てのひらをたいように。

石井 行

てのひらをたいように。

 町に未確認生命体が現れた!


 はじめは全くパニックになる気配はなかった。

 例えば、SF映画に出てくるような巨大な宇宙生物や、特撮映画に出てくるような高層ビルを踏み潰すくらいの怪物だったら、一目でヤバイとわかるだろう。

 だけど、今日、先刻、町に現れた未確認生命体はパニックを引き起こさなかった。

 最初は。


 後ろ足で立っている。二足歩行するようだ。

 身長は約2.5m…微妙な大きさだ。全身薄汚れたモップのような質感で、顔も体も灰色の毛で覆われていて、目も口も見えない。雪男やビッグフットをモチーフにしたキャラクターの着ぐるみのよう。

 そう、その着ぐるみみたいな見た目の所為で、人々は危機感を抱かなかった。


 街角、少し先の曲がり角に着ぐるみが立っている。

 最初はただ立っているだけだった。

 突然現れ、ただ、立っているだけ。

 「着ぐるみ?」「ゆるキャラ?」「何のキャラクター?」「撮影なの?」

 目撃した人達は笑顔で様子を見ている。

 だけどふと気が付くと、その先の曲がり角にも一体。振り返って見ると先刻通った道にももう一体。

 みんなぐるりと辺りを見回した。

 あ、あそこにもいる。あっちにも。向こうにも…。

 いつの間にか、町には曲がり角毎に未確認生命体が立っていた。

 携帯で写真を撮っていた人も、友達に電話で実況していた人も、只事ではない空気を感じて静かになった。動けなくなった。


 そのとき、何処からか女性の悲鳴が聞こえた。

 それを切欠に、固まっていた空気が一気に解けた。

 みんな一斉に走り出す。パニックの始まりだった。

 悲鳴の正体もわからないまま人々は走った。私も走った。

 暫くすると、あちこちから別の悲鳴が聞こえてくるようになった。女性だけでなく男性の悲鳴も聞こえてくる。怯えたときの悲鳴じゃない。衝撃を受けたときの悲鳴だ。みんなの恐怖は増した。

 次は自分が悲鳴を上げる番かもしれない。

 

 隣町に出た辺りで後ろを振り返った。

 未確認生命体に襟首を掴まれて、一人の男性が投げ飛ばされるのを見た。

 新しい悲鳴が聞こえた。


 隣町の中心部には何人かの警官がいて、逃げてきた人々を誘導していた。

 良かった!助かるぞ!

 走り疲れた人々は警官の後に続いていく。

 ついていった先には、地下街への入口があった。

 あれ?地下?シェルターとかあるの?

 階段を下りる。地下の商店街。見たところ、未確認生命体はいないようだ。

 警官の指示で、店はシャッターを下ろして従業員も避難する人々に加わった。

 人数は増えたが、静かだった。

 と、前の方から順に足が止まり渋滞になった。先頭が止まったらしい。苛立って前の人を押す人もいたけれど、進まない。

 すると今度は足が止まった順に囁きが伝わってきた。伝言ゲームみたいに。

 「いる。」

 いる、って…奴ら?

 …うわ!これは、あれだ、ホラー映画とかで駄目なパターンだ。地下街ってところで気が付くべきだった。

 案の定再びパニックになり、みんなはとにかく動ける方へ走り出した。

 戻れ!いや、突破しよう!まだ開いてる店に入れ!トイレは?絶対駄目だ!

 逃げ惑う人、捕まえられる人、持ち上げられる人、投げ飛ばされる人。

 私は「ブティックあおい」という店に、半分閉まったシャッターの間から飛び込んだ。転がるようにラックに掛けられた服の陰に入り込む。

 一旦、息を整えよう。

 闇雲に走り回って助かるホラー映画なんてない。考えないと。此処に隠れたままで安全か?逃げるなら何処だ?

 思考を高速で回転させながら深呼吸していると、声を掛けられた。

 「ねえ、あれ何なの?おばけ?宇宙人?何処から来たのかなあ?捕まったら殺されちゃうの?どうしたらいい?」

 怯え切った顔の若い女性。不安なのはわかるけれど、聞かれても困る。私も知りたいよ。

 えーと、考えないと。こういうとき映画ならどうする?生き残った人達が知恵を出し合って脱出する?それとも戦う?生還エンドのパターンってどうだっけ?

 私はシャッターの隙間から通路を見た。

 逃げる足が見える。追う足も見える。結構いるな…あ、途切れた。

 今逃げ回っている人達に比べたら、私は冷静だ。冷静なまま、パニックに紛れて抜け出せないだろうか?一気に駆け抜ければ…

 身を乗り出した私の服の裾を、先刻の女性が掴んだ。

 「駄目だよ危ないよ此処に隠れてようよ。誰か助けに来るまで待とうよ。」

 …そうだ、思い出した。ホラー映画やパニック映画における最大の敵は大抵人間だ。自分以外は信用できない。

 助けが来るなんて何の根拠もない情報で留まる?他人の為にチャンスを逃すなんてもってのほか。縋りつく女性と一緒に脱出する?同情するにしろ邪魔されるにしろ、ヒーローぶって助けようなんてしたらおしまいだ。

 ごめん、自分で手一杯だ。私はヒーローじゃない。

 掴む手をゆっくり解いて、私は走り出した。私が助かる為に、本気のクラウチングスタートを決めて。

 

 入ったときと逆に今度は通路側に転がり出た。夢中で体勢を立て直す。膝が痛い。素早く左右上下を確認。動いているものはいない。応戦しようとした人達が投げたのか、看板とか椅子とかいろんなものが散乱している。倒れている人もいる。

 それらを避けて進んでいくと、防火扉を閉めようとしている男を見付けた。防火扉の向こう側に、逃げ惑う人ごと未確認生命体を閉じ込めてしまうつもりらしい。

 彼も、冷静で、自分で手一杯で、ヒーローじゃないんだろう。

 彼の隣に並び、私も手伝った。

 扉の向こうを覗いて見ると、奴らがうじゃうじゃいた。パニックはまだ続いている。

 重たい扉を閉めつつ観察した。

 奴らは目が見えないのか、手探りで動いているように見える。でも動きは意外と素早くて、次々に人間を捕まえていく。

 人間を掴んで、投げる。人間を掴んで、投げる。掴んで、投げる。

 …あれ?

 うじゃうじゃいる奴らは、沢山の人間がパニックになって動き回っている中間違えることなく人間だけを掴んで投げている。仲間を掴むことはない。どうやって人間と仲間を判別しているんだろう。

 もしかしたら、それが助かるヒントかもしれない。

 思い付いた途端、冷静なはずの私は扉の向こうへ飛び出していた。


 私はまるでヒーローみたいに奴らの間をすり抜け、掴もうとする腕をくぐり抜け、投げられるものは手当たり次第投げつけながらヒントを探した。

 目を凝らす。耳を澄ます。鼻を効かす。ヒントはどこだ?目を凝らす。耳を澄ます…何か聞こえる。何か聞こえる!

 …鳴き声?…違う、これは…歌だ。聞いたことがあるメロディ。

 私は混乱した。何で未確認生命体がこのメロディを?

 よく聞き取れないけれど、このメロディってことはあの歌でいいんだよね?ところどころあの歌の歌詞っぽい言葉が聞こえるもの。

 これが!助かるヒントだ!

 

 映画だったら。

 私が主人公だったらきっと上手くいく。助かる。

 でも脇役やエキストラだったら、きっとこの物語の為に絶妙なところでやられてしまうんだろう。

 先刻から「映画だったら」ばっかりだけど、今までの人生で参考になるような経験なんてなかったんだから仕方ないじゃない。

 こんなの、映画の世界じゃないか。

 今この世界は誰の物語かわからない。私から見たら私の物語で、その物語の主人公は私だけれど、私はヒーローじゃない。

 ヒーローじゃないけれど、他の人も助かるかもしれない方法を見付けちゃったんだからしょうがないじゃない。

 私は、逃げ惑う人達、隠れているであろう人達に聞こえるように声を張り上げた。


 「みんな!『手のひらを太陽に』を歌うんだ!」


 未確認生命体は、小さな声で『手のひらを太陽に』を歌っていた。

 その歌を聞いて、仲間かどうか判断しているんじゃないか?

 歌っているのは仲間、歌っていないのは敵。

 だったら、歌おう。

 歌うしかない。


 私が歌い出すと、とうとう気が触れたか、という視線を感じた。それでも構わない。私は私が見出したヒントに賭ける!

 ありったけの声を絞り出す。聞け、未確認生命体よ!私は仲間だ!

 明らかに私の周りの未確認生命体の動きが変わった。

 それを見て、歌い出す人がぽつりぽつり。

 私はオーケストラの指揮者気取りでみんなを煽った。両手を大きく振る。

 さあ!

 歌声が増えると、真似する人も増える。

 私はみんなを救うヒーローだよ!さあ、もっと声を出して!

 やがて大合唱になった。

 未確認生命体達は動揺している。目標を見失った。

 あわあわしている姿は何かに似ている。そうだ、ムックみたいだ。まるで小汚いムックだ。

 着ぐるみだ。

 いける。

 この物語の主人公は私だ!この世界は私のものだ!

 私は歌いながら、揚々と出口を目指した。

 サビの部分を気分よく。そして大きく息継ぎをした瞬間、

 後ろから襟首を掴まれた。

 振り向くと、間近にムックが。油断した!

 首を傾げながら、私が仲間かどうか考えているみたいだ。音を外してしまった?

 私は必死で歌い続けた。

 でも、あれ?

 一番を歌い終わって二番を歌おうとしたら、歌詞が思い出せない。

 みんなで大合唱していたときは曖昧でも誤魔化せていたけれど、一人で歌うと濁せない。

 そうだ、この歌って一番と二番ごっちゃに覚えちゃってる!三番もあるらしいし!

 でもとにかく歌わないと!

 歌い出しから歌い直す。

 嬉し…?笑う…?楽し…?んだー

 ムックの顔が迫ってくる。

 仲間ですよ!味方ですよ!

 私は仕方ないので一番の歌詞で延々と歌い続けた。泣きながら歌い続けた。

 みんな…みんな…

 いきて…っいるんだー

 ともだち、っなーんー…だー



 …目が覚めた。

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