Shooting Starー祈りを込めてー

将平(或いは、夢羽)

第1話 星の落とし子

1.


彼は、随分と懐かしい名前を口にした。

それから、告げる。


「お前を、殺しに来た」


お前を救いに来た、って。

彼は言う。









「小雪!またこんなところで、薄着で!いい加減、風邪をひくよ!」

「……」


眺めていた星空から視線を外し、彼ー小雪ーは、自分を呼ぶ彼女ーシノーの方を見た。

夜の闇でもわかるような白い肌。小柄な少女だ。その薄紫色の髪の毛を見て、まるでシラーの花のようだと、小雪は彼女のことを「シラー」と呼ぶ。


「…シラーこそ。こんな明け方に、何か用?」


二人は齢十二といったところか。

シノはこの村の民族衣装の上から漆黒の外套を身に纏っていた。

遠くの空は白み始め、夜明けが近いことが窺える時分。この星のこの時間は、ほんのりと寒い。この村の簡素な衣装では暖を取るには心許ない。


「薬草を摘みに来たの。そしたら、貴方がいたから」


シノはそういって、柳のようにしなやかな木の枝で作った小さな篭を掲げて見せる。くるりんと蔓を頭に生やした見慣れぬ草が少しだけ入っていた。固い土で出来たこの山頂にもそんな草が生えていたのか、と正直な感想として思う。

それにしてもこんな時間に、と思ったが、その疑問を汲み取ってか、シノは言葉を紡いだ。


「朝日に当たる前に摘んでしまわないと効果がなくなっちゃうの。…ところで、星を見てたの?」


隣に腰掛けたシノの事を一瞥し、また、夜空に視線をやる。


「………」

「……ねぇ、小雪。貴方、急に居なくなったりしないでね…」


隣に座る小雪の顔を見詰めながら、シノは願った。

しかし小雪はシノの方を見ない。その真っ白い髪の毛も白い肌も。その、長い睫すら白いことも。まるでこの闇に溶けることを望んでいるようだな、とシノは思う。そしていつも、不安になるのだ。


彼、小雪は、『星の落とし子』だった。


歴史書には稀に見る現象。

ある日突然、別の星から人間が降ってくる。

本人も何故ここに辿り着いたのかを語らない。

まるで見たこともない衣装を身に纏い、知らない言葉を話す。一目見て、その者が『星の落とし子』と分かるらしい。

とても非現実的な話だな。と、教科書を読んでシノは思った。そんな内容の絵本を昔、読んだことがあった。まさか、史実だったなんて思わない。ある日、あの人がこの星にやって来るまでは。


シノの家の前にも、ある日、やってきたのだ。


その日は突然。彼は、突然、なんの前兆も足音もなく。

朝。扉を開けるとそこで倒れていた彼のことを、その驚きを、シノは生涯忘れることは無いだろうと思う。




長く喋らなかった彼は、ひょっとしたら言葉を発することができないのでは無いかと、シノはいつも心配していた。

簡素ながらも与えられた家にも、歓迎された民族衣装にも、用意された食事にも、彼に表情の変化は見られなかった。

ひょっとしたら、『感情』と言うものを持たないのかもしれない。

聡いシノは少しだけ不安になったが、村の人々はあまり負の感情を持たない。

そういう星から来たのかしら?もしかしたら、その星では心と心が通じあっていて、喋らなくても会話が出来たのかもしれないわね!…なんて。

シノは誰ともその不安を共有できないのだなと悟って、小雪と二人っきりの時だけ、自分の心の内を明かすことにした。


「ねぇ、小雪。貴方、喋れないの?」

「ねぇ、小雪。貴方、どこから来たの?」

「ねぇ、小雪。貴方、『感情』を落としてきたの?」


シノがその家を訪ねても、決まって小雪はただ、ベッドに腰掛けてその小さな窓から外を眺めていた。外に出掛けてみる?と聞いても、今日はいい天気だよ、と言っても、なんの返答も得られなかった。

しかしある日、いつものようにシノが訪ねて話し掛けると、彼は徐ろにこちらを向いた。


「…………僕の名前は、『小雪』じゃないよ…」

「!」


その時の、驚いたことと言ったら。

生涯で二番目に驚いたことはこれだ、とシノは思う。一番は勿論、シノの家の前に倒れる小雪を見た時だ。


「……貴方、喋れたの…」

「……」


ほっと胸を撫で下ろした。

けれど、小雪はまたなんの返答もしてくれなくなる。寡黙な人なのかな?いや、きっと、聡明な人なのだ。

この星の言葉を理解するまでの間、言葉を紡がなかっただけなのだろう。そう当たりをつけてしまうくらい、子供ながらも小雪は理知的な顔をしていた。


「………町へ、連れていってくれないか。この国で、一番栄えているところへ」

「えっ!…いいよ!喜んで!」


学校が終わると、シノは決まって小雪の家を訪ねた。

朝もそうだ。朝食を持って、彼の家を訪ねるのが日課だった。小雪の身の回りの世話の多くを彼女が担っていた。

家が近所と言うこともある。年頃が近いと言うこともあったが、何より、小雪がシノ以外に初めて口を利いた言葉が『彼女以外、僕に構わないで』だったものだから、村の人も快くそれに従った。嫌な顔はしない。『そうかそうか。では、そうしよう!』と、村の人々は朗らかに笑って、それ以降、シノが学校で過ごしているお昼の時間の世話やシノには出来ないようなことーー家の建築もそうだーーだけを担い、それ以外のことについては、パタリと訪問を止めた。


「ちょうど明日は学校が休みだから、明日行こう。朝、また一緒に朝食を食べてから出掛けよう!」

「……」


こういう時の無言は、承諾の証。

相変わらず口数は少なく、表情の変化も無いに等しいが、シノは彼の考えていることが少しずつわかるようになってきた。

この星のパンは好き。だけど、野菜のサラダは嫌い。味のついた飲み物より、飲めるように濾した水の方が好き。

晩御飯を一緒に食べて、「また明日」と言って家を出る。

外はまだ明るい。けれどすぐに、夜が来る。

暗くなってしまえば、それを明るく照らす術の無いこの星では、夜は早くに寝て、朝は遅くに起きる。

シノは日が落ちてしまう前に、足早に自分の家へと向かった。来る明日への逸る気持ちに、自然とその足も速く動いた。




この星はどうやら『色々と遅れている』らしい。

『豊かじゃないのに、豊か』で、『豊かだけど、乏しい』らしい。

小雪はいつだったか、そんなことを口にした。

固い土で覆われた土壌。滅多に降らない雨を貯めて、生活に利用した。唯一流れる川へ行くには、かなり歩かなければならない。時々、遠くから荷馬車に乗って人が来る。その人が与えてくれる物資で生活していると言っても過言ではない。


「この国は、どうやって商売をしているの?」

「………しょうばい……」

「………対価は、何?僕があのリンゴを欲しいと思えば、彼に何を差し出したらいいの?」


市場にやってきた二人は、物陰に隠れ、先程からそういったやり取りを重ねていた。

シノは小雪が指差した先を見る。木で出来た手押し車一杯にリンゴが積み込まれ、感じの良さそうな大人の男性が向こう側でにこにこと笑っていた。


「…『リンゴを下さい』って、あのおじさんに言えばいいよ」

「………それだけ?」

「………何かおかしい?」

「………」


小雪は内心、受けた衝撃を隠しきれないのではないかと思った。


「……………反吐が出そうだ…」


しかし、隠しきれなかったのは言葉の方だった。

「えっ?」とシノは驚いて目を丸めたが、次の瞬間には小雪はいつもの感情のない顔をして、淡々と続けた。


「………経済と言う概念は無いのか…」

「………けいざい………?」


シノが首を傾げている間に、小雪はさっと駆け出し、リンゴの手押し車の向こうに立つ大人に話し掛けた。


「リンゴを八十個下さい」

「こ、こゆき…!」


小雪に追い付いたシノはぎょっと目を丸めた。当の店主とおぼしき男性は、考えるような仕草をして「八十個…」と小声で繰り返し、膝を折って小雪を見た。


「八十人で、今から集まる予定があるのかい?」

「いいえ」

「…何か、特別な理由があるのかい?」

「いいえ」


じゃあ、一人一個までだよ、と店主はやっぱり人の良さそうな顔をして笑う。


「一人…そこのお嬢ちゃんと二人だけでも、リンゴ八十個を傷む前に食べきれないだろう?だから、八十個は渡せないよ」

「…では、今晩と明日の朝。二人で、一つずつ食べます。だから、四個下さい」

「それなら、いいだろう!」


リンゴ四つを受け取った小雪は、けれど浮かばない顔をした。


「………対価は…?本当に、無償なんですか…?」

「へぇ?難しいことを言い出すんだね」

「……」


対価は君達の笑顔だよ。飢えないことさ。

そう言って笑う店主に、しかし小雪は、何故か怒ったような顔をした。






「………ねぇ、この星は、反吐が出そうだよ…」

「………え、」


星に手を翳しながら、小雪は言う。

いつかの彼が溢した台詞は聞き間違いじゃなかったのか、とシノはビックリした。


「………なんで、そう思うの…?」


驚いて、隣に座る小雪の横顔をじっと眺めたが、やはり彼はシノを見ない。


「………皆、幸せそうで。反吐が出る…」

「……」

「……痛みを知らなくて、反吐が出る…」

「……」


こんな世界、知りたくなかった。

小雪の表情はいつもと同じで、感情の読み取れない淡々としたものだったが。

それでもシノは、彼は今、泣きそうなのではないだろうか?と思った。






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