片鱗と逆鱗 -ι

「一緒に暮らしているの?」

「いいや」

「仲が良いのね」


 ぴくりと、ナイフを持つ節くれ立った手がわずかに跳ねる。


「そういう関係ものではない」


 シーナは微笑んで、


「華佗さんって、どんな人なの?」


 と訊ねた。


「……おかしな奴」

「他には?」

「……頓珍漢」

「他は?」


 身を乗り出して返事を待つシーナに、渋々といった様子で答える蚩尤。禍津が止めに入るまで、シーナの質問攻撃に遭っていた蚩尤は、解放されるとあからさまにほっとした様子で食事を始めた。大きな口の割に、彼はちまちまと干し肉を齧る。


「私の大切な人の一人に、アーサーっていう護衛騎士がいるの。すごく心配性で世話焼きでね。きっと今も必死に、私のことを探してると思うわ」


 倒木に腰掛け肉を食らう蚩尤も、シーナの話に耳だけ傾けているようだった。一方、禍津は既に食事を終え、刀を抱えるようにして目を瞑っている。よく見ると、瞼が僅かに動くので、起きてはいるようだ。

 話がずれたわ、と呟き、シーナは続ける。


「その彼が言ってたの、『相手を大切に感じた時、その気持ちだけは素直に伝えておいたほうがいい』って。秘めているだけじゃ、その思いがもったいないのだそうよ」


 そう言った彼は、少し迫真的なまでの真剣な面持ちをしていた。シーナにそんな表情を見せるのは珍しいと、記憶に強く残っていた。アーサーはシーナの護衛でもありながら、最も親しい友のような存在であり、また兄のように頼れる存在であった。


「……そうかもしれないな」

「ね、アーサーはいいこと言うでしょう」


 ふふん、と自慢げな顔をしてみせるシーナを少しだけ笑って、蚩尤は膝上で組んだ両手に視線を落とした。


「……力を持たざる者が武器を持ったその眼が好きだった。その人ならざる眼を見るのが、かつての俺の楽しみだった」


 蚩尤は戦闘の神だ。生まれてより備わるその異常な力は、彼を好奇の目に晒した。最初は居心地の悪かったそれ等の視線も、何千年何万年と晒されていれば次第に慣れた。闘いには幾度も巻き込まれた。権力争いや力比べには興味がなかった為、それもまた苦痛に感じた。いさかいとは距離を置き、一人で静かに暮らす方がずっとしょうに合っていた。唯一好きだったのはものを作ることで、才もあってか、瞬く間にその技倆ぎりょうはインフェルノいちに達するに至った。

 いつからか蚩尤はアガルタから離れた森の中に家を建て、自作の武器を作るようになった。そうやって長らく生きてきた。しかし、昔一度だけ人に与えた武器が市場に出回り、蚩尤のことを聞きつけた者が蚩尤の元に訪れるようになった。最初は相手をするのも面倒だという理由で、作った武器を与えていたが、武器を持った人間が突然人が変わったようにそれを振るう姿に、蚩尤は自分の好きなものを認められたという充足感じゅうそくかんを得た。それと同時に、武器の奥深さを知り、人間への興味も生まれた。それがいけなかった。そう、今ではわかる。


「武器を作り、それを人間に握らせる。そんな遊びに、いたずらに時をついやしていた時だった。俺は華佗に出会った」


 頬が凍てつくような寒い日だった。武器の素材を集める為に、蚩尤は珍しくアガルタへと出向いていた。来る度に腐敗の進む街は、ヘヴンと衝突したというティターン戦争を境に、増々退廃たいはい一途いっとを辿っていた。力の強い悪魔が殺されたり力を奪われたのが、大きな要因である。腹を空かせた獣が涎を垂らしながら歩き、街角に転がった遺骸は、腐り落ちて異様な匂いを放っていた。


「最初は、食屍鬼グールが死体でも食らっているのだと思ったんだ」


 細い路地を横切ろうとした時、大きな襤褸布ぼろぬのがごそりと動いた。咄嗟に剣に手を添え、蚩尤は薄闇の中で蠢く何かを、じっと目を凝らして見た。

 それを認識した瞬間、ぞわりと肌が粟立あわだった。それは確かに、一抹の喫驚きっきょうだった。

 碌に食事にありつけていなかったのであろうげっそりとした顔で、女が死体の肉を錆びたナイフとフォークで捌いていたのだ。半開きの口は仄かに口角が上がり、充血した目を見開いて、取り出した臓器を舐めるように眺めていたと思いきや、あろうことか舌を這わせた。

 そして蚩尤と目が合うと彼女はうっそりと笑って、『お前も舐めてみるか? 人間ひとなま膵臓すいぞうだよォ』と言うのだ。


「人間に震えたのはあれっきりさ」


 流石の蚩尤も、あれには度肝どぎもを抜かれた。武器を握らずとも、あれ程純粋に狂った眼をできる人間は初めてだった。


『これやばい? やばいかなァ 死ぬ? 死んじゃうかなァ。熱処理したら絶対いけるけど、生でしか味わえない酸味がなんとも……あぁ臭っせ!』


 地面に這いつくばり、彼女は喉に張り付くようなガラガラのハスキーボイスで笑う。そうすると、まだ赤みの残る顔の縫合跡が引き攣れて、余計気色悪く映った。


『何を、している』


 問いかけたのは不本意だった。だが、気付いた時には口からうっかり滑り出てしまった後だった。


『解剖だよォ。気になるのかい?』


 首を振る蚩尤に、すくっと立った彼女が近付いた。顔がひどく汚れていた。白衣は使い古した雑巾のように穴だらけ。フレームが歪んだ眼鏡は片方が割れており、全身が色とりどりの血でべったりと脂っぽくなっていた。


『おや。君は武器を作るのか。そうだろ? そうなんだろう?』

『何故そう思う』

『君の荷から飛び出ているものと、お前の手を見れば一目瞭然さ。ねえ、もしかして君、医療器具とかも作れたりするのかい?』


 骨ばった手を伸ばされた。脆そうな細腕だった。


『医療器具が欲しいんだ、作ってくれないかい? こんなび付いたカトラリーじゃ上手く肉を切れん。ただでさえこの辺りに転がってるのは腐った屍体ばっかりで、粘り気が強いんだ。なァ、どうだろうか?』


 そう息巻いて、蚩尤を見つめる大きく丸い瞳がぎらぎらと強く輝いている。まるで純真で、無垢な子供のそれだ。行き過ぎた好奇心は狂気へと変貌する。衝動にも近しいそれは竜巻のように、容易く意思から手を離し、もはや当の本人にも止められやしないのだろう。


『ふざけた人間だ』

『ふざけてなどない! 私は本気だぞ』

『……』


 今思えば、彼女と目があった瞬間から諦めていたのかもしれない。押し黙っていた蚩尤がようやっと渋面しぶめんで頷くと、華佗は元気よくガッツポーズをしてみせた。


「それからだ。あいつに医療器具や、眼鏡や家を作ってやる代わりに、ものの原理とやらを教わるようになった。確かにあいつから習ったことは、武器作りに大いに役に立った」

「互いに助け合っていたのね」

「それが俺達の契約だっただけさ。……さて、茶飲み話もこれくらいにして、移動するぞ。目的地も近い」


 禍津が腰に刀をき、蚩尤が幾つかの武器を仕舞い直した。シーナも移動の為にと腰を上げたところで、空が明るくひらめいた。

 眩しさにシーナは咄嗟に目を手で覆った。


「伏せろ!」


 禍津がシーナを胸に引き寄せ、そのまま地面の窪みに身体をねじ込んだ。

 次の瞬間、衝撃波が辺り一帯を襲った。音もなく木々が吹き飛び、岩が粉々に砕け散る。地面に亀裂が入り、礫土れきどが波打つカーテンのように宙を舞っては、地面を打ち破った。


「何が起きた!」


 隣の木の陰に伏せていた蚩尤が立ち上がりながら、飛んできたシーナの背丈ほどある岩を片手で払い除け、叫んだ。


「ここからでは何もわからん。近付くぞ」


 そう返した禍津はシーナを片腕で抱え、刀を抜き払い、走り出した。飛んでくる瓦礫がれきや混乱に乗じて襲い来る獣を、彼は次々に一太刀ひとたちで両断した。目にも留まらぬ剣捌き。その速さは正にはやぶさだ。鬱然とした森のなかで、刃文がぬらりと鈍く光る。

 集合地点の目印であった火山の裾野が見えた時、オルクスとイブリースがシーナ達に合流した。


「おい! こりゃどうなってやがる!」


 オルクスがどこからか飛び出てきたいのしし姿の封豨ほうきの首根っこを押さえると、「邪魔だ!」とそのまま力任せに地面に叩きつける。


「わからんが、この様子だとゼドとフェンリルの方で何か起きたかもしれないな」


 目論見が崩れた──。

 皆がそう気付くのに時間は要らなかった。


「急ごうか」


 イブリースを先頭に、ゼド達と落ち合うべく先を急ぐ。シーナは禍津の腕の中で、ぎゅっと襟元を握り締めた。


「っ全く。そりゃ邪神がこぞって集えば、ちっぽけなツキもすっかりなくなるわな」


 オルクスがぼやく。

 森を抜け、荒寥とした溶岩大地に出た。見晴らしが良いため、避けて通るはずの場所だった。黒く染まった大地の縁をなぞるように移動する。

 静かだった。不気味なほどに。


「止まれ」


 突然、禍津が全体に静止をかけた。


「どうした」


 すぐさまオルクスが禍津の隣へ行き、肩を並べてしゃがみ込む。巨巌に背を預ける禍津が顎をしゃくってみせるので、オルクスは岩から少し顔を覗かせた。


「おい……」


 オルクスが遠くを指さした。


「あれ、なんだよ」

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