第四章
片鱗と逆鱗 -α
それは他でもない、あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。
だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。
ヤコブの手紙 4章1、7節
不貞の輩よ。
世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないのか。
不埒な輩よ。
肉を仇とするのは、成長との訣別であることを、知らないのか。
「貴様」
空気が凍てついた。
「何を
廊下に冷たく響き渡る声は、氷柱のハープを掻き鳴らしたような、美しくも冷然な調べ。静かなるその
「
「も、申し訳ございませんっ」
「目障りだ。今すぐ私の前から
「あっ……あの、ダルク大佐」
「失せろと言っている!」
男は跳ねるように敬礼をすると、一目散に去っていった。
「全く、たるんでいる! 士官学校からやり直して、即刻あの
そう吐き捨てたジャンヌ・ダルクは、
「溜息を吐くと折角の美貌が台無しですよ」
「心にもないことを」
背後から飛んで来た世辞を鼻で笑い、ダルクは歩き出す。ヒールの音が廊下に
彼女は、若くして大佐の座にまで上り詰めたエリート軍人、ジャンヌ・ダルク。明晰な頭脳と天性のカリスマ性とを持ち合わせた、騎士団きっての剣豪である。その老成円熟なる
「嘆かわしいことだ。年々兵士の質が悪くなっている」
「平穏な暮らしが何年も続いているのです。致し方無いかと」
「人間は、我が身を滅ぼしかねない危険すら、直ぐに忘れてしまう。平和も考えものだな」
「そのような発言は反乱因子と捉えられかねませんよ」
「ちっ。ボケた
ダルクは、自室の扉を勢い良く開け放つ。
「大佐こそ、会議に掛けられたことを忘れておいでですか。またそのようなことを仰っては、次は独房行きかもしれませんね」
そう言って、ダルクに続いて部屋に入ったのは、ハンニバル・ファウスト中佐。ダルクの補佐官を務めている。この男も優秀な軍人で、剣術や馬術等の武芸は勿論、学問や世事にも広く通じており、剣を握って間もなく、彼はその頭角を現し始め、ファウスト家に養子に入ったので、貴族としての教養も行き届いている。
最も、歴代稀に見る暴れ馬のような女傑を上官に持ってからは、彼の苦労性が存分に発揮されているようであった。
「前回だって、返り討ちにしてやったろう? 恐るるに足らんな」
「独房に貴女を迎えに行く仕事だけは、勘弁ですからね」
「分かった分かった。今は大人しくしておいてやろう。で、頼んでいた件だが、調べはついたか」
「はい。新たな報告が上がってきています」
手に持った資料から顔をあげ、「ほう?」と片笑んだ。
今、ヘヴンを揺るがす一大事といえば、豊穣の姫君、
「現状は」
「捜索部隊全員が、無事スラム街に潜入した模様です」
「もう入ったか。素戔嗚も少しは成長したようだな」
「神様を呼び捨てになさるとは。大佐には、信仰心というものがないのですか」
「そんなもの、親の腹の中に置き忘れてきたわ」
ダルクのあっけらかんとした態度に、ファウストも慣れたもので、「そうですか」とだけ、返した。
「倭の豊穣の女神だな。お転婆と噂には聞いていたが、なるほど、いい育ち方をしている」
「大佐のような、じゃじゃ娘にお育ちにならなければ良いのですが」
「ファウスト君。それはどういう意かね」
「そのままの意で宜しいかと」
口をへの字に曲げてから、「まあいい」と、ダルクはファウストから
「やはり場所が場所だけに、人数は相当絞ったようだな」
「ええ。騎士団から、俊敏で小回りの利く
「だろうな。本命の救出部隊は……ああ、予想通りの顔ぶれだな。腕の良い者ばかりだ」
ダルクの色の目が紙面上を滑っていき、端で止まった。
「アーサー・フラナガン、この男はよく覚えているぞ」
爽やかで健康的な風貌の男の姿絵。凛々しく男らしいが、かと言って野性的な荒々しさが出ている訳ではない。品の良さすら漂う、そう、如何にも優等生らしい佇まいは、昔から変わらない。
「大佐が騎士の名前を覚えているとは。珍しいこともあるのですね」
「馬鹿にしているのか? 私だって、優秀な者の名くらいは覚えているさ」
「ご自分のお味方に、引き入れるため」
じろり、とダルクの眼球が巡り、鋭い眼差しでファウストを見た。
「でしょうか」
ファウストの微動だにしない瞳孔を、穴が開くほど見つめる。ダルクと異なり、常に感情が乱れない、冷静沈着な男。
「ふん、無論だとも。青二才の女左官は、有能な部下が一人でも多く欲しいのでな」
騎士団所属の上級騎士は、騎士養成学校に指南しに行くことがある。多忙な役職故、短期間且つ頻度も少ないが、見習い騎士の技術力底上げの為、交代制で回している。ダルクも、彼が騎士見習いだった頃にも、何度か指導を任されたことがあった。
確かに見どころのある騎士だ、とダルクは彼の来歴を目で追う。結局、卒業まで主席をキープしてたらしく、卒業後は是非うちに、と引く手数多、今もその将来を嘱望されている
「隣の男は……誰だ。騎士ではなさそうだな」
「
「元見習い騎士だと?」
「ええ。気になさると思ったので、私の方で少し調べてみました」
数枚の紙が渡された。いつもならば提出する資料より量があるはずの、ファウストの補足資料が、これほどまで薄いことがあったろうか。
「なるほど。騎士の適性がなかったのだな。それにしても、入学時に既に実力はトップクラス。騎士として大成することも可能だったろうに」
「彼の性格が、それを許さなかったのでしょう」
「確かに、強情そうな顔つきをしている」
さも可笑しいと言ったように、資料を指先で弾き、ダルクは喉を鳴らして笑った。
「お前と少し、似ているな?」
「そうでしょうか」
「ああ、よく似ているよ。特に、この人間味のない眼がな」
ジョーカー・ゲームをするように、手元で資料を扇状に広げ、口許を隠すダルクの両目が、綺麗な弧を描いた。
「……俺にはよくわかりません」
「覚えておくと良い。これが、お前の仏頂面が町娘に怖がられる理由だ」
「それは大佐が俺の仕事を増やすからでしょう」
「安心したまえ。これからも、存分に私の尻拭いをさせてやる。嫁を
こんな横柄な台詞を言って、許されるどころか、多くの人からの信頼と神々の信用を得ているのは、この女だからこそ。ファウストも、心からこの上官を尊敬していた。でなければ、早々に仕事を放棄していたはずである。
「大佐、そろそろ軍法会議の時間かと」
「ああ、そうだったな……」
ダルクは露骨に嫌がる素振りを見せた。
彼女の仕事は分刻みである。この後には、大事な軍法会議が控えていた。
ダルクは資料の束をまとめて引き出しに仕舞うと、鍵を掛けた。
「面倒だな」
「そう仰っしゃらず」
「軍法会議とは名ばかりの老人介護だ。口を開けば、『結婚はいつだ』『生理は来たか』『女の癖に』。よっぽど私の存在が気になるのだろう。散々小馬鹿にしてきた
ダルクが立ち上がると、それに合わせてファウストが背を向けた。ダルクは徐に服を脱ぐ。洗いたての軍服に着替え、ペリースを羽織ると、軍帽を目深に被った。胸元には幾つもの勲章が下がっている。
「最近は会議が多くて肩が凝る」
「大佐があの方々を苦手でいらっしゃっても、まだ逆う気はないのでしょう?」
襟の金ボタンを締めながら、「ああ」とダルクは肯く。
「……まだ、な」
***
おひさしぶりです:D
新章に入りました☺ そしてそして、
本作品、カクヨムコンの中間選考を突破しました〜!
嬉しいです♡ 皆様のお力添えのおかげです!!! 本当にありがとうございましたっ!☺ お声かけていただいたり、お喋り仲間になってくださったりと、嬉しい限りです。結果のところを見ていたら、絡んでくださってる方のお名前も発見したりして、、、おめでとうございます!m(_ _)m
春休み、たくさんかけると思ったら、就活と研究室パンチ食らって、ゆっくり更新になってます(笑)
が、続きものんびり楽しんでいただけたら幸いです。
南雲 燦
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