第8話 世話係

 いつの間にか着せられていた真っ白な服はもこもこした感触で、着心地が悪い。

 こんな服着ていられるかとすぐさま脱ぎ捨て部屋の隅にあるタンスに近づいて開くと、さまざまな服が詰まっており、底にあった短パンと短い袖の服を取り出し着てみると、ヨウの体にぴったりだった。

 改めて部屋の中を見回すと、部屋には扉は三つ、大きな窓が一つある。

 扉の一つはトイレ、もう一つは風呂。最後の扉が少年が出て行ったものだろう。

 どうせ鍵がかかっているだろうなとドアノブを回すと、抵抗なくカチャリと開いた。

「え?」

 まさか開くとは思わなかった。一瞬ためらったが、意を決してゆっくりと、かろうじて出入りできるくらいの隙間をあけ中をのぞいて、目の前の光景に呆然とした。

 長い廊下が左右にどこまでも伸び、多くの人――いや吸血鬼たちが忙しそうに歩いていた。

 彼らの一人と目が合うと、ヨウは固まった。

 外にいるかもしれないと考えてはいたが、実際に出くわした時の対処を何も考えていなかった。はっと我に帰った瞬間、ヨウは扉をバンと思い切り音をたてて扉を閉めた。

 心臓がバクバク鳴っていた。

 ここは吸血鬼たちの城だ。

 すみかの話は聞いていた。でも実際に見るのとでは衝撃が違う。まるで自分が蟻の巣の中に運ばれた獲物ようであった。扉から出たら、秒で捕まる。

 扉からの脱出は無理だ。窓はどうだろうとのぞくと、どこまでも広がる森と遥か下の地面が見えた。高さ二階ぐらいだろうか。飛び降りたら、間違いなく骨折する。でも何かロープのようなものがあれば、と考え目に入ったのはベッドだった。

 上質な布団やシーツを使うのに抵抗はあったが、背に腹は変えられない。

 他にも部屋の中にある布をすべて集めてつなぎ合わせ、窓の手すりにくくりつけ、するする下へ降ろす。

 地面につくほど長くはなかったが、ギリギリ飛び降りれる高さだ。

 腰にバッグを巻きつけ、テーブルの上にあった食料と脱走後に役に立ちそうなものを詰め込む。ロープを握り窓から乗り上げ、よしと気合いを入れて身を外に放り出し、交互に手を動かしながら、降りていく。

 最初は順調だった。けれど、半分を越えたあたりからじわじわと手汗がでてきて、ロープがうまくつかめなくなっていく。それに筋力が思っていた以上に落ちていて、手が痺れてきた。

 あと少し、あと少しだと言い聞かせ、悲鳴をあげる手を必死に動かす。そこへ強い風が吹きあげた。

 ロープが揺れ、つかみ損なう。と同時にロープをつかんでいた手が汗で滑った。

「――あ」

 ロープから離れた体は地面に落ちていく。

 ――こんな高さから落ちたら、ひとたまりもない

 全身が凍りついた。ヨウにできることと言えばぎゅっと目をつむるだけだった。今にも地面に叩きつけられる。歯を食いしばって耐えようとしたが、衝撃はこず、かわりに何かに体を受け止められた。


「トマトになる気か?」


 驚いて目を開いた先には、灰色の短髪の青年がいた。彼は冷ややかな紅い目で抱えたヨウを見下ろしていた。

 吸血鬼……!と思った直後、体を支えていた手がなくなり、ヨウは腰から地面に落ちた。

「いったぁっ!?」

「それで済んだんだから、ちょっとはありがたいと思え」

「誰だお前……!」

 痛む腰をなでながらきっと睨むと、青年ははぁとため息を吐き、ぼりぼりと頭をかいた。

「ジニア様のペットであるお前が、何かしでかさないか見張る世話係だ」

「ペット? 俺が?」

「そうだよ。まったく旦那様も困ったもんだよ。こんな髪が黒いだけの、肌色も艶も悪いガリガリに痩せた栄養状態のよろしくない野良ガキをジニア様のペットとして買ってくるなんてさ。しかも、ジニア様に嫌いと言ったあげく、脱走ときた。俺は環境に慣れるまで首輪をつけて檻に入れとけって提案したのに、それは自由がなくて可哀想だってジニア様が却下したんだよ。だからさぁ、大人しく部屋にいてくれない?」

「嫌だ! 俺はペットなんかじゃないし、家に帰るんだ!」

「往生際が悪いな。まぁ、どうしようもないって諦めるまで好きにすれば? 一応言っておくけれど、お前はジニア様のものだ。勝手に血を流すことは許さないし、ちょっとでも怪我をしたら無理矢理連れ帰るから。ちなみに、この森はオオカミもクマも出る。せいぜい気をつけろ」

 吸血鬼青年は言いたいことだけ言って、城に向かって帰っていった。

 お前なんていつでも捕まえられると背中が言っていた。腹立たしいが真実だった。でもそうやって油断をしているからこそ、隙がうまれる。ならばその隙をうまくつつくだけだ。

 吸血鬼の根城から少しでも離れようと、ヨウは森の奥へと進んだ。



 イライラを抱えながらずいずい進んだが、少し冷静になれば、あてもなく森を歩くなんて危険であった。それに筋力が思っている以上に低下しているのは、十分身に染みている。

(元気があるうちに食料を確保しよう)

 そう考えた矢先に川を見つけたのはラッキーだった。

 村でハクとよく魚をとっていたものだから、捕まえる方法は要領を得ている。今日の晩ご飯は魚だと初めのうちは考えていたが、道具も知識もない人間がいかに無力だと思い知るのに数刻とかからなかった。

 まず魚の動きが思っていた以上に俊敏しゅんびんで、岩を転がし浅瀬を作ってもするりと逃げられるばかりであった。

 何度か繰り返しては失敗し、諦めて魚以外に食べられるものはないかとあたりを歩いても、故郷と植生がまるで異なるため、食用できるかどうかの判断ができない。

 そうして日が暮れるまでに確保できたのは、手づかみでとれた小さな魚数匹ぐらいであった。バッグに詰めていたパンは節約しても三日と保たない量で、先行きに不安しかない。その上、簡単に起こせるだろうと思っていた火も兄がやっていたようにはできず、いくら木ですり合わせても煙さえ出なかった。諦めて寝転べば、疲れがどっとヨウの体に押し寄せてきた。

 風が頬をなでる。暗くなってきた空には見たことのない星座が並び、故郷からずいぶん遠くにいるのが嫌でも分かった。

(俺、何がしたいんだろう)

 帰りたい。それが唯一無二の願いであった。

 けれど、何をしたらいいのか、そもそも己がどこにいるか分からない。

 このまま進むのは無謀むぼうだと頭では分かっていても、来た道を戻れば負けを認めたようで嫌だった。

 どんどん気が沈む中、投げ捨てた木の板にばっと火がついた。

 振り返れば少し離れた場所で、ヨウの世話係を名乗る、あの青年吸血鬼がいた。

「……別に頼んでないんだけれど」

「お前が風邪をひいたり、生魚食ったり、川の水をそのまま飲んで腹こわしたら、こっちが困るんだよ。お前のためじゃなくて俺のため。勘違いすんな。ていうか本当に帰らない気? サバイバルごっこなんてやめて家に帰ろうぜ。美味い飯も寝床もあるぞ」

「……俺の家はあそこじゃない」

「はいはい。でもその調子じゃあ、獣たちの腹の中が家になるぞ。いい加減さ、意地張るのやめたら?」

 何一つ反論できず、無言で火を絶やさないよう枝をくべていれば、盛大にため息をつかれた。

「おい野良ガキ。もし明日も歩くってんなら、北に真っ直ぐに行け。あっちの方角だ」

 男はヨウの向かっていた方向からやや外れたを場所を指さした。

「なんで?」

「森を抜ける最短の道だからだ。信じたくなけりゃ勝手にしろ」

 それだけ言うと、彼は来た時と同じように、音もなくどこかへ消えた。

 火がパチパチと音を立てていた。


 翌日、しゃくだがあの男の言っていた方向に素直に進んでいると、森林をつらぬくように真っ直ぐ道が続いている場所にでた。

 道は広く両端は長く伸び先が見えない。どこまで続いているのだろうと眺めているとガラガラと車輪のまわる音、蹄が土を蹴る響きが聞こえくる。

 その音はゆったりとヨウの元へと向かってきていた。

 それが通りすぎるまで木陰に隠れてやり過ごそうとしたが、やがて近づいてきた馬車を見て、ヨウは目を大きく広げた。

 馬の手綱を握っていたのは若い男性だった。草原のような緑色の髪は遠くからでも目立つ。驚いたのはその目だった。

 髪の毛と同じ色の瞳をしていた。吸血鬼ではない。人間だ。



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