第10話 転移

 あっと思った時には腕をつかまれ、視界が歪み始めた。耳鳴りが聞こえ、頭が痛みだす。

 この、体が浮き上がったような感覚には覚えがあった。

「うっ……いや、だ――ッ!」

 このままでは、城に連れて行かれる。

 両足を思いっきりばたつかせ抵抗すれば、つかまれた腕がパッと離された。

 逃げられた……!と思ったのも、くるりと体が回転して、視界がぶつりと途切れた。

 次の瞬間には、すべてが青一色に埋め尽くされた何もない世界が広がっていた。

「……え?」

 どっちが上なのか下なのか分からない。音も聞こえない。ここはどこだとあたりを見回そうとして、ふわっと目に入った自分の髪を見て、ギョッとした。

 髪が青くなっていた。髪だけでなく、手も足もどんどん青く染まっている。

 このまま青色に染まったら、世界に溶け込み一部になる。

 嫌だと思った瞬間、悪寒に襲われた。

 ヨウの手を、肘を、肩を、足を、腿を、何かが絡まり絡みとっていく。

 抵抗すればするほど、それは増えていき、どんどん体を覆っていく。

 まるで拒絶された世界が異物を取り込もうとしているようだった。

「い……ぁ……!」

 あらがうのを止めたら、身も心もどこかになくなる。

 思考さえ青に染まりそうになりながらも、流されないように、大事な人を思い浮かべる。俺だけの白。これだけは絶対に塗りつぶさせない。

 始まりが唐突だったように、終わりも同じように訪れた。

 青の世界の色が抜け、ところどころ白くなった。

 空だ、と認識した瞬間、背中に衝撃が走った。

「んがッ……ッ」

「ぐッ……!」

 頭を打ちつけ、目が回る。

 痛みにうめきながらも、耳は鳥の声を聞いていた。どこかの森にいるようだ。音も色彩も戻っている。しびれる手をなんとか動かして目の前で掲げれば、青くなくいつもの自分の手だった。

「転移中に……暴れるな……ッ! 亜空間に飛ばされるところだったぞ……ッ!」

 隣では青年吸血鬼が倒れていて、ぜぇぜぇと苦しそうに息をしていた。

 どうやらテンイとやらに失敗したようだ。とにかく逃げようと体を起こしたが、手足に力が入らず再び地面に倒れ込んだ。

「術式に失敗した反動だ。しばらく動けねーぞ。バーカバーカ」

 そう言う吸血鬼も横倒れになったままであった。

「お前だって動けない様子じゃないか」

「うるせー。お前よりは早く回復してやる。そんでとっとと城に連れ帰る」

「俺が怪我したり諦めるまでは連れ戻さないって言ってなかった? 話と違う」

「確かに言ったさ。でもあいつの家に泊まるってんなら話は別だ」

「あいつってヒスイのこと? なんで?」

「……お前には関係ないことだ」

 むすっと吸血鬼は黙り込んだ。しばらくの沈黙のあと、はぁとため息が聞こえた。

「一体、何が不満なんだ? 不自由はさせないし、欲しいものがあれば言え。可能な範囲で叶える」

「何もいらない。ただ帰りたい。だってここには友達も家族もいない」

 吸血鬼は両眉をあげ、目を丸くした。

「仲がよかったのか?」

「うん」

「そうか。旦那様が買ってくるのは身寄りがないか、虐げられていたような人間が大半だったからな。お前はそういう側の人間じゃなかったのか。大切な人と引き離されるのは、辛いよな」

 穏やかな目で見られ、戸惑った。目の前の吸血鬼にこんなことを言われるなんて思いもよらなかった。彼は微笑を浮かべて、続けた。

「でも、諦めて?」

「なんでだよ!」

「お前を買うのにどんだけ金かかったと思う!? あの密猟者野郎、こっちの足元を見て価格をこれでもかって釣り上げてきたんだぞ!? 俺の年収百年分が軽く吹き飛ぶ額だぞ!?」

「知るか! そんなん、お前ら吸血鬼の事情だろ! とっとと帰せ!」

「嫌だね。そもそもさーお前が結界の外にノコノコでてきたから密猟者に捕まったんだろ? 自業自得だ、バーカ!」

「ムッ……! 元をただせばお前ら吸血鬼がいなかったら、こんなことにはなっていないんだよ!」

「はぁ!? 俺ら吸血鬼に滅べっていうのか!? お前ら人間の方が滅んじまえ!」

「そうしたら共倒れじゃねぇか! バッカじゃねーのッ!?」

 互いに罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせていたところへ、荷車を曳く音が聞こえてきた。

 ヒスイだった。

 彼はひょいと御者台から降りると、倒れ込んだ二人の元へと歩いてきた。

「転移が失敗しているのを目撃してさ、慌てて探していたのだけれど、なんか仲良さそうで何よりで」

「「どこがだッ!」」

 森の中を二人分の声が響き渡った。


 ようやく動けるようになってからも、体のだるさはどこか抜けなかった。

 けれど、ヒスイから要らぬ心配をされたり、体調不良なら今すぐ帰るぞと吸血鬼に言われるのは間違いなかったので、元気があるふりをして、むすっとしたまま前を歩く吸血鬼のあとを追った。

 あの後、家に泊めようと提案するヒスイと断固拒否する自称世話係の間で意見が割れた。

 ヒスイのこの土地での立場もあるだろうと、ヨウは口出しをしないようにしていたが、結局、吸血鬼の方が折れたのはかなり意外だった。

「だが条件がある。ここから少し歩いたところにお前に見せたいものがある」

 不満たらたらの様子でこれだけは譲れないと言い張る吸血鬼に、ヨウは渋々頷いた。


 歩き始めてしばらくすると、あたりの匂いが変わった。

 嗅ぎ慣れないとしか言いようのない匂いは、前方の木々の隙間から吹いてくる生暖かな風から運ばれて来る。

 塩っぽいのだと気づいた時に、木々に囲まれた視界が開けた。

 ヨウは息をのんだ。

 眼下に、深い藍色の世界が広がっている。

 世界は常に揺れ動き、ザザン、ザザンとひいては打ち寄せる。

「あれって……もしかして海?」

 本で読んだことがあったが実際に見たのは初めてだった。

「ああ、そうだ。そしてこの土地はぐるりとあの海に取り囲まれていた島という場所だ」

 しま、と口の中で繰り返す。

 見渡す限り、藍色以外見えない。海は地上の空のようにどこまでも広がっていた。

「この土地から他の陸地までの手段は、吸血鬼だけが使える転移以外ない」

 ああ、つまり。

「どう足掻こうが、お前が自力で家に帰ることはできないんだよ」

 吸血鬼は、あわれんだ目をして無慈悲むじひに告げる。

 ヨウは何も言えず、呆然とながめるしか出来なかった。

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