第二章
666 -α
ここに知恵が必要である。
賢い人は、獣の数字にどのような意味があるか、考えるがよい。
ヨハネの黙示録 13章18節
大地を踏み荒らし、終末の独裁者たるもの。それは、獣。
獣を象徴する、
6とは、『不完全』を指し示す。
「何してんだ」
「お掃除よ? 見てわからない?」
「いや、分かるけど……」
起床したゼドを朝一番に出迎えたのは、羽衣の袖を襷掛けした出立ちで、箒片手に仁王立ちするシーナの姿であった。
半身を起こしたゼドは、欠伸を噛み殺しながら、寝癖のついたシルバーの髪をがしがしと乱雑に掻く。そして、彼女が元気良く動き回る姿を
キッチンで、ゼドはインスタント珈琲と一匙の人工甘味料をマグに淹れ、
「今日は仕事に行く。代わりにフェンリルが来る」
「お仕事?」
「ここで大人しくしていろよ。……お、おい、お前何してる。そこは動かさないでくれ」
「何って、この場所こそ整理が必要でしょ? このままじゃ、本が雪崩を起こすわ」
「ちょっ、待て待て。俺なりの順番があるんだ」
「こんなに散乱してたら、順番も何もないじゃない。任せて。私がぜーんぶ、綺麗に片しちゃうわ!」
制止の声を聞こうともしない彼女の腕を掴み、ゼドは眉根を寄せた。
「ここはやらなくていい。そんなに掃除がしたいなら、廊下でも玄関でもやっておけ」
「あら。一番使うところこそ、真っ先にお掃除すべきよ?」
「頼んでいない」
「私が勝手にやってるの。いいでしょ? ね? それに私、お掃除は得意なの」
「掃除に得意も不得意もあるか」
折れそうにないシーナの様子に、ゼドは
シーナはとても楽しそうに掃除をする。古びた紙の匂い。
彼女はゼドの知らない
「ゼド、これって、絵画よね? 何の
シーナが奥から引っ張り出したのは、古ぼけた絵画だった。角が欠け、あちこち擦った痕が残っている。彼女がそっと埃を払うと、油絵はぼんやりと色合いを取り戻した。
「どうせ
ゼドはバゲットを齧りながら、シーナの背中越しに絵画を覗いた。
どこか、懐かしいと感じるのは、何故だろう──。
まるで
「ゼドくーん。遊びーましょー?」
「噂をすれば、ね!」
シーナが背伸びをして、窓を押し開けた。
「やあやあ、おはよう御二方」
取ってつけたような笑顔を貼り付け、彼はカーゴパンツのポケットに両手を突っ込んだまま、ふわりと飛び降りた。泥の付いた素足で、そのまま部屋に入ってくる。
掃除したばかりの床に彼の足跡が綺麗に残り、シーナはショックを受けている。
「ゼードくーん」
ゼドはフェンリルを無視して、食事を続けた。くるくると忙しなく彼は体勢を変え、ゼドの視界に入ってくる。持ち前の
「無視すんなよ」
テーブルの上に置こうと振り上げられたフェンリルの足は、フォークに脅されてやむなく撤退していった。
「ねえねえ、ゼドくん。アンラのところで仕事なんて、珍しいじゃねぇの」
「何処で何の仕事をしようと、俺の勝手だろう」
「だってさぁ」
フェンリルが、ゼドの向かいにどかりと腰を下ろした。彼の発する猫撫で声が、不愉快なほど脳内に響く。飴色のテーブルに寝そべるように上半身を乗せ、
フェンリルの瞳は綺麗だ。口をついて出る汚い言葉も、屈折した心も、忘れてしまいそうになる黄金の宝石。
「何だ。今日はいつにも増してうざったいな」
「やだ、ゼドくん
ゼドの片眉が、ぴくりと上がる。赤い瞳孔が、きゅうっと的を絞った。それに呼応するようにして、フェンリルが軽く息を吐き出す。
「怖い目ぇすんなよ。ただ……お前、少し変わったなと思ってさ」
マグを傾け、ゼドは冷めた珈琲を流し込む。
「無駄口を叩く暇があるなら、あいつみたいに掃除でもしてくれよ」
ゼドがシーナを顎でしゃくると、フェンリルもそれを追って彼女に視線を
「やだね。掃除は嫌いなんだ」
「じゃあ
「へえへえ」
「じゃ、頼んだぜ」
フェンリルの肩を軽く叩き、ゼドは家を出た。
朝日が照らし出す一本道を、
ひょうひょう。不思議な奇声が、
インフェルノを覆っていた朝霧が段々と降下し、荒涼とした大地と青みがかった
「ゼドだ」
「ゼドがいる」
「ヨルムンガンドのあいつだ」
「世界蛇だ」
「蛇神さまだぁ」
「ミッドガルドの大蛇さまだ」
河口に近い、
「ゼド。
「邪神さま、蛇神さま。抱いておくんなし」
飛び交う挨拶を適当に
橋を渡ればすぐに野原が広がっており、その丘の
その谷を縫うように進むと、鉄骨のはみ出た廃墟ビル群が
そんなビル群中でも、特に大きな黒塗りのビルの玄関を開けた。がらんとした広間には、魔物数匹の気配がしている。ゼドは階段を登っていく。所々拭き損ねた血痕が、点々と地図を描いていた。
「ゼドさん」
「出迎えは要らない」
最上階に着いてすぐ現れた、スキンヘッドの男の出迎えを断り、ゼドはドアノブを回した。
「……取り込み中だったか。出直す」
「いや」
くるりと黒革のチェアが回る。
「丁度終わるところだ」
白目を剥き、口から泡を吹く男の胸ぐらを掴んで、にかりと笑う男が座っている。彼の金歯が、光を鈍く反射した。
アンラ・マンユ。マフィアの
彼がぱっと手を離すと、男は膝から崩れ落ちた。失神している。
「もうそんな時間だったか」
「ああ」
「ぬらりひょんの百鬼と乱闘だ。ゼド、これを機に」
「あんたの組には入らないよ」
先手を打ったゼドの答えに、アンラは筋肉質な肩を揺らして、
「残念だ。お前、いい腕してんのによ」
「寝ても覚めても闘争、闘争、闘争……。こんなところにいたら身が持たない」
アンラ達は、この一帯を牛耳るマフィアだ。こういった荒くれ者達の集団は多いが、彼等はインフェルノの中でも指折りの強者である。
彼はゼドのことを大層気に入っていて、事あるごとに「うちの組に入らんか?」と誘ってくる。
「そんな戦狂いじゃないさ。闘争、酒、女、の黄金比率だ」
アンラが、傷痕走る頬をにやつかせた。
「自慢にもならない」
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