第4話 この星の王様

4.



退屈だなぁ、

王はだだっ広い部屋で背もたれの長い椅子に座り、ぼやいた。

椅子や赤い絨毯ばかりが立派で、薄暗い部屋だ。大きな窓が沢山並んでいると言うのに、全てに分厚いカーテンがかけられているせいである。


「うーん。殺し合いでもさせようかぁ…」


立派な装飾を施された椅子の、立派な肘置きに肘を立て、頬杖をついて言う。

今日は絵でも描いて過ごそうか、なんて気軽さでそんな物騒なことを。

傍に控えていた者達はぶるりと身震いをしたが、「畏れながら!」とその発言を諌める者は居ない。


「そう言えば、この前、演武を披露してくれた若いのが居たろ?そいつなんてどうだ?うちの誰かと戦わせてみないか?どう思う?」


意見を求められ、傍に控えていた者はまたブルブルと震えた。


「………それは、とても…面白そうですね……」


だろう、と満足して王は笑った。


「よぅし、じゃあ、彼をお城に招待してくれ。大至急、来るようにと。仕方無い。別にどちらでも構わなかったが、そこの彼が、『面白そう』だと言うのだから。仕方がないな」

「そっ、そんな…!」


先程、王の機嫌を取る返答をした者が目を剥いて震えた。顔からサァッと血の気が引く。


「誰が戦う?どちらかが死ぬ様を見守りたい者は名乗り出ないでくれよ。さぁ、誰が行く?」


にこにこと笑って、王は言う。

口は三日月のように嗤わせて、しかし、その瞳は一つも笑ってはいなかった。翳り、暗い闇の色をしている。

皆、俯いて息を殺した。王はそれを面白くなさそうに眺めて、ふむ、と一つ頷いた。


「誰も死にたくないと?誰も殺したくないと?高みの見物の方がいいと、そう言うわけだな?」


いや別に、責めているわけじゃないんだよ?と嫌な笑みを深める。


「うーん。じゃあ、仕方がないな。僕が彼を殺そうか。仕方がないな、そうしよう」


王はそれはそれは愉快そうに、くっくっと喉を鳴らして笑った。

だだっ広い王の間で、その笑い声は不気味に反響した。








「王って、どんな人なの?」


小雪の問いに、シノは首を傾げた。


「……さぁ…。謁見したことはないし…。どんなお方かは知らないけれど、でも、立派な方だよ」


自習の為に訪れた図書室で、小雪がこの星の近代史が知りたいと言い出して、シノが厳選し、王関連の本を積み上げた。


「どうして、急に?この星に王がいることが、そんなに不思議?」

「………何の為の王なんだろう、と思って。争いも無ければ、商売で成り立っているわけでもないのに。この星の仕組みは、興味深い…。王って言うのは、どういう謂れがあるの?神の化身とか?」


珍しく多い口数に驚きながらも、シノはええっと、と頭の中の情報を整える。


「『星の落とし子』なのよ。王も。豊富な知識をお持ちで、忽ちにこの、固い土だらけの星を豊かに導いて下さったのだとか」

「……へぇ」

「以前、小雪はこの星のことを『色々と遅れている』と言っていたけど、本当にそうなんだろうと思う。王はきっと、とても豊かで発展した星から来たんだと思う」


この星が発展したことに感謝の証として、その『星の落とし子』を『王』と呼び、沢山の付き人と大きな城を与え、城から出ずとも不自由無く暮らしていけるようにした、と言うのが、かいつまんでの説明になる。


「………」


小雪は終始黙ってシノの話を聞いていたが、やがて自らの手で分厚い本を捲り始めた。

それを暫く見守って、シノも薬学の勉強を始める。

他の皆は自室でこの時間を過ごしているので、二人だけの静まり返った部屋に、ペラ、と本を捲る音だけが鼓膜を打つ。

先程の体術の時に寄せていた眉はすっかり元通りに、この居心地の良い時間に、自然とシノの頬は緩んだ。




そして数週間の時が流れ、アランティアが城へ招待されたと言う噂は、瞬く間に学校中に知れ渡った。


「すげー!」

「流石、アラン先生!」


皆、口々に感動の想いを発すると、しかしアランティアは何処か複雑そうな顔をしていた。


「先生、嬉しくないの?」


聞かれて、うぅん、と視線を泳がせてから、アランティアは白状する。


「…ちょっと遠いじゃんか…。城。歩くと結構かかるし。きっついんだよなぁ、あの道」

「この前、小雪に負けたしなぁ!」

「おいこら!誰だ、今そんなこと言った奴?アキか?!」


アランティアがアキを睨み、教室はどっと笑いに包まれる。


「じゃあ、小雪も連れて行かせて頂いたらどうですか?」


レイラが手を上げて発言した。

シノはその発言にギクリと体を固くしたが、勿論、そんなシノの反応に気が付く者など誰も居ない。


「あー…。それは良いかもなぁ…。俺も一人より話し相手が欲しいし。王も、同じ『星の落とし子』と会えるのは、喜ばれるかもしれないなぁ…」


よし、小雪!一緒に行こう!

と、アランティアの決断は早い。


「良いですけど…」


小雪の決断はもっと早かった。

おぉっと教室が何のそれかはわからないが、拍手に包まれる。シノだけがたまらず、手を上げた。


「な、なら!私も行かせて下さいっ…!」

「え?」


拍手の音は止み、アランティアが目を丸めてシノを見る。うぅーん、と唸って、「でもなぁ、」と諭す声音で口を開く。


「歩き続けて二週間はかかる。野宿をしなければならないような日もあるだろう。…女子には、ちょっと酷だと思うぞ」


暗に「駄目だ」と伝えたアランティアであったが、シノは動じない。「いいえ」と、意志を込めてアランティアの目を見詰めた。


「平気です。私も行かせて下さい」

「……」


昔から優等生で聞き分けの良いシノに凄まれて、流石にアランティアもその意志を無視できなかった。


「…………うーん。まぁ、…無理はしないように……」


斯くして、アランティア、小雪、シノの三人で城へ向かうこととなる。出発は翌日の早朝と言うことになった。


その日の放課後、シノが教室に居ない隙に小雪はアキに呼び出される。


「……何?」


倉庫代わりに使っている空き教室に移動するなり、二人っきりの空間でもぞもぞとするアキに、小雪は眉を寄せた。ややあって、えーと、と小さな声が零れたかと思うと、少し早口に、アキは言葉を紡ぐ。


「シノのこと、宜しく頼むな!アイツ、結構強がりなところがあるから!無茶するかも。そしたら、気が付いてやって欲しい。あとは、意外と強情だけど、やっぱり、無茶しようとしてたら止めてやってくれ。自分がいるから遅れをとってるとか…そう思うと無理するから。そう思わせないように上手く、休憩を挟みながら進んで欲しい」

「………」

「………頼む。シノのこと。宜しくな」


アキの真剣な顔立ちに、小雪は少しつまらなそうな顔をして言葉を選ぶ。


「…………アキは、シラーのことが好きなの……?」

「へぇっ?!」


指摘してみれば、すっとんきょうな声を上げて、みるみる顔が赤くなる。そんな様子は、言葉よりも分かり易く「図星である」と語っていた。


「おっ、幼馴染みなだけだし………!こ、小雪こそ…!いつもシノの傍にいるけど、どうなんだよ?…好きにとか、ならねぇの?」

「ならないよ」


小雪の即答に、アキは目を丸くする。否定するにしてももっと、そこに感情が入るものだと思っていたからだ。

誰の目から見ても、小雪はシノを特別に想っていたように見えたが、小雪にとって彼がシノの傍にいることは、単に知識を共有したいだけに過ぎないのかもしれない。

愛だの恋だの、小雪には到底理解できるものではない。


「…安心して。僕は、彼女を好きになることはないから」


その言葉を残し、先に教室を出る。


「あっ、小雪くん!」


そこでたまたま、帰ろうとしていたレイラと出会した。


「明日から、気を付けてね」


それからキョロキョロと辺りを確認し、周辺に誰も居ないことを確認してから、小雪の耳に顔を近付け、声を潜めて耳打ちした。


「シノが怪我や無理をしないように、よく見ててあげてね。あの子、結構無茶するから」

「……」


それ、さっきも言われたよ。

ちょっとうんざりするような思いで顔を離していくレイラを見詰めた。その、感情の読み取れない仏頂面の彼に、彼女は眉毛を下げて困った顔をした。


「…アキが、悲しむから。シノに何かあると」

「………」

「…………勿論、私も。悲しいから。……それじゃ、小雪くんも気を付けて」


哀愁を残して、レイラは駆けるようにその場を立ち去った。


「……」


小雪はその真っ黒い髪が流れていくのを静かに見送ってから、背後の教室のドアを開けた。


「………」

「………」


中では、アキが気まずそうな顔で制止していた。

彼女は耳打ちする方の言葉を間違えていたな、とお節介にも思う。何か言葉をかけてあげるべきかと思ったが、何も思い浮かばず、暫し、小雪はアキを見ていた。


「………あー…。今の、聞いてたこと…レイラには秘密な」


アキのその気まずそうな顔から、彼が全てを知っていたことを察することは容易であった。


「…………」


結局、返す言葉が見付からないまま、シノと合流した小雪は帰路に着いた。







次の日の早朝。

まだ空には星が瞬いているような時分。

アランティアとシノと小雪の三人は合流した。三人それぞれ真っ黒の外套を羽織っている姿は、まるで夜の闇の使者のようであったが、それを認める第三者の目はない。

肌寒いとはいえ、息が白くなるような寒さではなく。寧ろ、重たい荷物を背負って歩いていれば、その薄い外套でさえも汗をかく程である。


「そう言えば、王様の御用命は何ですか?」


思い立って聞くシノに、「わからん」とアランティアは前だけを向いて歩く。馬車とかで迎えが無いのか?と尋ねる小雪には、苦笑を向けた。本当にな、と。


村がある内は厚意で村人に泊めさせて貰っていた三人だったが、やがて村が途切れ、ただ固い土だけが広がるだけの道なき道を行く。

歩き始めて丁度一週間後には支柱とロープと布で簡易的に作られたテントで就寝した。簡単な布を敷いた地面に雑魚寝と言う適当さであるが、それ以上の備えはこの星には無かった。

女子は別に、と二ヶ所設けようとしたアランティアの言葉に首を振ったのは勿論、シノだった。ただでさえ、女の足で着いていくなどと我儘を言い、遅れを取っているのだ。そんな手間などかけさせるわけにはいかなかった。

地面は冷たく、固い。

座って寝る方がよっぽど疲れが取れるので、テント生活二日目は、座ったままにそれぞれの体を支えにして身を寄せ合って寝た。

朝は、持ち歩いている保存のきくパンや果物を食べて朝食とし、三食摂る際に給水をすれば、背負う荷物も減っていった。その筈なのに、日に日に体は重く、足取りは悪くなる。怪我をしているわけでもないのに、そこかしこが痛い。


「……」

「……」

「……」


元々口数の多い方では無かった三人だったが、始めはもっと会話があったように思う。今では、なかなか口を開く者もなく、三人が皆、黙々とただ、足を進めていた。

シノは足に血豆が出来ていたが、痛みに堪えながら歩いていたので尚更、声が出せないでいた。


「………少し休もうか」

「あ、いえ!私は大丈夫です…!」


であるので、休息の提案は全て『自分が居るが為にされているのだ』と思ってしまい、つい、先を急ぐ言葉で返してしまう。小雪はそんなシノの名前を呼んで、諌めた。


「シラー。…僕も、足が痛いから休みたい。先生もお疲れだ」

「あ…………、すみません。そうですね、休みましょう…」


しゅんと落ちたその肩をアランティアが優しく叩いて、三人は近くの岩場に腰を下ろした。

『岩場』と言っても、地面と同じ色をした土が固まり盛り上がっているような場所で、シノ達は崖のような道を登っていた。足元が心許ない箇所もあった。これを登りきり、下れば、新しい村が見えてくるのだとか。

それぞれが足を揉み解したり、給水をして、束の間の休憩時間は終わる。


「じゃあ、行くか!」


気合いの籠ったアランティアの声に、待ったをかけるのは小雪の声だった。


「…………シラー、足を見せて」

「………」

「…なんだ?シノ、痛むのか?」


頑なに足を差し出さないシノに、小雪は強引にその靴を脱がせた。


「あっ…!」


その、血豆が出来てボロボロになった足を見て、アランティアが眉をしかめた。その痛々しさに気が付いてやれなかったことを悔いている様にも見えたし、戻れとも進めとも言えない場所でどう指示を出そうかと考えているようにも見えた。


「……潰れてなくてよかった…」


そう呟くと、小雪は荷物から清潔な布を取り出してシノの足に緩く巻いた。


「………………ごめんなさい」


シノは、申し訳無くて、情けなくて、つい泣き出しそうになってしまった。巻かれた布を見ながら、鼻の奥がツンとした。ますます自分が足手まといになってしまって、心苦しい。あんなに強情に「小雪に着いていく!」と譲らなかったくせして、と自分を恥ずかしく思った。


「…………シラーって、いつもそうなの?」

「え?」

「………」


「そうなの?」がどういう意味を指しているのか理解しかねたが、小雪は何も説明しなかった。

口を閉じたまま、思い出すのは彼女を心配していた二人のクラスメイトの顔。

それから、やっぱりシラーは他の人と何か違うな、と思い小雪は心の中で首を傾げた。


彼女からは『負』の感情が、少し、した。


この星の住人からは、劣等感とか嫉妬や欺瞞、恐れ。

そういった、『負』の感情を感じることがなかった。

小雪が知った限りでは、貧富の差が無く、争いもなく、皆人となりもおおらかであったので、必然としてそうなるのだろうか?とも思ったが、別の星から来た彼にはやはりそれは気味の悪い話であった。

例え、比べられることがなくとも、争うことがなくとも、飢えなくとも、ーーーー人間とは同じ生き物で、程度に差こそあれ、『正の感情』があるのならば『負の感情』もあるべきである。

だからこそ、得体が知れない。

負の感情を表に出さないのが上手いだけなのか?それとも、この星の人間は皆、実はそんなに幸せではないのかもしれない。

色んな考察をした。けれど、未だに答えらしい答えは見付かっていない。

ともすれば、前提から間違っていて、『同じ生き物』ではないのかもしれない、と思うとしっくりと納得が出来て、ゾッとした。だからこそ、小雪にとって、シノの傍に居られることは知識がつくことと同じくらい大事なメリットがあった。

彼女は少しだけ、小雪がよく知る『人間』らしい。嫌な意味ではなくて、だ。


「………小雪?」


名前を呼ばれていた事に気が付いて、小雪は思考を打ち切った。

行こうか、と腰をあげれば、アランティアも頷いた。足を痛めているからと言って、このままこの場に居るわけにもいかない。ならば、「進む」のが正解だと判断したらしい。


「おぶろうか?」

「えっ?!いえ!自分の足で歩けます!」


アランティアが目の前で背中を向けて屈むのを、シノは慌てて辞退した。

足手まといになりたくない!と全身が叫んでいるのが分かって、小雪は「やっぱりシラーはこの星の他の人よりも感情が捉えやすいな」と思った。人間らしいな、と。いや、でも。そう言えば…レイラもアキも、複雑な感情を抱えていた。それらも人間らしいと言えば、そうだ。だとすれば、この星の平和ボケした違和感が強すぎて、真実を上手く捉えきれていないのかもしれないな、と思い直す。


それからまた二日が過ぎ、ゴツゴツと足場の悪いこの山がやっと下り坂になった頃、事件は起きた。


「あっ…!」


遂に足の裏に激痛が走り、バランスを崩したシノが崖を踏み外して、一瞬、宙を舞う。


「!」

「シノっ…!!」


小雪よりも素早く、アランティアがその長い腕を伸ばした。彼女の細い腕を掴み、力の限り小雪の居る方向へ振り回した。彼の計算通りにシノの細く華奢な体は小雪にぶつかり、受け止められる。


「アランティアせんせいッ……!」


しかしその反動で、身代わりにアランティアの体が宙を舞う。シノが必死に手を伸ばしても、もう届かない。

恐怖に歪んだシノの顔を見たアランティアは、やっぱり軽率に女子生徒をこんな旅路に連れてくるべきではなかったなと自身の失態について振り返っていた。

それから、小雪の事を。

受け持っているクラスの皆の事を、…医務室に住まう美しい女神の事を、想った。


ああ、…告白しておけばよかったな。


いや、万が一にでも付き合っていたりなんかしたら、哀しませてしまったかもしれない。なら、告白していなくて正解かな、と思い直した。


そして、くるんと仰向けに体が傾いて行き、空が視界に広がった。


青く澄んだ空を見ながら、

かつて謁見を許された日に出会った、王の事を想った。

澄んだ緑色の瞳をした、儚げな王様。



ああ、王よ。

叶うことならもう一度、貴方に会いたかった。……ちょっと、城までは遠過ぎるけど。……馬車ぐらい、手配して欲しかったけど。



アランティアは直ぐに軽口を叩き、授業をする時の態度も決して模範的だとは言えないが、それでも、子供を心から愛している大人であった。

子供が憂いの帯びた目をしているのがほっとけない性分なのだ。


あの、小さな王様に。

この世界はこんなにも美しいのですよ、と、伝えられたら良いなと願っていた。








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