第4話

 ■■ 15 ■■



 翌日。警察署にて――

 幽鬼を取り逃がした屈辱と危機感から捜査は紛糾していた。

 幽鬼事件の現場総司令を執る武装警察のリュウと刑事部長のバン、それから情報分析捜査官のリン、刑事コンビのパンとハン、さらにそこに綾羅木定祐と上市理可の二人だけでなく、デオとザオも加わっていた。

 ただ、妖狐・神楽坂文の姿はここにはなく、昨夜の妖力の消耗分のダメージを回復させるため医務室で療養していたが……


「――くそっ、幽鬼のヤツめ……! 我々の力不足だ! あの時、どうして捕まえれなかったのか……!」

 リュウが、顔を険しくして悔しがった。

 いくら相手が超人的な力を使えるとはいえ、こちらは大人数で包囲していたにも関わらず簡単に逃げられてしまったこと、おまけにこちらには痛ましくも犠牲者が出てしまう結果となってしまい、悔やまずにはいられなかった。

「リュウ司令……私も、同じ思いです」

「バンさん、俺たちも悔しいですぜ……! ヤツを、これ以上調子に乗らせるわけには行かねぇ!」

「ああ。それに今回のことでより大胆に殺戮を行なう可能性もある。何としても全力で捕まえなければならない」

 警察、刑事組のやりとりの傍ら、定祐と上市も同じ思いであった。

 ただ、いかんせん昨夜の――まさか、本当に幽鬼がデオとザオの前に現れてくれたという絶好のチャンスを逃してしまったのは痛手である。

 定祐たちがそう考えていた、その時、

「――綾羅木さん。今回の事件、貴方たちにもぜひ協力してほしい」

 と、リュウが頼んできた。

 その目には眼力がこもっており、真剣さが伝わるものであった。

 またさらに、

「そうだぜ! お前さんトコ、これまで色んな事件を扱ってきたらしいじゃねえか! 探偵モノみたいにズバッといけねぇか!」

「そうだぞー! ズバッとズバッとー!」

「お、おいおい、探偵モノみたいにって……そんな簡単に言われてもな……」 

「そ、そっすよ」

 乗せるように持ち上げるパンたちに、定祐と上市は勘弁してくれとの表情になる。

 まあ、確かにここ中国を含めて様々な案件を扱ってきたのは間違いないが、そんなに期待してくれるなと思う。

 だって、である……それらの功績の多くは、憎たらしいが“あの化け物”の――妖狐・神楽坂文の力あってのものであり、“ヤツ”が今療養している現状、自分たちだけでどこまでできるのか?

 そのように困惑していると――



 ――スタ……スタッ……



 と、のろい足取りながらも、早速のこと白い療養着姿の妖狐・神楽坂文が現れた。

「――お、おい、狐!」

 パンが気づいて呼びかける。

「ふ、文さん……!」

「お前……大丈夫なのか?」 

「ふむ。大丈夫ではなかろう……」

 心配する定祐と上市に妖狐はドヤ顔であっさり答える。

「だ、大丈夫じゃないとは……もう少しゆっくりしてたらどうか?」

 バンも体調を気遣うように言った。 

「まあ、そうすべきなのだが、“何か”をせねばならんかろう」

 妖狐は答えつつ、両手から黒いオーラを出した。

 黒いオーラそのまま、万の色を宇宙の神秘のように混ぜたごとき黒の天目茶碗と急須へと具現化される。

 急須には高温の液体が入っているのか、ボイラーのような蒸気が漏れ、熱気も伝わってくる。

「――な、何だそれは? 狐?」

「おっと、危ないぞ」

 気になって近づくパンを妖狐は制止しつつ、急須を持った右手を高く構えた。

 スタイリッシュなポーズから注がれる茶――

 よく見るまでもなく、急須から注がれる液体は赤黒く光る溶岩のような液体が――いや、溶岩そのものである。

「よ、溶岩かー? これ?」  

「ああ、そのとおり。ただし、魔界の溶岩に茶を抽出したものだ……。こちらの世界でいうところの、5000度くらいはある。鉄など簡単に融けよう」

 聞いたハンに妖狐はドヤ顔で答え、その辺にあったクリップやら硬貨を混ぜ溶かして見せた。

 そのまま、グイッと溶岩茶を飲む妖狐。

 このような人間離れした超現実的光景など、もはや見慣れて驚きもしない定祐や上市はともかく、他の者たちは皆驚き唖然としていた。

「――さて、何を驚いておる? 妖力はまだ充分には使えないが、話し合いくらいはできるぞ」

 妖狐は言いながら空になった湯呑を置いた。

「あ、ああ……では進めよう」

 リュウがそう答え、話を進めることにした。


 ■■■


「――まず、いくつかポイントがあるが、幽鬼の謎の力――人や物を重力に逆らって空に落とすという恐るべき力の正体についてだ」

 妖狐・神楽坂文が最初にそう切り出した。

「うむ……。貴方たちも、『杞憂』という言葉を知ってるだろうが、これはその逆のようなものだな」

「確かに……。すると、君たち二人が言ってたことは正しかったな」

 リュウの言葉を受け、バンはデオとザオの方を二人を見て労った。

「まあな」

 デオは威張って見せた。

 また続いて、パンが尋ねる。

「――それでよ、狐。その力の正体と言うのは、何だってんだ?」

「ふむ。何というかな、簡単に言えば重力を操る力だ――」

 妖狐は答えながら、どこから取り出したのか赤いリンゴを手につかみ、妖力で以って宙に浮かせた。

 リンゴは何やら、全体の3分の1ほどが――まるで映画のCGのように細かいキューブの集合へと姿を変え、さらにその端から、漢字で書かれた数式やら漢数字の並んだ行列へと姿を変えていた。

「な、何だ、これは……」

 バンを筆頭に皆が驚愕している中、

「――では、続きを話そうか。先に言ったように重力を操る力であるが、今回の幽鬼が用いたものは、妖魔の妖力や魔力といった類の力とは違うものだ。何と言えばよいか、世界構成情報テクストに作用するような……仕方ない、分かりやすく書いてやる。見よ――」

 妖狐はそう言いながら、128倍速ほどの動作でメモ用紙に何やら書き出した。

 中国語と、重力理論や超ひも理論など物理数式、行列をびっしりと速記した紙面――

 それも、米粒に写経するようなサイズの字で……である。


「「「「……」」」」


 ポカンとする一同。

 そして、

「「「「字が小さすぎて読めねぇよ」」」」

 と、日本の某ルーペのCMのごとくつっこんだ。



 再び、まじめに話に戻る。

「――つまりだ。まとめると、魔力や妖力と違い、どちらかというと何か人工的な力に近いものなのだ」

「じ、人工的な力に近いとな? 化け物」

 定祐が怪訝な顔しながら聞き返す。

「恐らくだ、超ひも理論や統一理論のような、“この世界を構成する情報”に作用するアイテム。“それ”を用いて重力を、反重力を操っているのだろう」

「は、反重力ですか……」

 上市も唖然とした顔をした。

「ああ。それも、昨晩見たように、かなり強力なものをな……。まさか、リボ払い式とはいえ、私の妖力を枯渇させると思わなかったが……」

 また、今度はバンが尋ねる。

「――それで、その幽鬼の力の正体についての仮説は分かったが、肝心の、幽鬼の正体についてはどうなのだ? 妖魔の力や魔力ではなく、人工的な力というのが気になるが」

「ふむ、それだな。犯人が人外の存在、妖魔か妖怪の類のものであるかどうか、“こやつら”にも探らせたし、私も行くつか現場を回ってみた。そして昨夜、実際に幽鬼に遭遇したわけだ――」

「狐よぅ、てめぇはどう思うんだ?」

 デオが聞く。

「まあ、そうだな……。昨日、実際ヤツの気配を感じた範囲ではな――」

 妖狐は溜めるように間を置いて、言った。



「――人間のように思う」



「「「に、人間だって……?」」」

 驚く声が、数人分重なった。

「まあ、私が気配を感じた限りだ――」

 妖狐はそう断りを入れながら、「――それで、人間だと仮定すると、少しは貴様たちも情報分析は進めやすくなるか? 女よ」と、リンの方を見た。

「ええ……。てか、アナタ? 私たちのコンピュータ網にハッキングしてたよね?」

「まあな。その辺は今回多めに見てくれぬか」

「まあ、いいけど……。確かに、アナタの言うように、幽鬼が――犯人が人間だとすると情報分析はしやすくなるかもね。――あぁ、そうそう。アナタたち探偵コンビの発信も役立たせてもらってるから。これまで、市民もどんよりと幽鬼に怯えるだけだったのが、進んで立ち向かうようになったのは良いことね」

「お、おう。やったな、ザオ」

「あ、ああ」

 リンに労われ、少し照れ気味にデオとザオは喜んだ。


「――まあ、そんな感じで、だ。とりあえず、幽鬼が人間であるとして捜査を進めていくぞ、貴様たち」

 妖狐はまとめるように言い、緑のオーラを身にまとって“葛葉”を召喚する。

 肌は再びヒビが入り、黒髪は銀髪混じりになりながらであるが……

「お前、さっそく葛葉を使って大丈夫なのか? 療養した意味がないだろうに」

「ふむ。多少は問題なかろう。それよりも定祐、上市よ……貴様たち低級動物どもにも外回りの捜査を任せるぞ」

「は、はい」

「分かったよ……。まったく、相変わらず低級動物呼ばわりがムカつくけどな」

 煽り顔だが真剣そうな妖狐の雰囲気に、定祐と上市は答えた。

 続いて、

「よっしゃ! 俺たちもいっちょ張り切るか、ハン!」

「おうよ! パンちゃん!」

 定祐たちに触発され、パンとハンの二人も気合を入れる。

 とりあえず、ソリは合うのかどうかは置いておき、ここに妖狐と警察は互いに手を組むことになった。

 どちらにしろ人間離れした幽鬼を捕まえるには妖狐の力が必要であり、妖狐もまた、これ以上追い込むには警察の力が必要であった。

 


 ■■■



 夕刻――

「……」

 小高い屋敷の丸窓から眼下の街を眺める影があった。

 また、


「――ガリッ……」


 と、小ぎみ良い音が部屋の中に響いた。

 影の者が皿から手にしたのは美しく赤いリンゴであり、それをコーヒーのお供に窓の外を眺めて、物思いに浸っていた。


 ――杞憂……か?


 世間はこの幽鬼騒ぎに杞憂などしているが、生憎に――自分はこの方そのような感情どころか、不安なる感情を感じたことはあまりない。

 それは自分の生まれが裕福で問題もなく……また、自分はそれなりに器用でいて、世間でいうところの優秀な人間であり、今も未来もお金の心配がないこと――そういった恵まれた要素を持っていたということもあるのだろう。

 いや、しかし……それらを覗いても、不安や怒りといった関する感情が希薄だった気がするし、今もそうである。

 やはり脳の性質だったりが、何か違うのだろうか?

 ちなみに、土を食べたり、猫と接したりすることでトキソプラズマなる寄生虫が人間の体内に入ることで不安を感じなくなったり、大胆な性格になるというのは蘊蓄だ――

 しかし、である――


 ――ゾクッ……


 と、影の者は言いようのない感情を覚えていた。

「……」

 僅かに感じているこの感情――

 何か、強烈な興奮というか刺激を内包した“何か”が萌芽していた。

「――ふぅ……」

 影の者はリンゴを齧り、コーヒーを含んだ。

 それと同時に、ゆるりと立ち上がった――



 ■■ 16 ■■


 

 警察署内、大規模情報分析室にて。

 定祐、上市のダメ人間コンビと、パンとハンの刑事コンビはそれぞれ捜査に出ている中、バンとリンたちは残って捜査を続けており、そこには妖狐の姿もあった。

 AI技術とビッグデータ技術、さらに身体-脳-コンピューター間を互い接続させる近未来的な機器を備えたSFまがいの分析室――

 リンを筆頭に情報分析要員、さらに妖狐の“葛葉”が協力し合って幽鬼に関する情報の収集と分析を行っていた。

 そのように強化された体制のもと捜査は進展し、“とある人物”が浮上したのである。


「――“杞優妃”(キ・ユウキ)。実業家でモデル、さらには過去に軍に所属していたこともあり、特殊部隊の試験にも合格、また諜報員にもスカウトされたこともある――と、中々の経歴ね」

 リンが重慶市在住の女の名前を口にしながら資料を見せた。

 女の最近のモデル活動の写真――高身長にミドルロングの黒髪、黒いハーフカットシャツに黒のゆったりしたズボンのヘソ出しファッションと、スタイリッシュなものであった。

「ほう……」

 妖狐が眺め、感心する。

 見た感じ、クールで凛としたカッコ良さを兼ね備えたような女の画像――

 それでありながら、その動じることの無さそうな目――瞳に、何か感じるものがあった。

「――しかし、よくもこんなにピンポイントに容疑者を絞ることができたな。我が国の犯罪捜査技術があるとはいえ、巨大な人口を有する重慶で……」

「ええ。あの二人の発信から集まった情報と今までの事件の解析を重ね、さらに狐さん――神楽坂さんの妖術と組み合わせることで分析が格段に進みましたから」

 リンが

するバンに答えるように、目ぼしい人物の絞り込みは想定より早く進んだ。

 怪しい人物がいくつかピックアップされる中、この杞優妃という人物であるが、その行動履歴の空白と幽鬼の活動していたと推測される時間帯が一致するところがあり、そこから照合されたのである。


 また、話はそれだけではない。

「――さらにですが、バン部長。この杞優妃なる人物、インターネット通販を通じて“何やら怪しい物品”をやりとりしていた履歴がありまして……」

 リンは別の資料を見せる。

「こ、これは……黒い、リンゴ……?」  

 バンが驚いて見たもの――

 それは、かのニュートン卿が万有引力を閃いたとか閃かなかったとかいわれる、もしくは某世界的に有名なコンピュータのロゴにも使われている、甘さと酸味のバランスが絶妙な果物――

 すなわち、リンゴであった。

 ただし、シルエットはリンゴのそれでありながらも、その色は真っ黒――それも、近年開発されたといわれる、ほぼ100%の光を吸収する完全な黒(アブソリュート・ブラック)のそれであった。

「ふむ。まったく、偶然か? 重力を操るアイテムとしてはふさわしいな」

 妖狐が呟いた。

「――幽鬼、杞はこれをフリマアプリ『関魚(カンユー)』で入手したと思われますが、このアカウント……我々がどれだけ遡って調べても追跡できませんでした」

「追跡できないだと?」

「ああ。我が葛葉を用いても追跡できない……中々の相手のようだ」

 リンに続き、妖狐が答えた。

 同時に、妖狐は右手を虚空に伸ばしていた。  

 そのまま、紫のオーラを放ち、


 ――ボワンッ!


 と、何か手のようなもの――バンたちは初めてみるが、今回2回目の妖術、『あやしいね!』が召喚された。

「狐さん、何それ?」

「ああ……我が妖術、『あやしいね!』だ。怪しい事象や人、モノに対してフラグが立つのだ」

「何? すると、その簡単な説明どおり、この黒いリンゴが……杞優妃が怪しいってこと?」

「イェス! 中洲クリニック!」

「「中洲クリニック?」」

 妖狐はボケるも、バンとリンには通じることなくつっこまれなかった。

 そのようにボケが滑りつつも話を進める。

「――まあ、とりあえずだ。定祐やパンたちにこの者を調べさせるのだ」

「ああ。分かった」

 バンが早速とりかかろうとした時、


 ――ギィッ……


 と、ドアが開き、リュウがトップの人間たちを数人連れて入ってきたやって来た。 

「神楽坂さん、我々も捜査態勢を整えました! 全市警、武装警察、情報機関のバックアップのうえ、幽鬼を捕らえようではないか!」

「ふむ。――では、対決の時だ」

 気合を入れたように宣言するリュウに、妖狐はドヤ顔で答えた。


 ■■■■■


 定祐と上市の二人は、パンたち刑事コンビやデオたちとは別動的に捜査していた。

 自転車で重慶市内を回っているが、この坂がちで階段の多い重慶での調査にはうってつけだった。

 そんな定祐たちのもとへ、先ほど妖狐とリンから捜査に関する連絡が入ってきた。


「――この女の人が幽鬼……なんすか?」

 思わず間を置いてしまいながら、上市は幽鬼――容疑者こと杞優妃の画像を見ていた。

 この女性――自分より5つくらい歳が上くらいか? クールでスタイリッシュなモデルが幽鬼の正体などとは、俄かには信じがたかった。

「まあ、まだ容疑者の段階だがな……。だが、やつら警察連中の情報分析とあの化け物の妖術による解析、分析結果を見るに、犯人の可能性は高そうだな」

 定祐は捜査資料を見ながら答えた。

 また続いて、

「それと、先生……この、重力を操るリンゴって……」

 上市は今度は別の資料の、幽鬼が重力を操っていると思しき謎の黒いリンゴに注目した。

「まったくな。重力ゆえにリンゴとは、ちょいとベタすぎんか?」

「確かに、そうですよね……」

 二人はリンゴと重力ときて、妖狐たちと同じくやはり万有引力のニュートンを想像してしまう。

 それはさておき、

「――てか、もし私たちが幽鬼に遇って、大丈夫なんですかね?」

 と、上市がそもそものことを定祐に聞いた。

 恐らく、このまま捜査が進めば幽鬼に辿り着くであろう。

 その中で、幽鬼と対峙した時――昨夜見せた力に、自分たちはどのように対抗できるのか? 

 上市は一応気に留めておきたかった。

「まあ、“やつ”の道具――妖具も一応あるからな」

 定祐はそう言いながら、懐から“何か”を取りだした。

 先日の妖魔たちの調査の際に使用したいくつかのアイテムと、それから今回の幽鬼用の、何かずんぐりとしたナシの形状の謎の物体と――


「まあ、とりあえずこれだけあれば何とかなりますかね?」 

「まあ、何とかするしかなかろうな。それに、一応、あいつも最悪の時は駆けつけてくるとは言ってたからな……。ただ、あの状態だからどこまであてにできるかは知らんが……」

 何とかなろうと、定祐が答える。

 楽観的というか、それ以上考えても仕方がないのだが……

「まあ、ですよね……。てか、意外に文さんって私たちのこと思ってくれてるんですかね?」

「さあな……とりあえず、ムカつくヤツだけどな」

「まあ、ムカつく人ですよね。いや、人じゃないけど……。――てか、何かドローンが飛んでますね?」

 上市がふと気がついた。

 今、この街の上空をドローンが多量に飛んでいたのである。

「警察のものらしいな。情報分析と組み合わせ、幽鬼を追い詰めるつもりだろう」

「ハァ~……すごいっすね」

 眺めながら定祐と上市が感心していた。

 その時――


 ――カランコロン🎵 カランコロン🎵


 と、定祐の携帯が鳴った。

 着信の主は別の場所を捜査しているパンからであった。

 定祐は電話に出る。

「もしもし、綾羅木です」

『おう、オッサンよう! 今俺たちゃ高級住宅街にあるヤツの家に行ったがな、それたちがくるのを察したのか? “ヤツ”はいなかったぜ』

「そうか。こちらも、特に変わったところはないのう……」

 定祐は答えながら、さてこれからどうするかと考えた。

 そこへ、

『んん”?』

「あん? どうしたのだ?」

 と、電話の向こうのパンが何かに気がついた。

 続けて、

『おう、綾羅木さんよう! たった今、アンタのボスとリンたちが幽鬼の場所をつかんだみてぇだ!』

「な、何だって!?」

「え? 幽鬼の場所が分かってんですか!? 先生」 

 思わぬ入り込んできた報に、定祐と上市が声を上げた。

『とりあえずよう! 俺たちもすぐ向かうから、アンタたちも急いでくれ!』

「ああ……!」 

 定祐は答え、情報の場所に向かうことにした―― 



 ■■ 17 ■■



 市内の、小高くなった人気(ひとけ)の少ない一角にて――

 そこに立つ、一人の人間の影があった。

 黒のハーフカットシャツにヘソ出しファッションと……。場違いではないがこんなところにいるよりも街中にいるべきである、モデルのような女――いや、実際にモデルである杞優妃の姿――

「……」

 その杞は悟っていた。

 すでに自分が幽鬼――すなわち犯人であることを、妖狐や警察たちは掴んでいるだろう。

 捜査の手が自分に及ぶのも、時間の問題だ。

 しかし、である――

「……」

 杞は下の街を見下ろすように眺める。

 夕闇の中、赤く浮かび上がる瞳――

 意味もなく沸き立つ静かな殺意――

 そこには、不安などという感情の入る余地は微塵もなく……何と言えばよいだろう、まるでゲームに臨むくらいの快感があるのだろうか?

 ただ、夕闇が深まるのに合わせるように、その興奮は高まっていくように感じていた。

 それも、軍にいた時代の過酷な訓練や軍内での格闘技大会――男連中を圧倒していた自分であり、そんな中ですら得られなかったほどの刺激というか、興奮を――


 ――さて、どうしようか? 

 杞優妃はまず考えた。

 これまでの犯行、そして昨夜のことから、“このリンゴ”の秘めたる力……尋常ではないことが分かった。

 この際であるから、一人一人とちまちまやっていくのではなく、摩天楼ごととか、さらには街の一画ごととかの大胆なスケールで“落として”やることもできまいか?

 またあるいは、例えば巨大ダムなんかにこの力を加えてやるとしたらどうだろう?

 下流のどれだけの都市、村を破壊できるか? どれだけの人を殺すことができるか……

 いやいや待て、それはテロリストのする思考と変わらないではないか!

「フッ……」

 杞は自分の思考を冷笑した。

 まあ、良い……

 とりあえず、気配を隠して動こうか。

 また、幽鬼となりて、夜の闇に紛れるのだ……!

 と、そこへ――



「――杞優妃か?」



 と、何者かの声がした。

「……?」

 杞が、声のした方へゆるりと振り向いた。

 木の影から現れた姿――

 大正プラス令和ファッションの所長こと綾羅木定祐と、赤リボンに白黒カジュアルクールビズの助手、上市理可の二人であった。

 二人は緊張しながらも、キリッとした顔でこちらを見ていた。


「――何? アナタたち?」

 動揺することなく、表情を変えずに淡々とした様子で杞は定祐たちに尋ね返す。

「日本の……調査事務所とでも名乗っておこうか。杞優妃……アンタ、このリンゴのオブジェか何かをネットで取引しただろう?」

 定祐は答えながら、タブレットの画面を見せて杞を尋問しようとする。

 画面には顔写真付きの杞優妃のプロフィール――

 それから切り替えて、ネットでやりとりした黒いリンゴとその通信履歴が表示されていた。

「け、警察の捜査令状も出ています……! そ、そのリンゴが、不正に入手された盗品だと!」

「へぇ~……そうなんだ? でも、アナタ、警察じゃないよね?」

 緊張気味に話す上市を、杞は面白がる。

「え、ええ……そうですが。特別に、わ、私たちにも捜査する権限を与えられておりますので!」

「ふ~ん、何? その謎の権限?」 

「そ、そういうわけで……調べさせてもらってもよいですか?」

 上市はナメられつつも負けじと、杞をジッと見て堂々と構える。

 ただ、その杞優妃も一見するとモデルのルックスであること以外はどこにでもいそうな女のようであるが、どこか得も言われぬオーラがあった。

 それが杞が生まれつき持ってたものなのか、軍にいた時に培われたものかは分からないが……


「――調べさせてほしいって? もし、イヤだって言ったら、どうするの?」

 杞はジッと冷たい目で上市を見た。

 その圧に圧されながらも、

「――いいえ、調べさせていただきます」

 と、上市は強く出た。

「……」

「……」

 お互い睨み合いのように対峙する杞と上市――

「……」

 杞は無言ながら思った。

 まったく、鬱陶しい……

 仕方ないから、今ここで“これ”を使うのは悪手だろうけども、殺そ――いや、こいつらも“落として”やろうか……?

 そのように考えながら、ブランドもののバッグに手を忍ばせていると、 

「――さあ、調べさせてもらいますよ。それとも、調べられると都合が悪い何かがあるんですか?」

 と、上市がプレッシャーをかけて来た。

「フフッ……」

 杞は再びゆるりと上市を見て嗤う。

 そして――



「――ごめんね🎵」



 と、イタズラな表情をするとともに! 再び例の力が――あらゆる人、物を空に落とす“幽鬼の力”が定祐と上市を襲ってきた!!

「――なっ!? せ、先生!!」

「ちっ!? くそっ!!」

 定祐と上市の動揺する声がした。

 同時に、杞にとってはいつもやっているのと同じような感覚であるが、二人を宙に浮かせ、そのまま空に落とそうと力を込めた。

 だがその時、


「――!」


 杞はあることに気がついた。

 幽鬼の、“黒いリンゴ”のもたらす力――それは電波が超能力のように伝わるがごとく実感できるのだが、その力が何かによる妨害を――すなわちジャミングされているのが分かった。

「ちっ……」

 杞は軽く舌打ちした。

 前を見るに、その間すでに定祐と上市が再び地に足をつけていたのである。


「――あの化け物の妖具だ。出力は充分ではないにしろ、お前の、そのリンゴの力にジャミングできる」

 定祐が言いながら、葉っぱのついたずんぐりとしたナシのような形の物を見せた。

 話したとおり妖狐の妖具であり、定祐たち人間が携行することで、簡易的ながら幽鬼のリンゴの力の妨害ができるものであった。

 さらに続いて、


「――おい、幽鬼! 警察だ!」


 との声とともに、パンとハンの二人も現れた。

「お前が犯人であることはもう分かってるぞ! 大人しくしろ!」

「そうなのだ!」

 パンたちは杞を逮捕するべくかかる。

「ああ、もう……鬱陶しいな……」

 杞は軽くボヤきながら、向かってくるパンとハンに構えた。

 大柄のパンが巨体に似合わぬ俊敏な動き、逮捕術で杞を捕縛しにかかるも、そのパンを一瞬でいなして杞は逆にねじ伏せる。 

「ぐぬぅっ!? ――うぐぅぅーー!!」

 地に伏せさせられたパンの叫び声が響く。

 さらに、

「ぱ、パンちゃん!」

 と、今度はハンがパンを助けるべく杞にかかる。

 小柄ながら拳法仕込みの動き、杞に向かって蹴りを入れようとするも、杞も軍時代に特殊部隊員の屈強な男相手に百戦錬磨していた相手であり、一撃飛んできたハンの足を捕らえるとともに、パンと同じく関節をキメた状態で地に伏せさせた。

「あっ!? あぁーーっ!!」 

 ハンの悲鳴が響いた。


 刑事コンビが返り討ちにされる中、

「はぁ~~あっ! ちょっとびっくりしたじゃん! あの狐さん相手じゃなかったら何とでもなると思ってたけど、中々やるじゃん! アンタたち!」

 杞はハードなスポーツのワンプレイを終えたかのように、思わず声が出た。

「くっ! クソぉ……!」

「ぱ、パンちゃん!」

 パンとハンは地に伏せられたまま、敵わぬ歯がゆさに震え、

「せ、先生……!」

「う、うむ……」

 また、定祐と上市も思った以上の杞の戦闘能力に驚かされ、思わず無言で立ちつくしてしまう。 

 そんな中、杞は再びリンゴを手に持って見せる。

「ちっ! またか!?」

「せ、先生!」

 定祐と上市は再び構えた。

 先ほどは何とかリンゴの力をジャミングすることができたが、あくまでそれは少し邪魔することができたという程度である。

 リンゴの巨大な出力が放出された場合、まともに太刀打ちできる自信がない!

 そう覚悟した、その時――



「――待て」



 と、また別の声がした。

「……」

 再び静まる表情の杞。

 また続けざま、昨夜と同じか――パトカーの音やヘリの音、さらにはドローンの音とが重なりながらこちらに近づいてきた。

 そんな中、幽鬼――杞優妃は声の主を見て静かに怒り沸き立った。

「――化け狐ぇ……」

 すなわち、杞の眼前に妖狐・神楽坂文の姿があった。

 ちなみに、妖狐は重力を無視する形で頭を地面に向けて逆さに宙に浮いており、さらに服装は昼間の療養着とは打って変わり――黒・赤・緑のスタイリッシュな配色のチャイナドレスをセクシーにも着こなしていた。

 妖狐はくるりと回転し、ふわりと地に足をつける。

 また、それとタイミングを合わせるようにして、

「――い、いたぞーーっ!!」

「総員、包囲せよ!!」

 との掛け声とともに、リュウとバン、そして昨夜と同じく警察や武装隊員たちが駆けつけた。

 なお、その中にはひょっこりとザオとデオの姿もありながら。


 幽鬼と妖狐、警察たちは再び対峙する――

「ふむ。昨日の貴様のリンゴの力……中々のものだったぞ。一瞬、我が妖力が枯れるかと思ったぐらいだが、見てのとおり……とりあえずは回復させてもらったぞ」

「……」

 静かにこちらを見る幽鬼に、妖狐はドヤ顔で話す。

「――であるからだ。充分ではないが回復した私と、貴様が幽鬼であることが明らかになったこの状況……いくら貴様のそのリンゴの力が強大だといえ、逃げ続けることは不可能であろう。それから、さらにだ……見よ――」

「……?」

 妖狐が見せた先――

 その様相はシュールであるものの、地下深くにから伸びる張る超合金の地下茎を持つ魔界植物がニョキニョキと顔を出し、警察や各隊員たちは妖力仕掛けの安全帯のようにしてフックを引っかけてあった。

 すなわち、やり方的には大雑把な妖術であるが、この場にて彼らを杞の力で“落とす”ことはできなくなっていた――


「――そう……つまり貴様は終わりだ。諦めろ」

 妖狐はキリッと、幽鬼――杞優妃をドヤ顔で指さした。

 包囲する警察たちも昨夜と同じく、ライフルやマシンガンを杞に向けて隙なく構えていた。

 そのような状況に、杞は力を抜いたように肩を下ろした。 

「――そうね……分かったわ。これで終わりね……」

「?」

 思わず妖狐はキョトンした。

 杞の口から出てきた呆気のない言葉――

「へ……? せ、先生?」

「う……む? どういうつもりだ?」

 定祐たち同様に肩透かしを食らったような感じであった。

 一方の、リュウやバンは杞の挙動に細心の注意を払いながらも、銃口をそろえて向ける警察たちの集中力が僅かに緩んだ……

 その一瞬――



「――だったらさ……もうひと遊びさせてくれる!? 狐さん!!」



 杞は豹変したように叫ぶとともに宙に浮き、妖狐たちが立つ地面が大きく震える!

「――なっ!?」

「お、おい!!」

 騒めきが起きる中、

「――!!」

 妖狐は不意打ちを喰らったように目を見開いていた。



 ■■ 18 ■■



「――くっ! 待て! 貴様!」

 妖狐・神楽坂文は迅速にして、幽鬼こと杞優妃の後を追わんと宙に浮く。

「よ、妖狐!!」

「ふ、文さん!!」

「貴様たち、あとは私に任せるのだ。それとリュウよ! ヘリの部隊は一旦退避させろ! ヤツはこのまま私がケリをつける」

「わ、分かった!」

 妖狐はそうリュウに告げ、飛び立つように急上昇して杞を追った。 


 数秒する間もなく、高さはすぐに地上数百メートルに到達する。

 その百メートルほど先を優雅に、しかし妖しくも幽鬼は――いや、人間・杞優妃は舞っていた。

「……」

 妖狐は杞の姿を捕らえる。

 先日、ヤツが使った力――

 その度合いは尋常のないものであり、大量破壊・殺戮に用いられる前にヤツを捕縛――もしくは“始末”しないといけない。

 摩天楼群の破壊や、街の一角ごと、大量の人間たちを空に落とすことも可能であるし、ヤツは躊躇なく“それ”をやるだろう……!

「待て! 貴様!」

 叫ぶ妖狐に、

「ふふっ……来たわね」 

 微笑交じりに杞は嗤うとともに、リンゴを構える。

 そこから、空間を――否、世界を構成する情報に無理やり働きかける形で、強力な空間の歪みが生じ伝わる! 

 すなわち、反重力なる力が伝播するのである!! 

 それも、チートレベルの妖力のジャミングすらもすり抜けるほどの力が!!

 続けざま、

 

 ――ゴゴゴゴゴ!!!!!


 巨大な滝のごとく轟音とともに大きな水柱が、長江の巨大な量の水が、大小の船を巻き込みながら数百メートルの高さまで巻き上がる!!

「よ、よせっ!! 貴様っ!!」

 妖狐が叫ぶも遅く、今度は数百メートルに上昇した水柱が一気に落ちる。

 妖狐は船のいくつかを妖力で支えるも、取りこぼした船々と人々が飲み込まれ、また大きな波が川岸に襲い掛かる!!

「ねぇねぇ見て見て!! 狐さぁぁん!! こんなこともできるんだって!! すっごいわぁーー!!」

 杞は口角を上げて嗤った。

 ここ最近でも、あるいは人生で幾度もない興奮と快感――

「アハハハハッ!! 今ので何人死んだんだろね!? でも、いっか!! どうせ重慶って人口多いからぁぁぁーー!!」

「く、狂いおって……!」 

 狂気の顔で嗤う杞に妖狐は軽い怒気を見せるが、しかしながら今の分で妖力を消費したのか、再び顔のヒビが生じ、口から血が垂れてはじめていた。

 そんな妖狐を翻弄するように、杞はさらに舞って逃げる。

「――ふふっ……早く来てよ狐さん🎵」

「ちっ……! 調子に乗りおって」 

 妖狐は舌打しつつ、摩天楼に向かう杞の後を追った―― 


 ■■■


 赤々とした数百メートルクラスの摩天楼の屋上――

 眼下には明々とした重慶の街並み、長江と嘉陵江の二つの大河、それから電飾されたホンヤートンが見える。

 幽鬼こと杞優妃はスタッ――と降り立ち、今まさにこの摩天楼に手をかけようとしていたのだ。

「……」

 杞はジッ――と、黒いリンゴを持つ手に力を込める。

 摩天楼全体に力をかけようとしたその時、遅れてチャイナドレスの妖狐も降り立った。

「――あらん? 遅かったね。てか、もう息切れぎれじゃない? 狐さん」

「ハァ……ハァ……やかましいヤツめ」

 杞は消耗している妖狐を煽る。

 その間も油断することなくリンゴを構え、再び力を発動せんとしていた。

「さあ、次は止められる? 中に数百人いるのか千人いるのか知らないけど、ビルごとズタズタに引き裂きながら空に落とすよ?」

「くっ……!」

 妖狐は歯をギリッと食いしばり、妖力を振り絞ってオーラを放つ。

 杞の言葉はハッタリなどではなく、このままいけば地中杭ごと――摩天楼ごと、中の人間たちをミンチにしながら落として行くだろう。

 ぶつかり合う杞のリンゴの力と妖狐の妖力――

 黒と白のオーラで可視化されているにせよ、傍からみれば地味なぶつかり合いであるが、超高層ビルはガタガタと揺れていることで力が非常に大きなものであることが分かる。

「フフフ🎵 私はリンゴを持ってるだけで余裕なんだけど、狐さんはどうなの?」

「ぐっ……!」

 杞が煽る中、妖狐は耐えながらも、

「――ガハッ!?」

 と、吐血して崩れ落ちた。

 白髪交じりになる黒髪と、妖艶で恐ろしく美しい顔ながらも再び枯れかける妖狐。


「あら? バテちゃった?」

 杞優妃は近寄るなり、妖狐の頭を優しくつかんだ。

 その妖狐であるが、苦しそうに「ハァ……ハァ……」と喘いでいる。

「フフッ……🎵」

 杞は妖狐を――神楽坂文を見つめた……

 そして、


 ――ゴシャァッ!!


 と、次の瞬間! 杞は乱暴にも妖狐を頭ごと地面に叩きつける! 

「ガハッ……!!」

 妖狐は頭を打ち付け、再び崩れる。

 杞は再び側に寄り、征服するように妖狐の顔を持った。

「恐ろしく美しい顔ね、狐さん……」

「ハァ……ハァ……」

 杞はうっとりした顔で妖狐を見つめた。

“恐ろしく”と形容したように、これまでに見たこともないし、また今後もみることもないくらいに人間離れした美貌の妖狐の顔――

「このまま、アナタを犯したいけど……」

 杞はそう言いながら、妖狐の顔を放すとともに再びリンゴを手に構えた。

 今度は、妖狐・神楽坂文の一点に集中する黒いオーラ――

「ちっ……! 貴様っ!」

 妖狐は焦ったように舌打ちして抗うも、その身体はどんどんと宙に浮く。

「ごめんね……狐さん」

 杞が少し寂し気にそう言った。

 次の瞬間――



 ――ヒュッー……ストンッ――――



 と、何とも呆気なく加速し、妖狐・神楽坂文の姿が見えなくなった。

 すなわち、“彼”は空に――宇宙空間の彼方に落ちて行ってしまったのだ。



 …………



 摩天楼の屋上が静まり返った。

 残されたのは、リンゴを手にした杞優妃、ただ一人だけだった。

「……」

 もったいないことをしただろうか……?

 やはり、せっかくだから妖狐を、そのまま“犯して”も良かったのではないか、と――

 静寂の中、軽い後悔の念があった。

 まあ、とはいえ事は過ぎてしまったことであるから仕方ない……

 それよりも、


「さてと……」


 問題は、これからどうするか?

 自分を追ってくるであろう警察たち、それから先ほどの――妖狐の仲間の小娘と中年男を始末してこようか?

 その後は……まあ、適当な何かを落として回るか? 

 あるいは、軍事的な利用価値もあるはずであり……加えて今現在、自分はこのようなことをしてしまったからにはこの国におれるはずがないので、仕方がないから外国の軍や機関にでも、手土産に“これ”を持って行こうか?

 そのように、杞はあれこれと考えていた。

 その時――



 ――ブワッ……



 と、足下から何か風圧が漂った。

 さらに続いて、

「――ん? ひっ、ひゃぁっ!?」

 杞は気付くのも遅く、“何か”が自分のハーフパンツをつかんでずり下げており、思わず恥じらい混じりの驚きの声を上げた。

 そして、その眼前にあったもの――

 何とあろうことか! 先ほど空に落とされて消えて行ったはずの妖狐・神楽坂文の姿であった!

「――ほう、黒いリンゴに黒づくめファッション……そして、パンティまで黒なのな? 貴様?」

 白髪混じりに、陶器が朽ちるような美しい顔で妖狐は嗤う。

「くっ!! 狐ぇぇぇっ!!」

「フハハハ……! 確かに、貴様のリンゴの力によって私は空に落とされたぞ……。ただ、しかしな、130億光年をはるかに超える宇宙の世界の果てまで落ちてってしまってな……結果として“世界”を一周して戻って来たのだ」

「ふ、ふざけるなぁぁぁっ!!」

 顔を赤らめ、鬼のように形相を変えて激昂する杞優妃。

 その杞をさらに妖狐は煽る。

「――さあ、今度はこちらの番だ。貴様をお仕置き・アンド・タイ~ホしてやろう🎵」

「化け狐ぇ……殺してやる……」

 赤面した顔に、杞は怒りを煮えたぎらせていた――



 ■■ 19 ■■



「――何がタイ~ホだぁぁぁっ!! そのままもう一度落としてやんよ!! この死にぞこないのクソ化け狐がぁああ!!」

 むき出しの殺意に荒れ狂いながら、幽鬼・杞優妃は再びリンゴに力を込める。

 怒涛のごとく湧き出る黒いオーラ!! 

 巨大な反重力の暴力的なパルスが摩天楼全体と地下杭を!! 岩盤全体を蹂躙しようとせんとする!!

「ハァ……ハァッ!! まったく、仕方がないヤツめ!!」

 妖狐も声を荒げながら、対抗すべく再びオーラを放つ。

 ただ、そのオーラは今までと違うものであった。

 ゴゴゴゴゴ……! と、空間が軋むような轟音とともに湧き出て広がる、揺らぐ水銀の如きオーラ――

 巨大に広がったオーラはそのまま、“何か機械のような形”へと具現化されていく。

「なっ……!?」

 杞が思わず大きく目を開いて驚いた。

 その先にあったもの――

 相互いに向き合った無骨な歯車が噛みあいながら、あらゆるものを引き裂いてバラバラにする機械――

 粉砕機――すなわち、シュレッダーであった!!

 そして、このシュレッダーが飲み込もうとするのは物体ではない!

 まるでアニメが描く超現実的映像のように! 杞の黒いリンゴから湧き出る反重力を構成する情報が可視化され、“それら”を飲みこんで粉砕しようというのである!

 大量のプログラミングのように、膨大な漢字で書かれた反重力の構成“テキスト”がシュレッダーの口に向かう。

 そして、


 ――ガガガガガ……!!!!!


 と天を震わすほどの轟音が響くとともに!! 杞のリンゴから放出される反重力が食われバラバラにされていくではないか!!

「――っ……!? なっ……!?」

 杞は叫ぼうとするも、無意識に体が震えて声にすらならなかった。

「フハハハ……我が妖術で具現化した、さしずめ、異次元のシュレッダーというところか……?」

 吐血を垂らしながら妖狐がドヤ顔で答える。

 これで、少しの間はヤツのリンゴの力を削ぐことができようか?

 そう妖狐が考えた、その時――



 ――ドサッ……!



 と、妖狐は再び、虚脱したように崩れ落ちてしまった。

「ガハッ……!!」

 続いて、またしても吹き出る吐血――

 そもそも、妖力の消耗によって療養していた身であり、いくら幽鬼こと杞優妃の犯行を止めようとはいえ、妖力的には大きな代償だったのだろう。

「ハァ……ハァ……くっ! こんな時に……!」

 苦しそうに喘ぐも、さすがに今度ばかりは動けない妖狐。

 それを、杞は見逃すはずもなかった。

 カツカツ……と、屋上コンクリートに響く足音とともに幽鬼――杞優妃が近づいて来る姿が見えた。

 さらにその手には、どこに仕込んでいたのか、妖艶なフォルムのサバイバルナイフが構えられているではないか――


 杞は妖狐の傍に寄り、再び頭を掴んで見つめる。

「ハァ……ハァ……もう、こっちまで息切れちゃったじゃない……! 何? 今度こそ尽き果てちゃったの?」

「くっ……!」

 抗おうとするも、妖狐は今その力は残ってない――

 まずい……! 一瞬で良いから、時間を稼がねば!

 そう妖狐が切望した、その時、



 ――ダーン……!



 と、一発の銃声が響いた。

 そのまますぐに、ダン! ダン……! と数発の銃声が響き、杞の身体を貫いた。

「ガハッ!!」

 吐血し、倒れる杞――

 同時に、落としたナイフの音がカラン――と響いた。

 続いて、


「――狐ぇぇ!! 遅くなったがきたぜ!!」

「化け物、助けに来たぞ!!」


 と、パンや定祐たちがヘリから降りて来るとともに、別のヘリから縄伝いに降下した武装隊員たちが包囲した。


 妖狐にとって思わぬ助けが、そして幽鬼にとっては形勢逆転されたピンチの状況――

 しかしながらも、幽鬼こと杞優妃は腕や肩、さらには左顎まで撃ち抜かれているにもかかわらず、常人離れしているのか身体を起こし始めていた……!

 その時、

「幽鬼ぃぃーー!! 殺してやる!!」

 と、女の叫び声がするとともに、加えて数発の銃弾が杞に撃ち込まれる!

 その衝撃で杞の身体はサンドバッグのように無言で弾むも、それでも杞は倒れず、銃声の方を見た。

「……」

「よくもっ!! アンタが、お前が落としたヘリにいたのはね、巻き込まれてミンチになったのは私の恋人だったのよ!!」

 鬼のような表情で叫び、杞に銃口を向けていたのは女性隊員だった。

 フラッシュバックする昨夜の光景――

 ヘリが幽鬼の力によって空に落とされる際、乗っていた狙撃手の隊員がローターに巻き込まれた痛ましい場面であり、その狙撃手こそ、この女性隊員の恋人であったのだ……

「――よ、よせッ!! ジョ(徐)!!」

 他の隊員たちが止めるようとするも、怒りに燃える彼女はさらに引き金を引こうとした。

 まさにその時――


「――待て」


 と、離れた空間からでも伝わる威圧感とともに、妖狐の声が響いて女を止めた。

「な、何で――? 何で止めるのっ!? 狐さん!!」

「まあ、待て――」

 妖狐は激高するジョを制止しながら、ゆらり……と、何やら魔界植物を召喚していた。

 揺らめくように歪な幹、そこから同じくグロテスクな枝が伸びる死霊のような樹――

 さらにその先端の枝葉や花々は金属でできているようで、ミキサーの刃や粉砕機のパーツのような形状をしていた。

 魔界の樹というべきか、杞の腹から下を捕らえると、

「――! がぁあああああ!!!!!」

 と、杞は驚く間も与えられず叫び声を上げていた。

 捕らえられるとともに、ズタズタのミンチにされる下半身――それも、胃から下の、内臓ごとぐちゃぐちゃに……!


「――まあ、これくらいで貴様の恋人や仲間たちの無念は晴れなるかは分からぬが? とりあえずのところ、これくらいの拷問――いや、拷問にしては短いから微妙だが、これで良いか?」

 幽鬼――いや、人間・杞優妃が拷問に等しい身体破壊を受ける中、妖狐・神楽坂文は淡々と確認する。

「――!」

「なっ……!」

 ジョや仲間の隊員らは驚くとともに、淡々と冷徹に残虐な仕置きをする妖狐に思わずゾッとする恐ろしさを感じていた。

「――ああ、そうそう……。下半身はズタズタにしてやったがな、死なないようにしてあるから安心しておれ。まだ、一連の犯行やこのリンゴについて聞かなければならないことも多いだろう? リュウよ?」

「あ、ああ……」

 リュウは戦慄しつつ、答えた。

 また続いて、

「さて……まあ、ここまでくれば、心も折れ果てただろう?」

 妖狐は杞にゆっくりと杞に近づいた。

 上半身はモデルとしての美しい姿を残したまま――しかし、ヘソの辺りからはぐちゃぐちゃになっていた。

 もう元には戻らない身体損壊――

 人間であれば――否、魔物・魔人ですら顔をくちゃくちゃにして無様に助けを請うか、あるいは錯乱するであろう状態……

 しかし――



「――ふ……む?」



 と、妖狐は思わず目を見開かされた。

 目の前の幽鬼――いや、人間・杞優妃であるが、泣き叫び命乞いをしたり、あるいはさらなる拷問への恐怖に心が折れたりする醜態を見せることもなく、むしろ凛として佇んでさえいる様子であった。

 その杞は顔を上げ、妖狐・神楽坂文の顔を見た。

「……」

「き、貴様……まさか……」

 妖狐が思わず驚いた。

 その次の瞬間――



 ――フワッ……



 と、突如として妖狐と杞の身体が浮いていた。

 杞はリンゴを手にしながらも妖狐に腕を回し、抱擁するようにして引き寄せていた。

「――なっ……!」

 妖狐は突然のことに困惑しているも、数百メートル、そして千、二千メートルとどんどん高く上昇して行き、ついには重慶の赤々とした夜景は遥か眼下遠くになっていく。

 そんな中、

「貴様……」

「フフッ……🎵 狐さん」

 キリッとした目で見る妖狐に、杞は微笑んだ。

 その杞の口元は左顎の銃創から痛ましく血が流れながらも、どこか穏やかであった。

「――貴様、どうしようというのだ? こんなことをしたところで、すでに私に対して勝ち目はないぞ?」

 怪訝な顔をする妖狐。

 すでに二人は大陸――いや、地球の丸い輪郭までも見える成層圏にまで上昇していた。

「勝ち目はない……?」

 杞はうっとりした目で妖狐を見つめた。

 そして――

 


「――いいえ……私の勝ちよ」



 と宣言すると同時、ズキュンッ――とのごとく……何とあろうことか、杞優妃は妖狐・神楽坂文に唇を重ねていた。

「――!」

 唇を奪われ、妖狐は思わず目を見開いた。

「――ね? 私の勝ちでしょ? 最後にアナタを犯せてよかったわ♥ 再見――」

 杞はそう最後の言葉を口にするととも、青白くも炎に包まれる。

 燃え尽きながら重なる杞の美しい顔と骸――

 その様は幽鬼のごとく、そして幽幻的でもあった。


 こうして、人間・杞優妃は空の境界へと消失した。

 静寂な宇宙空間――

 遥か眼下には重慶の――いや、中国およびの周辺の赤々とした夜景、あるいは海を隔てたお隣、日本まで見える壮大な景色が広がっていた。

 そんな宙(そら)に妖狐は疲れて身をもたれる。

「――まったく……本当に、幽鬼のように消えていってしまうとはな……」

 妖狐がやれやれと眺めた先、ただ黒い空が広がっているだけであった――

 


 ■■ 20 ■■



 その日の夜。

 幽鬼こと杞優妃が消滅したあと――すなわち、事件を終えたあとのことである。

「――まったく、大変な事件だったな。それに、アンタも……」

「ふむ……そのとおりだ」

 警察署内の一室――

 その声の主は刑事部長のバンであり、情報部のリンとともに、皿に切ったリンゴを持って妖狐の見舞いにやって来た。

 妖狐は先日のように療養着姿でマッサージチェアにもたれ、手元に置かれたリンゴを溶岩茶のお供にする。

「どうだ? 貴様たちも飲むか?」

 溶岩茶の急須を見せる妖狐。

「いや、遠慮しておくよ」

「私も遠慮しておきます」

 まあ、当然飲めるはずもなかろう、バンとリンは淡々と断った。

 

 本題に入る。

「――さて、私の見舞いに来ただけではなかろう? 貴様たち?」

 妖狐はドヤ顔で聞いた。

「まあな。今回の事件に付随して、少し話があってな。リン君――」

「はい」

 リンは妖狐に資料を見せる。

 事件の調査資料――

 それとともに、幽鬼こと犯人――杞優妃が用いたリンゴに関する調査中の資料があった。

「事件は幽鬼、犯人の杞優妃が消滅したことで、不十分ながらも一応解決したことにはなってますが。我々や、中央の情報機関は引き続きこのリンゴと、その出どころに関して調査を続けようと思っております」

「ほう……」

 相槌する妖狐。

 リンは続けて、

「狐さんも、恐らく思っているでしょう……。このリンゴ……まだいくつか別の者が存在していると――」

「……」

 妖狐は意味深な顔をし、続きを聞く。

「――幽鬼が、杞優妃が事件を起こし始めるよりいくらか前……国内のいくつかの研究所で異常な重力波が観測されたことがあってね。そして、それを追跡している中で、今回のリンゴ――反重力を操作できるリンゴに関する情報が上がりはじめ、リンゴは今回の一つだけではないという可能性が高くなったてわけ――」

「……」

「ちなみに、狐さんが扱っている案件では異世界とかは珍しくないでしょうけど、一応、我々にもそういった案件を調べる機関があってね。――ていうか、狐さん? そのことも知ってるでしょ?」

「まあな……」

 妖狐はドヤ顔気味に頷く。

 今度はバンが、

「そういうわけでな……まあ、アンタも今疲れてるだろうし、アンタたちの事務所も別の仕事があるだろうから、別に今何かしてくれとは言わないが……今後も、引き続きこのリンゴの件で我々や中央の調査に協力して欲しいのだ」

「ほう――」

 妖狐がリンゴを齧りかけながら反応する。

「OKなの? 狐さん?」

「ふむ。仕方がないから、受けてやろう――。だがな、一つ貴様たちに要求がある」

「ん? それは何?」

「何だね? できる頼みなら聞くが」

 首を傾げるリンとバンに、妖狐は答える。

「――まあ大したものではない。こんな手を加えてないリンゴも悪くはないが、ちょっと身体も妖力も回復したからな、もう少し良いものが欲しくなったのだ。なので、コーヒーと、さしずめリンゴケーキというところか――? それを持ってくるのだ」

「コーヒーと、リンゴケーキ……とな?」

 ドヤ顔する妖狐と、リンゴケーキとの微妙なところにポカンとするバン。

「――仕方ないわね……。私の全力の情報を以って探してくるから、少し待ってなさいよ。まったく」

 やれやれと、リンは妖狐の微妙にめんどくさいスイーツ要求に答えながら、もう一仕事かよと部屋を出て行った――


 ■■■■■


 同じころ。中国内の某所――

 中国の山地には仙境を絵にかいたような山地があり、ここも冗談のような角度と高さで聳える岩山が群を成していた。

 そんな中岩山の頂に、ゴゴゴゴゴ……とのごとく佇む、飛行石というか飛来石というか――どこからか飛んできたかのような大きな岩があった。

 そして、


 ――ヒュー……ストン――!


 と、何ということか! その岩は宙に浮いたかと思いきや、そのまま空に落ちて行ってしまったではないか!

 落ちた岩は成層圏で、流れ星のように燃え尽きる――

 また続いて、岩山の頂には人なのか邪神なのか分からない不定形の影が現れていた。

「……」

 下界を眺めて佇む謎の影。

 その者は、やはり黒いリンゴを手にしていた――



 ■■ 21 ■■



 事件が解決した後日――

 重慶の街には普段の日常が戻ってきた。

 パンとハンの刑事コンビは少し暇になりながらも、一応別件で今日も市内を捜査に明け暮れる。

 まだ夏も真っ盛りの中、汗ばみながら街を歩く二人は坂のカフェに入って一服していた。

「――ふぅ~……一服だ!」

 アイスコーヒーを手に、パンが唸った。

 また、ハンもアイスティーにパフェなど、豪華にも舌鼓していた。

「いいねー、パンちゃん。ていうか、また一服だけどな……」

「けっ、いいってことよう! まあ、幽鬼事件も一段落したからな。はぁ……まったく、これでやっと、夜もゆっくりと飲みに行けるぜ!」

「おお、やっと飲みに行けるなー! 今日、火鍋でも行こうな! パンちゃん」

「ああ!」

 二人は火鍋を頭に浮かべて、頭空っぽのようにテンションが上がる。

 まあ、何はともあれ、これでやっと、幽鬼事件を調査している間のどんよりから解放されたのである。


 ■■■

 

 また一方、市内の別のところ。

「――あ~あ……二回も車落とされちまったことでさ、お袋にめっちゃ怒られちゃったよ。デオ」

「まあ、そいつは災難だったな」

 デオとザオは今度は黒のロールスロイスに乗り、ジュースを飲みながら嘉陵江の川辺を眺めていた。

 良かれ悪かれ、この二人が幽鬼を調査するとふざけて動画を撮ろうとしたことから妖狐の『神楽坂怪奇調査コンサルタント事務所』に辿り着き、結果として事件の解決につながったのである。

「ふぅ~……! これでやっとあの狐からも解放されたわぁ!」

 コーラをグイッと飲みながら、デオが言った。

「やったよね」

 ザオはメロンソーダなど片手に答え、手持ち無沙汰のもう片手で自分たちのSNSを見てみる。

 見るとそこには今回の幽鬼事件の解決を受けてか、また探偵企画だったり調査企画を続けてほしいとのリクエストが大量に来ていたのだ。

「おお、すっげ……!」

 ザオが思わず驚きの声を上げた。

 仮にもSNSインフルエンサー的なことをやっているから、反響があるのは嬉しかった。

 反対に、

「うっわ……何よこれ……」

 相方のデオは驚くも、ザオとは引き気味の様相を見せた。

 今回のでひどい目にあったので、調査企画は若干懲りたというか、勘弁してくれよと思うところである。

 だが、

「――でもさ、デオ。案外そっちの方がいいんじゃね? 車のことはともかく、今回のことはお袋たちも褒めてるし、警察もまた機会があれば協力してくれってメッセージ来てるし」

「おいおいおい……! はぁ……勘弁してくれよ~……」 

 デオはやれやれと空を仰いでいた――


 ■■■■■


 また場面は変わりて、妖狐たちはホンヤートンのテラス席にいた。

 重慶を眺めにコーヒーを愉しむひと時――

「――まったく。結局またしても私が妖力を大量に消耗して事件を解決するハメになったではないか? この低級動物ども」

 アイス・アップルティーなど飲みながら、妖狐が露骨に厭味な顔して言った。

「ムカつくヤツだのう……。一応、私らもちゃんと調査していただろうに」

「そっすよ。妖魔に殺されかけたり、幽鬼にも立ち向かったんですからね」

 定祐、上市が答える。

 その定祐はコーヒーを、上市は妖狐と同じくアイス・アップルティーにリンゴパフェらしきデザートに舌鼓していた。

  

「――しかし、この幽鬼とは――この犯人はいったい何だったのだ……」

「それに、犯人は――あの人は、何でこんなことをしたんですかね? あんな綺麗なモデルの人が……」

 ふと定祐が呟き、上市もそう言えばと気になった。

 捜査資料で見た幽鬼――人間・杞優妃の経歴とかを考えるに、何と言うかもったいない気がしたのである。そのままモデルとしても実業家としても十分活躍できたのに、何か動機みたいなものがあったのだろうか――と。

 すると、定祐が再び言った。

「まあ、でも幽鬼という言葉が感覚的にもあっているのかもな。あくまで私的(わたしてき)にだが……」

「ん? それは、どういうことですか?」

「先に言ったかもしれんが、妖怪、鬼、幽霊といったものをざっくりと含んだ言葉の意味合いがあるのだろう。ゆえに、例えば日本の幽霊だと敵わぬ恋の未練だったり、騙された恨みといった――すなわち、何か理由があって幽霊になるのだ。それも、ジメッとしたような暗く陰鬱な理由でな」

「まあ、何となくそんなイメージがありますね」

「対して、大陸的おおらかさというか大雑把さか? 幽鬼ってのには基本、そういったものはない。実にカラッとしているのだ」

「は、はぁ……」

 曖昧に相槌する上市と、

「……」

 アイスティに口をつけたまま、妖狐は続きをきいてやる。

「――まあ、そんな感じで、だ……。基本的には何で存在しているのか、意味がない存在なのだ。そういうイメージで考えると、今回の幽鬼も――杞優妃なる人間もどうせ、『気が向いた――』とか、『何となくやった――』とかの類のものだろう……。まあ、お前の前で燃えて消滅してしまったから、最終的には分からんがな……」

 定祐は話し終えた。

 まさに、適当に――であるが……


 そんな風に過ごししていると、

「――ああ、そうだ、ところで上市よ」

 と、妖狐が上市に話を振ってきた。

「へ? 何ですか?」

 アイスティのストローを咥えながら聞く上市。

 すると、

「いっちょ中国にいる間にな、チャイナを着てみてはどうだね? チャイナを着ちゃいなって具合に」

「「おい、寒すぎるぞ。てめえ」」

 外の蒸し暑さの中――案の定、妖狐は二人からつっこまれる。

 しかし、

「まあ、そう言うな。ただでさえ色気要素があるかどうかわからん貴様だ、上市よ。先日も聞いたが、このおっぱいのところの開いたやつはどうだ? それと、せっかくリンゴに肖ってだ。この赤と黒の勝負どころのパンティをな―「おい、やめろ。――てか、だから、何だよおっぱいのところって? いろいろキモ過ぎんだよ、てめえ」

 めげず実物を差し出そうとした妖狐が言いかけたところ、上市が塞ぐようにつっこんだ。

 そんな彼らの背景には、雄大な大河の流れと、ビッグアップル重慶の青い空がただ広がっていた――



  ――― 終了

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#01【神楽坂怪奇調査コンサルタント事務所の怠惰で奇妙なB級的調査譚】重慶の幽鬼 石田ヨネ @taco46

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