第7話 吸血鬼少年

 日差しが頬にあたり、暖かい。

 朝が来た、とヨウはぼんやり思った。

 ベッドもお布団もふかふかでとても心地よくて、まるで雲の上に寝ているようで、いつまでも布団の中で眠りこけていたい。

 けれど、とても美味しそうな匂いを鼻がかぎ取ると、そうはいってられなくなった。

 くんくんと嗅げば、甘くて香ばしい匂いが鼻の中に広がり、口の中に唾液がじわじわとあふれてきた。

 その匂いのもとであろう、やわらかいものが唇にあたると、いても立っていられず口の中に入れた。

 とたん、じんわりと甘味が舌に広がる。

(おいしい……)

 おそらくパンだと思うけれど、ヨウが知っているパンは硬くてボソボソしてあごの力が必要で、こんなにやわらかくも甘くもない。

 ゆっくりみしめ、パンが細かく白いちりぢりになってもかみ続けたが、やがてとけてなくなった。

 いつまでも口の中で頬張っていたいのに、と名残惜しそうにしていたら、すっとまたパンが近づいてきたため、すぐにかじりつく。

 食べ終わったタイミングで何度も差し出されるパンに、寝転んだまま雛鳥ひなどりのようにパクパクと口にした。

 そうしてお腹の中にこれでもかと入れた後、もういらないとヨウが首をふると、すっとパンは離れた。

(お腹いっぱい……)

 満足感と幸福感に満ちあふれ、ふーっとためいきをついた。

 ここ最近、小さな謎の固形物しか口にしていなかったから、食べることでこんなにも心が満たされるなんて忘れていた。

 床は硬くなく、体を包み込んでくれるようにふわふわで、手は自由に動かせる。

 ずっと檻に閉じ込められたままだったから、まるで天国のように感じられた。

 でも――ここってどこなのだろう。

 幸せな気分でまどろんでいたヨウの頭に、ヒヤリとした疑問が持ち上がる。

 ――そばにいるのは、誰?


 意識が覚醒かくせいしバッと飛び起きると、二つの紅い光が目の前にあった。

「おはよう。パン、美味しかった?」

 ベッドの脇にいたのは、短髪の藍色の髪をした少年だった。まるで猫のような釣り目だ。彼は人懐っこい笑みを浮かべてヨウを見ていた。

(子供……!?)

 ヨウと年が近そうな少年だ。あの紅い目はどう見ても吸血鬼だが、子供の吸血鬼がいるなんて考えたこともなかった。

「ヒトの子は甘いものが好きって聞いて、ミルクパンをいっぱい用意してもらったんだ。なんでも、ここら辺で一番のパン屋なんだって。気に入ってくれたかなんて、聞かなくても分かるか」

「う……」

 にやにやと笑われ、ヨウの顔は真っ赤になった。

 寝ながら食べていたなんて恥ずかしさでいっぱいだった。しかも、吸血鬼の手からだ。

「僕はジニア。君の名前は?」

「……教えるわけないだろう。吸血鬼は名前を奪って人を従わせるって知っている」

 気恥ずかしさもあってぶっきらぼうに拒絶きょぜつすると、少年は大きく目を広げ、へぇという顔をした。

「そんな方法があるなんて知らなかったよ。嫌ならいいけれど、呼び名がないと不便だな。じゃあその髪の色からとってクロにしよう。呼びやすくていいし」

「そんな犬猫みたいな名前、嫌に決まっているだろ!?」

「だって、名前を教えてくれないなら勝手につけるしかないじゃん」

 彼はいたずらな笑みを浮かべた。

 そこにハクの面影おもかげを思い出し、ずきりと心が痛む。

 こんな会話をするのが久々すぎて、どこか嬉しがっている自分が腹立たしい。色々な感情が湧き上がり、抑えきれずにあふれ出した想いが、涙となって流れそうだった。そんな顔を見られたくなくて、シーツで体を包み込んで背を向けた。

「お前なんて嫌いだ!」

「ごめん、そんなにクロって名前が嫌だった?」

「そうじゃない!」

 相手は吸血鬼だ。人間を食料としか思っていない敵だ。年が近そうで、友達になれそうだなんて思いたくもない。

 黙り込んでそっぽを向くヨウに、少年はうーん人間って分からないなと言ってため息をついた。

「ここはクロの部屋だから、好きに使ってね。また来るよ」

 彼に声をかけられてもパタリと扉が閉まる音がしても、ヨウは振り返りさえしなかった。


 しばらく時間がたって恐る恐る後ろを振り返るが誰もおらず、がらんと広々とした空間が広がっていた。

 村の宴会場とは言わないまでも、ヨウの家より縦にも横にも広い。机やふわふわな椅子やタンスの他にも、用途は分からないが色々置いてある。生活していくには困らなそうで、檻とはえらい違いだった。あの藍色の長い髪をした男に檻から出された後の記憶がプッツリ途絶えているが、ここが噂のバートリ家とやらで間違いないだろう。


 ――あそこの家に売られた人間はみんな行方不明になって誰一人帰ってこない。同業者の噂じゃあ、買ってきた人間を殺してその血を浴びているって話さ


 あいつはそう言っていたけれど、あの吸血鬼少年からは残虐な雰囲気を感じられなかった。でも吸血鬼は吸血鬼だ。こちらを油断させているに違いない。

 寝ている間に何かされていないかと体中を確認したが、咬み傷の跡はなかった。すぐさま何かされるわけではないとほっとしたが、ヨウの命は依然として吸血鬼の手のひらの上にある。

 彼はまた来ると言っていた。それまでに逃げ出さなければならない。

 そう決意したと同時にゲップが出た。

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