第2話 璃咲 其の1

 キサラギ・ホテルのスイートルームで、二人の女が熱っぽく睦み合っていた。

 「高級感」を謳ったラブホテルにありがちなシックな木目調の内装も、窓越しに広がる高層ビル群の夜景も、彼女たちに顧みられることはない。

 

「あぁっ、はっ、ふぅ、んふぅっ……ひゃ、そこいいっ……! こんなの、はじめてっ」

 

 両者の中で『抱かれる』側は、アッシュブラウンの短髪を持つ女――鷹山火滴だった。

 夜遊びをするとき、彼女はいつもこうなのだ。168cmと女性としては高い上背を備え筋肉質な身体を仰向けに横たえ、ひっきりなしに甘やかな嬌声を上げる。全面降伏と言うべき有様に、彼女の仕事道具である毅然さは全くもって見て取れない。

 

「いやいや! ホタさん、いつもここ触られて喜んでるじゃん」


「そうっ、なの? あんっ、ゃ、適当、いったかも」


「アハッ。ま、こういう時ぐらい何もかも忘れちゃうぐらいでいいんじゃない」


 麗奈れなは朗らかに笑いながら、右手でぬかるみの奥を巧みにかき回す。彼女が胎内で指を滑らせるたびに、震える喉が跳ねる音色を返す。多くの女を抱き、また抱かれてきたNo.1キャストにとっても、火滴の素直で伸びやかな反応は心地よいものに違いない。

 

 さながら肉声の楽器。たった二人のコンチェルトは、程なくして最高潮を迎えた。

 

 達する瞬間、火滴は白い閃光が視界を覆い尽くす感覚でいっぱいいっぱいになった。脳裏に潜り込んだチェーンソーがガリガリと音を立て、IQを1桁まで削り落とされる。

 刹那の猛烈なよろこびが弾けた後も、『それ』はじわじわと残り火で炙るように続いていく。火滴が余韻に溺れる間、ぐらつく頭は腕枕が支えていた。背中を抱き寄せられ、顔が豊かな胸に沈み込んだ。いっそ息苦しいくらいに。

 

「ふわぁぁっ! れな、さん……?」


 実際息が止まりそうになった。呼吸を求めてまどろみかけていた意識が覚醒する。少し顔を浮かせて思い切り空気を吸い込むと、胸の谷間から漂う汗の匂いが甘く鼻孔に溶けて脳細胞のギアが一気に上がった。

 

「このまま寝かせてあげたいくらいなんだけどさ、ホタさんこの後シゴトだって言ってたよね。時間もその想定で決めてるはずだし」


「あ。そう言えばそうだった……。いやぁ、おかげですっかり目が冴えました」


 横目で卓上のデジタル時計を見やる。23時45分――即座に起き上がった。

 カラスの行水で粘液を落とす時間ぐらいはあるが、ぼんやりしている余裕はない。ましてジャグジーで二回戦なんてやった日には相棒フェネクスに本気で火達磨にされるだろう。熱い想像を巡らせているのに、頭の中がキンキンに冷える。


「本人が忘れてちゃ敵わないじゃんか。次からモーニングコールもオプション扱いにするよう店長にお願いしちゃおっかな」


「それなら朝じゃない今日はタダってことで」


 だらしない態度を冗談で笑い飛ばすキャストに、悪戯っぽく言葉尻を捕らえる客。

 二人の肉体関係は飽くまでも金銭による契約に過ぎないが、現金な繋がりをスタートラインとして築かれた心の関係は気安いものだ。否、或いは、割り切った間柄を保てるからこそ心が休まるのかもしれない。

 

 火滴は軽く伸びをしながら、やおらベッドから立ち上がった。そのままシャワールームに向かって歩き出す。

 

「急ぎなんでしょ? 先にシャワー浴びて、チェックアウトも済ませて大丈夫だよ。見送りできなくてごめんねー」


「気にしちゃダメだよ。あたしの都合だからさ。今度またゆっくり楽しませてくれたら嬉しいな」


 背中越しにどっちが客か分からなくなるようなウインクを返して、ガラス扉をくぐる。カーテンが閉じられるとシャワーが床を叩く音に混ざって、気の抜けた鼻歌が聞こえた。


 * * *


 火滴――というより、大半の聖約者テスタメント――にとっては、ビルの外壁に張り出した非常階段や窓枠を跳び伝って、屋上まで登っていくことは造作もない。監視カメラも夜間警備員も呆れるようなルートを辿って、S区繁華街をカバーする一帯でも特に高いビルの頂に彼女は立っていた。時は深夜0時15分、予定通りに。

 

 ネオンが狂い咲く不夜城の景色を独り占めしながら、コートの胸ポケットから取り出した煙草に火をつける。シガレットペーパーには火勢を増幅する術式が書き込まれており、ひとたび火を受け入れると尋常ではない激しさで火花を散らした。

 

 煙草から唇を離して、紫煙を吐く。すると魔術の火と聖約者が吹き込んだ息を触媒として、火花が凝集しインコほどの大きさの火の鳥の形を成していく。


「……スン、女の匂いだ。火滴、オマエ今日も仕事前に一発かましてきたのか?」


 火の鳥は火滴の右肩に止まり、ガラの悪い少女の声を張って耳元で悪態をついた。

 

「大目に見てよー。曲がりなりにも従業員を一人消したり、記憶いじったりしちゃったわけだしお店は応援したいじゃん。それにキミだって人間の感覚で言えば女でしょ」


「オマエは理由なんざ無かろうが目ぇ離せば女遊びだろうがよ。あと、オレが女ってのはそういう風に説明した方が通り一遍の理解はしやすいってだけのことだ。オレはフェネクス、オレを真の意味で定義する言葉は他にありゃしねぇ」


 叱責と言ってもいい語気をよそに、自嘲ぎみにヘラヘラと笑って煙草をふかす。召喚魔法を発動し終えた今は単なる嗜好品で、火の強さも燻る程度になっている。


「いいなぁーそういうの、あたしなんかブレにブレ続けて気がついたらこうだ。そういうわけでフェネクスくん、今夜も道に迷いまくりなお姉さんを導いておくれ」


「はっ、なら黙って待ってな。偵察飛行の時間だ」


 そう言い捨てて、フェネクスは聖約者の肩から飛び立った。さらにビルの屋上を出た辺りで、火が燃え広がるように何体かに分裂。それぞれがバラバラの向きに進路を変えて翔けていく。

 

 聖約者の契約相手である魔神シェディムは、各々が地獄界に統べる領地を持つ強大な悪魔である。

 彼らが人界を脅かす同族と明確に異なる部分はふたつ。

 ひとつは、古代の名君・ソロモン王が発起人となった『聖約』に名を連ねており、概ね人類と利害を共有する幸運な事実。

 そしてもうひとつは、彼らの肉体そのものは地獄界に存在しており、人界に現れるのは飽くまでも力の一部を宿す分身という点だ。

 高位の悪魔は容易には召喚できず、仮にこの世界に出現できたとしても『聖約』によって直接的な戦闘行為は禁じられている。故に本体の顕現よりも遥かに低コストな分身に、意識だけを複製した簡易的な魂を乗せて人界に飛ばすのだ。首尾よく分身が破壊されることなく帰還すれば、意識が見聞きした内容は本体へと還元される。

 

 更に、それを可能にするエネルギーさえあれば、分身には数を増やすことも更に強い力を持つこともできる。

 この場合のエネルギーとは、すなわち魔力――悪魔や地獄界との接点を持った人間の血中に含まれる、世界そのものに干渉する力。火の鳥の増殖は、聖約者テスタメントたる火滴から力を汲み出して引き起こされた事象だった。

 

 5分ほど経つと、フェネクスはまた一羽に戻った状態で帰ってきた。


「当たりを引いたぜ。証言の通り、ネズミや虫に憑依した最下級悪魔クソザコナメクジを狩ってる変な杖持ったガキがいる。大京府ダイキョーに配置されてる聖約者や魔術師にあんな奴はいねえ」


「ふむふむ。徘徊してる時間もピッタリだったねー。情報局の弟子たちがこんなに有能だと、ダンタリオンおばちゃんも鼻高々なんじゃない?」


 聖約者は自ら発見した悪魔を討滅することもあれば、『ソロモン会盟』――聖約者の組織からの任務を受けて働くことも少なくない。火滴の場合、聖理愛を倒した時が前者で、今宵が後者にあたる。


 火滴とフェネクスに下った任務は、この頃S区内で『会盟』に属さない者によって悪魔狩りが行われている形跡があるので、実行者を見つけて確保せよというものだ。


 モグリにしろ敵の敵ならばいいではないか、なんて理屈は通用しない。

 まずもって、今回のケースでは悪魔の憑依によって変容した小動物の死体が消失せずに残ってしまっている。ゴシップ誌レベルだが、既に報道もされてしまった。警察や出版社に対して『会盟』が持つパイプを加味しても、長期間の放置は許されない。

 この世界の裏側で起きている戦いは、数千年に渡って秘密で在り続けてきた。『会盟』の総意においては、これからもそうあるべきとされている。

 

 そして未熟な狩人には常に死の影がつきまとい、最悪の場合は自身が悪魔に乗っ取られて新たな脅威となってしまう。他にも些か稀少なケースではあるが、下手人の正体がひときわ凶暴な同族殺しの悪魔であるパターンもありえよう。

 

 つまりこの任務は単なる人探しではなく、強力な敵と交戦するかもしれない潜在的な危険性と、迅速に解決すべき緊急性を孕んでいる。だからこそ、数少ない聖約者テスタメントを動員する必要があったわけだ。

 

「一羽だけ分身を残して、ヤツをけさせてるぜ。だが相手が魔力を感じ取れるなら、いつ気づかれるかも分からねぇ。オラ、さっさと行くぞ」


「オーケー。最短ルートで行っちゃおう!」


 火の鳥はくるりと輪を描いて旋回し、目的地への誘導を始めた。すっかり味の抜けた煙草が、小さなドロップ缶のような金属製の携帯灰皿に放り込まれた。

 

 軽く足首の調子を確かめる。助走をつける。加速は十分だろう。

 こうするのが当然とばかりの軽やかな所作で、火滴はビルから跳び下りた。

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永炎の聖約者~レズ風俗通いの変なお姉さん、実は変身ヒーローです~ 斎宮ルミカ @Saiku_Rumika

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