第5話 檻

 体が泥のように重い。

 早く起きて卵を取りにいかないと、と思うのに頭が重くて持ち上げられない。

 朝、放し飼いにしているニワトリたちが生んだ卵を拾ってくるのは、ヨウとハクの仕事だ。けれどハクは自分で起きる気が一切なく、起きたところで布団にくるまって出てこようとしないため、先に起きたヨウが布団からハクをひっぱりだすのが毎日の日課だった。

 この体のだるさはなんだろう。昨日は何か重労働をしたっけ。思い起こそうとしても頭に霞がかかっていて思考がまとまらない。

 なんとか体を動かそうとすると、少しずつだが感覚が戻ってくるのを感じた。けれど腕がまったく動かせない。

 ハクと来たら今日は俺の腕にのしかかっているのだろうか。まったく寝相が悪いんだからと腕を動かして体をどけようとしたら、カチャと金属音が響いた。

 ――え

 どんよりとした思考が弾け、バッと開いた目にうつったのは、手枷で拘束された自分の腕だった。

「ッ……!?」

 体が凍りつく。

 あまりに現実味がない光景に夢の続きではないかと思いたいのに、手枷から伝わる冷たさが現実だと物語っていた。

 起きあがろうとしても腕が拘束されたままでは上手くバランスがとれず後ろに転げ、したたかに頭を打った。

 痛む頭を手で抑えることもできず仰向けに寝転ぶ。視界に映ったのは、あまり高くない黒い天井と周囲に張り巡らされた鉄の棒。

 ――檻の中に閉じ込められている。

 様々な記憶がフラッシュバックする。自分の身に起きたことをヨウは思い出し、愕然がくぜんとするしかなかった。


「あ、ようやく起きた?」

 軽薄な声が頭上から聞こえた。声のする方向へ視線を向けると、男が檻のそばでしゃがんでこちらをニコニコ見ていた。

 すべての元凶たる吸血鬼だった。

「ずいぶんと長い間眠っていたんだよ。子供に麻酔を打ったのは始めだったから、量がまずかったのか不安になっちゃった。気分はどう?」

 最悪だった。

 硬い床で寝続けた体はガチガチに固まって相変わらず重いし、喉はカラカラだった。

 けれど体の不調よりも、ハクがどこにも見当たらない方がよっぽど気がかりだった。

 違う場所に閉じ込められているのか、どうにか逃げられたのか。

 不安で押しつぶされそうだった。

「……ハク、は?」

「自分よりも他人の心配? 美しい友情だね。だったら一緒に捕まってくれたらよかったのに」

 男はそこまで言って、ヤベとわざとらしく口に手をあてた。

「ここには、いない?」

「そうだよ、取り逃したんだ。本当にもったいないことをしたよ」

 男は残念と肩をすくめた。その言葉にほっとしたのも束の間。

 ぐいっと男に強引に腕を掴まれ引き寄せられ、顎をつかまれた。逃げようとしても、後退りできるほど檻の中は広くなく、足を床で蹴るだけで終わった。

「でも君を捕まえられただけでも十分だ。初めて君を見た時は目を疑ったよ。絶滅したと思われていた黒髪がまだいたなんてさ。こうして目の前にいても、薬をやりすぎて幻覚を見ているのか疑うレベルだ」

 爛々らんらんと光る紅い瞳にのぞき込まれ、心がすくむ。冷たい手が病人のようで寒気だった。

 手を振り払おうとしても、圧倒的な力の差でどうすることもできず、男を楽しませるだけだった。

「俺をどうする気だ?」

「もちもん売るのさ。野良で暮らしている人間を捕まえて売るのが僕たち密猟者の生業だからね。でも大丈夫だよ。君なら売られた先で僕たちよりもよっぽどいい暮らしができるさ。野生で暮らしていたことなんて忘れてしまうぐらいに、ね」

「そんなこと……!」

 ない、と言いかけた口の中に小石のようなものが放り込まれる。

 反射的に吐き出そうとしたら男に口をふさがれた

「んんッ……!」

 舌の上に乗っかる得体の知れない固形物を飲み込みたくないと必死に顔を振るが、男の手は離れない。段々と口の中に唾液があふれてきて、こぼれそうになった時に、男は子猫をなでるようにヨウの喉をこちょこちょなでてきた。

「ふぅ……ッ!」

 不意のくすぐったい刺激に、思わず唾液ごと無理やり口に入れられたものをゴクリと飲んでしまった。

 ヨウが喉を動かしたのを確認すると男は、口から手を離し頭をなでた。

「んー、いい子」

「なにを、飲ませた……!」

「ただのペットフードだよ。そろそろお腹が空いたかなって思ってね。まだ麻酔から覚めきっていなだろうから、ゆっくり休んでよ。何かあったら言ってね」

 男はヨウを掴んでいた手を離す。距離をとって男をキっとにらんでも、彼は楽しげに口の端が釣り上げるだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る