第9話 ヒスイ

 驚きのあまり、道へと上半身が飛び出ていた。

 顔を出しすぎていたことにヨウが気づいたのは、男と目が合ってからだった。

「お、最近ここに来たと噂の子供だな?」

 逃げようかどうかとぐずぐずしている間に、男は近くまで来て馬車をとめ、話しかけてきた。

「……人間?」

「ああ、見てのとおり人間だ」

「吸血鬼が人間に化けたふりをしているかもしれない」

「あっはっは。そうかもしれないな」

 男は陽気に笑う。ヨウはその顔を見つめた。犬歯はない。

 敵意はなく、人間を獲物と見る目ではなかった。

「本当に人間だったら、ここで何しているの?」

「この道を行った先の街に用があってね。立ち話もなんだ。乗っていくかい?」

 男はちょいちょいと隣の席を指した。久々に会った人間だった。

 話を聞きたい。情報がいくらでも欲しい。

 ヨウはこくりとうなずいた。


 青年はヒスイと名乗り、十の時に買われて以来ここで暮らしていると話した。年は聞かなかったが二十代前半ぐらいだろう。

 危険を感じたら即座に馬車から飛び降りる気でいたが、ヒスイは終始のんびりとした雰囲気をまとい、馬車もカッポカッポとのどかな音を出している者だから、肩肘をはるのがすぐに馬鹿らしくなってしまった。

「この家に買われた人間は、殺されるって聞いていたけれど」

「領主様には敵が多いからな。よからぬ噂を流す奴らは山ほどいるだろう。まぁ、面白半分でバートリという古の残虐ざんぎゃくな吸血鬼の名をかたる領主様も領主様だが」

「領主様って長い藍色の髪をした吸血鬼?」

「そう。この土地一帯を治めている方だよ。そしてその息子がジニア様だ」

 あけっぴろげの笑顔の吸血鬼少年の顔が浮かぶ。世話係の話によればヨウの飼い主らしいが、名前を聞くだけでも苦々しい気持ちが込み上げる。顔にまで出ていたのか、ヒスイはそんなヨウを見て微笑んだ。

「他にも人間はいるの?」

「もちろん。吸血鬼が生きていくには基本的に人間の血が必要だからね」

 ヒスイの首には緑色の布が巻かれていた。それが首輪のように見え、複雑な気持ちになる。彼には好意を抱いていたが、根本的にはどこか違うのだと思わずにはいられなかった。

「吸血鬼が支配する土地で人間が暮らしているってことだよね。それって……」

「家畜みたい?」

 言いよどんだ言葉をヒスイが続けた。

「……うん。吸血鬼が食料として人間を飼っているように見える」

「その側面は否定できないな。実際そうだしね。色々と思うところがあると思うよ。だからこそ、こっちの世界を見て触れて欲しいな。百聞は一見にしかずだ。ほら、見えてきたぞ」

 森の景色が終わり、草原地帯にでた。

 遠くからでも、茶色い屋根が永遠と続く街並みがよく見える。村と較べはるかに大きく、注連縄しめなわに囲われていない景色は開放的であった。

 入口まで近づくと、小さな影が二つこちらにかけてきて、馬車まで来ると、ぴょんぴょん跳ねた。十にも満たない二人の子供だと思ったら、片方は紅い目をしていた。

「ヒスイ! おみやげは?」

「おみやげ!」

「はい。こちら、ご注文の品でございます」

 荷車の中から宝石のように輝く透明な石のついた髪飾りを二つ取り出すと、おどけた様子でヒスイは彼らに手渡した。

「うわーありがとう! かわいい」

「ねぇ、頭につけて」

 きゃっきゃっと喜び頭に付け合う姿は、たとえ吸血鬼と子供の組み合わせでも、仲睦なかむつまじい光景だった。


 街は家が立ち並び、整備された通りには多くの人間が行き交っていた。茶色の屋根はヨウの知っている茅葺かやぶきの屋根とは違い、風が強く吹いても飛ばされないような頑丈な素材でできており、ちょっとやそっとでは崩れそうにない。道の先々には色とりどりの花が植えられ、街全体が華やかに彩られていた。

 人間は誰もが首に何かを巻いているけれど、想像していたような檻も不安な表情をした人もおらず、誰かと談笑したり、忙しそうに働いている。

 本で読んだことのある、人が繁栄したいた頃の、かつての街の姿があった。違うとすれば、人間の中に吸血鬼がいることだ。彼らはまるで友達や家族のような顔をして自然にそこにおり、吸血鬼は敵だと思っているのはヨウだけではないかと裏切られたようであった。

 通りに面した家の中には、屋根だけついたようなこじんまりしたものもある。屋根の下にある棚には美味しそうな匂いのする食べ物が並んでいた。

「何あれ?」

「屋台だよ。もし、朝ごはん食べていないならどうだい? ここのホットサンドは絶品だよ」

「……お金、持ってない」

「僕がおごるよ。おじさーん、いつもの二つちょうだい」

 あいよーと出てきた中年の男はクマのような体格をしていて、肉づきの良さにびっくりしている間に紙で包まれたほっとさんどというものを手渡された。見たこのとない具がいっぱい入っている。中でも茶色い塊が、大きな肉があることに気づいてヨウは驚愕した。

 肉は貴重な食べ物で、こんなどでかい大きさのものなんて何か祝い事がなければ口にすることができない。

 でも隣のヒスイは当たり前の顔をしてモグモグ食べており、手にしたまま微動だにしないヨウに目で「食べないの?」と言ってきた。

 恐る恐る口にすれば、甘辛くて柔らかい肉に野菜のシャキシャキした食感が合わさって、とても美味しかった。

 行く先々の光景を目の当たりにする度に、自尊心じそんしんがガリガリと削られるようであった。

 この街に暮らしている人間は、吸血鬼に飼われている可哀想な存在だとどこか下に見ていたら、そんなことはなく自由でのびのび暮らしていている。それにヨウの村よりも発展していて、豊かであるのは明らかだった。

 いっそ、しいたげられていたらよかったのにと考えてしまい、ヒヤリとした。

 自分が正しいのだと主張するために、まるで誰かの不幸を願っているようだった。どこかにアラはないかと探している自分が卑屈ひくつで嫌だった。

 ヒスイはそんなヨウの沈んでいる様子を気にとめることもなく、同じ態度で接した。それがかえってありがたかった。


「今日の納品は終わったからこのまま家に帰るけれど、どうする? 僕の家に泊まっていく?」

「いいの?」

 街で色々と見て回ったせいで、今日の寝る場所さえ考えられないほど落ち込んでいた。そこへヒスイの提案は渡りに船でありがたかった。

「もちろん。ただちょっとこうるい同居人がいてね。そこは我慢して欲しい」

「こうるさい同居人? 全然構わないよ。ヒスイの家ってどんな家なの? 早く見てみたい」

「ダメだ。お前は今日こそ城に帰るんだ」

 荷車の方から声がした。そちらに顔をむけ、ヨウはうげっと声を上げた。

 ヨウの世話係を名乗るあの吸血鬼がいた。

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