第7話 悲しい再会

7.



「悪いことは言わない。引き返した方がいい。…逃げるんだ」


潜められた声に、小雪は顔を引き締めた。

城を目指してただ真っ直ぐに歩き続け、やっと目的の城が見えてきたかと思えば、突然かけられた声に足を止めた。

聞けば「城へは近付いてはならない」と言う。星の救世主となった王に対する信仰心から来る言葉かと思ったが、どうも様子が違った。改めて引き留めた中年の男性の方へ体ごと向き直る。

どういうことだ?と聞けば、「王命は絶対だが、行っても逆らっても死ぬことになるだろう。だから、逃げるんだ」と言う。そして、冒頭の言葉である。何度もその男は「逃げるんだ」と繰り返した。


「…………話が見えない。詳しく教えて頂きたい」


少しだけ眉を寄せて小雪が訊くと、男は更に周囲を気にしながらおどおどとし始め、潜めていた声を更に潜めて、顔を寄せてきた。


「…………王様は、恐いお方だ。他の村には覚られていないが、我々は知っている。王様は、人の命を何とも思っていない」

「………」

「…こんなことを口にしたのがバレたら、俺も殺されるだろう。しかし、こんな子供を見殺しに出来ない…。頼むから、逃げてくれ…」

「……」


聞いていた話とは違う、と。もっと情報を得て思考を整理したかったが、たったそれだけの言葉を絞る出すのに汗でびしょびしょになっているこの男から聞き出すのは不憫かと感じた。


「………王は、沢山の知識を与えて、この星を豊かにしたと聞いた…」

「………ああ、そうだ。そんな時もあった。…………俺も、王様はこの星にお与え下さった神様の化身か何かかと思っていた」


しかし違った、と男は言外に語る。


「……あのお方は大変気まぐれで。人が絶望する様をとても好むのだ…。知恵や発展はきっと、我らを絶望に落とし込む下準備に過ぎなかったのだ………」

「………」


悪いことは言わない、とまた繰り返す男を残して、小雪は踵を返した。


「あっ、ちょっと…!」


焦って手を伸ばす男の届くところに、もう小雪は居ない。

誰もが想い描いていた王ではなかった、残酷な王が。何故、アランティアを呼んだのか?

もし逃げたとて、其方の方が確実に死を招く。

男が嘘を言っているように見えなかった。その深刻な顔もそうだが、城に控える村だと言うのに、この村はシノ達が暮らしている村よりもずっと貧しいようだった。目玉が落ちるのではないかと思う程、ぎょろりと飛び出た目。痩けた頬。満足に食べられていないのは、一目瞭然であった。


それから先の道でも、小雪は何度か村人に声をかけられた。ある者は懇願するように、ある者は泣きながら、皆口を揃えて「行ってはならない」と言う。

いよいよ、確信した。

この星に息づく、闇に。


「………ああ…!」


村を抜けて、残るは城までの道となった時、近くで突然、そんな叫び声にも似た声が上がった。

睨むように見据えていた聳え立つ城から視線を逸らし、声のした方を向く。そこには、一人の老婆が立っていた。


「………王様、やっと、お会い出来た………。私の息子を、どうか返して下さい……。もう生い先短いこんな婆の頼みで御座います………。どうか、どうか、ご慈悲を………!」


歩くのも難しそうなその老婆はしかし、小雪にかけより、足元で地に伏した。地面に額を擦り付けながら、必死に叫んでいた。


「…………」


小雪に、一つの憶測が生まれた。

いやそれは、元より、「もしかしたら」と思っていたことだった。


「……………僕は、王ではない……」

「何を仰いますか。私はそのご尊顔をよく存じております。貴方様が星となってこの国に落ちてきた後、私も貴方の傍でお世話をさせて頂いておりました」


私が貴方様を見間違うはずがありません、と。

老婆は震える体を小さくさせて、けれど、力強く言う。「息子を返して下さい」と。

ここで、死ぬ覚悟をしているのだろう。

息子は帰ってこないと知っているのだろう。

まるで、そうなのだろうと思わせる。そんな悲壮感が漂っていた。小雪には分かる。この老婆の息子は、きっと本当に死んでしまっているのだろう。

けれど、わからない。

何故、王がいたずらに命を奪うのか…。


「…………お婆さん。本当に、僕は王ではない…。王に呼ばれて来るはずだった人の代わりに来たんだ……」

「そんな、」


そこで始めて、老婆は顔を上げた。

額には土と血が付き、顔は汗と涙でぐちゃぐちゃな顔であった。しかし老婆は、悲壮に深めた皺を驚きで歪めた。


「………ああ、貴方は……。貴方は、誰でしょうか…。確かに、王によく似ておいでだが、違う。………王の瞳は、緑色の宝石のようであった……」

「…………」


憶測が確信に繋がり、小雪はそっと唇を引き締めた。

その、真っ白な髪、真っ白な肌の中、唯一燃えるような真っ赤な瞳に、確かな意志を灯した。


「………“おれ”は、王を、………殺しに来たんだ」


はっと老婆が息を飲んだ。

そうでしたか、とまるで一人言のように呟いた。

天の神は悪魔を遣わした事に気が付き、やっと、救いの神を遣わして下さったのですね、と。よく似たご尊顔で。と。

涙を流して、崩れ落ちた。






アランティアの代わりに来た、と伝えると思ったよりもすんなりと奥へ通された。

しかし、城にいる誰からも戸惑いや不安が伝わってくる。この先の出来事を想像したのか、小雪を見て涙を浮かべる者までも居た。

そんな人々を横目に、案内の者に従って小雪は大きな扉の前まで辿り着く。

立ち止まり、ノックを三回。

不安に揺れる声を張り上げて、小雪を案内した者が「王様!」と中にいるのであろう王にアランティアの代わりの者が来たことを伝える。

やがて、その重厚感を纏った扉がゆっくりと開く。


「こんにちは。遠いところを、よく来てくれた。アランティアが来られなかったことは残ね…ん………」


すらすらと歓迎するような言葉を並べていた王が、小雪の顔を見て、言葉を失った。


「…………………ライト」


小雪の声が、広く静かなその部屋に木霊する。

王は暫く目を見開いて、やがて、感情を殺した目をして笑った。


「……………やぁ。生きていたの」

「…………」


小雪は、………否、ナイフは、小さく息を飲んだ。





「お前を、殺しに来た」





その言葉を聞いて、王はーライトはー更に笑みを深めた。ナイフの記憶には無い、笑い方だ。

ライトは真っ白の髪を揺らし、真っ白な腕を肘掛けに立てて頬杖をついた。へぇ、と感嘆するように声を溢した。


「何?今度こそ僕を、救ってくれるって言うの?」


そんな丸腰で?と笑う。

瓜二つの二人に。その、纏われる空気に。傍で見ていた者達は皆、疑問を浮かべながらも全身を恐怖で震わせた。

また王が、人を殺める。

誰もがそんな想像をした。

小雪も、ああ、これは夢の続きかな、と握った拳を震わせた。勿論、彼は恐怖で震えたりなどしない。


(夢と言っても、悪夢だけれど。)


小雪は、怒りに震えていた。

何故、と叫びたかった。否、叫んでいた。


何故、お前が人を殺すのか?と。


ライトはやはり嗤った。厭な笑い方だ。

あの時の、あの画家の嗤い方と何処か似ていて、身震いした。嫌悪した。嫌だ、と思った。


「何故って?本当に、お前はそう思う?僕達は、あんなにもよく似ていただろ?分かるだろ?」

「……」

「お綺麗なこの星が、嫌いだからだ。反吐が出る。…そうは思わないか?」


思うだろう?

それは、質問ではなく確認だった。だから、おれは否定する。


「………思わないよ」


ああ、おれの小さな少年。

ナイフは心の中だけで嘆いた。

そう、それは、比喩だった。


彼はナイフより年上だったし、決して背も小さくは無かったけれど。

でも、ナイフにはいつだって、彼の胸の内に小さな少年がいることを知っていた。その少年はいつも、肩を震わせて一人で泣いていた。

本当は誰より、不安だったろう。

本当は誰より、救いを求めていたんだろう。

本当は誰より、弱かった。

だけど、気丈に振る舞っていた。


(おれの、たった一つの、光。……だった人…。)


「君は言っていたじゃないか。『似ているなんて言ってごめん』って。おれ達、似てないよ。おれはこの星が少しだけ好きになったところなんだ」


ふふ、とライトが笑った。…その顔は少し、ナイフの記憶にあるかつてのライトの顔に似ていた。


「なんだそれ。結局、最近までは嫌いだったんじゃないか」

「……」


ライトが傍に居た世話役のような男に目配せさせると、男はさっとナイフの前に膝をつき、剣を差し出した。


「……」

「剣は扱えるか?」

「……」


じっと差し出された剣を見て黙っているナイフに、ライトはまた、愉快そうに笑った。悪いな、とまるで目尻に涙でも浮かんだように指先でそれを拭う動作をする。勿論、その渇ききった目に光るものなどどんな時でも存在しない。


「アランティアが来るんだと思っていたから、剣を用意していたんだ。変えさせよう、お前にはもっと丁度良いものがある」


剣を差し出していた男がさっとナイフから離れ、再びライトの元へ行く。そんな男にライトは何やら耳打ちをする。


「……ナイフ、と言っても。短剣だけど」


果物ナイフよりは様になるだろ、と再びナイフの前に差し出されたものを指差しながらライトはくっくっと喉を鳴らした。


「……」


ナイフはそっとそれを手に取った。

ガタガタと震えていた者が、両の手に重みが無くなって、さっとその場から飛び退いた。


「……アランティア先生を呼び立てたのは、やっぱり、殺す為だったんだな…」

「僕の方が強いって?ふふ、ナイフはそう思うわけだ?」

「……」


ナイフは答えない。

しかし、一度だけアランティアと手合わせした日のことを思い返していた。アランティアは別に弱くはなかった。けれど、彼は、殺気と言うものを持ち合わせていない。当然だ。彼とは、実践の場数が違う。というか、魅せる演武と実戦を一緒にされては困る。全く違うものだ。


「…………何故、アランティアだったんだ?」

「………別に。誰でもよかったんだ。強いらしいから。良い暇潰しになるかなって」

「……………お前、変わったな」


お前もな、とライトはその仰々しい椅子から立ち上がり、腰に携えていた剣を抜き、その剣先を向けた。


「なんて言うのか、平和ボケした」

「…………それは、お互い様じゃないのか?」


タッと、先に間合いを詰めたのはナイフ。

短剣ではどうしてもその懐に飛び込む必要がある。部屋に控えていた一同はその命知らずの少年の行動に息を飲む。しかし、少年の身体能力が今まで見た誰とも異なるものだと言うことは、目を背けなかった者であれば誰でも直ぐに察することが出来た。

少年の攻撃は、低く、素早い。

勿論、それに遅れを取るライトではない。全ての攻撃を華麗に避け、時には剣で受け流し、まるで舞を踊っているかのように軽やかに、ライトは攻防を繰り返す。

双方の刃がぶつかり合う音だけが暫く響く。


「お前が、僕に勝てるわけがないだろ」

「どうかな」


確かに。

盗み方も、戦い方も、生き方も。

全て、彼に学んだ。

ナイフがライトに勝っていたことと言ったら、教養だけだった。ナイフが彼に教えたことといえば、文字の読み書きだけだ。

ナイフは決して圧されてこそいなかったが、だからと言ってライトを追い詰めてもいなかった。ライトはまるで稽古でもつけているかのように、ナイフの短剣を躱し、いなしていた。

二人の戦い方はお互いに我流なので、形式ばったものは何もなく、けれど確かに、よく似た太刀捌きをしていた。二人はまるで、同じ門下生だったかのように外野からは見えた。それでも二人は、まるで兄弟であるかのように、その外見もよく似ていた。

二人はまるで、それこそ演武をしているようにも見えた。

圧倒的に素早く、見る人を楽しませるようなパフォーマンスも無いが、しかし美しく、二人の息はぴったりと合っていた。練習に練習を重ねていなければ、こうはいかない。そうでなければ、余程、『合う』のだろう。気が付けば、始めは目を逸らしていた者も二人のその戦いに魅入っていた。

目が離せず、息を飲んだ。

本当に、この二人は互いを殺そうとしているのだろうか?

疑う者すらいない。皆、その感覚が麻痺していた。

殺し合いにしては美しく、しかし、容赦は無い。


しかしそれも、ここまで。


キン、と一際高く、刃のぶつかる音がしたかと思えば、ナイフが持っていた短剣が宙を舞った。

やがて、重力に従いその短剣は床にその刃を突き立てた。


「うん。相変わらず、弱いな。お前」


丸腰になったナイフの喉仏にライトの剣先が向けられる。ナイフは、静かにライトを見据えて立っていた。


皆、息を飲んだ。

ああ、遂に…!誰もがそう、恐怖した。


「…………この勝負の勝敗は、始めから決まってるだろ」


ただ、ナイフだけ。毅然とした態度で立っていた。

ほう?とライトは首を傾げた。

どういう風に?と目が先を促した。


「……お前が…ライトが、おれを殺すわけがない」

「……へぇ?なんでそう思うんだ?」


だってお前は、

ナイフは真っ直ぐに、ライトを見た。


「だってお前は、おれに『生きて欲しい』と願ったじゃないか」

「………」


ライトは一瞬、その瞳に普段は見せない感情を浮かべた。しかし直ぐに翳りを取り戻し、その瞳を鈍く光らせた。


「…………だからさ、昔の僕とは違うんだ。…お前は、死んでいてくれた方が良かったんだよ」


ライトはけれど、やっぱり、泣き出しそうな顔をして、笑ったーーーー…ように、ナイフには見えた。






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