第6話 不穏
6.
「…………ん、………あ?…ここは………?」
目を覚ましたアランティアは、見慣れない天井に目をしばたいた。
「アランティア先生…!」
アランティアの視界に、直ぐにシノの顔が覗いた。目は真っ赤で泣き腫らした跡もそのままに、未だに涙を溢さんとばかりに溜め込んでいた。
「……ここは?」
「山を下った先の町です。ご親切な方に、治療して頂き、休養する場もお借りしております」
シノの説明に、アランティアは寝かせていた身を起こそうと力を入れて、全身の激痛に顔をしかめた。上半身を起こすことすら叶わずにいる自身に、ああそういえば崖から落ちたんだっけ、とやっと思い出す。
「………私の不注意で……本当に、すみませんでした……」
「いやいや。見ての通り、生きているから。気にすることはないさ」
「………本当にすみません……」
深刻な顔をするシノに、アランティアは軽く手を振って「平気平気」と応えてやりたかったが、それが叶わなくて苦笑いを浮かべるしか無かった。
どれ程の高さから、何処へ落ちたのか。しかし、幸いにも何処かにひっかかるなりしたのだろう。あの崖から落ちたにしては軽傷で済んだな、と他人事のように思った。
頭から落ちたかと思っていたが無意識に受身を取ったのか。全身打撲で済んでいるのではないかと、自身の体調を探る。…骨すら折れていなさそうなのには、流石に驚いた。
「…それより、お前の足は大丈夫なのか?小雪は?」
聞きながら、城への到着が遅れてしまう件についてはどうしようかなと考えた。
首を動かして、家の中を確認した。質素な暮らしぶりが窺える室内。この家の住人と思うような人影と、小雪の姿がない。
「……小雪は、先に城へ発ちました。アランティア先生が負傷していることをお伝えに」
私もついていけたら良かった、と顔に書いて、シノは苦虫を噛んだような顔をした。痛む足では到着が遅れてしまうと小雪が諌めたのだろう。
「………先生、私、小雪を追おうと思うんです。先生はもう少しこちらで休ませて頂いていて下さい。二人で戻って来ますから」
「……」
シノの陰り無い瞳に、次に苦渋を浮かべるのはアランティアだった。
この先は村続きなので、危険はないだろう。星のものは皆、温厚な性格をしている。まさか、事件に巻き込まれたりしないことは十分に分かっていた。
しかし、と彼を煮えきらなくさせるのは、教師としての責任と、やはり自分も王にお目通り願いたいと言う想いだった。
自分がこの体で城を目指すには支えが必要だった。後何日、床に伏せていれば少しはましになるのか、あまり経験の無いことで見当もつかない。
「…………お前も、小雪を待っていたらどうだ」
返答なんてわかりきっていたけれど、訊いた。
シノはやはり、曇りの無い目を真っ直ぐにアランティアへ向けた。
「小雪が心配なので、私、行きます」
「……」
この星で。
何が心配なのだろうか?と彼は思わなかった。だから、問わない。一度、そっと息を吐いて、「わかった」と溢した。
「くれぐれも、気を付けて。…無理はするなよ」
「はい」
シノの足を按じるアランティアに、彼女は大きく頭を下げてから、足早に家を出ていった。
一人で進む道を、シノはこれまで歩いてきたアランティアや小雪との会話を反芻させながら歩いた。
特別に記憶に残っているのは、野宿した時の会話。
夜の深い時間だった。
小雪は相変わらず、星を眺めていた。
静かな夜であったなら趣がある空に、現実はアランティアの鼾がよく聞こえた。
「眠れないの?」
「………いや、」
シノはそっと声をかけた。
問われた小雪は、相変わらず空を仰いでいてシノを見ない。その横顔が少し幻想的に思えて、シノは静かに息を吐いた。月明かりに照らされて、小雪の白髪が銀色に輝いていた。
「………月の光が眩しくて、あんまり星、見えないね」
「……」
同じように空を見上げて、改めてその月の輝きに驚いた。気が付かなかったが、どうやら満月だったようだ。真ん丸いお月様が、とても大きな存在感を放っていた。
「………シラーこそ、眠れないの…?」
「え?あ…ううん。何だか、起きちゃって…」
「……」
それを眠れないと言うのかも、と口にしてから思ったが、自分でそれには突っ込まないで続く言葉を待った。
「…………………………………………シラーは、」
「うん?」
長過ぎる沈黙に、「ああ、特に続く言葉はなかったのかな」と…特に落胆を持たずに思っていたが、小雪はやっと口を開いて続けた。シノは危うく聞き逃すところだった。会話に集中する。
小雪の声は決して大きなものではないが、いつもとても透き通っていて、耳に残る。不思議な力があるなと、いつもシノは思っていた。
「君は、どうして他の人とは違う感じがするんだろう…?」
「えっ?……ち、違う感じって……?」
一瞬で色んな憶測がシノの脳裏を駆け巡った。
褒められているのか、違うのか。それとももしかして、甘い意味があるのか。いや、無いか。
不安に思ったり、期待をしたり、期待していることに少し驚いたり…。一瞬なのに、とても忙しい時間だった。
先程まで煩かったアランティアの鼾が聞こえなくなったことに気が付かないくらい、動揺していた。
「人間は皆、唯一無二の存在だから…。違って当たり前なんじゃない…?」
結局は意図するところがわからず、無難に返してみた。その後の返答次第で、自分の心持ちが決まるなと、少し息を飲んだ。
小雪はーー意図してのことでは無いとは思うが、ーー勿体振るようにまた、長い沈黙の後に言葉を紡いだ。
「………この星の人達は…、なんか、少し共感し難い。得体が知れない感じがする。………けど、君は、なんか違う。柔らかいけど、芯がある。ひたむきで、正も負も、ちゃんと知ってる感じがする」
「…………せいもふも……?」
一瞬、どういう意味かと考えてつい鸚鵡返しに呟いてしまった。しかし直ぐに「ああ、『正も負も』か」と合点した。
「…………君はひょっとして、何かを失ったことがあるの…?」
「……………」
悲しみも。辛さも。
嫉妬や恨みを感じないように、この星の人からはそれらを感じたことがない。
けれど、シノは……この、目の前の少女は、それらを知っているのではないかと思った。それを持っているからこそ、彼女は『学びたい』と思うのではないか。知識を役立てたいと思うのではないか。彼女は薬学を特に好んで学び、早朝の薬草詰みを日課にしていた。
小雪は真っ直ぐにシノを見た。
「…………………助けたい、人がいるの」
「………」
「………私がどれ程の力になれるかわからないけど。彼のことを少しでも『わかりたい』と思う…」
「………」
私が他とは違うと言うなら、それは貴方に出会ったからだ。
と、核心的なことを言ってしまおうか悩んで、しかし口にはしなかった。或いは、この夜がもっと暗がりであったなら口にしてしまったかも知れなかった。今はあまりにも互いの顔がはっきりと見え過ぎている。その吸い込まれそうな小雪の瞳に、シノは皆まで言わずを美徳とした。
それに、小雪はそっと口を開く。
「…………………僕にも、昔、救いたい人がいた…」
「えっ」
まさか彼がそんな胸の内を明かしてくれるとは思わずに、シノは目を丸めて驚いた。しっかり聞かなくては、と息を潜めた。
「…………とても小さな少年で…。いつも、蹲って一人で泣いていた………」
泣いていたって言うのは、比喩だけど。と付け加えて、小雪は再び、空を見た。否、その先の、何処に在るかもわからない自分の故郷を見ていた。
「…………置いて来てしまった、のかもしれない……。救えないまま。また、たった一人にしてしまった。……ゴツゴツに固い寝床に、こんな月の晩は……………思い出してしまって、敵わない………」
小雪は子供のものとは思えない大人びた顔をした。
虐げられていたかつての日々のことよりも、その少年のことを想って憂いた。
遠くを見詰める小雪に、シノはどうしてか、泣きたくなった。
ねぇ、小雪。
と、そうやって、声をかけて良いものか悩んだ。
貴方は……どんな星から来たの?どうやって生きてきたの?何故、あんなに血だらけで倒れていたの?何故、あんなに、強いの?
しかし言葉はどれも口から出ては来なかった。シノは胸の前でぎゅっと拳を握った。
「………………私は、貴方に出会えて良かった…」
「…………」
「…………きっと、貴方は。私では想像するには余りある人生を歩んできたんだろうと思う……。この星の人々が、信じられないと思うくらいに。貴方はきっと、あまり優しさに触れたことが無かったのだと………思ってる」
「…………」
相槌の無いことはいつものことであったのに、先をこのまま続けて良いものか迷った。
けれど、伝えたい言葉があった。
シノは胸の前で固めた拳をもう片方の手でしっかりと握り、続ける。
「……だけど、だからこそ。生きている貴方に、こうして出会えて良かったと思ってるよ。私」
「………」
出会った頃の、彼の暗い目を見て知ったのだ。
この世には、『絶望』と言うものがあるのだと。
ともすればこの人は、『死にたい』と思っているのではないのかと。
「憶測でばかり、ごめんね。でもね、伝えさせて欲しい。………生きていてくれて、ありがとう。生きることを選んでくれて、ありがとう」
「………」
長い沈黙が下りた。
もうシノは伝えたい言葉を全て言い切ってしまったので、口を閉じてただ、彼を見た。
横顔だが小雪は、微かに瞳を揺らしたように思う。
「…………………あたたかいね」
やっと紡がれた言葉は、ひどく優しい音色だった。
彼の纏うどこか張り詰めた空気も、少しだけ和んでいるように見えた。
「………今、少しだけ。反吐がでそうなくらいに優しいこの星を、ほんの少しだけだけど、………好きになれそうな気がしたよ」
「…………」
なんと答えて良いかわからずにシノが言葉を探している間に、小雪は彼女の方を見て、微かに笑った。
「………僕も、君に出会えて………きっと、良かったんだ」
「っ…!」
彼の、その微笑みを。
絶対にこの先も忘れないでいよう。
シノは誓った。
月明かりに照らされた彼の微笑は、とても儚く、とても美しかった。
早く彼に追い付きたくて、一晩、二晩と歩き続け、ようやく隣の町へ辿り着いた。もう空が白み始め、夜明けが近かった。町は当然だが、まだ静まり返っていて歩いている者は見当たらない。
「………」
目を凝らしても小雪の姿はなく、シノは歩を速める。
早く、彼に会いたかった。
血豆の潰れてしまった足は痛く、地面に下ろす度に悲鳴を上げそうだった。既に棒のようになった足を、それでも前へと動かした。
小雪を、いつだってもう、独りにしたくないと思った。
きっと、アランティアもあの晩のやり取りを聞いていたのだろうと思った。だから彼はきっと私を行かせてくれたのだろう、と思った。
ちゃらんぽらんとしているところがあるが、それは彼の“スタイル”なのだと察していた。彼は本当は、慈しみを持って人を愛している人なんだと、シノはアランティアのこと評価していた。だからこそ、私を行かせたのだ。と。
「…………貴女、」
「へぇっ…?!」
前だけを見据えていたので、突然、背後からかけられた声に驚いて、変な悲鳴を上げてしまった。
慌てて振り返ると、シノの纏う民族衣裳とはまた少しだけ形の違う衣裳を纏った年若い女性が立っていた。勿論、シノよりは年上である。
桶のようなものを抱えていた。水場で顔を洗いに行く途中だったのかもしれない。
とても綺麗な顔立ちをしているな、が第一印象。
でも少し痩せているな、が次の印象だった。
「………その先に、何か用事が…?」
シノのボロボロの格好や自身とは異なる民族衣裳を見て、女性は眉をしかめた。
「………遠くから、…余程急ぎと見受けられますが…」
「…えっと、」
そこまでわかっているのならこの先にある城に用事があるのだと早々に合点するだろうにと思って、シノも少し困惑した。何故この人はこんなにも警戒しているのだろう、と。
「………この先の、お城に用事があります」
この村の向こうが、もう城だった。この村は王のお膝元と言うことだ。
この星に知恵と潤いを与えてくださった素敵な王の、直ぐ傍に控えている村。…………の、はずなのに……。
あれ?と違和感を感じるのは、直ぐだ。
目の前の女性が益々表情を固く厳しくしたからではない。女性は、靴を履いていなかった。
城から遠く離れたシノの村でさえも靴を履くと言うのに、……それはおかしなことだった。
「…………王様に、お呼ばれになったのでしたら………。悪いことは言いません…。お逃げになった方が良いかと……」
「…逃げる?」
聞き間違いかと思った。
しかし、女性は神妙な顔で頷き、声を潜めた。その暗い顔に、益々痩けた頬が浮彫りになった。
「………王様は、とても恐ろしいお方なのです…。こんなことを、口に出してはいけません…。けれど、ほっとけば……貴女はきっと、死ぬでしょう」
「………」
信じられない。
と、思ったのに、鼓動が急に速まった。
どういうことだ?とその言葉を理解できないでいるのに、体が硬直して、全身から汗が吹き出した。
「…どういう、ことですか…?」
やっと絞り出した声に、女性は一つ頷いて、視線だけで辺りを見回した。
「…………少し、休みませんか?疲れているでしょう。…私の家へ」
先程よりはもっと低く潜められた声に、シノも自然と表情を固くさせて頷いた。
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