後に「黒姫」と呼ばれ、敵味方からも恐怖と畏怖の対象となる最強の護人の旅立ちであった。

 

 物語はここから始まる。


■場面転換


 簡素ながらもキレイに整頓された木造の教室。室内には正座した生徒が十名ほど。皆、和服を旨とし、膝先には申し訳程度の和式机と教本がみえる。

 

 静と薫はその最前列で皆に向かい、正座し相対していた。

 側で若い男性教師、虎堂が二人を皆に紹介する。


虎堂「霊山泊別府東院から来た……」


薫「一回生、竜王院薫と、天川静です。よろしくお願いします!」


 二人分の自己紹介をして、ペコリと頭を下げた薫。

 それを見て、静もわけが分からず慌てて頭を下げる。

 額を床に打ちつけ、激しい激突音が教室に響き渡る。


 室内に失笑がおこる。なんだ、この田舎者達はといった感じ。


生徒「なんであいつが女の紹介までしてる訳?」


 生徒の一人が声をあげた。


虎堂「ああ、静君は事情があって、言葉が喋れない。皆、優しく教えてやってくれ。

 ちなみに竜王院君は青龍。静君は玄武との霊導線を結んでいる」


白郷「なんだって!!」


 教室内に激しく机を叩く音と怒声が響き、一気に周囲の萎縮と緊張が高まる。

 陽のあたる左側最奥に陣取る白郷万里の声だった。白郷の妬みと怒りの視線が、強く静に注がれる。


虎堂「皆も知っているだろうが、霊獣は四極八傑。玄武、青龍、朱雀、白虎。  

 この霊獣たちとの深い絆と魂の繋がりを霊導線と呼び、まずは霊獣と霊導線を結ぶ事を霊山泊での第一目標としてほしい!」


 静と薫が再び、お辞儀をする。


虎堂「では、二人は空いている席へ。迦楼羅、

   面倒みてやってくれ」


 虎堂は気を使って白郷から静を離そうとしているのか、白郷と反対側の奥の空席へと二人を誘導した。

 

 だがそんな静に対し、素早く白郷は自分の取り巻き達にアイコンタクトで指示を送る。


白郷(やれっ!!)


■補足

 霊山泊では三回生まで席はあるものの、三回生になると実際に現場に出向き、一線で働く正規の護人の下につき、国の守護について学んでいく。ある意味、この時点でこの教室に三回生がいたならば、その者は現場に出してもらえないような低い能力の持ち主として認識される。


 ここの霊山泊では、ニ回生の白郷摩理が筆頭として取り仕切っており、何人たりとて彼女の意向を無視は出来ない。

 その威光は四大宗家である白郷家の力と相まって、教師である虎堂にも通用する程のものだった。


 先頭を歩く静の足の甲に、白郷の意を受けた生徒が、容赦なく鋼の錐を突き立てた。


 ビキンッ!。


 一瞬にして、金属である錐の先端が激しく根本からへし折れ、その先端が突き刺した生徒の手首に突き刺さった。


生徒「ギャッ!!」


白郷(馬鹿が。何やってんだい。使えない 

   奴!」


虎堂「どうしました。何かありましたか?」


静「?」


薫(しまった。静ちゃんの防御内陣が強く働い

  てしまった。どこに行っても相変わらず、

  すぐ絡まれるな)


事の起こりを推察した薫が、フォローしようとするも。


白郷「なんでもありませんわ。さ、早く、授業

   を続けてください」


 他人の痛みなど知らぬとばかりに、吐き捨てる白郷。

 

 静はしゃがみ込み、いつの間にか生徒の傷口を指先でクルクルと撫でている。驚いたことに傷口は既に口を塞ぎ、出血も止まっている。


生徒「えっ?。うそ、痛くない……」

 

 驚く生徒の頭を何故か笑顔でヨシヨシと撫で続ける静を、強引に引っ張って席に着く薫。


 こうして二人の不安だらけの霊山泊小倉虎堂院での生活がスタートしたのだった。


■場面転換 


 休憩時間。


 迦楼羅と呼ばれた茶髪、糸目の長身の少女が、隣の席の二人に優しく話しかけた。


迦楼羅「あの、はじめまして。三回生の迦楼羅

    です。よろしくね」


薫「えっ、三回生?」


迦楼羅「やっぱり、驚くよね。私、あんまり戦ったりするの苦手で。何も行をおさめてないから、このままだと退学間近なんだよね」


 タハハと頭を抱える迦楼羅。


 静は意味が分かっているのか分かっていないのか、胸元で両拳を握り、ガンバレとばかしにガッツポーズを見せる。


薫「あの、よろしくお願いします。それにしても、ここの霊山泊は僕たちが居た所とは随分、雰囲気が違うんだけど」


迦楼羅「それが実はね、あの白郷さんがここに来てから、随分と人の入れ替わりがあって……」


 二人に顔を近づけて小声で話す迦楼羅。

 だが、その茶髪の髪を背後から白郷が掴み後ろに引き倒した。


迦楼羅「い、痛い、痛い。離してくださ 

    い!」 


 激しく倒れる迦楼羅。


薫「何をするんだ!。やめろ!」


白郷「うるさいよ、ガキ!」


 慌てて迦楼羅から白郷を引き離そうとする薫だが、一瞬で白郷の道力に弾かれ、壁に叩きつけられた。


白郷「私が自分のオモチャで遊んで何が悪 

   い!」


薫「グッ。く、苦しい……」


白郷「お前も四大宗家の末席のようだが、ここ

では私が筆頭なんだ。コソコソと人の噂しやがって。逆らう奴は容赦しないよ!」


 白郷はお得意の水の道術を使い、薫を縛り付ける。水で身体を構成した蛇が、薫の喉元に巻きつき呼吸不能にしているのだ。


 教室内に教師である虎堂の姿はない。


 皆、白郷の一挙一動に恐れ、声すら発さない。


 白郷は掴んだ迦楼羅の髪に裁ち鋏を当て、その髪を切ろうとしている。


迦楼羅「や、やめてください。痛い、離し

    て。お願い!!」


白郷「護人として役に立たない奴はこうしてや

   る。教室で目障りなんだよ!!」


 白郷がその手に力を込め、鋏が迦楼羅の髪を両断するかと思いきや、鋏が閉じることはなかった。


白郷「な、なんだいこりゃあ!!」


 白郷が渾身の力を込めるも、鋏の刃の間には不可視の塊が存在し、刃が閉じるのを防いでいる。それどころか、刃がカチャカチャと細かに振動を始めた。


 静かにその様子をジーッと見つめる静。


白郷「このガキ。お前の仕業かぁ!!」


 白郷が叫んだその瞬間、鋏は凄まじい力でねじ切られ、その刃の一辺は天井に突き刺さり、もう一辺は白郷の頬を掠め、タラリと出血をするに至った。

 

 怒り心頭の白郷。一方、キョトンとした顔の静。


白郷「生意気な奴。私と同じ玄武の霊導線を結

ぶだけじゃ飽き足らず、筆頭の私に傷を負わせた。格の違いをその身体に叩き込んでやる。表に出な!!」


 踵を返し、表へ出る白郷摩理。


 一瞬にして拘束の道術を解かれた薫。


薫「ゲホッ。し、静ちゃん、行っちゃ駄目だ。

安易な挑発に乗っちゃ駄目なんだ。ち、違

うよ。遊んでくれるんじゃないんだよ!」


 静と心の会話を交わした薫。


 なんと静は白郷が、外で自分と遊んでくれると思っている様子。

 

 白郷の取り巻き達に促され、外へ連れて行かれる静。


迦楼羅「ごめんなさい。私のせいで静ちゃん

    が!」


薫「謝るのは後、急がないと大変な事になる

  よ。行こう!!」


■場面転換  霊山泊学び舎 広場


 相対する静と白郷摩理。周囲を生徒達が取り巻き、見守っている。


白郷「今さら泣いてもこの私、白郷摩理に逆ら

うとどうなるか思い知れ!。玄道、爆牢水蛇!」


■補足

 

 己の信じる道を選択し、修行、精進し突き進んだ者が得たエネルギーの事を、道力と呼ぶ。

 そして、それによって引き起こされた奇跡の事を道術と呼ぶ。


 静、白郷摩理が霊導線を結んだのは四霊獣玄武であり、玄武の持つ水の属性を使いこなす事こそ、強者への近道なのであった。


白郷摩理の取り巻き

 「でた。摩理様の爆牢水蛇。触れるだけで、身体の肉が弾けちまうよ!」


 広場の一画にある水場から突如、水が噴き上がったかと思うや、命を与えられた水蛇の形態をとり、スルスルと白郷の側でとぐろを巻いた。

 尻尾にあたる部分がうなりをあげると、側にあった巨石が一瞬で両断される。

 その断面は巨大なハンマーで数百も打ちつけたようにグズグズになっていた。

 

 先程、教室で薫を締め上げたものとはスピード、その強靭さは比べるべくもない。


迦楼羅「静ちゃん!」


 駆けつけた迦楼羅の言葉を遮るかのように、白郷の攻撃が開始された。


 一緒に遊ぶつもりだった静は、目尻を吊り上げ怒りの表情を見せる白郷の姿に驚いたようだが、これも遊びの一つなのだと理解した。


白郷「なんだいあの娘、薄気味悪い。なんで、

   笑ってるんだい!」

 

 静はこれを遊びの一環と捉えているのか、白郷の水蛇に触れる事なく軽々と、その攻撃を躱していく。


白郷「どうしたい。道術使えないんなら、もう

   殺しちまうよ!くたばんな!!」


 水蛇がとぐろを巻き、静の着地地点を狙い飛来した。


薫「静ちゃん、危ない!!」


 静には余裕で回避出来るどうとない攻撃だが、思わず駆け寄った薫の肩口から鮮血が噴き上がった。


薫「つっ!」


白郷「黙って見てりゃいいんだよ。今度は死ぬ

   よ、坊や!」


 裂けた肩口からは鮮血がどんどんと溢れ、白い道着を染めていく。


 慌てて薫へと駆け寄り、傷口を抑える静。


 静は眼前で起こっているこの事柄は、自分の望まない、意図しない事柄である事を認識した。

 

 この遊びは好きじゃない。

 自分の大事な人を傷つける遊びは好きじゃない。

 自分から大事な人を奪う奴は、大キライだ。

  許せない!!。

 コイツは、この何か叫んでる女は敵だ!。

 そう、奴等のように!」


 静の鼓動が早鐘のように、激しくなっていく。


薫「だ、駄目だ、静ちゃん。落ち着いて!。こ

  れはただの遊びだから!」


 静の顔から笑顔が消えた事に焦る薫。

 静は、はじめて怒りの目で、白郷を睨みつける。


白郷「なんだい。少しはヤル気になったのかい!。今度は顔をザクロのようにしてや……」


 白郷の声が驚きで停止する。


 静を中心に、複数の円で構成された紋様が足下に浮き上がっていた。

 

 四霊獣玄武の力が記された霊獣曼荼羅。

 玄道の道力によって生み出された、術士を護る不可侵の力場。

 錐をへし折り鋏を分割した、主に防御主体のエネルギーシールド。

 防御内陣と呼ばれる護人特有の戦闘魔法陣だった。


 護人になろうとする者なら誰でもその光景に驚愕した。

 大気がさざ波のように揺れ始める。

 寄せては引くそのエネルギーに、誰もが大海原の波の動きを幻視したのだ。


 そのエネルギーが砂粒、石ころ、落ち葉、土塊を巻き込み動かし始めた時、誰もが思った。

 

 本物だ!と。


白郷「嘘だろ!。私でさえまだ身に付けてないのに、何で?」


■補足

 小手先の攻撃術は才のある者なら、身に付けるのはそう難しくない。宗家の生まれなら、尚のこと。白郷のように、高めた道力を注ぎ込めば強化もできるが、この内陣、そして攻撃専門の外陣を形作るのは容易くない。


白郷「イ、インチキだ。はったりだよ。私が化

   けの皮を剥がしてやる!」


 静の顔面へ、爆牢水蛇が飛びかかった次の瞬間、水蛇は見えない障壁に触れ、激しくスパーク。

 水を素体に使った白郷の玄道は、あっけなく四散し、終わりを告げた。


白郷「そ、そんな。私の術が内陣に触れただけ

   で破れるなんて……」


■補足

 この静の内陣と呼ばれる防御陣から生み出されたエネルギーは、静への敵意や攻撃に反応し、多様に形状を変え、主人を護ろうとする。


 羽衣のようにフワフワと静の周囲を旋回するこの不可視の力場は、急襲する弓や槍を一瞬で四散させる力と反射速度を備えており、攻撃専用の陣である外陣と組み合わせる事で、さらに凄まじい威力を発揮する。


 地面に手を突き、打ちひしがれる白郷。


 だが、そんな白郷に、内陣を高速旋回させる静が、ゆっくりと近づく。


 無限の大気が静の足元に馳せ参じ、更なる渦を形成する。それはさながら、小さな竜巻のようにも見えた。


白郷「ひっ!。た、助けて!!。殺さないで、

   死にたくない。死にたくないよ!」 


 白郷は自分の身体ごと、静の方へ引きずられはじめた事に気が付いたようだ。激しく形を変えるあの内陣に引き摺り込まれたら最後、身体を一瞬でバラバラにされかねない。


 静の右手がゆっくりと白郷へ、向けられた。半開きの拳が意味するものは更なる恐怖。

 外陣解放の構えだった!。


薫「駄目だよ、静ちゃん!。もうおしまい。僕も怪我なんてしてないから!。この遊びはこれで終わり!」


 いきなり静の右手首を引っ掴み、強い口調でこの戦いの終了宣言を告げる薫。

 その肩口はあれだけ出血したにも関わらず、既に傷口は塞がり、痛みも消失していた。

 

 内陣を展開しているにも関わらず、薫へは一切の防御行動はとられず、パチンとシャボン玉が割れるかのように、静の防御内陣は解除された。


 グッと静の頭を抱き寄せる薫。

 スッと、静の顔にも赤みがさし、笑顔が元に戻った。


薫(よかった。間に合った。外陣を解放したら

  百人規模で死体が出る。いや、もっと

  か……)


 白郷は取り巻き達に抱えられ、そそくさとその場を後にし、姿を消していた。


虎堂「おい、こりゃあ一体何があったんだ?」


 迦楼羅が走り、虎堂を連れて戻ってきたのだが、時すでに遅し。


 地面は、百人で耕したのかと思うような荒れた有様。


 その中央では、抱きついてきた迦楼羅の頭をヨシヨシと笑顔で撫でる静の姿があった。

 

■場面転換 霊山泊女子棟 迦楼羅と静の二人部屋。


 四畳半の畳部屋。深夜。

 

 窓からは月光が差し込み、部屋に引かれた布団に寝ている二人を照らし出す。

 

迦楼羅「静ちゃん、もう寝た?」


グーグーと軽い寝息をたてる静。 


迦楼羅「寝てるよね。今日はあんなに凄い戦い

したんだもんね。でも、これって……」


 少し呆れ顔の迦楼羅。その視線は静の布団の下、畳に注がれる。


迦楼羅「寝てるはずなのに、防御内陣が解けて

    ない。無意識で何かを警戒してるのか

    しら?。ちょっとだけ、見せてね」


 迦楼羅は横で寝息をたてる静の額に、まるで熱をはかる姉のように、そっと手をあてた。


 途端に迦楼羅の脳内に広がる多くのイメージ。


 母、葵の優しくも美しい姿。

 月光の中を一人歩き、たどり着いた廃寺で見た衝撃の光景。

 八体の妖。バラバラになった母の身体。

 命を賭けた逃避行。

 桃次郎、玄斎先生との出会い。

 そして復讐のために、声を代償に学んだ玄道。

 八卦衆一番手の蝙蝠の妖、夜咬との火花を散らす激闘。

 勝利したものの、村を半壊させてしまった。

 母から譲り受けた黒い霊装「黒夜叉」。

 そして心を許せる友だち、薫との出会い。


 その凄惨な過去に、迦楼羅の目からは涙が流れていた。


■補足

 四霊獣朱雀と霊導線を結んだ迦楼羅は、戦闘は苦手とするものの、遠隔視や過去視、傷や解毒などの道術は得意である。


迦楼羅「この娘は私以上に辛い目にあってきて

    るんだ。私も負けてられない!」


 迦楼羅は、柔らかな寝顔でなおかつ内陣を崩さない静を見て、己も強くなろうと固く心に誓ったのだった。


     

■場面転換   小倉城 天守閣。


 城主、無明忠明は片手に巨大な盃を掲げ、部下である吉凶師である坂屋宇金(さかやうこん)の話に耳を傾けていた。


■補足

 この世界では城に足と呼ばれる鋼の移動機関が装備されており、城主の気の赴くままコストはかかるものの、長距離移動が可能になっていた。

 もちろん他国の領土に踏み込めば一触即発の事態になるが、城を定着させる陣取りや、移動コースの選択により勝負が決する事もあり、いつからか城主は、お抱えの占い師を重宝する様になった。



無明忠明「なに、幻水山の方で動きがあるとな?」


坂屋「はい。城下に放っておった間者より、人に化けた妖が山の中腹にある霊山泊なる私塾に集い、何やら画策しているとの噂が……」

 

 僧服に身を包んだ貧相な小男、坂屋宇金は忠明の機嫌を伺うように、平伏した状態から忠明へと視線を向けた。

 

 筋骨隆々。禿頭に顔からはみ出るような口髭。胴鎧を常に身につけた常時戦闘態勢のその姿は、他国にも「鬼達磨」という悪名で知られ、恐れられている。


忠明「ふむ。豊後の国でも蝙蝠の妖がでたそうな。退治はされたそうだが、長月。お前はどう思う?」


 顎に手を当て考えた忠明の視線は、室内の一点、妻である長月の美しい姿へと注がれた。


 五尺はあろうかという弦楽器を縦に構え、悠々と奏でる面長、長髪の女。


 胸元は大きくはだけ、和装ではなく洋装を基調にデザインされた衣を身に纏っている。

 とても武将の妻とは思えない。

 その手元からは、人の心を幻惑するかのような妖しげな曲が流れてくる。


長月「忠明さま。貴方様が妖なぞに殺される事は万が一にもありませぬが、先程よりこの羅針霊盤が玄武を指して動かぬ状態。この方角、北はまさしく幻水山を指しております」


坂屋「ははっ。長月さまの仰る通りで!」


長月「不安の種は摘むが常道。ならば……」


 長月の指が滑らかに動き、弦楽器からは妖しい音色が流れ、場を包み込んだ。


 禿頭の鬼城主。

 坂屋は無明忠明の口元が微かに緩んだのを、見逃さなかった。



 ■場面転換  霊山泊 学び舎の裏。

 

 白郷と取り巻き数名が、迦楼羅の襟元を掴み、壁に押しつけ罵声を浴びせる。


白郷「おい、茶髪。朱雀と霊導線を結んだからといって、調子に乗るなよ。そもそも、あんな新入りが、大血采の儀に合格出来る訳がない!」


 ■補足

 各霊山泊で独自の卒業試験とされる儀は「大血采」と呼ばれ、ここ幻水峡では巨大な蛇が棲むという滝壺に身を落とす儀式を行う。

 

 儀式は師の監督の元で行われ、各々霊導線を結んだ霊獣を駆使し、この難局をいかに切り抜けるかが試験の肝となる。


 静は先程の一件で道力を認められ、虎堂より「大血采」の儀を早速試すよう伝えられた。

  実力があれば次の霊山泊へと修行を進め、護人への道もまた近くなる。

  だが実際のところ、ここの霊山泊への静の長い滞在が白郷を含め周囲の者に対し、あまり良い影響がないと判断した虎堂の、静を対よく追い出すためのものだったともとれる。


 白郷との対決からニ週間。


 静の強すぎる道力は、既に教師である虎堂さえも大きく凌駕しており、静の存在は霊山泊でより強くなっていた。

 

 白郷の学び舎での存在感は薄れ、生徒達の中心は静と薫。そして迦楼羅へと移っていた。


迦楼羅「静ちゃんは強い人です。貴方が本当に護人となって世に必要とされるなら、とっくに「大血采」を受けている筈です。

 静ちゃんが一回生で挑戦するのを止める事は出来ないわ!」


白郷「だろうね。だから仕掛けをしておいた。あの化け物女をとっちめる面白いやり方、思いついたんだよ!」


迦楼羅「そ、そんな!」


白郷「おっと、お前はまだ役に立ってもなきゃ困るんでね」


 白郷は踵を返した迦楼羅の腕を引っ掴み、怪しく笑みを浮かべた。

 

■場面転換


 幻水峡。

 垂眼の滝に現れた静、薫、白郷とその取り巻き達。

 

 幻水山の大瀑布とばかりに激しい音をたてる滝壺は、覗き込む者を常に圧倒する。


 元々、滝の正式な名はあったものの、あまりの滝の迫力に、この行に挑む者の魂魄は疲弊し、自然と頭を垂れるところからこの名がついた。

 

 この滝から流れる冷水は、滝壺深く存在する地底湖にも流れるとされ、その湖の主は巨大な大蛇との噂もある。


 霊山泊に集う者達の全てがこの行を完遂出来る事を望むが、その多くはここに立つ事を許されず、学び舎を後にする。


白郷「どうだい。凄まじい勢いだろう?。

 通常、この場所から身を投げれば、人は間違いなく水面に叩きつけられ即死する。だが、水を司る霊獣、玄武と真の霊導線を結んでいるのであれば、霊獣の加護により、この行、恐るるに足らず」


 その滝の凄まじい迫力に息を飲む薫。不安から思わず言葉が出た。


薫「こ、虎堂先生はどこにいるんですか?。先生の認定なくてはこの行、認められない筈です!」


白郷「嫌だったら、辞めてもいいんだよ。ただ、そこの女には玄武使いの座は降りてもらうことになるがね!」


 激しい口調で恫喝する白郷の背後から、取り巻き達に短刀を突きつけられた迦楼羅の姿が現れた。


迦楼羅「ごめんなさい、静ちゃん」


薫「か、迦楼羅さん!。そうか、行の日程が変わったなんて最初から嘘だったんだな!!」


 迦楼羅を人質に取られ、さすがに静の顔付きにも険しさが現れる。


白郷「おっと、それ以上、近づくんじゃないよ!。手元がすべって、この茶髪の口元が耳まで裂ける事もあるんだからね!」


薫「くっ。汚いぞ!」


白郷「分かったら、その化け物女に玄武との霊導線を解くように説得しな!」


■補足

 皆、難度の高い試練を幾度も潜り、霊獣との絆を深め加護を得る。その繰り返しで最終的に四霊獣使いである四神となる権利を得るのだが、霊獣との縁を自ら断ち切るという事は、二度とその霊獣の力を得る事は出来ない事になるのだ。

 

薫(静ちゃん。玄武との霊導線はこれからの戦いに、奴等との戦いに必ず必要なものだ。決してこんな事で、四神になる事を諦めてはいけな……って、何してんの!!)


薫「静ちゃん、戻って!。それ以上進むと戻れなくなるよ!」

 

白郷「なにッ!」

 思わず声を出し叫ぶ薫と白郷。


 そう。

 迦楼羅を救うにも、下手に動けば迦楼羅の顔に傷が付く。

 かといって、玄道をもって妖と対峙せんとする静にとって、玄武との繋がりを捨てる事などありえない。

 残った選択肢は、これしかなかった。


 軽やかに滝口へ歩を進める静。


 大血采専用の白い装束が水飛沫を浴び、さながら死装束のようにも見える。


 無言で進む静の足は膝の高さまで凍るような山水が到達し、急速に体温を奪っていく。


薫「ダメだったら!。今の君じゃ、死ににいくようなもんだ。やめるんだ!!」


 感情が昂ぶった時しか外陣内陣を複合展開出来ない静が、瞬間的に玄武の加護を得て、無事に試練達成できるとは到底思えない。


 薫には嫌な予感しかしなかった。

しかしその制止の声は激しい水音に遮られ、静には一向に届かない。


静(八卦衆は遅かれ早かれ、私を狙って攻撃を仕掛けてくる筈。私が早く強くならなければ、迦楼羅さんや薫ちゃんが、更に危険な目にあう。今の私に出来ることは……一つしかない!!)


迦楼羅「ごめんなさい、静ちゃん。私、何の役にもたってない。思うだけじゃ、駄目なんだよね。静ちゃんは限界を超えるために、大きな賭けに出てる。命を賭けて!」


 静の心情が念波となって迦楼羅にも届いたのか、その決意の程が死をも賭したものだと理解できた。


白郷「なに、訳の分からない事、言ってんだい。面白い。飛べるもんなら飛んでもらおうじゃないか!」


 腰まで水に浸かった静は突如強い水圧に弾かれ、躊躇する事さえ許されず、その身体はいきなり足場を無くし、宙へと舞った。

 声が発せずとも、その心中では堪えきれず、絶叫がもれる。

 

白郷「はは、ザマァないね。いい気味だよ!!」


 天上への階段を登るかのようにみえたのは一瞬で、静の身体は重力に逆らう事は出来ずに、大量の水と共に下降していった。


薫「なんて事、するんだ!」


迦楼羅「し、静ちゃんが……」


 薫、迦楼羅は静の身体を奈落の底へ突き落としたのが、白郷の道術による水塊である事に気が付き、非難の声をあげた。


白郷「私を甘くみるからだよ。この私を敵にまわしたんだ。こんなもんじゃ、済まないよ!。おい、霊山泊に帰るよ!。あれの手筈もあるからね!」


 白郷は失意の薫、迦楼羅をその場に置き去りにし、取り巻きを引き連れ、意気揚々と姿を消した。


薫(静ちゃん、君の事を護りたいのは僕の方なのに。僕は未だ自分の中の青龍を制御出来てない。自分が情けないよ)

 

 滝壺へと飲まれていった静。

 薫は膝を地につき、涙ながらに心情を吐露した。


 静が滝口から飛び降りてから滝壺までの時間は無限にも感じられたが、その最中、心中で放った絶叫に答えるが如く、何者かの意思が突如、静の心に介入してきた。


玄武(娘御よ。お前は玄武と縁をもつものの、我と同じ方を向くものにあらず。自覚せよ。さすらば道は開ける。お前の真の名は……)


 四霊獣玄武。

 霊導線を結んだ者には時折、霊獣より神託とも呼べる四神への導きが告げられる事がある。そしてそれが今だった。


 玄武との心中での邂逅を終えると同時に、静は身体を激しく水面に打ち付けられ、意識を失ったのだった。


■場面転換 霊山泊 学び舎宿舎。


虎堂「白郷筆頭と、天川、竜王院に迦楼羅の姿が見えないな。誰か知らないか?」


 学び舎に残る生徒へ尋ねる虎堂だが、誰も口を開こうとしない。喋ったのがバレれば後で白郷に酷い目に遭う事が分かっているからだ。


虎堂「大血采の行を明日行うと伝えたかったんだがな。まぁ、いいか」


 今、静が生死の境を彷徨っているのに呑気なものだが、そこへ一人の生徒が駆け込んできた。


生徒「先生、大変です!!」


虎堂「どうしました。そんなに慌てて?」


生徒「こ、小倉城の城主。無明忠明の軍勢が、霊山泊周囲を取り囲んでいます!」


虎堂「なんだって。ここは国を支える護人の養成所だ。攻め込まれる謂れはないぞ。とにかく行ってみよう。私が話してみる!!」


■場面転換


 無明忠明の軍勢は山の中腹に陣を張り、頂上の霊山泊目指し兵を集結させていた。


兵「無明様。霊山泊の主宰を名乗る男が、無明様に謁見したいと申しておりますが」


無明「ふむ。妖の分際で、よくも人様に面を晒せるものよ。のう、長月」


長月「私の羅針霊盤でも大凶来たるとあらわれております。殿、先手必勝が吉かと」


無明「うむ。そうするとしよう!」


 腰の刀に手をかける無明。


 それに返すかのように、長月の唇がキューッと吊り上がった。


■場面転換


 「大血采」に失敗し、意識を失った静が、霊山泊へと担ぎ込まれ一刻ほどたった頃、白郷摩理とその取り巻き達は無明忠明の陣に馳せ参じていた。


無明「お前達か、妖の所在を知っておると言うのは」


■補足

 学び舎での闘いで静の桁違いの道力に恐れをなし、静を妖の血族だと、無明忠明の城に偽情報を流していたのも白郷摩理であった。


 迦楼羅から聞き出した静の過去に想像が加わり、事の真実は遠く置かれ、また霊山泊での静の無言の立居振る舞いが癪に障ったのだ。

 言葉が話せぬとも、次第にその道力の高さで学び舎での中心になっていくのは筆頭として面白くなかった。


 「大血采」から霊山泊へ戻り、虎堂先生が無明忠明の陣へと向かったと聞くと、以前無明の配下に流した流言が大きな波となって今、帰ってきた事を理解した。


無明「その方、確かであろうな?」


白郷「は、はい。言葉の喋れぬものの、強力な道術をつかう妖しい女。きっと、人の皮を被った妖だと」


無明「そうか。それならば、褒美をやらねばな。今すぐ、案内せえ!!」

 

 表情が喜びで一気に明るくなる白郷。


白郷「ははっ。有り難き幸せ。(あの女の動けぬ好機を逃してなるものか)


 死に損ないの静が学び舎に運びこまれたとの情報も掴んでいる。

 この際一気に、霊山泊より静を排除する算段を素早く巡らせるのだった。


■場面転換


 自然に囲まれた天然の要塞。

広い敷地内に、四神全てへの育成に対応出来るよう、区分けして様々な想定がなされた建物が建てられている。


無明「我が城の側にかような場所があるとはな」


 霊山泊には、外敵あるいは国外の人間が近づけぬよう簡易的な結界が張られている。

 だが今、白郷摩理の導きによりら無明忠明の軍勢、兵千人がはじめて霊山泊への敷地内に易々と侵入した。


白郷「こちらでございます、無明さま」


 鬼達磨と異名をもつその巨軀がのそりと動き、兵八人が担ぐ駕籠から地面へ足を着けた。


 精力的な選抜された男達だが、無明の体重を支え、山を登るのは地獄の苦しみに等しい。

 その後ろには妻、長月の駕籠も見える。


 当の無明は気にする風もなく、視界の端に入った霊山泊学び舎へと意識を向けた。


無明「ここには何人おる?」


白郷「はい。私達含め二十名ほどです」


無明「その殆どが年端もいかぬ子供たちとはな。これは一刻も早く浄化せねばなるまい」


 言うが早いか、腰の刀を抜刀する無明。


 声を上げる間もなく、白郷の取り巻きの一人が脳天より腰まで両断された。


 噴き上がる血飛沫。


白郷「む、無明さま、何をなさるのです!。妖である女は、この先にいるのですよ!」


無明「聴いたか長月。最近の妖は人に化けても演技が上手いのう。我を謀り、怯える様が堂にいっておる!」


長月「フフッ、本当に!」


 今度はターゲットを白郷に変更し、更なる斬撃が加えられる。

 白郷の左肩がばっくり割れ、鮮血が垂直に噴き上がった。


白郷「ギャッ。な、何を。何をなさるのです。私は護人四大宗家白郷の長女。只で済むとお思いですか?」


無明「何を世迷言を。それこそ護人四天王、白郷の人間が、このような片田舎におるものか!」


 ここで摩理ははじめて、一時の感情で人を貶めようとした事を後悔した。


無明「そうれ、欲しかった褒美じゃ!」


 放り投げられた水分を多分に含んだ球体の物体が白郷の足元に落ち、濡れた音をたてる。


 それは切断された虎堂の生首であった。

その形相は苦痛と涙と血にまみれていた。


白郷「ヒイィッ!!」


無明「見知った顔であろうが。ここから立ち去れなどと妖のくせに言うからじゃ。見よ、額に角が生えておる」


 白郷はブンブンと頭を振り否定の意を示すも、一向に無明は気にとめていない。


 虎堂の頭には当然、角などあろうはずもない。

 ないものを見えると豪語する無明が正常とはとても思えない。

 まともでない相手と、ましてや軍を率いる城主と一刻の感情で交渉ごとを構えたことが、今となっては悔やまれたならない。


白郷「爆牢水蛇!」


 白郷は震える声で、玄道「爆牢水蛇」を無明に対して行使した。


 無明の身体を一瞬でどこからともなく現れた水蛇が渾身の力で締め上げる。


無明「ほう。これが護人に化けた妖の道術。人身を惑わす邪教よな。だが、こんなものは……フン!」


 無明は全身に気を巡らせ、簡単に術を引きちぎる。


無明「ほれ、このとおり!」


 軽く身体を払う無明。


白郷「そ、そんな!」

 

 首根っこを掴まれ、地に叩きつけられる白郷。

 頭骨をすぐさま踏みつけられ、骨が軋む。


白郷「ギャアアアァッ!!」


 鬼達磨との異名をもつ巨躯をもつ無明。

 白郷はたまらず、絶叫をあげた。


無明「おい。奴等を取り囲み、皆殺しだ。国に仇なす虫けらは一匹たりとて逃がすな」


兵達「ハッ!」


 無明の号令により、兵の足先は霊山泊へと向かい、進軍を再開した。


■場面転換 霊山泊 学び舎。


 意識を失った静が布団に寝かされ、微かな寝息をたてている。


 静も白郷摩理も霊導線を結んでいる霊獣は四聖獣玄武である。

 その為か、無明に与えられた苦痛により白郷が無意識に放った魂の響、生命の波紋は瞬時に大気を伝わり、玄武を通し、同じ霊導線を持つ静へも届いた。


 電気でも流されたかのように、バチッと目を覚ました静。


迦楼羅「し、静ちゃんが目を覚ましました!」


 迦楼羅が、苦悶の表情を浮かべながら身体を起こす静の背を支え、介助する。


 違和感を感じる迦楼羅。

 

 よく見れば静の黒く美しい長髪一本一本が、それぞれ命が宿ったかのようにザワザワと蠢いている。


薫「静ちゃん。その髪の様子からすると、近くに奴等がいるんだね!」


 コクリと頷く静。


迦楼羅「え、奴等って、まさか……八卦衆!」


薫「君も静ちゃんの過去を知ったんだね。でも静ちゃんが玄道で奴等と戦うには、とても今の体力では身体がもたない」


 静、なんとか立ち上がろうとするも、その場で転倒する。


薫「言わんこっちゃない。大血采の儀の衝撃で全身の骨が砕ける寸前なんだよ。でも、なんで玄武の加護を得られなかったんだろう。加護があればあんな行なんて簡単なのに」


 慌てて静の身体を支える薫。


薫(あれほど強い道力、玄道を身に付けているのに、玄武からは弾かれ、拒絶されている。何か僕の知らない理由でもあるんだろうか?)


迦楼羅「私が……。私が、静ちゃんの体力を何戻してみせます。霊導線を結んだ朱雀の力を使って!!」

 

 困惑する薫を制し、声を上げたのは迦楼羅であった。

 その声は力に満ち、はじめて強い意志が感じられた。


 その両の手が静の胸元にそえられる。

 迦楼羅の戦いが始まった。


■場面転換 白郷と無明


無明「ホラホラ、どうした娘。抵抗出来ぬなら、このまま潰すぞ!!」


 グリグリと頭部が地面にめり込むほど踏みつけるその所業に、白郷の怒りが爆発する。

 

白郷「鉄甲水弾!!」


 白郷の叫びと共に指先から放たれた水と土の道力の金剛弾五発は、無明の股ぐらから頭頂までを一瞬で貫通。その肉片と血漿を周囲にぶちまけた。


 立ったまま、完全に動きを止めた無明。


 無明の足元から身を起こす白郷。


白郷「はぁはぁ……。いい気になってんじゃないよ、この腐れ坊主が!。この私に舐めたマネするとこう……」


 白郷が異変に気付いたのはその時だった。


 自分達の城主が死んだのに、周囲の兵たちが声一つ上げない。

 妻である長月でさえ、そうだ。


白郷「これは一体?」


 戸惑う白郷の前で、突如、無明の眼球が、グルンと裏返り、その身体、いや胎内がザワザワと激しく音をたてる。


 慌てて一歩後ずさる白郷。


白郷「な、何?」


 無明の肌が一瞬にして青銅色となり、ポロポロと音を立てて崩れ始め、その胎内からは無数とも思える数の害虫、羽虫、甲虫が滝のように溢れ、瞬時に四方に広がった。

 

白郷「ヒイイィッ!!」


 この世と思えぬ光景に、顔を隠し身を躱す白郷。


 周囲の兵の肉体からも、次々と虫が湧き出している。


長月「ふむ。回虫丸を飲ませすぎたか?。思ったよりは早かったの」


 ポツリと持参の巨大な竪琴にもたれかかり呟いたのは、無明の妻、長月であった。


 長月の身体は御自慢の洋装で着飾り、虫達の這い出てくる様子はない。

 逆に、無明や兵達の身体から生まれた肉虫たちがこぞって、全て長月の足元からその洋装の中へ集結したのだ。


白郷「ば、ばけもの?」


 周囲の兵達の眼窩はいうに及ばず、その肉体の至る所から蟲たちが顔をのぞかせている。

 既にその肉体をコントロールしているのは人ではなく、虫であった。


長月「これは否ことを。私に逢いたかったのではないのかえ。この万物の毒蟲を支配する八卦衆、百毒院長月にな!!」


白郷「そ、そんな。城主の奥方が妖だなんて。こんな身近にいたなんて……」


長月「ククッ。妖なんて物語の中だけのものだとでも思ったのかい?。半年前に奥方と入れ替わって以来、この城主はおろか、国の主だった兵全てに私の卵を飲ませてある」


 長月、白郷にジリッと近づくも、白郷も後ずさる。


長月「妖退治に燃える気骨ある城主も、産みつけた卵と、この幻幽琴で、一月で骨抜きさ。今日、一斉に卵が孵ったのも吉兆のしるし。このまま、霊山泊へと攻め込み、新たな宿主を見つけるとしようぞ!」


 長月は人間のふりをするのをやめたのか、その唇は耳まで裂けており、微かな笑みを浮かべながら一尺はあろうかと思える舌を、白郷の前に突き出した。


長月「娘子よ、貴様の心根には我らと同じ、深い闇がみえる。

 そこで聞こう。黒髪の娘の居所を吐け。

 さすれば我等の眷族として迎え入れ、永遠の生命を与えよう」

 

 長月の洋装の中では激しい隆起が絶え間なくおこり、集結した蟲たちが喜びにわななき、歓喜の声を上げているかのように思えた。


長月「さぁ、話すが良い。居所を吐けばお前も我らの仲間だ!」


 白郷は周囲の死人兵の身体が、たちどころに蛆、羽虫に身を喰われてもなお、自分たちを避け、霊山泊へと進軍を続けるのを見て、嘔吐した。


白郷(こんな風になりたくない。こんな死に方したくない。

 妹や弟に蔑まれ、霊山泊へと逃げこんだものの、あの静とかいう田舎者にも勝てず、この体たらく。

 あの、ムカつく静の居場所を吐けば楽になれるのだろうか?

 だが、何故こんな時に、あの静の顔がこうまで脳裏にチラつくのだ)


 次の瞬間、怯える白郷の口から出た言葉は驚くべきものだった。


白郷「クソ喰らえ、化け物。誰が言うもんか!!」


 言葉が終わると同時に、それまで笑みをたたえていた長月の邪悪な道力が、グンと跳ね上がった。

 その身体から立ち登る凄まじい道力に、白郷は遥か後方へ吹き飛ばされた。


■補足 

 人であろうが妖であろうが、己の信じた道を極めようとする者に備わるのが、道力。

 ただ、そのエネルギーベクトルが聖であるプラスか、邪であるマイナスかの違いがある。

 白郷は、長月の禍々しいマイナスエネルギーの道力を打ち払うだけのプラスエネルギーを会得しておらず、実力差は天地の開きがあった。


白郷「グッ!」


 吹き飛ばされ、樹木に背を激しく打ちつけ崩れ落ちる白郷。


白郷摩理「ちくしょう……。こんな筈じゃ、なかった筈なのに……」


長月「仲間を想うて吐かぬか。また、それも一興よ!」


 長月の身体を包む洋装が宙空に舞い、その肉体が白郷の前に晒される。


■補足 

 長月は蟲の大群を肉体に取り込む事で変態するタイプの蛾の妖である。

  頭部には触覚、背には鱗粉を撒き散らす巨大な四枚の翅。乳房から下腹部には甲虫が鎖帷子のように密集し、防御力を高めている。

 

 その足は地上よりわずかに浮いており、ゆらゆらと白郷へと距離を詰めていく。


長月「道力のある娘子を喰らう事は史上の喜び。他の八卦には悪いが、その蜜液。余すとこなく、楽しませてもらおうぞ!」


 長月の裂けた口から突き出た舌が、一瞬で蛾特有のストロー状の口吻に変化する。

 人の胎内に口吻を差し込み、獲物が絶叫をあげる様を見るのも長月の喜びであった。


白郷(い、嫌だ。頭がぐるぐる回って、道術も使えない。こんな死に方するのなら、静ともっと話を……。仲良くしておけば良かった……。

静、静、静……)


長月「ホホ。喉が焼け、声も出んか。私の銀流鱗粉は、吸い込むと喉は焼け、道力を極限までおとす。動けぬのはちとつまらぬが、これで終わり」


白郷「あ、ああー」


 口元からはヨダレがたれ、思考力も失われたに等しい白郷。足元にはいつの間にか水溜まりが出来ている。


長月「恐怖のあまり、小水を漏らしたか?。可愛いやつ。まずはその白い喉を……」


 白郷の眼前までヌーッと近づいた長月の毒手が、突如切り落とされ、宙に舞う。

 静の防御内陣が生み出す波刃による斬撃であった。


長月「ギャアアッ!。おのれ、何奴だっ!!」


白郷「し……、ず、か?」


 キョトンとした顔で白郷の顔を中腰で覗き込んでいるのは、紛れもない静だった。


長月「お前が、夜咬を殺った黒髪の娘。我が八卦に逆らう愚か者」


 静は白郷の肩口に手を添えた。


 それと同時に白郷の思考に、静の声が届いてくる。


静(静、静と何度も呼ぶから、来ちゃいました。摩理ちゃん!)


白郷(摩理ちゃんだって?。誰のこと、言ってんだい。大体、アンタなんか呼んでないし!)


静(霊導線繋がってるから、思考は全部筒抜けですよ。この水術で私を呼び寄せたでしょ)


白郷(水術、これが?)


■補足

 この水溜まりは白郷が失禁した訳ではなく、白郷か無意識に展開した内陣による召喚術で、静を強制的に呼び寄せたのだった。


静(まずは、私に謝って下さい。それと、迦楼羅さんや薫ちゃんにも!)


白郷(何で私が!。誰が謝るもんか!)


静(私、帰りますよ!)


白郷(わ、分かった。謝るから。行かないどくれよ。大血采邪魔してすみませんでした。髪の毛引っ張ってごめんなさい。術で締め上げてすいませんでした)


■補足

 白郷は不思議と、静に触れられている間、思考は元より体力とダメージが回復するのを感じていた。

 玄武には元々ダメージ回復のスキルがあり、霊導線で繋がる術士にもその効力は及ぶ。

 白郷にもその力はあるものの、静とはレベルが違うのがよくわかる。


静(摩理ちゃん、立てますか?少し回復した筈です。

 私を回復してくれた迦楼羅ちゃん達が、まだ霊山泊で戦っています。どうか、みんなをお願いします!)

 

 静、摩理の手を引き身体を引き起こす。


白郷「わかったよ。お前はどうするんだ?」


静(私は今から、あいつを殺します)


 静は摩理に笑顔で口調静かに伝え、その手を離した。

 

 静が手を離す時に流れ込んできた感情の波に、摩理はゾッとするものを感じた。

 

 怒り、高揚、歓喜、喪失感、悲しみ、そして願い。


■静の心中

 霊山泊の仲間を一人だって傷付けたくない。

 いずれ来たるであろう八卦衆との争いに、巻き込みたくない。

 私の仲間は必ず自分の力で守り抜く。

 どうかその願いを叶えさして下さい、母様!。


摩理「わかった気がするよ、あんたの強さ。私は一刻も早くここを離れた方が良さそうだ」


 摩理はいつの間にか鱗粉のダメージからも回復し、声も発することが出来ていた。

 喉を撫でる摩理。


長月「何をいつまで、見つめあってるんだい。逃がしゃしないよ!。玄幽琴、灰燼甲弾!!」


 長月が紫色の妖気を放つ巨大な竪琴を掻き鳴らす。


 宙空に秒速で数百匹の甲虫が群がり、球状の

テリトリーを形成する。

 そのテリトリーが凝縮、一発の榴弾に変化し、超速で静と摩理に襲いかかる。


静(玄道・地護流壁)


 静が地に手を振るうと長月との間に、一瞬で静たちの背丈を越える土壁が生成された。

 

 長月の蟲榴弾は壁に拳大のダメージを残し、四散したものの、その追撃は止むことはない。


 静。今のうちに、とばかりに摩理へ視線を向ける。


摩理「死ぬんじゃないよ」


 そう言うと、摩理は振り返らずその場を急速離脱した。


長月「逃がしゃしないって、言ってんだろ!!」


 土壁中央に拳大の穴が穿たれ、そこから鉄並みの攻殻をもつ甲虫たちがさらに壁を食い破り、超速で摩理の背を狙う。


 既に静の足元には防御内陣が展開され、摩理との射線上に割って入り、追撃する甲虫たちを火花を散らしながら叩き落としていく。


 内陣に刻まれた道力波形は霊導線を結ぶ霊獣によって異なり、玄武は特に霊獣の中でも最強を謳われ、その防御力では他の追随を許さない。

 玄武と霊導線を結んだ術士の内陣は、そう易々と侵せるものではない。

 

 静の足元には内陣の波刃に切り落とされた甲虫の残骸が、ブスブスと断面を焦がしながら山のように積もっている。


長月「今の一瞬で見えたよ。内陣の紋様から察するに玄武縁の者らしいが、外陣を出さないところをみると、正式な霊獣使いじゃないようだねぇ」


 壁の向こう側から聞こえる長月の声には、疑念と歓喜が多分に入り混じっていた。

 

 静の顔にも逡巡の表情が浮かぶ。

 その通りだった。

 五分前までは行を失敗し、死にかけていたからだ。


■補足

 朱雀との霊導線をもつ迦楼羅が、その道力を生命力と肉体の修復に最優先に振った雀道「瑠璃獄宴」の初期術を行い、成功したから今、ここにいる。


 だが、大血采では思っていた結果は残せず、玄武からはそっぽをむかれている始末。

 怒りの感情が爆発しなければ、攻撃意識の具現化とも言われる外陣展開が出来ない。自由自在に展開出来ての四神、護人である。


 ボロォン!。


 静の動揺を読み取ったかのように、玄幽琴の音が響く。


 壁の向こうから、凄まじい甲虫、羽虫の集合音が聞こえ、厚さ半尺の土壁が一瞬で静の側へ

倒れ込む。

  

静(!!)


長月「王蟲海楼。この無限にわく蟲の波を渡り切れる者などおらぬわ」


 壁を一気に押し倒した数十万の奇怪な蟲達は、さながら大海の波のごとく押し寄せ、静を中心に渦を巻く。


長月「王蟲大海衝。たとえお前がその波刃で何百匹切り裂こうと、私はその十倍の速度で子を

集める事が出来る。決して追いつけぬぞ!!」


静「グッ!」


 たまらず静も苦悶の声を漏らす。

 静の防御内陣は更に勢いを増して、押し寄せる蟲を火花をあげて切り刻むが、その周囲全方向が、自分の背丈をこえるほどの蟲壁となった時、静はその身が完全に蟲に包囲されたのを知った。

 

長月「フッ!」


 長月の小さな苦笑を皮切りに、蟲の壁は唸りをあげて一気に中央の静を包み込んだ。


 蟲同士がその身体を這い回り、ガチャガチャと奇怪な音階を奏でて、人型のオブジェを形成する。


 瞬く間に、静の居た場所は人型のそれからフォルムを変え、ついには蟲が集う唯の塊となった。


長月「娘子よ。我らの同胞を屠ったと聞いたが、買い被りすぎたか。八卦衆に逆らう愚か者。その肉と血、その魂まで我らに捧げるが良い」

 

 軽く手を振るう長月。


 主人の命により十数万の蟲達が左右に分かれ、道をつくる。


 そこに残されたのは一つの白骨死体であった。


長月「人の身で私たち八卦に仇討ちとは、愚か者のする事。それにしてもこの貪り様、余程美味かったとみえる。そう、あの村で喰らったこの娘の母親も……」


 そこまで言った長月は、背後から強烈な殺意が向けられているのを感じた。


長月「そうか、貴様。これは夜咬の能力、陰喰みを……。入れ替わったな!」


 ■補足

 白骨の死体はお抱えの占い師、坂屋宇金のものであった。肉食蟲の移動に巻き込まれ、既にその身を喰われ命を落としていたのだ。


 言葉を終え振り返ったと同時に、長月の首が両断され、地に転がる。


 無意識下の感情抑制が解除された時、外陣の紋様が内陣の外側に現れ、外陣での攻撃開始を宣言する。

 霊獣曼荼羅内の攻撃紋様外陣と、主に術者への防御紋様内陣が噛み合わさった時こそ、本当の護人、霊獣使いの強さが発揮される。


 長月の首を水平に切り落としたのは外陣の一角を最大限に引き伸ばし攻撃する玄道・

飛咬だ。

 

 だが、間髪入れず長月の頭部は元より、その肉体も周囲に黒い陰を残し、一気にその形を崩した。

 そう、その肉体全てを構成するのは蟲であった。

 蟲分身。

 肉体を構成していたのが数万の甲虫であったと誰が信じよう。


■補足

 長月は静の反撃を予測し、既に己の複製を蟲で作っていたものの、息を呑む間もなく攻撃された事に驚きを感じていた。

 だがそれにもまして、最初に始末された八卦衆蝙蝠の妖、夜咬の能力を静が取り込んで実戦で使いこなしていることで、静の戦闘経験の豊富さを実感したようだ。


 切断されたすぐそばで、再び肉体を蟲により瞬時に再構築する長月。

 今度はその瞳でしっかりと敵を見据えている。


静「妖の分際で我が母、葵を穢した事万死に値する。その腐った口を二度と開けぬ様にしてやる。覚悟するがいい!!」


 長月の見据えるそこには、静が立っていた。

 いや、静だった者が!。


 その紅色の両の瞳からは漆黒の涙が滝のように溢れ、胸元をつたい、身につけた白い着物に吸い込まれた。そして、その白い着物をたちまち闇色のそれへと染め上げ変化させた。


■補足

 呪紋霊装。

 

 霊糸で織られた霊装には、特定条件を満たした時、大きく変化を遂げる物がある。


 静の着物は母、葵が唯一残した形見の品。

千切れず、燃えず、水に沈む事は無い。


 静の霊装「黒夜叉」は鬼神の魂魄を霊糸に変換して編まれた、妖に対する最強装備の内の一つであった。

 何故、母がそのような品を所持していたかは不明。



 全身を黒に染めた静だった者は、力強く声を発した。


死不神「我が名は死不神(しずか)。封印されし、永遠の求道者。葵と我を苦しめた愚か者はお前か?」


 死不神と名乗った者の声は深く、暗く、重いものだった。

 

 その声から年齢を測るのは難しく、その全身から放たれる黒い霊気は、妖と対する善の執行者としてはかけはなれた凶悪さに満ちていた。


長月「死不神だと。伝説の呪われた裏四神の玄武の名ではないか?。それも、今から三百年も前の話。何故、そのような事が……。いや、まさか、そんなことが……」


 長月は自らが殺めた静の母である葵の事、今回の闘いの事、それ以外にも思い当たる節があるのか、指先を唇に当て、思索を巡らせる。

 

 護人でありながらその存在を知るのは僅かという、四神と対極の位置にいる裏四神。

 その中でも伝説的存在が目の前にいる事と、静と死不神の関係を鑑みるに、長月は一つの仮説に行き着いたようだ。

 

長月「そうか、そう言う事なのか!。なんと、恐ろしい……」


死不神「気付いたのなら死ぬしかないな。娘よ、せいぜい抵抗してみせろ!」


 長月を娘子呼ばわりする先程までとは逆の展開。

 再び不可視とも思える飛咬が長月を襲うかに見えるも、死不神の眼前にはいつの間にか三体の長月が姿を見せていた。


長月「誰が本物か分かるかえ。蟲の数は無限。貴様の道力が如何に桁外れだとしても、この蟲分身、そう易々とは……」


 そう死不神に叫んだ長月だが、次の瞬間、恐ろしいものを目の当たりにする。


 死不神の瞳から流れ続ける黒い涙はその着物を黒に染めるだけでなく、地に落ちると同時に瞬く間に周囲に広がり、幻水山山頂に黒い海原を出現させた。


死不神「玄道・呪海。我の黒き涙は、邪悪な気の流れを喰らい尽くす聖域と化す!!」


 摩理が静と初めて相対した時にも、内陣の周囲に道力による力の波の動きを幻視した。

 そしてその時以上の静かさと、激しさと、スピードをもって死不神を中心に黒い道力を秘めた海原が出現したのだ。


長月「なんだ、この粘つく黒い水は?」


 長月が驚くのも無理はない。


 長月の蟲分身の足首まで到達した漆黒の流動体は幻覚では無く、触れた瞬間にその細胞一つ一つを精査されるかのような感覚に、えもしれぬ不気味さを感じた。


長月「な、なんじゃ。ど、道力が抜けるだと?。しかも、動けぬ!」


■補足

 死不神の呪海は触れた部分から相手の道力を吸い取り、その動きを封じる効果がある。

 妖に対する、いや八卦衆に対する静の「決して逃がさない」という覚悟が道術として、能力として発露した結果であった。


死不神「そう、暴れるな。いや、暴れているのが本体か?。絶対に逃さぬぞ!」


 三体の内、一番左の長月がバタバタと暴れ始める。

 蜘蛛の巣に捕らえた獲物がもがく様なさまに、笑みと共に右手を差し向ける死不神。


死不神「豪!」


 かすかに唱えた道力を上昇させる道言により、死不神の右手先端に莫大な道力が集中する。


 秒速で集まった砂粒が石となり、それが人の頭部程の岩石となる。

 道力の蓄積を現す共鳴音と霊光に、長月は恐怖と焦りを感じた。

 その膨大な道力によって生み出された道術が、どのような類いのものか瞬時に悟ったのだ。

 

長月「クッ!」

 

 既に右視界の二人の長月は頭頂まで黒い水、呪海に覆われ、指一本動かせぬ。

 自分の膝下まで生命体のように這い上がってきた呪海に、長月の対応、決断は早かった。


死不神「玄道・爆流散弾……」


長月「チイッ!!」


 長月は呼気と共に、己の膝下に手刀を振るい、自らのその足を両断した。

 両脚の切断面からは出血あるものの、呪海からの束縛は解除され、長月は一気に垂直上昇し、戦線からの離脱を図る。


長月「これで勝ったと、思うなよ。いつの日か八卦全員で、その身を八つ裂きにしてくれる。覚悟しておくがいい!!」


 お決まりの捨て台詞を遥か上空より吐きかけ、地上の死不神を一瞥する。

 

 確かに恐ろしい道術、道力の持ち主ではあるが、残った八卦衆全員で掛かればどうという事は無い。

 奴が裏四神の過去の亡霊だろうと何だろうと、我等の目的はこの日本国の支配。

 遅かれ早かれ、四神、護人の連中達とはいずれ戦うはずだった。

 足の傷など大した制約にはならない。

 禁断の道術、「輪廻変態」を行えば何度でも肉体の再生は可能だ。

 

 長月の背の翅は健在であり、一気に道力を込める。

 その凄まじい加速により、目的地は程なく眼前に迫った。


■場面転換 小倉城、天守。


 長月は天守の最上部、水平に伸びる大棟に腰を下ろした。

 膝下からの出血は止まっている。

 痛みはさほど感じない。

 

 長月は幻水山の方を一瞥すると、死不神の動向を探った。


 問題なし。

今からここで、禁断の道術「輪廻変態」を行い、身体を繭の状態まで戻し、肉体を再生させる。

 三時間もあれば、完璧な肉体を得る事が出来るはずだ。

 死不神を囲い込む算段はそれからで、遅く無い。


 城の顔とも言える天守でこうして寛ぐ者など、自分以外いないだろう。

 無明忠明や千を数える兵達の行く末など、今となっては知った事では無い。


 自分さえ、己さえ良ければよいのだ。


 今回は半年も時間をかけた割に、旨味の少ない任務だった。

 

 次はもっと上手くやろう。


 隣国の城主は艶色家ときく。

もっと若い娘に化けて近づけば、容易にたらしこめるに違いない。


 長月はこれからの展望に、口元から笑みが溢れるのを抑える事が出来なかった

 そんな長月の顔面を、一筋の水滴が伝う。


長月「雨か?」


 右手の掌を天に向ける。

 城の上空には黒い雨雲が差し掛かっており、その雨粒の勢いは激しさを増した。

 

 長月は、ちょうど水分を補給しなければならないところであったから、これ幸いと顔も天へと向け、その恵みを甘受しようとしたその時だった。


 ポタリ、ポタリと顔を流れる雨粒の重さに異変を感じ、顔を手で拭ったその手には、ふるふると形を保つ漆黒の雨粒があった。


長月「黒色の雨? なんじゃ、これは!」


 思わず屋根瓦にはたき落とすが、その雨粒はまるで意思があるかのように、秒速で一箇所に集合し、天守に巨大な水溜まりを生み出した。


 本来ならば傾斜があるため、雨粒は棟から下へ下へと流れ落ちる筈。

 だがその雨粒達はズズズッと傾斜の屋根瓦に留まり、広がっていく。


 それが雨でない事に気付いた時にはもう、遅かった。


「絶対に、逃がさぬと言ったじゃろうが!」


 黒い沼中央が人型に盛り上がり、その声の主は姿を現した。

 

 死不神であった。


長月「ば、馬鹿な?。どうやって?」


 答えを聞く間も無く次の瞬間、長月の身体は呪海から放たれた外陣剣に貫かれていた。


 その数、八本。


死不神「磔刑。玄道・蛇咬八剣。

 空を飛ぶ事など訳ないが、雨雲を使っての転身術と呪海の雨、楽しませてやった礼はしてもらうぞ!」


 死不神の呪海性質を持った八剣は、長月の口から脳幹を突き抜け、その他、腕、心臓、喉、子宮、とその全身を破壊せしめ、敵の道力を封じた。


長月「あ……。あが……」


 下顎を吹き飛ばされ、言葉が出ないまま、ガクガクと震える長月の身体が、死不神にズイッと引き寄せられていく。八剣は未だ長月の身体に刺さり、その身を固定している。


死不神「しっかりと喋れ。呪海に沈むまで、足掻いてみせよ!」


 長月「う、うぅーっ!。た、たひゅけて」

 

 自分が今から何をされるか気が付いた長月は、必死の抵抗を試みるが、万力の力で死不神の足元。呪海中心へと引き寄せられていく。


死不神「お前の力は我が戴く。ありがたく、思うがいい!」


長月「ひぃーっ!」


 か細い声を残し、長月は一気に呪海に引きずり込まれ、喰われた。

 呪海の底は別の空間と連結しているのか、長月は救いを求める手を水面に伸ばしながら、深い闇に沈んでいった。


死不神「残る八卦衆、六匹。必ず、殺す。全員な!」


 言葉が終わると同時にパチンと変身が解け、死不神から静へとその身は姿を変えた。

 

 その瞳の色も元に戻り、その霊装からも黒色は抜け落ちていた。


 現在の白い霊装はまるで彼女の心中を表すかのようで、キョトンとした顔付きからは死不神となった間の事はあまり覚えてないようだった。


静(ところで、ここから、どうやって降りたらいいんでしょう?。薫ちゃんと迦楼羅さん、あ、摩理ちゃんに連絡を……)


 結局、静が霊山泊に戻るまで、まる一日かかったのであった。


■場面転換 霊山泊


 あれから三日たった。


 霊山泊へと侵攻していた死人兵達は、死不神が長月を殺した事で、途端に塵と化した。

 実際には呪海の特性により、長月の道術、道力を自分の物とした死不神が長月の命を解除したとみるべきだろう。


 静に諭され霊山泊に戻った摩理は、薫、迦楼羅に静が転移して妖と戦っている事を伝え、皆と協力し、霊山泊を全壊から護ったようだ。


 玄武の霊導線を通じ、連絡を受けた摩理は慌てて静の救助に向かうが、ここにきて静の弱点が高所恐怖症である事を知った。 

 喋れないのにギャーギャーと騒ぐ静を安全に天守から降ろすのは、かなり難儀な作業であった。


■場面転換 霊山泊 学び舎


虎堂「皆、今回の事では仲間を失い大変苦労、心配をかけた。

 私の怪我も回復したから、今後はここの建て直しと共に、妖に対する警戒を一層強めていきたい。そして皆に、いち早く護人への道を開く事を約束しよう」


摩理「ちょっと。先生は確か、死んだんじゃなかったっけ」


 いつの間にか静の席は、摩理の前に変えられていた。

 今度の戦いを得て、随分と気心が知れたようで、摩理は後ろから静の裾を引っ張り耳うちする。


静(ええ、確かに死んでます。あれは、私の分身体。身体は全部、蟲です)


摩理「ゲ!!」


 摩理は静の返答に驚き、声を上げた。

  

虎堂「それから、残念な話がある。

 御殿からの通達で、静君と、竜王院君は長崎へ向かってもらう事になった」


薫「そ、そんな。ここに来て、一月もたってないのに!」

迦楼羅「静ちゃん。初めて友達が出来たと思ったのに……」


 室内がざわつくなか、摩理の一括が学び舎に静粛を取り戻した。


摩理「静にしな!。悲しいのは皆、同じさ。

 でも護人の最高位である御殿からの指令という事は、更なる妖が長崎で暴れてるってことだろ。

 強い奴は護人として活躍出来る。悔しかったら、悲しかったら、強くなって追いかければいいんだよっ!!」


 そういうと、摩理は机に突っ伏した。

 いつの間にか、自分が涙を流している事に気が付いたからだ。それは悔しさからの涙ではなく、親愛の情によるものだった。


 そっと摩理の頭を撫でる静。

 学び舎全体に、更なる結束が感じられた。


■場面転換  古びた山小屋。


 暗がりのなか、囲炉裏を囲む数名の存在が感じられる。


「長月、死んだな」

「ああ、死んだ」

「いい声じゃった」

「あの綺麗な脚、食いたかったなぁ」

「わたしのほうがいいあししてる」

「お前のあしは数が多過ぎるじゃろ」


 闇に蠢く者たちが一斉に笑う。


 消えかかる囲炉裏火で本体を見せ合い、奇怪な談笑を繰り返す八卦衆達であった。


「長崎か」

「四神が揃わぬうちは遊び同然」

「だが、ふたり、しんだ」

「わしの棲家じゃ。わしがゆこう」

「おれもいく」

「わたしはあの霊装がほしい」


 再び起こった哄笑に、闇は深まり囲炉裏火は静に消えた。


■場面転換 霊山泊 分岐道

 

 迦楼羅「元気でね。無理しないで!」

 摩理「静は私のだ。離れろ!」


 静にハグする迦楼羅を押しのけ、自分もハグする摩理。


薫「別に、あなたの物じゃありません。離れてください!」


摩理「そういうお前が一番怪しい。寝てる時に何かしたら、タダじゃおかないからな!」


薫「な、何を言うんです。僕はまだ、何もしてません!」


摩理、迦楼羅「何ですって!!」

薫「あわわ。間違い、今のは間違いです!」


 そんな皆の様子に笑顔をみせる静。


 霊山泊から長崎道への分岐道。

この後、摩理と迦楼羅は元の霊山泊にて修行を続け、いずれは大血采の行に挑むだろう。


 そして静と薫は玄武、青龍との霊導線は強固出来ぬまま、旅を続ける事になる。


 二人の旅路の果ては地獄か闇か!。


 今回のお話はこれにて終了。

 

 現在、この話をベースに小説へと書き直しております。

 感想などありましたらお気軽にお聞かせください。














 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怨獄の静  銀牙 @ginga81701

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ