第6話 バートリ家

 単調な音が絶え間なく聞こえ、床から振動が伝わる。

 檻の格子の隙間からは鈍く光る灰色の壁しか見えない。まるでヨウのいる鉄の檻をさらに灰色の大きな箱が包んでいるようだ。そしてこの箱は一定のスピードでどこかに向かっている。

〝悪い子供は吸血鬼にさらわれてしまい、彼らのすみかに連れて行かれる〟

 村でよく言い聞かされた話だ。

 小さい頃はお伽話にでてくる吸血鬼が恐ろしくて「奴らがくるぞ!」と脅されては泣いたが、成長するにつれて本当に存在するのかと疑うようになっていた。吸血鬼なんていないと言うハクをたしなめる一方で、ヨウもどこかで子供に言うことを聞かせるために作られた物語じゃないかと思っていた。

 けれど現に吸血鬼は存在した。

 血のように紅い瞳、長い犬歯、不気味な妖術。

 聞かされたとおりの姿であったが、異なる点もあった。

 吸血鬼は人間を絶滅させようとする理性のない怪物だと教わっていなのに、まさか同じ言葉を話せるなんて思わなかった。

 でも、言葉が通じるかといって、理解し合えるとは到底思えない。

 あの紅い目は、ヒトを動くオモチャを観察して楽しんでいるような目だった。あれは甘い誘いで罠にはめて、絶望する様を嘲笑う悪魔だ。

(これから一体、どうなるのだろう)

 こうしている間にも家からはどんどん遠ざかっていて、彼らのすみかに近づいていっていると思うと胃がひきつれた。

 すみかに連れて行かれた人間がその後どうなるのか、物語では語られない。

 この檻から一生出れないのだろうか。

 あいつらに血を吸われてカラカラに干からびるのか。

 嫌な想像ばかり思い浮び、不安で押しつぶされないように膝を抱えて震えるしかなかった。


 最初のうちはなんとか逃げようと檻を蹴ったり叩いたりしたが、冷たい檻はびくともしなかった。

 体力の無駄だと分かって諦めて、でも諦めたら終わりだとまた壊そうとして、何回も同じことをぐるぐる繰り返して、どうしようもないと疲れ果てて寝てしまっても、目が覚めたら同じ光景が広がっていた。

 檻に入れられてからあの得体のしれない固形物しか口にしていないのに、不思議とお腹はあまり空かなかった。

 いつでも食べれるようにと檻の外の手の届くところに置かれていたが、暴れるだけ暴れてお腹が空いても食べる気には到底なれない。

 けれど、お腹の虫が本格的になり始めるとあの吸血鬼がすかさず現れ、嫌だと拒否しても無理やり食べさせられた。

 少し前のあの日常は、遠くにいってしまった。

 ハクは今頃どうしているだろうか。

 村まで無事に帰れただろうか。泣いてはいないだろうか。

 ハクに会いたい。だから

「絶対に帰るんだ」

 もうダメだと思った時は、そうやって口に出して決意した。

 そう望み続けないと、心がぽっきり折れてしまいそうだった。



 常に明るいこの部屋では、どのくらい時間が経ったか分からない。

 やることがないままただ寝ているだけでは本核的にダメになると、体が怠けないように腹筋をしていたら足音がした。

 顔を向けると、あの吸血鬼だった。

 ごはんを食べさせる時以外も彼は檻をのぞき込んではヨウにちょっかいを出しにきていた。

 最初は足音が聞こえてくたら「何かされるんじゃないか」と条件反射で飛び起きていたが、「大事な商品」に手を出すつもりがないと分かればそこまで警戒をしなくなった。今のところは、だ。

 なので彼が近づいてきてもまた来たのかと思っただけで、暇つぶしになるならなんでもいいと思ってしまうぐらいには、退屈で何にもない日々が続いていた。

 けれどその時は彼を見てヨウはおや?と思った。

 いつもは飄々ひょうひょうとした態度なのに、今日は珍しくやや落ち込んでいるようだった。


「君の売り先が決まったよ」

 男は檻の前で座ると、ため息をつきながら言った。

 この変わらない日々が終わる宣告であったが、これから良くなるのか、もっと悪くなるのか不明だった。けれど行き先が見えない未来よりも、浮かない彼の方が気になってしまった。

「俺を売ったお金が欲しかったんじゃないの?」

「もちろんそうだ。でも僕としてはさ、君を上流貴族に売りたかったんだ。絶滅したはずの黒髪黒瞳の子供だぞ。磨き上げれば四大貴族に飼われている純血たちにだって引けを取らないはずだ。だというのに、まさかあの悪名高いバートリ家になるとはなぁ。ツテがないのをこれほど悲しんだのは初めてだよ」

「悪名高い? どういうこと?」

「人間は昔と違って今は数が少なくなって貴重でね。俺たちのような人工血液で暮らしている下級吸血鬼にとっちゃあ、本来は高嶺たかねの花のような存在で、ヒトを飼うなんてのは一部の貴族たちだけに許された特権なのさ。だから人間は売られた先でも大抵寿命まで大事に飼ってもらえる。でもバートリ家とジーレ家だけは別だ。どちらもどこぞの有名な家門ってこと以外、領地も家柄もすべて不明の闇の巣窟そうくつで、あそこの家に売られた人間はみんな行方不明になって誰一人帰ってこない。同業者の噂じゃあ、買ってきた人間を殺してその血を浴びているって話さ」

「……そんなところ、行きたくない」

「俺としても流石に嫌だと思って断り続けたさ。でもあいつときたら黒髪と聞いた瞬間、他の候補者をあの手この手で潰しやがった。本気も本気。君を手に入れるならどんな手でも使うだろう。申し訳ないとは思うけれど、僕も自分の命が惜しいんでね」

『――なるほど、そういう噂が立っていたのか。ここ最近、売るのを渋る輩が多いと思っていたよ』

 二人しかいないと思っていた部屋に、突如声が聞こえた。

 命令するのに慣れた、どこか機械的な低い声だった。

 顔をあげると長い藍色の髪を持った男がいつの間にか、二人の間に立っていた。

 白髪の吸血鬼は彼を見ていつもの軽い雰囲気はどこへ置いてしまったかのように絶句していた。吸血鬼ならなんでもありかと思ったが、彼にとっても予想外の出来事なのだろう。

「ど……どうやってこちらへ?」

『企業秘密だよ』

 藍色の男は首を傾け答えると、ヨウを見据みすえた。

『さて、迎えにきたよ。――黒髪の少年』

 ゾワゾワゾワと背筋を寒気が走る。怖い。ただただ怖い。

 目の前の獲物をどういたぶるか算段さんだんしているかのような、暴力的な視線に身体が震え悲鳴をあげそうになった。

 けれどそうしたら最後、完全に食い尽くされる。本能だった。

 ヨウは必死に唇を噛み締め、来るなっ!寄るなっ!近づくなっ!となけなしの根性をかき集めて睨みつけた。

 すると男はわずかに目を開き、次いで微笑びしょうした。

『私の魅了が効かない人間は何百年ぶりだよ』

 さも楽しそうに、男は笑う。

 作り物めいたその微笑ほほえみがあまりに綺麗すぎて、おぞましいとさえ感じた。ヨウを閉じ込めるための檻が、唯一のとりでとさえ思った。

 だというのに。

『黒髪の少年がいると聞いて話半分で来てみたが、大当たりかもしれないな。闇夜を思わせる見事な黒だ』

 気づいた時には、頬に男の手を添えられ顔をのぞきこまれていた。

 ――え?

 檻の中にいた、はずだった。

 なのに。

 ヨウは。

 いつの間にか、男に片手で抱き抱えられていた。

 パニックになって手足をばたつかせても男は動じず、ヨウの口を人差し指でつんとつついた。

『飛ぶから口を閉じていなさい。さもないと舌を噛むよ?』

 男がそう言った直後、ヨウの視界がゆがんだ。

 見えているものすべてが、ぐるぐる円を描く。

 キィィィンと耳鳴りが聞こえ、ガンガンと頭を殴られるような激しい頭痛がする。

 目に入るすべての色彩が混じり合って、形容しがたい色に成り果てた瞬間、視界が白に埋め尽くされた。

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