恋の歌

増田朋美

恋の歌

恋の歌

梅雨空らしく雲ってどんよりした日であった。こんな日は体調を崩してしまう人も多くいる事だろう。そんな日だからこそ、家で何かしようと能動的にうごいてしまう人もたまにいるが、大半の人は、気圧の変化で体調を崩してしまう人がほとんどであった。

そんな中、杉ちゃん含めて、製鉄所の利用者たちは、時々今日は体調が悪いわねえなんて漏らしながら、勉強をしたり、仕事をしたりしているのであった。すると、ひとりの女性利用者が、血相を変えて飛び込んできた。

「どうしたの佐藤さん。何かあったのかい?」

杉ちゃんが、急いで聞くと、

「こ、これをみてください。なんでもあてずっぽうで書いた和歌が、入賞してしまいました!」

と、利用者は雑誌の表紙を開いた。50年近く出版され続けている由緒正しい雑誌で、年に数回、こういう素人から作品を募集するのである。そういう事だから、出版業は、よほど作家が不足しているんだろうなと、思われた。杉ちゃんがわからないから読んでくれというと、「和歌部門、奨励賞、佐藤あかね」と書かれていたから驚いた。

「これ間違いじゃないの?お前さんの頭で、奨励賞なんて、取れるわけないよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「でも確かに、奨励賞と書いてありますね。佐藤さん、一体どんな和歌を書いて応募したんですか?」

ジョチさんが、彼女、佐藤あかねさんは、

「はい、これなんですけどね。

新緑の、優しく光る木漏れ日を、毎日のこと、君が袖振る。」

と、投稿した和歌を読んだ。

「君が袖ふるっていうことは、誰か好きな男性でもできたのか?」

杉ちゃんがそう聞くと、佐藤あかねさんは小さく頷いた。

「はあ、それ、だれかな?お前さんの家族か?それとも、親戚とか、そういうことか?それ以外の人物か?」

と、杉ちゃんが言うと、

「そうですね。丁度、身近な人でそういう人がいたものですから。その人があまりにも綺麗な人だったんで。思わずそれを書いてしまいました。」

と、あかねさんは答えた。

「はあ、あまりにも綺麗な人ね。誰の事かなあ。まあ、大体予測できるけどな。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「まあ、いずれにしても、和歌部門で奨励賞を取れたとしても、何も大したことないよ。お前さんの生活が変わるというわけじゃない。ま、偶然賞を取れたと思うんだな。」

「杉ちゃん、あんまりそういうことを言うと、彼女がかわいそうですよ。」

ジョチさんはすぐにそう言って、杉ちゃんをやめさせたが、それと同時に、玄関のドアがガラッと開いた。

「ごめんください。わたくし、文学者出版の土谷と申しますが。」

何だか中年の女性のような声である。

「はあ、だれだ?文学者出版て、何処の出版社だよ。」

と、杉ちゃんがデカい声で言うと、

「静岡では有名な出版社ですよ、杉ちゃん。あの教育図書を何冊か出版していることで有名な。」

と、ジョチさんが言った。

「はあ、その教科書ばっかり出版している奴が、なんでこんなところに来るんだ。一体だれに用があるんだ?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、こちらに佐藤あかねさんという方がいらっしゃいますよね。その方とちょっとお話しをしたいんですよ。」

と、女性はそういうのである。

「最初は、佐藤さんのお宅へ行きましたが、ご家族の方に寄りますと、あかねさんは、こちらにいらっしゃるそうなので。」

「何だ、いわゆる営業ウーマンか。其れならお断りだ。あかねさんは、絶対お前さんのようなうさんくさいやり方には乗らないよ。さあ帰った帰った。」

杉ちゃんはすぐにそう言ったのであるが、

「でも、先日、行われた文学者の和歌部門で奨励賞を受賞されたそうですね。それで、ぜひ、うちの出版社で歌集を作りたいと思いまして、こうして来させて貰ったんですが、やっぱり駄目でしょうか?」

と、土谷という女性は言った。

「ああ無理無理。素人が、そういうものに手を出すと、ろくなことにならないから、安全路線で生きていこうね。さあ、帰った帰った。」

杉ちゃんがそういうと、ジョチさんがとりあえず話しだけでも聞かせてもらいましょうか、といった。

「無理に断ると製鉄所の変な評判がたってしまうと困ります。取り合えず、お話しだけでも聞かせて貰いましょう。」

「はあ、でも、そんな事言っても、何の意味もないと思うけどね。」

杉ちゃんがそういうと、

「ええ、杉ちゃんは文字を読めないから、あまり知らないんでしょうけど、あの文学者という雑誌は、素人の投稿小説で成り立つ雑誌としては、大変権威があるものです。其れからの要請を断ったとなれば、ここに変な評判がついて回ってしまうかもしれません。」

と、ジョチさんは言った。はあ、そうなのねえと杉ちゃんが言うと、

「じゃあ、お入りください。とりあえずお話しは聞きます。」

とジョチさんが言うので、杉ちゃんもそうかという顔をした。鴬張りの廊下が音を立ててなっているのが聞こえる。それはだんだん大きくなって、スーツ姿の女性が、食堂の中に入ってきた。

「お前さんが、土谷さんか。」

杉ちゃんがそういうと、

「はい、その通りでございます。土谷百子と申します。よろしくどうぞ。」

と言って、彼女は名刺を杉ちゃんとジョチさんに渡した。

「こんなもの貰っても、僕読めないんだ。ちょっと読んでくれ。」

杉ちゃんがジョチさんに言うと、

「はい、翻訳家土谷桃子。出版社の営業さんではないんですね。」

とジョチさんはそう言った。

「ええ。文学者出版では、執筆の経験者が、編集者とか、営業に回るんです。」

と、土谷さんは言っている。

「はあ、よくわからないけど、その営業野郎が、佐藤あかねさんに何の用なんだよ。」

杉ちゃんがそういうと、

「ええ、かいつまんで言えばこういうことです。佐藤さんに、いくつか和歌と、エッセイを書いていただきまして、和歌集として出版していただきたいんです。もちろん、費用はこちらである程度は賄えますから大丈夫です。新しく、和歌を作るだけではなく、今までインターネットの投稿サイトにでも投稿されたものでもかまいませんから、どうでしょうか。引き受けていただけませんか?」

「ああ、無理無理。素人にはそういうものを引き受けている暇はありませんね。それがわかる奴ならさっさと帰んな。」

杉ちゃんがそれを打ち消すように言った。

「でも、自分の書いたものを、世のなかで、認めて貰うというのは、すごいことだと思うわよ。自分の思っていることを世のなかに伝えて、それを誰かに読んでもらえるって、とても素敵な事だと思うけど。それを、やってみるってことは、悪いことじゃないと思うわ。あなたが知らない人たちが、本の読んで幸せになれる。本というのは、そういうすごいところがあると思うの。どう?やってみませんか?」

「まあね、そういうことは、親が文学者とか、そういうやつに限る事だ。そういうやつじゃないと、芸術分野では成功しない。そうでもしないと、逃げ方を知らないからな。急に金持ちになって、すごい感覚が鈍って、もとに戻れなく成っちまう奴が大勢いるじゃないか。そういう奴ばっかりだよ。素人というのはそういうもんだ。それを維持できるのは、よほど偉い奴か、其れか、よほど強運な奴か。

それ以外の奴が、成功した例は絶対ないよ。有名な音楽プロデューサーだって、誰かを幸せにしてやれることだって、できなかったよな。すごい富豪にはなったかもしれないけど。人間なんてそういうもんだよ。そういう風にできてるんだよな。誰でもそうなっちまうんだ。だから、そうならないためには、そういう物に手を出さないのが、一番ってことだ。そういう事だよ。」

杉ちゃんはそういうが、あかねさんは、その女性、土谷さんの意思に従おうと思ったらしい。

「私やってみます。私が、本を出すことによって、誰かが、幸せになれるんだったら、それは、最高ですし。」

「馬鹿!それでは、変な事しか見えなくなっちまうぜ!やめろよ!ぜったいやめた方が良い。そのほうが幸せでいられる!」

杉ちゃんは急いでとめるが、

「私、やってみます。私みたいな、家族からも、見捨てられて、社会からも見捨てられて捨てられたような人間が、世の中を何かできるようになるのなら、それは嬉しい事ですし。」

と、あかねさんはにこやかに笑った。

「私、出版の事なんて何もわかりませんが、とりあえずやってみようと思います。」

「だから、その何もわからないが一番危ないの!そうなっちまったら、戻る方法だって知らないってことだから!」

と、杉ちゃんは彼女をとめるが、彼女はきっぱりと、

「御願いします。」

というのだった。

「杉ちゃん。あんまり悪いことばかり言わないほうが良いですよ。少なくとも、運の良い人はいるんですから。」

ジョチさんは杉ちゃんの意見をとめた。

「まあ、そうだけどねえ、、、。」

と、杉ちゃんは腕組みをした。

それから、話しはどんどん進んでしまった。彼女の和歌集を出版しようという動きは、まるで高速道路を走っているように超スピードで進んでしまい、あっという間に数か月後には、書店に佐藤あかねというひとが著した、「恋の歌」という和歌集が並ぶようになった。その本は、40ページ程度の読みやすい本だったこともあり、また和歌と併設しているエッセイが、短かった事もあって、すぐ読みたいという人の心を掴んだのか、どんどん売れてしまった。其れのおかげで、製鉄所には、入ってきては困る人たちが、入ってくるようになってしまったからである。それらの中には、彼女の身の回りを取材していく人も居たが、好奇心からか、製鉄所のシステムとか、そういう事まで取材をしたがる者もいるので。

「しかし、マスコミというものは、どうしてこういう風に、一度入ってくると抜けないものなんでしょうね。」

と、ジョチさんは言った。

「僕は、ああいう奴らが、水穂さんの事を取材してくるんじゃないかというのが心配だよ。」

と、杉ちゃんもジョチさんの話しにあわせる。その日も、杉ちゃんが水穂さんにご飯を食べさせていると、玄関のドアから、音が聞こえてきた。

「こんにちは。ジャーナリストの者ですが少し取材させてください。」

と、又報道関係らしい女性の方である。

「何だ。又、来たのかよ。それでは、困っちまうな。もう何回も取材に来られて、佐藤さんも僕も困っちまう。」

杉ちゃんがそういうことを言う。

「あかねさん本人はどうしていますか?」

水穂さんがそう聞くと、

「ああ、部屋で休んでいるよ。最近、疲れてしまっているようで、なんか、元気ないんだよね。」

と、杉ちゃんは答えた。

「そうですか。もしかして、鬱とかノイローゼとか、そういう風になってしまったのでしょうか?そうなったら大変だと。」

「そうだねえ。疲れてしまったのかなあ。まあ、何日も、取材させてくれって、報道関係者が来てるからなあ。」

と、杉ちゃんが言うが、確かに、水穂さんの言う通り、連日取材でマスコミがやってきたので、杉ちゃんも、心配になってしまうほど、彼女は、疲れているようだった。

「はい、何でしょう。」

と、佐藤あかねさんは、玄関に直行した。確かにだれが見ても疲れているような顔だ。

「あの、すみません。ジャーナリストの者ですが、ちょっとあの本について、おしえて頂きたいんですけど。」

「何でしょうか。」

あかねさんは、小さい声で言った。

「あの和歌はどのようなところから、発見されたんでしょうか。それは、誰か好きな人物はいたんでしょうか。その人物はだれですか?何処に住んでいる方でしょうか?」

と、ジャーナリストの女性は、にこやかな顔で言った。

「ええ、あの、私の身近で好きな人が居て、その人に向けた歌を作ったんです。」

と、あかねさんはそうつづけた。

「身近で好きな人というと、その人物はだれなのでしょうか?あなたの身近にいる人と言いますと、すぐにお話しがうかがえる方ですか?」

女性は、そういうことを言う。

「お話しって、水穂さんに話を?」

と、あかねさんはそういうことを言う。

「水穂さん、と言いますと誰の事でしょうか?」

と、女性はすぐに言った。

「ええ。あの、私の好きな人の、名前です。」

と、あかねさんは思わず言ってしまった。あかねさんは、もう疲れてしまって、そう言ってしまうようになっていた。それを見て、報道関係の女性がにたりと微笑んだ。それを狙っていたのが、杉ちゃんだったらすぐわかってしまうはずだ。でも、肝心の杉ちゃんもジョチさんも、せき込んだ水穂さんを介抱してやることで忙しく、彼女をとめさせることはできなかったのである。

「水穂さんというんですね。それは、ありがとうございました。あなたが投稿した句は、水穂さんという男性に向けて書かれたということも分かりました。それでは、また取材に来ますから、よろしくお願いします。」

「は、はい。」

あかねさんは、そういうことしかできなかった。連日の取材で、疲れ切ってしまったあかねさんは、無防備だったと言えるだろう。彼女は、そのせいで、報道関係者が何をたくらんだのか、読み取れなかった。

「じゃあ、又取材させて頂きますから。」

と、女性は急いで出ていった。あかねさんがその訪問を終えて、水穂さんのところに戻ってくると、水穂さんは、薬が効いて静かに眠っていた。

それから数日後の事だった。本屋さんに買いたい本があって、来訪したジョチさんは、何気なく雑誌売り場に行ってみると、女性週刊誌の表紙にこんな文章が書かれているのを読んで、目の玉が飛び出すほど驚いてしまった。

「新星の歌人の交際相手は、同和地区の男か。」

と書いてあったからである。こんな文句が書かれては、彼女の身が危なくなってしまう可能性がある。すぐに、本を買うことを忘れて製鉄所へ戻った。幸い、報道関係はいなかった。ジョチさんが急いで製鉄所に入ると、水穂さんが中で待っていた。

「水穂さんどうしたんですか?寝ていなければだめですよ。」

と、ジョチさんが言うと、

「いえ、あかねさんの様子が、何だかおかしいんです。」

と、水穂さんが言った。

「おかしいって何が?」

と、ジョチさんが聞くと、

「ええ、スマートフォンのニュースアプリを見たら、急に顔色が変わって。それからそのショックに耐えられなかったらしくて、何も反応しなくなってしまったんです。そして、大声で暴れだして、私が悪いんだと叫び、髪を抜こうとしたり、包丁をよこせと叫んだり。一時は大変な騒ぎでした。今、彼女は、ほかの利用者さんと一緒に、食堂にいますけど。」

と、水穂さんは答えた。

「分かりました。そういうことなら、逆にこちらの方が有利ですね。すぐに手を打った方が良いでしょう。」

ジョチさんは、急いでスマートフォンを出して、電話アプリを起動させた。

「ああ、影浦先生ですか。曾我です。実は、どうしても先生に見てもらいたい患者の女性がいて、すぐ来ていただけないでしょうか。名前は佐藤あかねです。僕は実際にその様子を見てはいませんが、何でも、ニュースアプリを見たら、急に大暴れしだしたようです。相当ストレスがあったんでしょう。」

「ああ、そうでしょうね。佐藤あかねさんの名前は報道でしっています。急に連日マスコミが来られては、芸能人でもないわけですし、彼女がそれに対応できるはずもないでしょう。ましてや彼女は、和歌にはまるような子ですから、そういう疲れをコントロールするのは苦手でしょうからね。分かりました。すぐ行きますよ。」

影浦がそう言ってくれたのでジョチさんはほっとした。そして、心配そうな顔をしている水穂さんに、話しがついたので、四畳半に戻って寝ているようにと言ったが、水穂さんはいえ、大丈夫です、心配ですからと言って、一緒に食堂へ向った。ジョチさんは、水穂さんが、今回の火種を作ったのだと言いたかったが、彼にはそれは言わないで置こうと思ってやめておいた。

食堂に行くと、あかねさんは、何人かの利用者に囲まれて、守られている。そういう事をしてくれるのも、傷ついたことのある利用者たちならではだった。

「大丈夫ですか。皆さん抑えてくれてありがとうございました。今影浦先生に連絡をしましたので、もうすぐお迎えに来てくれると思います。」

「理事長さん私、何をしたんでしょう。」

と、泣きながら、佐藤あかねさんはそう言った。

「いえ、正常な判断をしただけの事ですよ。マスコミに追いかけられて、精神が疲労してしまったんですね。それは、精神関係のお医者さんに見せる必要があると思いますから、今迎えに来てもらいますからね。」

と、ジョチさんが言うと、

「私、わからないんです。なんで死んでやるなんて言ってしまったんでしょうか。包丁をよこせだなんて、そんな事なんで口走ったんだろう。」

と、まだパニック状態のような口調であかねさんは言った。

「まあね、あまりにも疲れたので、的を外れた行動が出てしまっただけの事ですよ。それはあなただけではありません。人間であればだれでもそうなります。それは、正常な計らいです。狂わずに生きるための。」

と、ジョチさんはそう説明した。

「ただ、それをとめるのは、やっぱり医者とかそういうひとでないとできないと思いますから、それは、ちゃんと、お医者さんに見てもらいましょうね。」

「はい、分かりました。あたし、よくわからないけど、おかしな言動をしてしまったのは確かなので、先生がたに従うことにしますから。」

あかねさんは、表情こそ理解しているような顔ではなかったが、でも、言葉ではそう言ってくれた。それさえ在れば、あとになって自分が精神をやんでしまったことを理解してくれる足掛かりにもなるのだ。

「こんにちは、影浦です。患者さんはどちらにいますか?」

と、影浦が、玄関からどんどん入ってきた。こういう場合は、お邪魔しますなど言っている暇はない。影浦は、すぐに食堂に入ってきて、利用者とジョチさんに囲まれているあかねさんを見つけた。その表情から、ちょっと病院で休みましょう、悪いようにはしないからとにこやかに言って、茫然としている彼女をそっと立たせ、静かに歩き始めた。

「常の日を、取り戻しつつ、狂わさる、君の顔にぞ、笑顔戻らず。」

小さな声で水穂さんがつぶやいた。これがもしかしたら、彼女に送った返歌かもしれなかった。




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恋の歌 増田朋美 @masubuchi4996

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