最期の刻は軽やかに、あんまり重くなりすぎずに逝こう

きつね月

最期の刻は軽やかに、あんまり重くなりすぎずに逝こう


「むう…」


 放課後の教室で、私は唸っていた。一番の悩みどころなのだから、それも当然だ。

 侵入経路を考えるのは簡単。警備をかいくぐるのも容易い。

 最近の学校は機械警備というものを導入していて、不用意に夜の校舎に忍び込もうものなら簡単に見つかってしまうだろう。でもその機械、カメラとかセンサーの場所を調べてみると、なんだ、容易い。だいたいそういうのは盗難とかいたずらを防ぐことを目的に作られているから、ただ忍び込むだけなら問題ない。まあ、それでももし機械に気がつかれたところで、実際に人が駆け付けるまでには時間がかかるだろうし、それは私たちには十分な時間だ。むしろ、こんなとこにもセンサーあるんだとか、ここ無いのかよ、とか二人で校内を見て回るのは案外楽しかったので、良かったという説まである。


「むう……」


 だから問題は一番最後の難関。何とかなると高をくくっていたら、単純すぎて意外と難しい問題。それは、屋上の鍵。


「むーう」


 職員室の鍵の束を見てみても、屋上の鍵なんてものはない。どこかに隠してあるんだ。

 それにもしドアノブの鍵を見つけられても、屋上のドアにはどでかい南京錠が取り付けられていて、それも何とかしなきゃいけない。うーん、めんどくさい。


「うーん」


 そんな感じで放課後の教室で唸っていると、共犯者の彼女がいつの間にか私の後ろにいて、長い黒髪を揺らしながらくすくす笑っていた。


「くすくす、じゃないよ、もう」

「だって、楽しいんだもん」

「何が?」

「貴女が悩んでるのを見るのが」


 私は彼女にけりを入れた。きゃー、なんて逃げながら、それでも彼女はくすくす笑っている。


「はあ、何が楽しいんだか」

「ね、ね、カギのことで悩んでるんでしょ」

「そうだよ、一緒に考えてよ」

「くすくす、ねえ、これ…なんだと思う?」


 そう言って彼女はポケットから銀色のカギを取り出した。


「…まさか」

「そのまさか、だよ」

「どうやって?」

「友達多いからさ、ワタシ」

「…ふーん」


 そうですか、と私はちょっと面白くなかった。

 それを見透かしたように彼女が笑った。


「ね、ね、嫉妬してるの?キミ、友達少ないもんねー」

「うるさいな、友達なんて、一緒に死のうとしてくれるやつが一人いればそれで充分でしょ」

「ん…」


 そうだね、と彼女は俯いた。頬が赤く染まっている。


「何よ?」

「…なんでもない、それより、あとは南京錠なんだけど」


 そうだ、まだそれがあった。

「ちょっと来てくれる?」と彼女は私の手を握った。暖かい感触がした。私もそれを握り返した。




 連れてこられた先は公園だった。

 ブランコと滑り台があるだけの小さな公園。その片隅で彼女は何やら広げ始めた。


「これが、学校のと同じタイプの南京錠ね」

「うん」

「で、これが二本のレンチ」

「はい」

「これだけ」

「いやいや、それは南京錠を嘗めすぎじゃない?今までいろんなとこで使われている実績があるカギなんですよ?いちおう…」

「ふんっ」


 彼女がてこの原理を使うと、南京錠は簡単に開いた。開くというより外れた、って感じで音もそんなにしなかった。


「…どこでそんなの覚えてくるの」

「動画」

「あ、そう」

「くすくす」


 ああ、まあ、なんにせよ、これで準備が整ったってわけだ。



 

 決行の日は夏休みに入るちょっと前と決めていた。

 なぜかって?

 夏休みになったらずっと家に居なきゃいけないじゃん。そういうのが嫌な人もいるんですよ。

 それまで私たちは、なるべく長い時間ふたりで過ごした。

 田舎にあるという彼女の元の家にも行ってみた。ボロボロになっていて、桜の木が一本だけ立っていた。田舎過ぎてその日のうちに帰れず、私はぶん殴られた。彼女は…知らない。


 そんなこんなで決行の日。

 夜は晴れていた。私たちは自販機の横で待ち合わせをして、手を繋いで学校へと向かった。

 全然寂しくなかった、心残りもなかった。その方がよかった。そんなもの残したら幽霊になっちゃうかもしれないしね。

 私たちはあらかじめ決めていたルートから、フェンスを乗り越え、裏口のカギを開けて(こっちは職員室にあった)、手をつなぎながら暗い廊下を滑るように歩いた。警報機でも鳴るかなと思ったけど、静かなものだった。私たちはくすくす笑いながら階段を上った。屋上の扉の鍵を開けて、外す。拍子抜けするほどあっさりと、私たちは最期の場所へたどり着いた。


「ね、ね、」

「何よ?」

「怖い?」

「そりゃ怖いよ」

「そうだよねー」


 彼女はそう言って笑う。

 これがこの世で最後に見る景色なんだろう。もう二度と彼女の笑顔を見ることができないのは寂しいけど、いつかどうせ来る終わりだ。最期に映る景色が彼女の笑顔でよかったという説まである。


「怖いけど、あれでしょ、その怖さを共有できる人がいるっていうことには感謝してる」

「…」

「この世に生まれてきた中で、それが一番嬉しいよ」

「…うん、私も」


 わたしたちはまだ手を繋いでいる。私の手から彼女の体温が伝わってくる。

 それがもうすぐひとつになるってことが、この上なく嬉しい。


「ね、ね、」

「何よ?」

「君はさ、来世って信じる?」

「来世?」

「うん、ここで私たちは終るけどさ、その先も一緒にいられるかなって」


 彼女はそんなことを言う。

 私は笑い飛ばした。


「来世なんて知らないよ、あってもなくてもどっちでもいい」

「ええ…」

「この先に何があろうと関係ない。私たちはずっと一緒だよ」

「ん…」


 そうだねと、彼女はまた俯いてしまう。

 仕方ないので抱きしめて頬にキスをしてやると、ようやく彼女は笑顔に戻った。


「…嬉しい」

「そりゃよかった」


 そうして私たちは屋上のフェンスをよいしょ、と超えた。超えた先の足場に立って街を見下ろすと、いろんな光が散らばっていてきれいだった。

 フェンスを越えるために離していた手を再び握って、私たちは互いに目を合わせた。

 

「それじゃ、逝こっか」

「うん」


 飛び降りるって感じはしない。どちらかというと飛び立つって感じだ。ここまでくると恐怖も消えていた。私たちはまるで、お互いを合わせて一羽の大鷹になったみたいに手をつないで、笑いながら地面を蹴った。


 最期になにか匂いがしたような気がして…そうだこれは夏の匂いだ、と思い立った。

 私たちのいない夏。

 これからは素晴らしい夏が来る。

 もう無理して呼吸をしなくていい夏。

 もう無理して生きていかなくていい夏。

 もう何も怖がらなくてもいい、ほんとうの夏が、これから来る。そんな匂いがした。


 そして、きっと彼女も同じ匂いを感じているだろうなと思うと、やっぱり嬉しくなった。





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