幼馴染を寝取られて完全に脳が破壊された俺は、リミッターが解除されて完璧超人へと生まれ変わります~さぁ、今の俺から寝取ってみろ~

くろねこどらごん

第1話

「うごぇぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!」




 オッス、オラ羽納加惟はのうかい!すごく可愛い幼馴染がいてサッカー部に所属しているだけの、今はちょっと便器に顔を突っ込んでいる、どこにでもいるごくごく普通の中学生だ!




 それでも強いて人と違うことを挙げるとすれば、その幼馴染とは今年から付き合い始めたばかりの相思相愛ラブラブカップルだったけど、気付いたら先輩に寝取られていたってことくらいカナー。




「がっ、があああっっ」




 そんでもって今は絶賛顔面大崩壊時代!涙と鼻水でもう顔中グシャグシャだ。調子はもう過去最悪に絶不調さ!


 こんな情けない姿を幼馴染が見たら、きっと心配してハンカチで顔を拭いてくれただろうなぁ。優しい子だったもん。あはははは。




「うぼぇっ!」




 おっと、思い出したらまた吐き気が襲ってきちまったぜ!もう涙も出まくって頭痛がすごいっていうのに、感情って不思議だなぁ。


 心も体もぐわんぐわんだよ。多感な思春期だからかな?人が何故不良になるのか、わかった気がするよ田中くん。




 まあいいや、せっかくだから事の経緯を聞いていってくれよな!こうなったら一蓮托生、地獄への道連れは多いほどいいってね!みんなも一緒に涅槃へと赴こうZE✩








 事の始まりは今日の放課後。俺は幼馴染兼彼女である音東良恋歌ねとられんかに呼び出され、部活が終わった後にウキウキ気分で待ち合わせ場所に向かったのだ。




 そこに居た彼女にごめん、待った?なんていかにもなデートのテンプレ台詞を投げかけたのだが、返ってきた言葉は「ごめんなさい、もう別れて欲しいの」という、プレートどころかチタン合金すらぶち抜けそうなほどの頭部めがけた剛速球ストレートだった。




 それをまともに喰らったのだから、そりゃあもう俺はポカンとしたね。


 口をあんぐりと空けて恋歌がなにを言っているのかもわからなくなり、某宇宙猫みたいな真顔で、俺は世界の真理を悟りかけた。


 だけどすぐに気を取り直し、どうしてそんなことを言うのか問いただそうとしたところで、背後からサッカー部の先輩である槍佐やりさが登場。


 そして硬直する俺の横を笑いながら素通りし、恋歌の肩に手をかけた後、俺の目の前で熱い濃厚接触を果たしたのである。




 ジェットコースターってレベルじゃねーぞ!展開が早すぎて頭が追いつかねーよ!万年成績下位を舐めんなコラァッ!!






 ……コホン。まぁ成績のことは忘れてくれ。


 いやー、まさしく鉄板のNTR展開。俺がスポーツに青春を捧げていた間、やつらは性春に身を捧げていたってわけだな。ははっ、上手いこといいよるわ。




 離れていく両者の口から透明なアーチがかけられているのを綺麗な空を見ているようなピュアな顔で見つめながら、脳内で般若心経を唱えていた俺に、槍佐はさも勝ち誇ったようなドヤ顔で、様々なことを語ってくれた。






 曰く、下級生の俺が自分の代わりにレギュラーに選ばれたことに腹が立ったこと。




 曰く、どうにか俺にひと泡吹かせられないかと思っていたら、恋歌という幼馴染の彼女がいることを知ったこと。




 曰く、恋歌の容姿が非常に槍佐好みであり、俺なんかには勿体無いと思ったこと。




 曰く、恋歌を自分のモノにすることで同時に俺への復讐を果たせる一石二鳥の策を思いつき、それを実行に移すべく恋歌に接触したこと。






 そして俺が部活で会えない寂しさを埋めるように、恋歌の心の隙間に入り込み、最近ようやく相思相愛の仲へ至ったことを、それはもう赤裸々に語ってくれたのだ。






 はー、ほー、なるほどねー。そっかー、寂しかったんだー、ならどうしようもないよねー。でもそれ完全にビッチの思考だよねー。長年一緒にいたけど気付かなかったなー。なんで言わないかなー。あははははは。




 いやまぁ槍佐がよく部活をサボっていたのは知ってたけど、よくもまぁやるもんだ。


 だからレギュラー取れないんだと思うが、その腹いせに俺の彼女を寝取るのは、なんか違うんじゃないですかねぇ!その努力を別のことに使えってんだよ!


 今日の呼び出しはその仕上げであり、別れを突きつけることで俺の間抜け面が見たかったらしい。


 そしてご所望通りのハニワフェイスを浮かべた俺を見て爆笑する槍佐パイセン。


 いやぁ、360度どっから見ても純度100%の嫌なやつだ。




 いくら顔が多少良くて優しくしてくれたからって言っても、明らかにこっちが本性だよ?普通引かない?


 なんで恋歌さんはそんなウットリした目で横の浅黒上の下イケメンを見てるのか、俺にはさっぱり分からないYO☆




 あれか、テクか。先輩のあれそれが、よっぽどお気に召しましたか。


 サッカーのテクはイマイチなのに、恋愛テクはプロ級ですかい。入る部活間違えたんじゃない?テクニシャン部にでも入っとけや。




 こんなのに俺たちの十四年の付き合いが負けたとは、世界って残酷っすな。




 いや、辛いわ。マジで辛い。その後も下衆な高笑いを続けるクソヤリサーと側に付き添う最愛の幼馴染を見続けることができないくらい、俺の心は苦しくて苦しくて仕方がない。




「……くっ!」




 だからそれが槍佐を喜ばせる行為であると分かっていても、俺は二人を背にしてただ駆け出すことしかできなかった。




「ハハッ!逃げやがったぜ羽納のやつ!彼女寝取られて、逃げることしかできないなんて、あれこそ負け犬ってやつだ。ざまあみやがれ!」




 背後から槍佐の勝ち誇った声が聞こえてくる。それにはオスとして完全に上位に立ったことの優越感と、隠しきれない勝利の愉悦が含まれていた。




「く、ぅぅぅ…」




 だけど、俺はそれに怒りを覚えることすらできない。


 彼女を寝取られたというのに怒ることすらなく、殴る度胸も持ち合わせていない俺にできたことは、今すぐその場を離れるという選択のみ。






 この瞬間、俺たちの上下関係はハッキリと決まったのだ。






 俺は彼女を寝取られてただ逃げ出すことしかできないヘタレの負け犬で。




 槍佐は可愛い彼女を自分の力で手に入れた強き雄であることが、残酷なほど明確に定まってしまった。




「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」




 そんな情けない負け犬は無様にただただ走り続け、自分以外誰もいない住処へとようやくたどり着いたというわけだ。


 転がり込むように玄関を開け、安堵の息を漏らしたときの俺は……きっと、さぞかし無様だったことだろう。








 以上が回想。帰宅した俺は即座にトイレに駆け込み胃の中のものを全て吐き出していた。


 それでも胃のムカツキと荒れ狂う感情は収まることなく、現在は大号泣の真っ最中。親が出張で家を空けていて良かったとつくづく思う。




 今の俺を見たらきっと即座に事情を問いただされ、病院へと連れ込まれていたことだろう。そんな情けないことは、最後に残ったなけなしのプライドが許せそうになかった。




「畜生、畜生…」




 頭がひどく痛む。まるで万力で締め付けられているかのようだ。


 泣きすぎたことが原因か、それとも最愛の彼女を寝取られたショックが俺の脳を焼き切ったのか、それは分からない。どちらでも構わないし、どうでもいいことだ。




 ここまで強引に悪ふざけをしてなんとかここまで自我を保ってきたが、そろそろ限界が近づいているのが、自分でもよくわかっていた。




「なんでこうなった。なんで…」




 確かなことは、俺の隣にこれまでずっと一緒にいた女の子はもういないということだ。


 恋歌は槍佐の女になり、俺に笑いかけてくれた幼馴染は記憶の中に消えてしまった。




「ぐ、ぅぅぅぅ」




 それがただ悲しい。俺は恋歌の笑顔をずっと見ていたかったのに。だから大事にしていたのに。




 あいつは槍佐に強引に肩を抱かれ、愛を囁かれることに満足を覚える女だった。


 優しいだけでは心を満たすことはできないのだと、俺はようやく知ったのだ。




 だけど全ては後の祭り。今残っているのは裏切られたことによる哀しみの気持ちしかない。俺はただただ惨めだった。


 いや、実際裏切ったのは確かだが、俺は心の底ではまだ、恋歌を信じていたかったのかもしれない。自分でも呆れるほどに女々しかった。




「情けねぇよ、俺…」




 あんなにまざまざと、二人の仲を見せつけられたというのに。




 そう、あんなにもまざまざ、と……






 ―――ごめんね、加惟。貴方じゃもう、満足できないの






「ぐあああああっっっっ!!!!」






 突如襲ってくる強烈なフラッシュバック。




 網膜に焼き付いたあの光景が、思い出したくもないのに鮮烈に脳へと情報を送り込む。




 やめてくれ、もう許してくれと願うのに、身体はいうことを聞いてはくれなかった。






 そして俺はもう一度垣間見るのだ。






 あのふたりがそれこそ、恋人同士のキスを交わしている、あの姿を―――






「うわあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」






 それが限界だった。強烈極まる寝取られによるトドメの一撃は、一瞬で残った俺の脳細胞をことごとく破壊し尽くしていく。


 俺は確かになにかが粉々に砕けていく音を耳にしながら、絶叫とともに意識を闇の中へと手放した。














 チュンチュンと、外でなく雀の声で目が覚めた。




「う、あ…」




 どうやら随分深く長く、眠りについていたようだ。着たままだったシャツは半乾きで、涙と鼻水がべとついていたし、部屋にはすえた臭いが充満している。よくこれで眠れたものだと我ながら呆れてしまう。それだけショックだったということだろうか。




 幸い、夢は見ることはなく気がついたら起きていたので、目覚め自体は悪くない。いや、まるで生まれ変わったかのような爽快感が俺の全身を支配していた。




「おかしいな。なんでこんなに落ち着いているんだろう。寝取られたショックで、俺おかしくなっちまったのかな…」




 昨日とは違う自分の精神状態に俺は驚きを隠せない。


 周りをみる余裕すらある。


 壁の時計を見ても、時間はまだ6時を過ぎたばかり。今日は休日だから、いつもよりずっと早く起きてしまったようだった。




「シャワー浴びるか…」




 とりあえずさっぱりしたかった。肌に張り付く感触が不快だ。


 起き上がろうとしたところでスマホの点滅に気がつき、なんとなしに手を伸ばす。


 もしかしたら俺が寝落ちした間に、友人からなにかしら連絡があったかもしれないと思ったからの行動であったのだが…電源を入れた途端、俺は困惑することになる。




「へ…?げ、月曜日?」




 日付が変わっていたこと自体は驚くことじゃない。


 問題は、俺が寝取られたのは金曜日の放課後であったことだ。


 記憶が確かなら俺がショックで倒れたのはその日の夜で、眠りから覚めた今日は土曜日でないとおかしいのだから。




 だけどスマホの表示はキッチリ月曜日を示しており、日付も二日分が経過している。


 慌てて他のアプリも確認すると、そこには何人かの友人から連絡が入っていた。


 遊びの誘いや部活のことなど様々だが、連絡があった日時は土曜日だったり日曜日のものだったりと、確かに時間の経過を現しているものだった。




「どういうことだ、こりゃ…」




 自分の感覚と認識のズレに、俺は大いに戸惑っていた。


 それでも事実として受け入れなくてはならないことがある。




 俺は二日間寝続けていたこと。今日は月曜日であること。


 そして今日は学校があることだ。


 全く訳がわからないが、現実を確かめる方法は確かにあった。


 俺はそれを実行することに決めた。






 学校に行こう。


 ある意味これは好機だ。今は落ち着いてるけど、いつぶり返すかもわからない。


 ひとりでじっと引きこもっていたら発狂する可能性もゼロではないのだ。


 土日休みを家で過ごしていたら、俺の気持ちはますます鬱々としたものになっていたに違いない。




 そういう意味では学校に行っていたほうがよっぽどマシだと思うのだ。人の多さに揉まれていたほうが、気が紛れることもあるはずだ。


 部活だって、できれば休みたくなんかない。今は大会を控えた大事な時期なんだ。俺の都合で周りに迷惑をかけるわけにはいかなかった。




「そうと決まれば…行くか」




 決意を新たにした俺は、換気のために窓を開け放った後、洗面所に向かって歩き出す。その足取りは二日間眠っていたものとは思えないほど、しっかりとしたものだった。










 いってきますと挨拶を家に投げかけ、俺は玄関に鍵をかける。


 シャワーとともに様々なものを洗い流した今は気分がいい。


 さっぱりとした爽快感が身を包み、どうにかなるんじゃないかという気持ちが自然と沸き上がりつつあった。


 そんな不思議な高揚感とともに、俺は第一歩を踏み出したわけなのだが…




「あ…」




 いきなり出鼻を挫く事態が、早速俺を待ち受けていた。


 隣家から俺と全く同じタイミングで、恋歌が姿を現したのだ。




「れん、か…」




 朝の日差しを浴びた恋歌は、相変わらず可愛かった。俺が好きになった女の子は、他人のものになったというのにその清楚な雰囲気は少しも損なわれていない。




 生まれた時からの幼馴染。親同士も仲がよく、その関係で様々な行事もずっと一緒だった。


 だんだん綺麗になっていく恋歌のことを、俺はずっと近くで見ていたし、そんな彼女に釣り合う男になりたいと思っていたのだ。




 とはいえ勉強には自信が全くなかったから、代わりに好きだったサッカーに打ち込んだ。


 恋人になれた恋歌に会いたいという気持ちも押さえ込み、精一杯努力をしてきた結果、二年でレギュラーになれた。


 友達も祝福してくれたし、先輩も褒めてくれて次期キャプテンはお前だなって、言ってくれたりもしたっけ。




 全てが上手くいっていると思ってた。これからも恋歌と一緒に歩いていきたいと思ってたんだ、そのために頑張ってきたつもりだった。




 だけど、それは全くの無駄だった。俺は恋歌のことをなにも分かっておらず、自分ひとりで勝手に盛り上がっていた道化でしかなかったのだ。




 俺は自分で自分を笑うしかない、どうしようもないピエロだった。




「……俺、先に行くから」




 そんなカスのような俺に言えたのは、それだけだった。


 俯きながらなるべく恋歌の顔を見ないようにして、俺は強引に足を前へと運んで駆け出していく。




 後ろから「あっ」という小さな声が聞こえた気がするが、それはきっと気のせいだ。


 槍佐と付き合うことを選んだ恋歌が、俺に気をかける理由なんてどこにもない。


 だから、この胸を貫く張り裂けそうな痛みもきっと、気のせいなんだ。


 恋歌を取られたと思うだけで、まるで興奮しているかのように心臓の鼓動が高まり続けるのは、間違いなくおかしいのだから。




 俺は自分にそう言い聞かせ、全力でその場を離れるのだった。














 なにかおかしい。


 そのことに気付いたのは、走り出してしばらく経ってからのことだ。


 俺は確かに恋歌から一刻も早く遠ざかりたかった。だから全力で走ったし、今もそうしている。そう、俺は未だ走り続けている最中だ。


 全力で、スピードを落とすことなく。止まることなく。




 サッカー部の中でも俺は足が早いほうだし、持久走にも自信はあったが、それでも明らかに変なのだ。


 まるで疲れを感じないし、それどころか身体が羽のように軽いくらいだ。


 全力疾走を続けているにも関わらずである。いや、それどころかますます加速してる。一歩踏みしめるごとに、どんどん速くなっていることが実感できた。




(どうなってんだこりゃ…)




 困惑しながらも足を止めずに走っていると、あっという間に学校が見えてくる。


 いつもよりずっと早い到着になるけれど、安堵の気持ちよりもなんだか勿体無いという気持ちが強い。




 まだ走り足りない、もっと俺は成長できる。そんな限界を越えることへの喜びが、俺の身体を支配していたからだ。


 自分の変化に戸惑いはあるけれど、それでも頬を伝う汗が、妙に心地よかった。










 校門にたどり着く。人がまだ少ない時間帯とはいえ、さすがに玄関まで走る姿を見られるのは恥ずかしい。


 スピードを緩めながら身体に未だ篭る熱を冷まそうとしていたところで、俺は声をかけられた。




「あれ、羽納くん?」




「ん?」




 その声に振り返ると、そこにいたのは一人の女子生徒。


 制服を着て肩にカバーをかけたテニスラケットを背負うその姿に、俺は見覚えがあった。




「あ、虎瀬か。おはよう」




「うん、おはよう。今日は早いんだね。サッカー部も朝練あるの?」




 元気に挨拶を返してくると同時に質問をなげかけてきたのは、クラスメイトの虎瀬風子とらせふうこだ。


 テニス部に所属しており、運動部という繋がりもあってクラスでは比較的良く話す女子である。


 少し焼けた肌に長い黒髪が印象的な美少女で、クラスでは恋歌に並んで人気がある子だ。距離感が近いのが、男子を勘違いさせる要因であるらしい。


 俺は恋歌と付き合っていたからそこらへんを意識することもなかったのだが、確かに近い。俺のすぐ前に立ち、少し低めの背丈でこちらを見上げるその姿は、どことなく庇護欲を掻き立てられた。




「いや、そういうわけじゃないんだ。今日はたまたま早くこなくならざるを得なかったというか…」




 急に湧き上がってきた感情から目をそらすように、俺は若干口ごもりながら虎瀬の質問に答えてゆく。


 その事情に関して考えると、胸が痛む。さっきまでは自分の身に起こりつつある変化への戸惑いから忘れていたが、恋歌とは同じクラスのためどうしても顔を合わせざるを得ないのだ。


 暗礁に乗り上げつつある今後のクラスでの立ち位置を考えると、俺は早くも気が重かった。




「そうなんだ。でも、恋歌ちゃんはいいの?いっつも一緒に登校してきて、とってもラブラブだったのに」




 実は喧嘩して別れちゃったり?なんて冗談めかして聞いてくる虎瀬に、俺は返す言葉を持たなかった。正確には少し違うが、別れたことは事実である。そのとおりとしかいいようがない。


 それどころか、多分その言葉を聞いた途端、苦虫を噛み潰したような顔をしていたと思う。自分で言うのもなんだが、俺は結構顔に出やすいタイプだった。




「……え、ウソ。ほんとに?」




 虎瀬は存外こういったことに敏いのか、そんな俺の変化に気付いたようで、笑顔から困惑、そして最後に心配するような顔をして、こちらを覗き込んでくる。


 こうなると誤魔化すか正直に話すかの二択なのだが、俺は浮気されたことを笑顔で流せるほど、肝の太い男じゃない。




「……本当だ」




「そんな……」




 しばし逡巡した後、俺が選んだのは後者だった。


 頷く俺に、虎瀬はひどく悲しそうな顔を見せた。


 何故か彼女のほうが目を伏せて、やがて顔を俯かせる。


 こんな反応をされるとなんとなく居た堪れなくなって、俺もつい目をそらした。




「好きな人ができたんだってさ。できれば黙っててくれよな。はっきり言って、いい話じゃないから」




 男としては限りなく情けない話だから、別に同情して欲しくはなかったし、できれば誰にも知られたくもなかった。浮気の話は伏せて、その事実だけ口にする。




 俺と恋歌が付き合っていることはみんな知っていたし、クラスでは半ば公認状態であったから別れたことが知られるのは時間の問題であっただろうけど、それでも心の整理もつかない状態で噂されるのは正直キツイ。




「うん…それは…ねぇ、羽納くんはその、恋歌ちゃんの浮気相手、誰か知ってるの?」




「……いや、浮気ってわけじゃ…」




 なにか迷いながら、それでも探るように虎瀬は言った。彼女の言葉に、俺は思わず口ごもる。


 仮にも先日まで付き合っていた相手を、悪く言いたくないという気持ちがあったのだ。言い換えれば、俺のヘタレの部分が顔を覗かせていた。




「浮気だよ!羽納くんと付き合ってるのに、他の人を好きになったんでしょ!そんなのサイテーなんだから!」




「あ、おい!声でかいって!」




 擁護しようとした俺に、虎瀬は激昂して大声を張り上げた。


 まだ人通りが少ないとはいえ、それでも顔を知っている生徒がいないわけじゃない。現に俺たちのほうを見てくる生徒もチラホラおり、朝から注目を浴びつつある。


 俺は焦りから虎瀬の口を手で塞ぐのだが、腹の虫が収まらないのか少しの時間モガもがともがいた後、ようやく落ち着いたのか、俺の手をトントンと叩いてきた。


 目の色も苦しそうにしていたため、ここでようやく俺は手を離した。




「プハァッ、ちょっと!ひどいよ!」




「落ち着いたか?」




 大きく息を吐き、酸素が足りずに顔を赤くした虎瀬が、それでも恨めしげに俺のことを見上げてくる。


 それに俺は動揺することもなく、落ち着いて声をかけた。自分以上に感情が揺れ動いている人を見ると、人間冷静になれるものなのかもしれない。




「いや、まぁさっきよりは落ち着いたけどさ。ていうか羽納くん力強すぎ。全然振りほどけなかったんだけど」




 俺はドキリとした。さっきのダッシュの時点で自分の身体能力が向上していることは察していたが、こうして口にされると嫌でも実感してしまうものがある。




「……まぁ、一応鍛えてはいるからな」




「ふぅん…頑張ってるんだね」




 俺は咄嗟に誤魔化した。なんだか特撮ヒーローのような、人に知られてはいけない秘密を抱えているような気持ちだ。


 虎瀬はなにやら感心しているようだが、やはり俺は寝取られ以前の自分とは違ってきている。それが何故かはわからないが、今はまだこのことはおいておこう。




「それより、さっきのことなんだけど…」




「あ、そうそう!ねぇ、それで恋歌ちゃんの浮気相手って誰?私の知ってる人!?」




 話を戻そうとしたところで、虎瀬はまた思い切り食いついてきた。


 やはり声がでかい。また塞ごうかと思ったところで、虎瀬は気付いたのか自分の口を慌てて押さえつけた。


 二の舞はごめんということだろうか。こちらとしても、そのほうがありがたくはあるのだが。




「三年の先輩。同じ部活の、槍佐って人」




 ここまで興味を惹かれるようでは適当にはぐらかすのは無理だろうと思った俺は、槍佐の名前を口にした。


 途端、虎瀬は眉を顰める。なにやら心当たりのありそうな顔だ。それを見て、俺の心臓がドクンと跳ねた。




「槍佐ってあの女ったらし?うわぁ…」




「え?知ってるのか?」




 既に寝取られていることは伏せたが、虎瀬は槍佐と聞くと渋面を浮かべてなにやらドン引きしたようだった。


 虎瀬があいつの名前を知っていたとは、少し意外だ。


 彼女ももしかしたら、あいつと関わりがあるかもしれない。




(そうだとしたら…も、もしや虎瀬も槍佐と…)




「知ってるもなにも、女子の間じゃ有名だよ。誰彼構わず可愛い子には声をかけるって評判も悪いし。私の先輩も粉かけられてて、私も前に…ちょっと、なんでそんなに息荒げてるの…?」




 もっと話を続けて欲しかったのに、何故かこちらを心配したような顔をして虎瀬は話を区切ってしまう。




 くそっ、いいところだったのに!早く続きを!続きを聞かせてくれよ!槍佐とは一体どうなったんだ!?




「き、気にしないでくれ。まだちょっと疲れているんだ。そ、それで虎瀬は、槍佐さんとどうしたんだ!?」




「え、ええ…どうもしないけど…適当にあしらって、それで終わりだよ。別に私あの人のこと、どうも思ってないし。それに、私は…」




 思わず鼻息を荒くして問い詰めたところ、返ってきたのはあまりにも素っ気ない内容だった。正直いって期待はずれだ。


 槍佐さんは先輩なんだし、もっと優しく対応してあげてもいいものを。


 虎瀬はなにやらこちらをチラチラと見てくるが、これで話は終わりということだろうか。




「そっか。残念だけどしょうがないな。まぁ槍佐さんが評判悪いことはわかったよ。でも俺にはもう関係ないことだし、どうこうするつもりはないんだ。だからさっきも言った通り、できればこのことは…」




 俺はそう判断し、ここで恋歌に関する話は打ち切ることにした。


 実際俺からはもう恋歌に関わるつもりはない。俺のようなヘタレ野郎が槍佐さんに敵うはずもないし、恋歌も俺に靡く可能性なんて万に一つもないだろう。




 そう思うだけで胸が張り裂けそうだ。何度も味わっているこの痛みだけど、何故か妙に心地よくなりつつあるのは、壊れた心がまだ修復されていないからかもしれない。




「それなんだけど、私はもう言っちゃったほうがいいと思う」




 だけど虎瀬は違ったようだ。赤らめた顔を凛とした表情に染め上げて、俺に再び向き直ると、そんなことを口にした。




「え、なんで?」




「ないとは思うんだけど、羽納くんが悪者にされちゃう可能性があるから。浮気したのは羽納くんのせい、悪いのは羽納くんのほうだって、先に恋歌ちゃんが言う可能性があるから、それを潰すべきだと思うの」




 俺は虎瀬がなにを言っているのか分からなかった。


 俺が悪者?なんで?寝取られたのは俺の方で、客観的に見たら悪いのは、100%向こうの方だと思うんだが。




「言いたいことは分かるよ。それだけ恋歌ちゃんを信用していたんだっていうことも。ほんとに好きだったんだね」




 そんな疑問が顔に出ていたのか、虎瀬は軽く苦笑すると、改めて顔を引き締めた。




「でもね、女の子って、こういうときは怖いことが平気で出来ちゃったりするの。明らかに悪いのが自分であっても、周りにそう思われたらどうしようかって考えたら、好きだった人より自分のほうを取ったりするんだよね。そうでなくても、槍佐先輩が入れ知恵して立ち回るかもしれないし、先に手を打っておいたほうがいいよ」




 そう言って虎瀬は俺の目をじっと見つめてきた。


 その眼には俺に対する心配と、信じて欲しいという強い想いが浮かんでいる。


 それを見て俺は心が揺さぶられるのを、確かに感じた。




「そう、か…?」




「そうだよ、絶対」




 虎瀬の目に気圧されるように微かな声を漏らす俺に、彼女は力強く頷いた。


 絶対の自信と確信を含むその姿を見て、天秤が徐々に傾いていく。




「虎瀬がそこまで言うなら、そうしようかな…」




「!!うん!じゃあ教室いこ!私もフォローするからさ!」




 女子の人間関係なんて、サッカー一筋で生きてきた俺にはわからない。


 だけど、虎瀬を見てるとだんだん彼女の言ってることは正しいのではないかと思ったのだ。


 だからつい虎瀬の言葉に納得し、そんなことを言ってしまったわけなのだが、彼女の行動は素早かった。


 俺の手を引っつかむと、グイグイと前に向かって歩き出す。その手は妙に力強く、そして少しだけ汗で湿っていた。




「あ、おい!」




「善は急げだよ!さぁいこう!」




 こんな姿を見られたら、それこそ俺が浮気しているのを肯定する材料になってしまうのではという疑問が湧いてきたが、虎瀬には思いついてもいないらしい。


 自信満々に前を歩く虎瀬に引っ張られるように、俺はその後ろにただついて行くのだった。














「ええっ!?別れたってマジかよ!?」




「ウソでしょ!?あんなにラブラブだったのに!?」




 結論から言うと、俺と恋歌が別れたことを公表した朝の教室は、すっかりお祭り騒ぎと化していた。


 虎瀬と一緒に教室に現れた俺を見て寄ってきた友人たちに、ここに来るまでの打ち合わせ通り、半ば茶化しながら俺たち二人の破局を説明したのだが、その反響は予想以上。周りはすでにざわついている。




 皆には大層驚かれたし、何人かには詰め寄られて事の経緯に関して説明を求められたりもした。というか今も絶賛その最中であり、肝心なことはぼかしつつも一応の経緯を話しているところだ。




「まぁいろいろあったんだよ。で、恋歌のほうから別れて欲しいって言われてさ…」




「そうなのか…なんつーか、わからないものだなぁ」




「羽納くんレベルのイケメン捨てるとか、相手どんなイケメンなんだか。音東良さんて、実はかなり面食い?」




 俺の言葉を受けたクラスメイトは、それぞれ好き勝手にこの話題について話している。


 人の色恋沙汰に随分熱心なことだと思ったが、この感じを見るに先手を打ったことはやはり正解だったのかもしれない。




「あはは、どうだろ…ショックはショックだけど、俺は大丈夫だよ。この土日で、気持ちに整理はついたから」




「マジか、すげーな羽納。俺なら無理だわ」




「羽納くん…」




 今の皆が俺を見る目は、だいぶ同情的だ。


 恋歌に振られた俺を不憫に思っているのかもしれないが、見下されているようで正直ゾクゾクするな。


 今は快感を感じられるからいいのだが、もしこれが俺が恋歌を振ったと先に言われていたらと思うと…背筋がゾッとする。おそらくこんな好意的な視線を向けてくれることはなかっただろう。




 そんなことを考えていると、不意に教室のドアがガラリと開いた。


 そこから顔をのぞかせるのは栗色の髪をした女の子。恋歌だった。




「お、おはよう…」




 俺を中心に賑わうクラスメイト達の姿に、恋歌は一瞬肩をビクリと震わせるが、すぐにおずおずと挨拶を告げてくる。




「あ、うん…」




「おはよ…」




 学年でも有名な美少女であり、普段は人気者であるはずの恋歌の登場であるというのに、クラスメイトの反応はどこか冷たいものだった。


 普段は多くの生徒が恋歌に挨拶を返すのだが、今日は数人の生徒のみ。


 それも恋歌に近しいものだけだ。普段は恋歌と仲のいい虎瀬も、今は無反応を貫いている。


 それどころか、恋歌に対し睨むような強い視線を送っており、それに気付いた恋歌はますます身体を萎縮させる。




「あ、う…」




 身を縮こませた恋歌は、助けを求めるように俺を見た。


 昔からそうだ。恋歌はなにかあると、すぐに俺を頼ってくる。


 それを俺は男として嬉しく思っていたし、守らなきゃと思っていた。




 だけど、もうそれはできない。今の恋歌の姿は、きっと別れを公表しなかった場合の俺の姿だ。


 立場が逆だったらこうなっていたのだと思うと、とても同情する気にはなれない。




「おはよう、音東良さん」




 だから俺にできるのは、ただ挨拶を返すことだけだ。


 それも、もう俺と恋歌にはなんの関わりもないことを示す、決別の挨拶を。




「あ…あ…」




 俺の挨拶を受けた恋歌は、何故か絶望したような表情を浮かべている。


 顔を青ざめ、信じられないものを見たかのようだ。


 そんな顔をする必要なんてないというのに、まるで取り返しがつかないことをしてしまったことに、今さら気付いたみたいじゃないか。




(そんな顔をするなよ、恋歌)




 恋歌にはそんな顔をしないで欲しかった。


 俺を見下して欲しかった。俺が槍佐さんに雄として敵うはずもない虫けらのような、何故生きているのかもわからない下等生物であると示すように、あの時のような目で同情するように見て欲しい。






 そのほうが、俺は滅茶苦茶興奮するのだから。俺は生きている価値のない存在であると、俺を捨てた彼女に証明して欲しかったのだ。






 そんなことを思う自分の内面の変化に、俺はまだ気付かない。


 自身に芽生えた寝取られ性癖、そしてドMとしての素質について自覚がないまま、一時間目を告げるチャイムの音が響き渡った。












 さて、ひとまず騒ぎが収まり、あとは放課後まで何事もなく進んだ…というわけにはいかなかった。


 一時間目の数学の時間で、それは早速起こったのだ。




(うー、だっる…勉強なんて無理だろ無理無理)




 HRも終わり、チャイムが鳴って先生が来るのを待つ僅かな時間。


 俺は机から取り出した教科書を広げながら、早くもさきほどの元気を失いつつある。


 勉強は昔からさっぱりなのだ。特に数学に関しては苦手も苦手で、数式を見るだけで頭痛がするレベルといえばお察しだろう。




 俺はサッカー推薦目指してるから、わざわざ勉強なんてしなくても…そんなことを思いつつ、教科書を適当にペラペラめくる。空いたページに落書きでもしようと思ったからだ。


 適当なページを見繕い、さてなにを描こうかと思っていたところで、タイミング悪く先生が姿を現した。




(うぇ、相変わらず来るの早いわ。自習でいいのに)




 数学の三田先生は神経質で時間にもうるさい人だ。生徒からの評判もイマイチで、俺もそこまで好きじゃない。


 教科書に落書きをしていると怒られた経験が何度もある。さらに寝るのも厳禁というのだから、まさに体育会系男子の天敵といっていい存在だった。




 授業の挨拶をして着席をすると、早くも気分が重くなる。


 これからの時間は、きっと長く辛いものになるだろう。体感時間はきっと限りなく長くなること請け合いだ。




「はぁ…」




 そんな気持ちがつい漏れてしまい、ため息をついてしまう。


 いろいろと疲れていたせいもあるかもしれないが、困ったことにその日はとことん運が悪かったらしい。




「ほう、私の授業がそんなに憂鬱か?羽納」




 俺のため息に気付いた三田先生が声をかけてきたのだ。


 その声には若干に怒りが込められている。どうやら彼は、朝から随分ご立腹であるようだった。家でなにかあったのだろうか。




「い、いえ、そんなことは…」




「なら、これを解いてみろ。勉強熱心な羽納ならできるだろう?」




 そう言って三田先生は黒板をトントンと叩く。


 そこには数式が書かれているのだが、さっきまで物思いに耽っていた俺にはさっぱりだ。


 先生は意地悪く笑っているし、それがわからないはずがない。つまりこれはさらし者という名前のお仕置きであるようだった。




「まいったなぁ…」




 まぁ今回は俺が悪いし、甘んじて受け入れよう。


 なんとか笑いのひとつでも取れれば上出来だ。先生も次からはちゃんと聞くようにと流してくれるに違いない。




 諦めた俺は立ち上がり、黒板に向かって歩き出す。すぐに到着した俺はチョークを片手にさて解いたふりでもしますかと意気込んだのだが…




(……んんん?)




 何故だろうか。数式を見た瞬間、俺の脳裏に瞬く間に答えが浮かび上がってきたのだ。さきほどパラパラとめくったページの図式が、次々と勝手に組みあがり、鮮やかに頭の中に広がっていく。


 そこには答えだけでなくそこに行き着くまでの式も明確に存在しており、俺は一瞬固まってしまう。




「ど、どういうこと…?」




「おい、羽納。さっさと書け。わからなくてもとりあえずはな」




 飛びかけた意識をつなぎ止めたのは、横から聞こえてくる意地悪な声。三田先生のものだ。


 俺は訳がわからないまま、その声に背中を押されるように震える指先でチョークを黒板へと押し当てる。


 カツカツという音が教室内へと響き、俺は浮かんだ式と答えをそっくりそのまま書き写していた。




「解けました…」




「…なに?」




 そして全て書き終わり、横を見ると先生は怪訝な顔をしているのが見て取れる。


 俺が問題を解けるとは、まるで思っていなかったらしい。明らかに驚いている様子だ。


 失礼な。とはいえそれは俺自身も同じであり、なんでこれが書けたかサッパリだ。




 先生もそう思ったのか、じっくり舐めまわすかのように俺の解いた問題を何度も目を瞬きしながら読み解いている。そうして少し時間が経った後、やがてなにか諦めたかのように、先生はがっくりと肩を落とした。




「正解だ…」




「え…」




 頭の中でクエスチョンを描いていると、先生がそんなことを言った。




「正解って…」




「だから正解だよ。よく解けたな、これは結構難しい問題だったんだぞ。私も驚いた。だけど、授業自体はしっかり聞くように。さぁ戻れ」




 いつもより優しい口調で促された俺は自分の机に戻るのだが、教室の皆も少し驚いたような顔を浮かべている。俺が勉強ができないことは、クラスでは有名だからだ。


 だけどきっと、俺も同じような顔を浮かべていることだろう。




(本当に、なにがどうなっているんだ…?)




 まるで訳がわからない。身体だけでなく、俺は頭までおかしくなってしまったらしい。


 もう一度教科書をめくるのだが、そこに書かれている文字がまるで水のように頭の中に染み込んでいくのを、俺は呆然としながら受け止めていた。














 その後のことはもう語るまでもないだろう。


 全ての授業で同じことの繰り返しだ。今まで分からなかった勉強が、教科書を読むだけで次々理解できていった。


 何故これまでこんなことが分からなかったのかと、自分で自分が信じられなくなるほどに、知識がスポンジで水を吸うかのように吸収できるのだから、喜びよりも困惑の気持ちがずっと強かったのも、無理からぬことだと思う。




 当然クラスメイトからはそのことで質問攻めにあったが、これからは勉強に力を入れることにしたのだと誤魔化した。朝のこともあって気遣ってくれたのか、あまり深く追求しないでくれたことには感謝している。




 部活に関しても同様で、いくら身体を動かしてもまるで疲れることがない。息が上がるどころか、乱れすらなかった。


 身体のキレも絶好調で思った通りに動かせる。今までできなかったようなプレイが簡単にできるようになったうえに、周りを見ることなく敵味方の位置を把握することができるという、いっそ超能力じみたことすらできるようになっていた。


 これには先輩や監督からも驚かれ、大いに困惑されたものだ。もちろん俺が一番戸惑っていたのだが、この頃にはもはや自分の変化に慣れてしまった。






 それくらい激動の一日だった。


 寝取られたことによって起きた変化は、あまりにも劇的すぎた。






 だけどそんななかで皆が皆、俺に抱いた感想は同じであったらしい。




 彼らは口を揃えてこういうのだ。






 ―――まるで別人になったみたいだ、と。








「俺、マジで変わっちまったのか?宇宙人に乗っ取られたりしてないよな…?」




 家に帰った俺は自室で膝を抱えていた。


 何人にも指摘されると、それが事実であるかのように思えてしまうのが人間の心理というものだ。


 帰宅した頃にはすっかり得体の知れない恐怖が俺のなかに渦巻いて、背中にべったりと張り付いていた。


 気のせいだ、たまたま成長期で、所謂覚醒とかゾーンに入ったのだと自分を誤魔化すには、思い当たる節がありすぎた。




「やっぱり、倒れていた時、だよな…あの時に俺、なんかされたんじゃ…」




 自分の改造される姿を思い浮かべ、俺の体はブルリと震える。


 二日間記憶がなくぶっ倒れていた自分。連絡があったスマホ。今日の皆の反応と、否定するにはあまりにピースが揃いすぎている。


 そんなのは突拍子もないただの空想だと、俺にはどうしても笑い飛ばせなかった。




「検索、してみるか…」




 震える手を伸ばして、俺はスマホを取った。


 頼りになるのは情報世界だ。友達に相談しても笑われるか、病院に行けと言われるだけだろう。それはなんとなく怖くて、無意識のうちに後回しにしてしまったのは、やはり俺がヘタレだからだろうか。




「えっと、あの日起こったことでなにかありそうなのは…」




 とりあえず現状で心当たりがある単語で、片っ端から検索をかけてみることにする。とにかく、なにか安心できる材料が欲しかったのだ。




「…………ん?これは…」




 そうして検索することはや数分。


 めぼしい情報が見つからず、もう大人しく病院に行くしかないのかと諦めかけていたところで、ふと目に止まった単語があった。




「脳破壊…?」




 それはNTRで検索をかけていた時のこと。


 寝取られは脳を破壊するという、過激な言葉の羅列が目についたのだ。


 続けて調べていくと、どうも恋人の寝取られが発覚して強いショックを受けた時のことを刺すらしい。


 ただの比喩表現かと落胆しかけたが、俺にはその状態に心当たりがあることに気がついた。




(そうだ、俺はあの時…)




 意識がブラックアウトして意識が途切れ落ちるあの瞬間、俺はなにかが砕ける音を確かに聞いた。


 耳鳴りがするほどの炸裂音。これまでの全てが崩壊していくあの音は、いったいどこから響いたものだったのか。




(思い出せ、あれは、あの音が聞こえたのは…!)




 あれはもしかしたら、俺の頭の中から聞こえてきた音だったのではないだろうか。


 俺の脳が寝取られという、耐えられないほどのショックを受けたことにより破壊され、全てをシャットアウトしたことによるものだったのではないか。




 そんな仮説が頭によぎる。


 あまりにもバカバカしい、荒唐無稽な考えだが、そう考えると辻褄が合う気がするのだ。






 人間の脳は、普段本来の性能をほとんど引き出せないまま眠っていると聞いたことがある。


 日常生活を送っている間はその力を発揮することなく、フルに活かせるのはピンチの時で、危機的状況によりようやく本来の力を出せるのだと、以前テレビでも見たことがあった。俗にいう、火事場の馬鹿力というやつだ。






 もし仮に脳が破壊されたことにより、リミッターが外れたのだとしたら。




 もし破壊された脳を治すために、二日間の時間がかかり、その間俺は寝たままであったのだとしたら。




 そして脳が修復されてもリミッターは解除されたままで、俺は脳の性能を引き出せる、所謂火事場の馬鹿力状態にあるのだとしたら。






 全て繋がるのではないか。俺が今までとは考えられない能力を手に入れたのも、全ては寝取られにより脳が破壊され、リミッター解除されたことが原因であるのだとしたら…!






「寝取られは…人間が更なるステージに上がるための、進化の鍵だった…?」






 そんな突拍子もない言葉が、自然と口からこぼれていた。


 同時に、俺は全てを理解した。






 これはきっと、俺に授けられた使命なのだと。






「俺がやらなきゃ…」




 俺にしかできないことだ。


 実際に幼馴染を寝取られて脳が破壊された、俺にしかできない。




 俺が人類を導くのだ。俺が人類の脳の神秘を解き明かし、次のステージへと押し上げなければならない。




 そんな使命感が、次から次へと湧き上がる。


 これまでに体験したことのない、圧倒的な充実感が、俺をひたすら後押ししていた。






 だが、どうする。どうすればいい?


 進化するためにお互い寝取られあいましょうとでも、声高に叫んでまわればいいのか?




 いや、ダメだ。それではただのスワッピングでしかない。脳が破壊されるほどのエネルギーなんて、生まれるはずもないだろう。


 最悪俺が頭がおかしいやつ扱いされて病院送りになってしまう可能性も高い。


 この崇高な使命の実現のためには、寄り道している時間などないのだ。


 だとすれば、やはりまずは…




「俺がもう一度寝取られるしかない、か…」




 まずは実験だ。寝取られ脳破壊がどれほどの効果を生み出すか、俺自身が実験体となり証明する以外に道はない。


 上手くいけば、俺の脳は再び破壊され、更なる次元の高みに到達できるかもしれないのだ。




 その時俺はいったい、どれほどのエクスタシーと達成感を得ることができるのだろうか。


 想像するだけで胸が痛くなるほどだ。自然と口元も緩んでニヤついてしまうのも仕方ないことだろう。




 だけど第二のNTRには、ある致命的な問題があることにすぐに気付いた。




「……俺、恋歌に振られたばっかじゃん」




 そう、俺はつい数日前に振られたばかりの孤独なロンリーウルフ。


 ヘタレ童貞のチワワちゃんなのだ。


 これでは女の子が寄ってくるはずもない。寄ってこない男に、彼女ができるはずもなかった。




「クソッ、なんてことだ!人類救済の夢は、ここまでなのかよ!」




 あまりにも完璧な武装理論の前に、俺は慟哭とともに崩れ落ちる。


 目の前にあった机を思わずガン!と殴ってしまい、ヒビを入れてしまうほどのショックだった。


 頭が良くなりすぎるのも困りものだ。先のことが全て理解してしまえるのだから。




「どうすればいい、どうすれば…」




 俺は再び寝取られることができる?恋歌はダメだ。


 アイツはもう槍佐さんの女だし、寝取られに寝取りは御法度だ。


 そんなことをしても誰の得にもなりゃしない。


 手垢のついたビッチなんてお断りである。




 恋歌はただ存在するだけで俺に屈辱感と敗北感を与えてくれる貴重な存在でもあった。そこにいるだけで俺に愛と勇気をくれるのだ。


 彼女は寝取られたからこそ輝く女の子であることを、俺はようやく理解していた。


 真実に気付いた今では憤りの感情などどこにもなく、ただただ感謝しかない。槍佐さんも同様だ。




 俺が人類を救済した暁には彼らを新世界のアダムとイヴとして永久に祀ることも計画しているが、このぶんでは絵空事と化す可能性が高いと言わざるを得ない。


 彼らのためにも、なんとか俺は寝取られなくてはいけないのに…!




「…はっ!そうだ!この手があったか!」




 進化した脳細胞をフル回転させた結果、俺はひとつの可能性を導き出した。


 それは蜘蛛の糸のように細い道ではあったが、これを達成できれば俺はきっと新たな彼女を作れるはずだ。


 そして、その先の寝取られも…!俺は期待と興奮で弾む胸を抑えつつ、カバンから教科書とノートを取り出すと、勉強机へと座っていた。
















 そして月日は流れて一年後。


 三年生になった俺は、卒業の日を迎えていた。




「…………三年E組、御手洗謙人」




「はいっ!」




 多くの生徒が椅子に座り、自分の名前が呼ばれるのを待っていた。


 次々に卒業証書が手渡され、階段を下りてくる生徒のなかには涙ぐんでいる子の姿さえある。




「三年E組、屋島やよい」




「はい」




 そして今、最後の生徒の名前が呼ばれる。その生徒も堂々と胸を張り、校長先生から証書を手渡されていた。


 これにて授与は終わり、次の卒業生代表の挨拶へと移るのだが、俺はその前に軽く襟元を正していた。




 え?何故かって?それはだな…




「卒業生代表、前へ」




「はいっ!」




 その代表が、俺だからだ。








「卒業、おめでとう!」「三B最高!」「みんな元気でねー!」




 卒業式が終わり、最後に教室へと集まったクラスメイトは次々に大声で別れを惜しみながらも喜びの声を上げていた。


 開放感もあったのだろうが、このメンバーで卒業できたことが嬉しいのだろう。


 俺は彼らの喜びに水を差すことなく自分の役割を終えられたことに内心ホッとしていると、ひとりの女子が近づいてきた。




「加惟くん、卒業おめでとう。最後の挨拶、とってもかっこよかったよ」




「あはは、ありがとう。そう言って貰えて嬉しいよ」




 その相手とは、虎瀬風子だ。


 この一年で元々の美少女ぶりに磨きをかけ、さらに綺麗になった彼女に褒められるというのは悪い気がしない。


 思わず頭をポリポリ掻いていると、風子はクスリと笑った。




「うん、ほんとにとってもかっこよくなった…この一年、ずっと頑張ってきたもんね」




 風子は感慨深そうに目を細めた。


 確かに俺はこの一年間、とても頑張ってきたという自負はある。


 天命に目覚めたあの日から、俺は確かに変わったのだ。




「はは、まぁね。確かに頑張ったつもりだよ。自分を変えたかったからさ」




 謙遜することなく素直に受け止めた俺に、風子はゆっくりと首を振る。




「ううん。ほんとにすっごく頑張ったよ。勉強も学年トップでサッカーも全国に連れて行っただなんて凄すぎるもの。おまけに生徒会長までやっちゃうし、もういくら褒めても足りないくらい。ほんと、かっこよすぎるなぁ…」




 そう言って風子は目をそらした。顔も少し赤らんでいる。


 恥ずかしかったのかもしれないが、それなら褒めちぎられた俺はもっと恥ずかしいのだが。




「あー、ありがとう。その、嬉しいよ…」




 俺も目を下に向けてお礼を言った。互いが互いに目を合わせることができない状況がしばし続き、ふたりの間に沈黙の時間が生まれてしまう。




「んもー、なーにやってんのよ、このバカップルはぁ!」




「見せつけてんじゃねぇぞコラァッ!」




「え、うおっ!」




「きゃっ!」




 そんな二人だけの時間に、次々と乱入してくる侵入者。言うまでもなくクラスメイト達だ。


 忘れかけていたのだが、ここは普通に教室である。さっきからどうも静かだと思ったら、俺たちの動向を見られていたらしかった。




「いや、見せつけてなんてねーよ!」




「あれをか!あれがイチャイチャじゃなければなんだっつぅんだよ!部活の時も会えばいっつもふたりの空気作ってたし、こっちの身にもなれってんだ!」




 そう言って友人たちが俺を囲み、乱暴なスキンシップを取ってくる。


 ヘッドロックやさそりがためとやりたい放題。隙間からチラリと向こうをみれば、風子もこちら同様、多くの女子に囲まれていた。


 こちらほど過激ではないにせよ、質問攻めにでもあっているのか顔が真っ赤だ。


 その愛らしさに思わず目を細めると、「なに笑ってんだクソォッ!」という嫉妬の声とともにさらに力が強まっていくのを感じた。まぁちっとも痛くもないのだが、これは彼らなりも別れの挨拶なのだと受け取って俺も抵抗なんてしない。


 そんなことは無粋だからだ。




(最高の仲間を持てたな、俺は…)




 俺と風子の交際を祝福してくれた彼らのことを、俺は心からありがとうと叫びたい気持ちに溢れている。


 強いて不満を言うとすれば、俺から風子を寝取ってくれなかったことくらいだが、そんなことは些細なことだ。




 なぜなら俺は信じているから。


 そのために俺はこの一年、たゆまぬ努力を続けてきた。




 勉強を頑張って、学年で一番になった。




 部活を頑張って、サッカー部を全国まで連れて行った。




 みんなからの信頼を集めて生徒会長も務めた。




 さらにいえば人当たりもよくするようにも努めたし、俺は多くの生徒の模範となるような人間になることもできたと思う。トドメに風子という可愛い彼女までいるのだ。






 そんな俺のことを、みんなはどう思う?


 ハッキリと言って欲しい。ぶっちゃけた話、なんだこの完璧超人と思うはずだ。


 そこには必ず嫉妬がある。槍佐さんと同様に、知らないうちに俺は誰かの嫉妬と怨嗟の対象になっているはずだ。


 そんな彼らは俺のことをムカつくとも、死ねとも思うだろう。当然だ、俺はそうなるよう、自己研磨をつんできたわけだからな。




 だけど、完璧な俺に勝てるはずがないと感じた彼らが次に狙うとしたら…




 俺は再び風子に視線を向ける。誰より愛らしく、気丈な俺の彼女へと。




 全てはある計画のため、俺はそのためにこの一年を捧げてきた。








(信じてるぜ…高校では俺から風子を寝取ってくれる、ゲス野郎どもがいることをよぉっ!!!)




 その計画。「完璧超人になった俺がムカツキすぎて、つい彼女を寝取ってやったぜ悔しかろう計画」の成就のため、俺と風子は同じ高校へと進むのだ。




「あー!もう、いつまでも加惟くんを苛めないでよっ」




 ようやく女子の輪から抜け出してきた風子が、俺の腕を強引に引っ張ると、俺もたたらを踏んでようやく開放された。




「風子」




 そして俺から風子の手を掴む。柔らかい手、綺麗な手だ。この手のように、彼女の心もまた、とても綺麗なことを、俺は知っている。




「なに?加惟くん」




 風子には悪いことをすると思う。彼女を愛しているという気持ちに嘘偽りなんてない。




「俺たち、絶対幸せになろうな」




 だけど、俺には大義があるのだ。だから、どうか頼む。




「……!うん!」






 その笑顔を曇らせて、寝取られてくれ。


























「…………加惟」






 そんな俺たちを見つめる彼女もまた、一緒の高校に進学することを、この時はまだ知らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼馴染を寝取られて完全に脳が破壊された俺は、リミッターが解除されて完璧超人へと生まれ変わります~さぁ、今の俺から寝取ってみろ~ くろねこどらごん @dragon1250

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ