片鱗と逆鱗 −β

「ならば、大人しくご出席なさってください」

「我慢してやるさ。それに、志稲姫の件についても、新しい情報が得られるかもしれん」


 ネクタイを締め直し、不敵に独りごちるダルク。勇猛さ溢れる、勇ましくも頼もしい顔つきであった。

 彼女が男であったら、上座で胡座をかく上官達を一掃することすら、造作もなかったかもしれない。一方で、彼女が男でなかったからこそ、数々のいさおを打ちたてるこの強靭な強さが備わったのではないかと、そうも思うのである。


「ファウスト君! 今日は机上の戦だ。気張っていくぞ」


 ははは! と豪快に笑うダルクを見て、小難しく考えるだけ無駄だと、肩をすくめ、ファウストは彼女を追って部屋を後にした。


 時を同じくして、アーサーと韓信は騎士団長に呼び出され、騎士団本部におもむいていた。

 騎士団本部は、人間街キャメロットの端に、騎士養成学校と並ぶようにして建っていた。すぐ隣は神の街ヘリオポスであり、中心地区アスガルド北部に置かれた神軍本部とは比較的距離も近い。

 白を基調とした石造りの建造物だが、所々に木や煉瓦も使われており、神の殿あらかとは様相を異にしていた。

 ぐるりと外を巡る長い回廊を、二人は肩を並べて歩く。


「ここに来るのは退学以来?」

「ああ」


 アーサーの質問に短く答えた青年は、居心地が悪そうに眉根を寄せた。

 彼こそが、もう一人の志稲の護衛役、韓信であった。アーサーとは歳が四つ離れているが、護衛役としては数年先輩で、大人びた外見と性格の所為か、若々しいアーサーとは同期に見られることが多かった。

 やいばのような切長の瞳に、短い髪。手足はすらりと長く、しなやかな筋肉がついている。隠なる気配と、どこか小粋な風情。深い濃紺と黒の色合いの、中華と和が融合した複雑な衣裳に身を包み、布で口許を覆った面妖な格好は、青空の下では少しばかり悪目立ちしていた。


「卒業だけでもすれば良かったのに。養成学校卒業の称号があれば、一生職に困ることはないって言うし」

「騎士道が性に合わない」

「確かにそれじゃ、八年は我慢できそうにないね」


 嫌われ者の雇われ傭兵、まむし。傭兵時代の韓信の賤称である。傭兵は、ヤクザ者や放蕩者と同様に、嫌悪の対象だ。中でも韓信は、遁走とんそう術や蠱毒こどくも平気で用いたので、尚のこと畏怖と嫌厭を抱かれた。雇主達は、蝮を雇うことを周囲に悟られないようにする為、仕事の際は適当な偽名を付け、彼を呼んだ。ある時には『忍者しのぶもの』、またある時には『鼠』、『蟲ノ影』や『雑巾師』などという酷い名前もあった。はそのうちの最後の一つである。

 この世界が殊の外、形骸けいがい粉飾ふんしょくに溢れていることを、韓信は承知していた。人民の街キャメロットには、騎士団の監査の目が十分に届かぬ下町があるし、高級取りの中には、神の目を欺く悪代官も潜んでいる。傭兵という化石職種しょくぎょうが、今の時代も案外重宝されるのも、それを裏付ける事実だ。だからこうして、傭兵一本で飯を食ってこれたのだ。当然、勇敢を重んじ、真っ向勝負を美とする騎士道とは相反する思想であった。


「姫様がお前を神学校しんがっこうに引っ張って行ったのは、正解だったな」

「…… 」

「今思い出しても笑えるよ」


 韓信は、くすくすと広い肩を揺らして笑うアーサーを見上げた。彼の耳許で輝く、真新しい黒の小さなピアスが光る。彼が、韓信の真似をして開けたものだ。装飾品として身につける者は少なくないが、彼がそのまま騎士団所属の騎士になっていたら、手に取ることのなかった代物であろう。

 アーサーが護衛として雇われた当初、二人は、全くと言っていいほど反りが合わなかった。何と言っても彼は、騎士の文字をそっくりそのまま具現化したような男である。一方、レディーファーストを知らぬどころか、女の首を絞めたことしかなかった韓信は、志稲の学校までの送迎を任され、本来ならば騎士養成学校で叩き込まれる筈だった紳士のマナーを、ここにきて遂に学ぶこととなった。普段は機敏に動く韓信のぎこちない所作を見て、志稲は目尻に涙を浮かべて笑っては、面白がるのだった。


「貴婦人への献身とはなんたるか、もう嫌というほど理解した」

「レディーファーストを知らない護衛なんて、聞いたことがないからね」


 アーサーの笑った顔には、濃くなったクマがはっきり見て取れた。疲労が溜まっている。それは韓信も同じであった。ただ、主君しいなへの高潔な愛と忠誠心が、彼らを突き動かしていた。スラム街に放り込まれた彼女のことを想えば、疲れた身体も捜索による怪我も、なんということはなかった。


 通された広間。二重扉を開けると、初老の男が中央奥に立っていた。背中うしろで手を組み、太陽光が差し込むステンドグラスの天井を仰ぎ眺めている。


「騎士団を離れても十五分前行動だね、アーサー。それに韓信、よく来てくれた」


 振り返った彼は、にこりと微笑む。民の支柱である騎士団三傑さんけつが一人、ユダ・マカバイ団長。つまり、騎士団のトップの一人である。

 アーサーは胸に手を当てて礼をし、韓信は頭を下げた。


「楽にしてくれ」


 はりつやのあるホワイトシルバーの髪、不思議な柔かさのある木目調の瞳。皺こそ増えたが、齢を考えればとても若々しく、聡明さ滲む柔和な立ち居振る舞い。若い頃は女泣かせだったという噂も、あながち嘘ではないだろう。


「さて。さっそく本題に入るが、何故呼ばれたのかは分かっているね」

「はい」

「潜入部隊からの報告が集まりつつある。漸く本部隊の出番、というわけだが……君達には特別に隊に参加してもらう」


 にこやかな表情とは裏腹に、獅子の如き眼光、刻苦精励を思わせる屈強な肉体、紛うことなきその貫禄は、圧だけで人を平伏させてしまいそうなほどである。


「本部隊は、選りすぐりの騎士達で構成した。勿論、君達の参加も技量をかんがみた上で結論を出した訳だが、なにせ君達が若すぎると心配する者もいてね」


 至極真っ当な意見だ。もし韓信達が彼らの立場であったら、こんな弱年者を、ヘヴンにとって大切な神の救出作戦に参加させたくないと思うだろう。


「そこでだ。少し、手合わせをしていかないかい?」


 要するに、説明は面倒であるから、手っ取り早く実力を見てもらおう、ということである。


「屋敷に戻るのは少し遅くなりそうだな」

「ああ」


 アーサーが鞘から剣を抜き払った。大きく、長い、黄金の剣であった。

 一方韓信も、忍刀しのびがたなに手をかけ、懐に忍ばせていた苦無クナイを数本指に引っ掛けた。


「では。陽が沈むまでに頼むよ」

「宜しくな。後輩ども」


 にこにこと笑むユダの背後から、アーサーにも引けを取らない長身に、鍛え抜かれた強靭な筋肉を備えた巨漢達が、剣を手に韓信達の前に立ちはだかった。彼らのくらいと能力が高いことは、肩の紋章と佇まいで分かる。


「お前達騎士は、何を食ったらこんなにでかくなるんだ」

「寮のご飯? かな? 結構美味しいんだよ」

「……聞かなかったことにしてくれ」



 †



「おかえりなさいませ」


 数名のメイドが、二人を出迎えた。アーサーが微笑み返す。

 あれから二人は、設けられた試合を、想定以上の数熟すこととなった。やっと実力が認められたと思いきや、試合が長引いたお陰で、結局試合を聞きつけた部隊の騎士が全員集ってしまい、解放された時にはすっかり月が登り、辺りは真っ暗になっていた。


「お疲れでしょう。ハーブティーを用意していますよ」

「ありがとう」

「それと、お客様が来ています」

「客?」


 韓信が首を捻る。


「やあ」


 応接間には、畳に置かれたソファに座る男がひとり。


「アス先生」

「お邪魔させて貰っているよ」


 そう言って、手に持つティーカップをちょい、と持ち上げて見せたのは、志稲の家庭教師、医術の神アスクレピオスであった。

 ソファに腰を沈め、足を組んで、優雅にティータイムを楽しんでいるようである。

 その落ち着きようは伝播するように広がっているのか、屋敷の中が心なしか普段より少し明るいように思える。皆の肩に変に入っていた力が、抜けていくような気がした。


「君達二人も随分顔色が悪い。十分な休息をっていないんじゃないか?」

「大丈夫です」

「身体もちゃんと休めないと」

「一刻一秒も無駄にはできない時ですので」

「また、しいなに『これだから、カタブツとゆうとうせいは』と言われてしまうよ」


 アスクレピオスは眉尻を下げ、優しい口調で続け、


「まあ、そう突っぱねるとは思っていたよ」


 と、ごそごそと片手で懐を探る。

 亜聖あせいの彼には、何もかも見透かされているのではなかろうか。

 外見は三十ほどの成人男性だが、神のうちでも相当長生きをしている彼の年齢は不詳だ。途中で数えるのをやめたと言っていたので、彼自身、もう分からないのかもしれない。しかし、彼の持ち前の探究心と好奇心は衰えることを知らず、心も非常に若いままのようであった。


「これを持ってきたんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る