教えその13 強くなろうと思いもしない日々はある

 ──どうしてこうなったんだろう


 ネヴィリーンは考えていた。

 考えても答えなど出ないが、どうしても考えてしまう。


 ネヴィリーンは物心ついてからこっち、カスタノから出た事など無い。

 都市と呼ばれるくらいだから、カスタノは大きい方の街なのだろうと思っていた程だ。

 ネヴィリーンにとってはこの街が全ての世界であり、世界の全てである。

 だから、帝都に行くというのは、ネヴィリーンにとって世界の外側へと踏み出すに等しい行為だった。

 知らぬ世界を見て、初めて父親に会いに行ける、とそれだけだった。


 ──自分はきっと、何も知らなすぎた


 カスタノの街は平和だ。

 聖職者を中心に作られた、慈悲と清楚の街。

 悪事を働く人もいるが、少なくともネヴィリーンが知る人達は皆、誰も彼も善人だった。

 この街で聖教団の教えを軽視する人などおらず、にすら親切で。

 自分がどういう存在なのか意識した事だってあるのかどうか。

 ネヴィリーンは、自分がただの人間として扱われるのは、この街の中だけである事に気付かざるを得なかった。

 ようやく、気付かざるを、得なかったのだ。


 ――こうなったのは、自分のせいだ


 自分が街から出ようとしなければ。

 あるいは、カスタノの街に戻ろうとしなければ。

 きっと、自分の世界をこうも壊される事も無かった。

 神殿騎士達は今も魔物と戦っている。

 いつも話をする花屋のおばさんは、自分を見ると顔を赤くするパン屋の青年は、大神殿の神官達は……。

 彼らは皆、無事だろうか。

 とりとめもなく、この街で過ごした記憶だけがネヴィリーンの頭の中に浮かび上がる。

 聖職者や巡礼者と共に祈る日々、綺麗で清潔な街の中を散策した日の空、大神殿が出来た頃からある小さなお店で飲む紅茶の味。

 物心つく前から共にあった、ゴッドブレスジャガーの顔。


 声が、聞こえる。


「ネヴィちゃん……っ!しっかりして!ネヴィちゃん!」


 聞き覚えのある声。

 聞いた年齢のわりには、高く響く少女の声。

 まるで息を吸えないかの様に、今は掠れている。


「あは、すこぉし刺激が強かったかしら」


 その後に響いたねっとりとした女の声は、聞き覚えは無い。

 ただ、嫌悪感と共に、妙に耳に響いて入り込む。


「ああ、見てほら。魔物達が降り立つわ。なんて美しいの」

「なんでこんな事を……帝都に行かせないのが目的なんじゃ」

「誰かそんな事を言ったの?ぜーんぜん違う、ちがぁう。私達の目的はそこの……」


 こ、う、じょ、さ、ま


 ネヴィリーンは、目を覚ました。



 ***



「わたくしが……」

「あら、目が覚めたかしら」

「わたくしがいたから?」

「……?」


 サリャカと魔女は、怪訝な顔をする。

 ネヴィリーンは地面から顔をあげず、呟いた。


「わたくしがいたから、こうなったのですか?」


 魔女はふふ、と笑い


「ええ、そうね。あなたがいたからよ。あなたがいなければ、私達もカスタノを襲おうなんて思わないもの」

「ネヴィちゃん!聞いたらダメ!」

「ねぇ、皇女サマ。ゆっくり見ていくといいわ。一つの街、それも思い入れのある故郷が滅ぶ様は……何物にも代えがたい愉悦を与えてくれるの!一生に一度の快感よ!」


 ネヴィリーンはギシリと音をたてる程の歯ぎしりをした。

 強さが欲しいと、そう思った。


「え……?」


 ドクン、と心臓が強く脈打つ。

 サリャカの困惑した声、そして魔女の欲しい物を見つけた様な喜びの吐息が聞こえる。

 ネヴィリーンの胸には、黒い翼の紋様が浮かび上がっていた。


 ――醜い


 ここにいない、誰でもない声がネヴィリーンの頭に響く。


「ああ!やはり!やはりそこにいらっしゃるのですね!偉大なる闇の女神!ネヴィリム様ぁああああ!!」


 強烈な破壊衝動と嫌悪感が、ネヴィリーンの頭の中を駆け巡る。

 その刹那の事だった。


「これは、聖歌……?」

「魔物が塵に……はっ、ネヴィリム様!ネヴィリム様!おのれ、聖術か!」


 カスタノの聖職者達による合唱聖術が、耳に届く。

 彼女の心は、その瞬間不思議と凪いだ。

 やがてネヴィリーンは、眠る様にその意識を閉ざした。



 ***



 顔を隠すフードを被り、身体を足先まで覆いつくす程のローブを纏った男がいた。

 彼は、魔物や侵入者によって混乱するカスタノの街を見ていた。

 この都市全体に響く、聖歌を聞いていた。


「やはり聖教団に預けたのは正解だな。魔を祓い、闇を眠らせる子守歌か……」


 フードに隠れた男のをしていた。


「イ、ゲナム、ゴオン」


 詠唱の言葉。

 短く唱え、指先に灯った魔力の灯火を目と目の間、眉間に触れさせる。


「今助けよう、ネヴィリーン」


 触れた指を横にこすれば、強い風が吹いた。

 彼の身体は風に乗り、突風の速度でカスタノの空を飛ぶ。

 やがて風が止めば、その身体は自由落下して地面へと向かうだろう。

 ローブをひるがえし、男が着地したのは魔女と、眠るネヴィリーンとそれに寄り添うサリャカの間。


「そこまでだ」

「あなた……裏切るつもり!?」

「最初からそちらについたつもりは無い」


 彼がネヴィリーンとサリャカに触れ、眉間に指をあてて軽く横にこすれば、再び風が吹き、3人の身体をあっという間に風にのせていくだろう。

 唖然とした魔女を遠く後方に置き去りにして。

 サリャカは呆然として、言った。


「あの、聞きたい事は色々あるんですけど……とりあえず一つだけ聞いていい?」

「なんだ」

「なんでローブの下、裸なの……?」


 全裸にクソデカいローブを着ただけの男は、若いが渋い声で言った。


「風をよく感じられるからだ」


 サリャカは思った。


「なんで味方になってくれる人、イロモノしかいないん?」





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