第11話 はじまり

 そこから記憶がない。気づけばベッドの上にいた。

 体の不調を隠して無理をしていた。連日の疲労も溜まっていた。そこへ、帰れないという現実が突きつけられ、もういいやと思った瞬間、緊張の糸がぷつりと切れたのだろう。

(あたまがぼーっとする)

 全身が熱い。吐く息まで熱く、呼吸をするたびに気管がゆだりそうで辛かった。少しでも体温を下げたくて、はぁはぁと浅い呼吸を繰り返した。

 夢の中で、ヨウは檻の中に入れられ荒野で一人、太陽にじりじり焼かれていた。苦しくて、このまま死ぬのではないかと絶望した。

「大丈夫だよ」

 悪夢にうなされていたら、声が聞こえた。彼は冷たい布で頬や額を拭ったり、喉の渇きを甘い液体で癒してくれた。誰かがそばにいてくれると思えば、いつかこれは終わるものだと安心するようになり、やがて夢を見ずに深い眠りについた。


 ふいに、ぱっちりと目が覚めた。あれだけぼやけていた天井が木目まではっきり見える。

 身体中、汗をかいていたが頭の熱っぽさはない。

 寝返りをうとうとすれば、額に乗せられた冷たい布が落ちる。体が軋み、めまいがした。まだ本調子ではないようだ。

 もぞもぞと動いていると、ヨウが目覚めたことに気づいたのだろう。

 ベッドの脇に座っていた人影が近づいてきた。

「ようやく起きた? クロってば、三日ほど寝込んでいたんだよ」

 にこりと彼は笑いながら言った。ヨウと年が変わらなそうな吸血鬼で、この島を統治する領主の息子。

 ジニアだった。

 どうしてここに、と言おうとしたら、唇に彼の差し出す銀のスプーンがそっと当たった。

「ほら。クロ、あーん」

 甘い香りが鼻をくすぐる。嗅覚を刺激されとたん、猛烈にお腹がすいてきた。今すぐ口にしたい。けれど、食べさせてもらうなんて恥ずかしくて、ぷいと横を向いた。

「……自分で食べられる」

「本当に?」

 疑わしい目をしながら、ジニアはヨウの手元にお椀とスプーンを置いた。

 痺れた腕を動かし、なんとかつかもうとしたが、強ばった指はスプーンさえ持てず、早々に手から離れた。

「……お腹空いていないし」

 失敗を隠そうとしたとたん、腹の虫がぐうううと鳴きわめいた。

 ごまかしようがなかった。

「クロ。ちゃんと食べないと、ずっと僕にお世話されるままだよ?」

「う……」


 なけなしのプライドが食欲に負けた。

 素直に口を開けば、ジニアはうれしそうな顔をして、せっせと運んだ。

 甘い蜜がかかったおかゆのようなものは、するすると喉を流れ、汗で少し冷えた体をじんわりと温めた。夢中になって口にして、お椀の中はあっという間に空になった。

「まだ食べる?」

 ふるふると首を振って答えれば、ジニアは少し残念そうな顔をして食器を片付けた。

 食べ終わったところを見計らったように、ノックの音が聞こえた。

 部屋の扉から現れたのはヒスイと自称世話係だった。

 ヒスイはヨウを見て、顔を輝かせ、ベッドまで来た。

「目が覚めたんだね! 熱は下がった?」

「うん。でもまだ体が重い」

「ずっと寝ていたからね。ゆっくり休むといいよ。ごめんね、体調が悪いって気づけなくて」

「謝るな、ヒスイ。黙っていたコイツが悪い」

 隣の吸血鬼男はふんと鼻を鳴らした。その様子をヒスイはクスッと笑った。

「ランタナったら、君が中々目を覚まさないものだから、ずっーと『俺、世話係失格だ……』って落ち込んでいたんだよ」

「言うなよ!」

「だって事実じゃない。他にも『転移が原因だったかな』『もう少し優しく接しておけば』とか言っててね。あとは……」

「もうやめろ!」

 顔を真っ赤にしたランタナを、ヒスイがまぁまぁとなだめる。

 二人の仲のよさに驚いたが、あの街で見たように、この土地は吸血鬼と人間にさして立場の違いはなく当たり前のことなんだろう。

 ジニアをチラッと見ると、視線に気づいた彼は「どうしたの?」と首を傾げた。

「寝ていた間、そばにいてくれたのはジニア?」

「僕だけじゃないよ。ヒスイとランタナと交代で見ていたんだ。クロにごはんを食べさせるのは譲らなかったけれど」

「そっか」

 悪夢でうなされていた時、誰かの気配を感じて一人ではないのだと分かり、心から救われた。夢の中で「大丈夫だよ」という声を何度も聞いた。あれはジニアの声だった。

「……ありがとう」

 ボソッと言ったが、ジニアの耳にはしっかり届いたようで、目を一度見開いた後、満面の笑みを浮かべた。

「どういたしまして」

 その笑顔があまりにまばゆくて、胸に熱いものが込み上げてくる。それをごまかすように、ヨウはジニアの胸元にぐっと腕を差し出した。

「借りは返せって教わった。僕にはこれしかない」

「吸わせてくれるってこと? でもクロ、まだ体調が回復していないでしょう? 今、血が減ったら間違いなくまたぶっ倒れるよ?」

「う……」

「それに僕、人の血を飲むの苦手だし」

「吸血鬼なのに!?」

 びっくりして言うと、ジニアはむっと頬をふくらませた。

「吸血鬼にも色々いるんだよ。クロだって生姜が苦手でしょう? 生姜を入れたおかゆは絶対に食べようとしなかったもん」

「む……」

 しかめっ面をすればジニアはけらけら笑い、つられてヨウも笑った。

 ひとしきり笑いあって、お腹が痛くなって、一呼吸おいた後、しげしげとジニアを見た。

「血のためじゃないっていうなら、どうして俺の世話をしてくれるのさ?」

 ジニアは、ちょっと顔を赤くして目をそらした。

「僕さ、あんまり人間と関わろうとしなかったら、もっと人間のこと知りたくて。クロぐらいの子と話すのも初めなんだ。だから、もしよければ……その、トモダチになって欲しいんだ」

 トモダチ。

 思いもよらなかった言葉に、ヨウは目をまんまるくした。

 驚いたまま固まっていると、ジニアの顔はますます赤くなった。

「その……今すぐにじゃなくてもいいんだ! 僕、そろそろ行くね……! また来るよ、クロ!」

「まって!」

 あわてて立ち上がろうとするジニアを呼び止め、その紅い目を見つめた。

「クロじゃない。俺の名前はヨウ。光り輝くという意味だ」

 今度はジニアが目をまるくする。

 よう、ようと口の中で何度も呟いて、そして微笑んだ。

「ヨウ、か。うん、クロよりいい名前だ。よろしく、ヨウ!」



 吸血鬼。かつて人を滅亡寸前まで追い詰めた種族。

 彼らのことを邪悪な存在だと教わっていた。本当に存在するのかと疑ってもいた。

 きっかけはどうであれ、吸血鬼と接して分かったのは、彼らのことを何一つ知らなかったという事実だ。

 そうだと思っていたことが違う側面を見せられた時に、信じていた世界がぐらつき、不安になることや傷つくことだってある。

 でも、目を閉じたままでは、何も変わらない。


 家に帰るのを諦めた訳ではない。

 今すぐには無理でも、いつか戻りたいという想いはある。

 けれどそれまでに、この土地のことを自分の目で見て、耳で聞いて、色んなことを知りたい。

 まだ俺は、吸血鬼たちに出会ったばかりなのだから。

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吸血鬼と食卓を ももも @momom-

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