第2話 学校。日常と違和。

2.


学校に行ってみない?

シノの提案に、小雪は目を丸めた。朝食を食べていた手が止まる。


「………そう言えば、君達は何故、教育を受けているの?」


今度は、シノが目を丸める番だった。


「…生きる為だよ?生きていく為に、学ぶの」

「……何を学ばなくても。生きていけるじゃないか、この星は」


そんなことないよ、とシノは言う。


「作物を作るには土壌には恵まれていないし、生きる為に必要な水だって、滅多に降らない雨水を時間をかけて濾過して作ってる。怪我や病をした時に必要な薬だって、自作しないといけないんだよ?知らなければ、出来ないし、後にも伝えられないじゃない」


きょとんと言い放つ彼女の言葉に、ますます小雪は不思議そうな顔をした。


「………それは、得意な大人が教えているんだろ?それなら、その大人の子供や身近な人が知識を引き継いで行けばいいんじゃないの?…何故、『学校』である必要があるの?」

「それは、効率的だからじゃない?そっちの方が、確かだし」

「………僕は、行かない」


何故?シノはじっと小雪の澄んだ目を見詰めた。彼は瞳にだけはっきりとした色があって、他の全ては真っ白なのに、とシノはいつもその瞳の色を見詰めることが好きだった。


「シラーが…。………君が居てくれたら、いいから」

「…………っ!」


ボッ!と。

顔から火が出るのではないかと思った。

シノは一瞬にして真っ赤になった顔を両の手で挟み込み、「……そ、そう言うわけにはいかないよ…!」となんとか声を絞り出した。


「………」


小雪は少しだけ不服そうな顔をした。勿論、そのどこにも些細な変化すら見受けられなかったが、シノはそう感じた。


「だって、今はいいけど…。この先、私が病で倒れたらどうするの?誰が、貴方を助けるの?」

「………シラーじゃなくて?」

「え?」

「君が倒れた時、君を助ける術を僕が知らないことを危惧しないの?君を助ける為じゃなくて、僕が僕を助ける為に必要だって。…君はそう、言うんだ」

「……そうよ」


ならやっぱり、学校にはいかなくていいよ、と小雪は続ける。


「君はとても聡明で、博識だ。他の星の本も進んで読んでいるだろう?この星では自生していないシラーの花のことも知っていた」


小雪にそう評価されていたことに、内心ではとても嬉しく、跳び跳ねたい気分だった。けれど今はそうすべきではないと判断して、なんとか堪えた。

いいえ、でも、行くのよ。と、シノ。珍しく譲らない。


「小雪は、もっと沢山の人と触れ合った方がいい。私では力不足なことや知識不足なこと、沢山あるから。貴方はもっとちゃんとしたところで、しっかり教育を受けるべきだよ」

「……」


暫し、二人は見詰め合った。


「…………じゃあ、今日だけ。それからまた行くかは、今日の様子を見て考える」

「うん!それでいいよ!」


珍しく折れる小雪に、パァッとシノは明るく笑う。そうと決まれば!と、止めていた手を動かし、残りの朝食を掻き込む。

小雪のお昼の世話をしてくれる人に向けて、シノが簡単にメモを残す。


“いつもありがとうございます。今日は学校でお昼ご飯を食べます。急ですみません。お昼に頂いたものは、夜ご飯にして食べるので、そのまま置いていて下さい”


メモに書き置きされたのは随分と可愛らしい文字なので、きっと昼のお世話係もそれが小雪の文字ではないと気が付くだろう。……が、恐らく、小雪から感謝の言葉を贈られたことがないその人は、きっとこのメモを見て喜ぶだろうな、とシノは思った。その様子を思い浮かべて、自然と笑みが零れる。


「毎日、一緒に通えたら嬉しいな!」


弾む気持ちのままに小雪を振り向けば、彼は打って変わって渋い顔をしていた。しかしそれがまた、シノが一層笑みを深める要因になる。





学校に着くと、当然、小雪は注目の的だった。

皆が『星の落とし子』を一目見たことのあるわけでは無かったが、その特徴的な外見から、小雪が『そう』であると言うことが見れば直ぐにわかる。


「シノ!その子、『星の落とし子』よね?」

「レイラ!ええ、そうよ。おはよう」

「へぇー。本当に、真っ白だな」

「アキ、じろじろ見るのは失礼よ!」


二人が職員室で簡単な挨拶を済まして教室に向かうと、教室では待ち構えていたクラスメイト達に一瞬にして囲まれる。

先程シノに声をかけてきたレイラとアキはシノの幼馴染みで、特に仲が良い。


「……」


多くの人に囲まれても小雪の表情に変化はない。しかしシノだけが、彼が少し驚いているのを感じ取っていた。それがやっぱり、微笑ましくて、シノはこっそりと破顔した。


「『小雪』って言うの」

「……コユキ…?不思議な名前ね…?」


レイラがその長い黒髪を揺らしながら首を傾げる。

またどこかの星の言葉なのか?と隣でアキも首を傾げた。うん、とシノは得意気だ。


「この星よりももっと寒さのある星では、『ユキ』と言うものが空から降るんですって!それが、とっても真っ白いらしいから。『小雪』。…ぴったりな名前だと思わない?」


えっへん!と腰に手を当てて胸を張ってみるも、周りは依然として首を傾げていた。あれ?っと拍子抜けすれば、皆が何を疑問に思っていたのか、直ぐにわかった。


「…シノがつけたの?」

「本当の名前は?何て言うの?」

「違う星では、名前を貰えないの?」

「………」


口々に飛び交う質問に、シノは眉毛をハの字に下げた。

小雪の本当の名前なんて、シノも知らないのだ。


「………えぇっと、」


それは、聞いてはいけないことのように感じていた。

初めて出会った日の小雪は、………真っ白で、真っ黒で、真っ赤だった……。

意識を取り戻した彼に、『名前は?』と、勿論シノも早い段階で聞いてみたが、彼は遂にその質問に答えることは無かった。


「…………名前なんて、ただ個体を言い表す為に便利なだけの言葉だ。なんだっていいだろ」


小雪の物言いに、皆は一様に目を丸めた。

その端正で可愛らしい顔つきからは想像もつかない程、発されたその音が、低く荒っぽく、暗かったからだ。

はっきりとした拒絶の意を込めて、その言葉は放たれていた。


「…こっ、小雪………!」


シノが動揺したのも無理はない。

こんなにもはっきりとした負の感情を肌で感じたのは初めてだった。

それは勿論、朗らかに笑う大人しか居ないこの星では他の皆も同じことであったが、しかし、だからこそ、皆はそれを機に小雪を敬遠したりしなかった。


「お前、面白いことを言うんだな!」


アキは本当に感心したように、目を輝かせて小雪を見た。

他とは違う、は個性として受け入れられる。この星では。勿論、奇異な目で見られることはあるが、そこには純粋な好奇心のみがあるだけで、決して揶揄するような嫌な感情は含まれない。


「名前は親がくれる最初のプレゼントだと言うけれど、そう言う考え方もあるのね。新しい視点だわ」


レイラもうんうんと感心して頷いた。

シノはまた、誰にも気が付かれないように安堵の息を吐く。

そんなシノに気が付いている小雪はまた、やはり密かに『やっぱりシラーは他とは違う』と確信した。


「既にすっかり仲良くなったようだが、今日は『星の落とし子』の小雪クンが一日、一緒に勉強することになったからなー。皆、色々と教えてあげるようにー」


わいわいとした人だかりの後ろに、いつの間にか担任であるアランティアが立っていた。

はい!席に座った座った、とあしらわれ、生徒はぞろぞろとそれぞれの席に着く。

その様子をまるで見守っていたかのように、絶妙なタイミングで授業開始の鐘が鳴る。


この日を機に、結局、小雪は毎日シノと一緒に学校に通うことになった。

薬学や医学、地学や天文学、歴史や異星文化、星語、数学、体術。

色々な学びが、小雪にとってよい刺激になった。

また、馴染むまでに時間がかかるのではないかというシノの不安は杞憂に終わり、クラスの皆は小雪を上手に受け入れ、また、小雪も案外居心地良さそうに過ごしているのだった。

シノは『やっぱり、小雪を学校に連れてきたのは正解だった』と思う。誇らしく、嬉しく思う。

小雪の表情の変化は相変わらず乏しいが、それでも何かに興味を持ったり自発的に学ぼうとする姿勢が見られるようになり、シノは保護者の如く安堵する。

小雪は何かを学べば、まるでスポンジが水を吸うようにぐんぐんと自身に吸収していった。テストをすれば、毎回一番のシノに勝ることはないが、その地位を脅かさんとする程だ。シノに次いで良い成績であったアキを抜いてしまうまでに、三ヶ月とかからなかった。


誰もが目を見張ったのは、体術の授業。


初めて体術の授業に小雪が参加した時、その軽やかな身のこなしには、体術を専門に教えているアランティアも舌を巻いた。

軽やかに宙を舞ったかと思えば、すばしっこく地面を蹴り低い姿勢のままに間合を詰める。獣さながらに急所を的確に狙ってくる小雪に、簡単に手合わせするだけのつもりだったアランティアは圧された。

年のわりに小柄な小雪に対し、アランティアは細長い体躯を持っていた。

その長い手足はいつも鞭のようにしなり全く無駄がないと言うのに、この日ばかりはそれが仇となっているようで、誰の目から見てもそれらを持て余しているようにしか見えなかった。

やがて、勝負はつく。

瞬きすら許さぬ攻防戦は、小雪の圧勝で幕を閉じた。

誰もが、目を見開いて、息を飲んだ。


「……………参った」


肩で息をしながら、アランティアは両手を挙げた。

見たものは誰でも立ち竦むだろう鋭い目をしていた小雪の目が、その一言で、まるで魔法が溶けたかのように平常時の生気の籠らないものに変わる。

姿勢を崩したアランティアの眼球に迷いなく真っ直ぐに伸びた指が、その眼球に触れるほんの紙切れ一枚分手前で制止した。その、ピンと伸ばされた指も、だらりと重力に従って下ろされる。

しん、と空気が固まった後、わっ!と拍手の音が沸き起こる。


「凄い!凄い!小雪くん!アラン先生に勝つなんて!」

「本当に凄いな!お前!アラン先生って言えば、この星で一位二位を争う、凄いお方なんだぞ!王の前で演武とかも披露するような、凄いお方なんだぞ!」


我が事のように喜んで、レイラとアキが小雪の周りをぴょんぴょんと跳ねた。

シノは見学していた場所から動かずに険しい顔をしていたのだが、それに気が付く者はいない。皆、小雪に注目している。『星の落とし子』はやっぱり違う!と、そればかりだ。


「……王?」


小雪の乏しい表情の変化にいつもシノが気が付くように、小雪もいつも、シノの表情には敏感だった。

けれど、この時ばかりは皆と同じように、小雪でさえもシノの険しい顔には気が付かない。アキの言葉に引っ掛かりを覚えたからだ。


「……この星には、王がいるのか?」

「は?そうだよ?知らなかったのか?」


まだ、小雪が近代史を習う前の出来事だった。


「……シンボル的な、王なのか?」

「………うん?」


小雪の驚きに、しかし、言っている意味がわからないという風に、アキは首を傾げた。


「はーい。お喋りはそこまで。先生は負けちゃって傷心なので、次の時間は医務室の先生に癒されてきます。なので、皆さんは自習です」


パンパン、と手を叩き、続くアランティアの台詞に皆、どっと笑った。

彼のこの教師らしからぬ物言いは、『アラン先生』と生徒に親しみを込めて呼ばれる所以である。


「シラー、この学校には図書室はあるの?」

「え、ええ。勿論。……自習、そこでする?」


皆が思い思いにアランティアとじゃれ合ったりと、空気が和やかになり、やっと小雪はシノの元へやって来た。


「調べたいことがあるから、シラーもついて来て」

「………いいよ」


シノはこの日初めて、小雪の過去を知りたいと心から思った。

同時に、けれど小雪は頑なにそれを話はしないだろうということもわかっていた。

体術の授業が終わり、小雪の手を引いて図書館に案内しながら思い返す。


あの朝。


小雪が、シノの家の前で倒れていた朝。

小雪は、その真っ白い髪にも肌にも真っ赤な血を付けていて赤黒いアザも無数にあって。ボロ切れのような衣服はこびりついた汚れや土で黒くなっていた。

傍に落ちていた何かが焼け焦げたような残骸からする残り香とは別に、嗅いだこともない嫌な臭いがして、死臭かと思ったシノは一歩も動けずに、転がる彼を凝視した。

しかし、やがてピクリと指先が動くのを認めて、やっと、金縛りが解けたのだ。

ああ、生きている。助けなくては、と思った。

この人は、きっとこの星の人間ではないなとは、何もその髪の色だけで判断したわけではなかったのだ。

焼け焦げた乗り物のようなものは、見たことの無い形状をしていた。


そればかりではない。

この星に、争いはない。


彼のように血を流す人間を、シノは見たことがなかった。








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