福音 -μ
「身体の
「お前は単に解剖がしたいだけだろう」
「やだな、純粋なる親切心だよォ……」
華佗が笑うと、顔の右側に斜めに走る縫合痕が引き攣れた。彼女の身体は
「おや、弾丸が入ってるね」
ピンセットで摘み上げられた
「よく貫通しなかったな。骨に当たって止まっていた。これもお前の特殊な皮膚と神がかった肉体のお陰だろうか。人間の身体に触れているような柔らかさなのに、この強度……うぅん、どうなっているんだ。筋肉量も多い。この小柄な身体のどこに……」
「俺の身体を撫で回すな、気持ち悪い」
カラン、と弾がトレーの上に落とされた。ゼドは横目でそれを確認する。
小石の重みにも満たぬこの小さな鉛の
「見かけによらず、頑丈だねェ」
二十四口径ライフルの、長い
「豆鉄砲で俺は殺せない」
「豆鉄砲って……まあ、神様にとっちゃライフルすらそんなもんなのかね」
「威力が低い銃だった。初速度が速いとは言っても、さして威力は出ない」
「至近距離からの発砲だろう?
弾丸自体の貫通力は弱く、ゼドの皮膚を突き破った時点である程度勢いが殺され、骨に当たって止まった。
これは瀕死の人間に撃ち込まれた
傷付いた臓器に聖水をかけて洗い流すと、仄白い煙が上がって、傷は塞がり、元通りになる。
死を前にした者の悪足掻きは危険だ。『
傷はすぐに治癒したが、未だ奥に根深い傷をそこに残しているような感覚がした。死に損ないが放つ一撃ほど、目の覚めるものはない。
「
「確かに、アミィの三文芝居に腹の虫がおさまる気がしない上に、お前の胸糞悪い笑顔に虫唾が走るが、これもその寄生虫とやらのせいか」
「摘出は任せろ。標本にも
「おい華佗……ブラックジョークって、知っているか?」
「ん?」
彼女のくりくりと目を向けられて、ゼドはやり場のない気持ちを、溜息と一緒に吐き出した。
「ゼド、こいつは肝心なところで
蚩尤が薄笑みを浮かべながら、足元に置いていた大きな革張りのアタッシュケースの錠を外し、中身を広げた。
「お前も仕事だったのか」
蚩尤が
ケースの中には、武器がずらりと並んでいる。武神の彼は、インフェルノの武器職人だ。巌のような巨体で、実に巧緻な作品を作る。
「持っていけ」
赤の指抜き手甲が覆う無骨な手が、数本のナイフを差し出していた。巨体の彼がナイフを持つと、それはとても小さく見える。
「くれるのか」
「何本か折れただろう」
「ああ……助かる」
「弓矢はいるか」
「いや、大丈夫だ」
ゼドはナイフを受け取ると、その鍛え抜かれた刀身をまじまじと眺めた。何度見ても、美しい。しなやかで折れにくく、頑丈で、何度肉を斬っても切れ味を損なわない。
今や雀の涙も鉱石が出てこない、掘削され尽くされた鉱山から、彼は様々な石を掘り出した。膨大な時間を費やして試行錯誤を繰り返し、豊かな発想で新しい武器を誕生させた。勿論、インフェルノの者達はこぞってそれを欲しがった。彼同様にその原石を掘り出し、製錬加工する者がいたが、誰も同じものを作り出せはしなかった。彼の武器を盗もうとする者は、彼の手によって一人残らずお陀仏となった。
「なあ、ゼド」
「何だ」
華佗がゴーグルを持ち上げて、ゼドの上半身を見ている。
「お前の痣、濃くなっているぞ」
起き上がったゼドは、血が拭き取られ、やっと肌の色を見せた胸部を見下ろした。
「本当だ」
複雑に絡み付く黒い
この痣は、この身に元からあったものではなかった。インフェルノに突如やって来た、ヘヴンの空軍部隊、飛翔隊との交戦時に受けたものだ。
激しい戦いだった。
今よりもずっと幼く、毒牙すら生えていなかったゼドは、激しい戦火を前に無力であった。その戦の原因であったにも関わらず。そのゼドを守ろうと、ベルゼブブとイブリースが敵の前に立ち塞がったのだ。獅子奮迅の戦いぶりであった。
突如勃発した戦争は小規模ながら、インフェルノの大地を地底から揺らし、
彼らの助力と一神の犠牲により、助けられたゼドも、その身に受けた傷は決して浅いものではなかった。死に至らなかったものの、その代償だと言わんばかりに、肉体に刺青のような痕が残ったのだ。
ベルゼブブの死をきっかけに、インフェルノの荒廃が加速した。蔓延るは、粗悪な邪気。ひび割れた大地からは僅かな芽しか生えず、大荒れの海は機械の塵を運ぶだけ。嵐は渇いた砂漠を更に
だが、華佗と蚩尤は、この戦争を詳しくは知らない。彼らはインフェルノに来た者の中で、比較的日が浅いからである。
「な、なァ……」
ゼドの肩を掴み、即座に口を開こうとした華佗に、「しつこい」と一言。先手を打つ。
扉が二度強く叩かれた。出番だ。
「じゃあな。手当と剣はありがとさん」
シャツの袖に腕を通し、立ち上がる。
「ゼド! 間違っても殺されないように! 適度に傷付いて来てくれェ! 胃腸が腹から溢れる程度になァ!」
嬉しくもない華佗の激励を背に、静まり返った廊下を歩く。
ティターン戦争。胸糞の悪い記憶だ。腐りかけの魔物の肉を口にした時より、後味が悪い。
「よぉ……世界蛇ヨルムンガンド。珍しく試合前から気が立ってんな」
冷たい廊下に響く足音が次第に緩まっていき、やがてぴたりと
「何ダンマリ決め込んでやがる。何か言えよ。ん?」
挑発的な口調のその男は、上裸に黒の上着を羽織り、
「おい、無視すんな」
「べらべらとよく喋る口だ」
「あ?」
ゼドはミーノを見上げる。
この男も、若い身体に無数の
「喧嘩っ早い単細胞。ものは考えてから口に出さないと、馬鹿に見えるぞ」
「てめぇ……」
ミーノの顳顬に浮かんだ青筋が、ぴくりと動く。それを見て、ゼドはこの男の性分を思い出す。
悪魔のアミィにも、引けを取らない
不安定にぎらつく非対称の
「そう言うおめぇこそ、今日はやたら饒舌だぜ?」
***伏線の手引き
実際、華佗という名医者がいました。三国志を読んだことのある方はご存知かもしれませんね!ちなみに、史実上の華佗は男です。先進的で高い医徳を積みつつも、権力に屈する事を拒んだ事から非業の死を遂げたとされています。また、彼は蛇に似た寄生虫を発見したこともあるそうです。
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