名ばかりの蘇生魔導師

辰ノ

「今、幸せですか?」


 人は生き返らない。死は昔から普遍的で身近に存在する。それは、ごく普通で当たり前の事だ。

 ——しかし、もし人が生き返ったらどうなるのだろうか?



 これは世のことわりを超えた、俺の願いの話だ。










 二つの椅子、机、ベッドの三点しかない部屋。殺風景で質素な部屋の中心で、俺と女性は向かい合って座っている。普段は静かな空間なのだが、今は女性の必死な声だけが響いていた。


「お願いします、貴方様の噂をお聞きして参りました。娘を……娘を、生き返らせてください……!」


 不可能な問いが女性の口から飛び出す。

 もう何度目かも分からない無茶振りな願いを、俺は苦渋の表情で受け取った。


 ——俺は裕福な家の長男として生を受けた、しがない魔法使いだ。姓はレイモンド、名はハインリヒ。ハインリヒ・レイモンドという洒落た名前を両親から頂いた。

 そんな俺は昔、耳を疑うような噂の中心人物だった。

 それは『蘇生の魔法を使える魔導師がいる』という、もう十年以上も前の噂だ。しかしどこから漏れるのか、たまにこうやって俺の小屋に訪れる人がいる。しかし、噂は噂。俺のところに来るのはお門違いだ……と言う事が出来たらどれだけ楽なのだろう。



 俺はこうやって客が訪れてくるたびに、昔の事を思い出してしまう。大人に憧れていて、似合わない背伸びをしてしまった、早めの反抗期を迎えたあの頃を。奇跡が起きた九歳の春の匂いと、二度目の奇跡が起きた十二歳の冬の空を。










 静かな湖畔に浮かぶ、煉瓦れんが造りの建物。薄っすらと霧に包まれたその家は、父さんが一目惚れして購入したもので築十年のものらしい。真新しく、壁や床には傷ひとつ付いていない。古い家ほど魔法は馴染む為、新しい家は好かれないから魔法の恩恵を受けられない——かつこんな辺境の地の家には誰も興味がなかったのか、なんて売れない理由を想像した事もあった。

 人は寄り付かなくても、俺には大好きな家族がいるから問題ない。

 無口だけど優しい父さんに、慌ただしくておっちょこちょいな母さん、魔法を教えてくれる爺様に俺、泣き虫な弟、愛おしい犬を含めた六人家族。犬のハルは俺の髪と同じ赤茶色の毛並みをもつ、美しくて可愛い犬だった。




 一つ目の奇跡は、そのハルに起きた。日差しが暖かい、桜舞う季節。ある日を境に元気がなくなったハルは、医者にかかる間もなく死んでしまった。……だけどすぐ、あることをきっかけにハルは生き返った。

 二つ目の奇跡は、俺が街で仲良くなった少女の身に起きた。風が冷たい、雲の厚い雪の季節。家族を除いて、俺を唯一呼び捨てで呼んだ女の子は、俺の家に来る途中で湖畔に落ちて亡くなった。が、その子もハルと同じように生き返った。









「あの……魔導師様?」


 客人の震える声で現実に引き戻され、俺は我に返った。どうにも、楽しかった昔の事を考えると思い出にふけってしまう。

 こほん、と咳払いをすると、俺は椅子にもたれて女性に向き直った。


「生き返らせるなんて、不可能です。死んだ人は、もう生き返らない。それが道理でしょう?」


「ですが私は、噂を聞いたのです!湖畔の家で二度も奇跡が起きた、って!まだ十歳の子供が、魔法で死人を生き返らせたという噂を!その子供が、貴方様だという事を!私は、私は死ぬ思いでここまで……っ」


 ぐっと下唇を噛み、泣くのを耐える女性に俺は哀れみの眼差しを向ける。噂に流され、苦労してここまで辿り着いたのだろう。

 だが、俺にはそんな魔法、使えない。


「噂は噂。俺にはそんな力、ないです」


「でも、生き返らせたって……!」


「噂でしょう」


「でも、でも……」


「だったら、俺は親を生き返らせるはずじゃないですか?こうして小屋暮らしする事なく」


「……!」


 女性は顔を歪ませ、両の目から涙を流した。耐えきれないと言わんばかりに顔を覆い、声を殺して泣いた。そして「あんなの、信じるんじゃなかった」とトーンの落とした声を残し、本日二度目の客人は姿を消した。



 最近は小屋を訪れる人が増えた。まるで理想の噂が再熱したような。

 適当な考えを振り払い、俺は椅子に座り直した。



 ここは昔流れた噂を頼りに辿り着き、絶望して家に帰る人が絶えない、辺境の小屋。そして俺はそこでひっそりと暮らしている——おそらく、世界で唯一蘇生魔法が使える魔導師だ。





*****





「だーかーらー、なんで噂でも来んのかなぁ!」


「噂なんて信用出来ないかもしれないけど、それでも一縷いちるの望みをもって来るんじゃないの」


「馬鹿!阿呆!とか言われた方がマシなのに、どうして『やっぱり噂なんですね』って失望されなきゃなんないんだよ、俺の良心が傷付く」


「そりゃ上げて落とされたら誰だって嫌でしょ?はい、チェックメイト」


「はぁ!?」


 カタン、と盤の良い音で俺の負けが決まった。気持ちが更に沈み、思わず不平を言ってしまう。


「ちょっとは負けてくれよ、サラ」


「ん。死んだ友達の名前つけるような人からそんな事頼まれるなんて」


 俺の対面に座る少女はにこりともせずに鼻を鳴らした。

 少女の名前はサリヴァン。腰まである琥珀色の髪に、蒼い目が印象的な俺の弟子……もとい俺の最初で最後の友人。紅色の外套を羽織り、腰にはナイフや怪しげな容器をベルトで巻きつけている。麗しい見た目に反して口調はゆったり。で、この通り辛辣だ。


「ま、私は嬉しいよ?ハインリヒがそれくらい大切に思ってるって事でしょ?」


 サラは薄らと笑みを浮かべる。儚く、すぐに消えてしまいそうな笑顔に俺は満面の笑みを返した。


「そういう事!大切だから、離さないよ!」


「え、弟子に手を出すの?勘弁してね」


 すん、と冷たい態度に戻りサラは椅子にもたれかかった。感情の起伏が予想出来ないってのは辛いもんだ、と俺は彼女の横顔と敗北したチェス盤を見比べた。

 はぁと分かりやすい溜め息を吐くと「なーに?文句あったりする?」と、じっとサラは空虚な瞳で俺を見据えた。「負けたのは事実でしょ」

 ……俺はこいつには頭が上がらない。とりあえず「何でもないよ」と言って手元の飲料水で口を湿らす。水が喉を通過する心地良さに浸りながら、次の話題への時間稼ぎをする為、コップを咥えたままちびちびと啜る。口にも勝負にも勝てないなら、せめてお互いに楽しめる話を……


「まあ、負け惜しみってやつだよね。そんな事より、ハインリヒ。貴方って本当に人を生き返らせる事出来るの?」


「ぶっ!!……っはあ、いきなりだな!」


 互いに楽しめる話を、というのは俺の甘い考えだったかもしれない。やけに唐突で前触れのない、複雑な事情をサラはあっさりと聞いてきた。水がうまく喉を通らず俺がむせると、次にサラは軽蔑の眼差しを向けてきた。これは仕方ないと思って許してくれ。


「だってこれ聞くと、話逸らされるから。いきなり聞いたら答えてくれるかなって」


「いきなりにも程が……って、サラ。お前さ」


 ふと疑問が降りてきて、俺はサラを見つめたが「なんで俺の弟子になったんだよ」とは聞けず言葉を呑み込んだ。


 そうだ。別に魔導師を職に出来るほど、サラには魔法の才能がない。魔法が一般的に使える程度のサラは……お転婆な俺の友達は約十年前に死んで、俺が。ずっと聞きたかった事が聞けなかったからか、言いたかった事が言えなかったからか、自暴自棄になっていたからか。

 彼女は、おそらく望んでいなかった二度目の生を授かる代償に、全ての記憶を失った。今のサラは名前も出自も覚えておらず、感情にも乏しい。サリヴァン、という元の名前を教えてあげて、俺は昔と同じように彼女のあだ名を呼んでいる。罪悪感と蘇生魔法の恐怖から俺はサラと距離を置こうとしたが、何故か今は弟子として同居している。


「まーた考え事?」


 サラの細い指が、黙る俺の頬を小突いた。


「いや、うん、なんでもない」


「そ。お前さ、は気になるけど別に良いや。それで?」


「それでって?」


「もー、アンタっていつも話逸らすよね。弟子の私にも教えてくれないの?」


 サラは腹が立つと、俺の事をアンタやらお前やら、とにかく冷ややかな呼び方をしてくる。

 ううっ、辛い、昔の素直だった彼女は何処いずこへ。

 彼女がずっと鋭い視線を向けてくるから、俺は目を合わせることが出来ない。「だってさ」と視線を合わせず、それとなくサラの顔を見ると、腕を組んで口をへの字に曲げていた。怒り半分、不満半分ってところか。

 サラの真似をして腕を組み、俺は再度目を落とす。


 蘇生魔法が本当にあるなんて、気安くは言えないだろう。それに夢のような魔法を使う事で何も伴わない訳ではない、弊害が二つほどあるのだ。ああ、そういえば一ヶ月前、この話題の後から口を聞いてもらえなくなった。つい先日、聖都限定の菓子をあげて機嫌を直してもらえたばかりだったっけ。


「とりあえずハインリヒは『蘇生魔導師』なんだ。噂にかたどられた、偽りの奇跡の具現化……だったっけ」


「……はぁ」


 最近呼ばれ始めた、蔑みを込められた俺の通り名をサラは悪気なさそうに言った。『蘇生魔導師』という光に満ちた通り名だが、こんな魔法は軽々しく使えないから、俺からしたら大変迷惑な話である。

 元唯一無二の友達からそんな事を言われて、仕方がないがとても悲しい。


「え、ハインリヒってば……もしかして泣いてる?」


「泣いてない」


「あはっ、ごめん。まさか泣くほど嫌だなんて」


 「うっさい」さりげなく涙が出ていない事を確認し、俺は立ち上がった。この空気が辛い為、俺はなんとか離れようとして一言、「出かけてくる」


「あ、待って、これだけ聞きたい。やっぱ『蘇生魔導師』とか呼ばれてたら、人が集まってくるよね。そういう人から恨まれたりする?」


 立った俺を気にする事なく、サラは続けた。話題が逸れていて、彼女が一体何を言いたいのかが掴めない。


「知らん」


「……怖いね、もしそうだったら」


「いや、だから……!」


「私が守ってあげる」


 予想外でおかしな会話の流れに、思考が渋滞した。俺は振り返って、得意げに微笑むサラの表情を見る。それを言いたかっただけだろ、と弄ろうとしたが、言葉に、酷く動揺してしまった。

 視線が泳ぐ。俺はこの場を逃げ出したくなって、慌てて扉に手を掛けた。


「もっ、もういい。もう出かける」


「話途中なんだけど?……ああ、もー、私も行くよ。その足じゃ、不便でしょ」


「別に良いって。留守番しててよ」


「今日の女の人みたいに、また人が来るんじゃない?」


「適当に無理って言っておいて、頼んだ」


「私じゃ心の折れた人のケアは出来ないけど?」


「俺をカウンセラーみたいに言うなっ」


「ねー、お願い連れて行って、暇なの」


「絶対に嫌だ!」


 そのまま外へ飛び出した俺を追うように、サラは早足で着いてきた。

 離れてほしい時に近付いてくるのは、反則ではないだろうか。それも友人兼想い人の女性に。俺は邪心と焦りを振り払い、平静を装って「仕方ないから着いて来いよ」と外に出ることを認めた。


「そ、感謝」


 後ろのサラはなんとも素っ気ないがら今はそれに少し安心してしまった。

 俺は狭い小屋の壁に立て掛けてあった魔杖ワンドに手を伸ばした。シンプルでとても使いやすい銀の魔杖ワンドは、両親からの贈り物だ。その隣には俺が誠心誠意を込めて造った、不器用さが隠せない木の箒が置いてある。これは俺がサラの為に造ってあげた箒第一号で、一番の失敗作。

 横から手を伸ばしたサラが、俺手造りの箒を手に持った。第四号まで作った箒だったが、サラは俺が一番手間を掛けて作った第一号の箒を迷いなく選んだ。彼女いわく「これが一番好き」だそうで、作り手側からしたら嬉しい事この上ない。

 サラは魔杖ワンドを持って立ち尽くす俺を見上げた。


「私の箒に乗せてあげる」


「お前……空飛ぶのは昨日取得出来たばかりだろ」


 一応師弟という事で、サラに魔法は基礎から教えている。サラは基礎中の基礎の一つ、飛翔魔法を昨日やっと使えるようになったばかりだから、実践するのは難しいだろう。俺の苦い顔を見て、サラは案の定俺に冷たい目を寄越した。


「言っておくけど、私がいなかったら長年田舎暮らしだったハインリヒは生きてないよ。私がたまたま貴方と会ったから弟子入りしただけで、もし一人暮らしだったら寂死してたでしょ?」


「たまたまか……ってか、さみししてたって何だよ」


「寂しくて死ぬ、略して寂死」


「あ……ああ、そう」


 目つきは厳しいが、彼女の舌はいつもより回っている。この間は不機嫌になった話の後なのに、何故か今日は上機嫌らしい。

 多分、三日ぶりに街へ行けると思っているのだろう。買い出しをしに行く俺に着いていく気満々のようだが、お生憎様サラは留守番だ。俺が着いてこいよ、と言ったのは外までだからである。


「いや、連れて行く気はないぞ」


「さっき着いて来いよって言ったじゃん」


「それは外までだ。もうこっから先は俺のターンだ」


「なーに、この最弱『蘇生魔導師』」


「なに!?俺はお前より魔法の腕が良いんだぞ!」


「何言ってるの。ま、良いや」


「良くない!」


 ふっ、とサラが微かに微笑んだように見えた。俺が心底嫌がると、彼女は笑う。これだけ聞くと嫌な奴だと思うが、俺には昔のサラと似ているのが、懐かしい気持ちを思い起こさせるから悪くない。


「もー、うるさい。そんな事より杖持った?」


「そんな事って……まぁ良い、忘れた」


 懐かしさと言い合いの疲れで言い返す気力がしぼんで、俺は首を横に振った。

 「もー、ドジ」と言ってサラは箒を持ったまま中に戻り、簡素な杖を持ってきた。「これがないと、歩きにくいでしょ」


「うん、ありがとう」


「これで連れて行ってくれるよね、そうしないと割に合わないし」


「あー、はいはい」


 木製の杖を借り、俺は身体を支えた。

 自称立派な魔導師の俺は、小さい時から右足が不自由だ。不自由は言い過ぎかもしれないが、麻痺しているかのように動かしにくい。原因は分かっているが、治し方は知らないし別に知ろうとも思わない。時々サラが悲しげな表情で見てくるのには、罪悪感が湧くけども。

 俺はしばらくしてから、受け取った杖を腰のベルトに刺して浮かせた魔杖ワンドに座った。サラも続いて箒にまたがる。まさか今日から実践するのか、とぎょっとして俺は慌ててサラを止めた。


「サラ、今日は駄目だ。もっと練習してからにしよう。とりあえず今日は、俺の後ろに」


 サラは言い返そうとしたのか口を開くが、すぐに閉じ、地面に視線を彷徨わせた。迷いに迷って、サラは「そうだね」と寂しそうに答えた。








 箒での短い空旅が終わり、俺達は街の郊外に降り立った。この辺りにはほとんど人が居なくて、あの小屋から街への経路にはピッタリの場所だ。サラが俺の箒を持ちながら、おや、と不思議そうな顔を浮かべる。


「そう言えば、家の鍵かけた?」


「ん?いつもかけないけど」


「ふーん、不用心」


 ぼそ、と不満げに呟くサラを無視し、俺は適当に返事をして歩き出す。サラが気にするのは分かる。だが家には財産と呼べるようなものはないし、魔法があれば困らない。お金は毎日持ち歩いているから、もし仮に不法侵入されても、盗賊だって無さ過ぎる小屋には断念するだろう。

 考え込む俺の前に、不意にサラが立ち塞がり、足を止めざるを得なくなった。


「どうした?」


「私、二ヶ所寄りたいところがあるんだけど」


「えー、早く帰りたいんだけど」


 俺はサラと違って街は嫌いだ。帝都やら砦やらの都会の名前を覚える気はない。ただ、この街は俺の住む小屋から箒で二十分で着く近場だから、重宝している。確か名前はリザーブ、だったと思う。七つある城塞都市の一つで、密かに軍事都市としても活動している。それ故、帝都と比べると範囲や規模は狭い——と言っても、俺達から見たら広くて都会なのだが。

 なかなか良いと言わない俺を睨んだまま、サラは「お願い」と上目遣いで呟いた。


 その時、胸の辺りに衝撃が走った。ここ最近見ていなかったサラの甘えた表情に、純情な俺の心は見事に打ち抜かれた。可愛くないと言えば嘘になろう、抱きしめたいと言えば変態になろう。だが圧倒的にサラへの気持ちが勝り、俺は拳を震わせながら「良いよ」と答えていた。

 器用に片頬を吊り上げたサラの顔を見る限り、良いと言わせる作戦だったに違いない。しかし、俺は満足したからはっきり言って得をした。


「ただし、食品の買い物が終わってからな」


「はーい、ありがと。ハインリヒもたまには優しいね」


「俺はいつも優しいぞ」


 何気ない会話を交わしながら、俺は人が増えてきたのを気にした。街の中心部に近付くにつれて、人も店も徐々に増えていく。人に聞かせたくない話はしたくない、というのはサラも同様のようで、魔法の話から——どういうわけか——花の話へと変えてくれた。

 俺達は路地裏を抜けて街一番の大通りに到着した。眼前に広がるにぎやかで騒がしい道には、多種多様な職と人種が混ざっている。俺のように長衣を着た魔導師、厳つい鎧を纏った騎士、軽装で店を営む商人と色んな人が溢れかえっていた。

 俺はサラを連れていつもの店に行き、一週間分の食材を買った。次に万屋よろずやで日用品やら薬やらを少々購入。あとはサラの買い物に付き合うだけだ。


「ここで待ってて。すぐ終わるから」


「おう」


 サラの買い物を待つ間、俺は暇つぶしも兼ねて道行く人々の会話を盗み聞きしていた。最も聞きたかったのは、もちろん自分の噂の事である。再熱した噂に緊張していたが、どうやらここまでは広まってないらしい。

 ——ならどこから広まってんだ、って感じなんだけど。


「ちょっとハインリヒさん、お顔が怖いですよ」


「——っ!?」


 どことなく楽しげな弾んだ声。

 いきなり声を掛けられた驚きで、俺は大袈裟に肩を揺らした。

 恐る恐る見ると、見覚えのない男性が立っていた。


「あ、お、お久しぶりです……」


 ふくよかな体躯を貴金属で包み、肩から大振りの剣をぶら下げた男性は、にこりとわざとらしい笑みを浮かべている。

 どうやら顔見知りらしい。

 ——確か、と俺は記憶をさかのぼり、数日前に夫婦で俺の小屋に来た一人だと思い出した。


 落ち込んでいた前と比べると、男性からは陰鬱な雰囲気が取り払われて、快活な印象を受けた。


「噂はもう広まりそうにないですね。まっ、そんな事より……いやー、あれから妻と考え直しましてね!新しい子供を養う事にしたんですよ。二、三人ほど!お金は有り余ってますからねえ」


 前言撤回、快活云々ではない。死んだ子供の代わりに養子を迎えて、心を保っているようだ。

 なんだコイツと思いつつも、俺は引き攣った顔を無理に綻ばせた。いや、待てよ……今もう噂がって。


「あの、噂が広まらないって?」


「そのままの意味ですよ。で、そこでご相談なんですが、ちょっとだけ手伝ってほしいんですけども。僕の友達には魔導師がいなくてですね、少しばかりお力添えを願いたいのですが」


 なんだって?

 さらりと受け流されて、大切な部分を聞き出せなかった。俺は一瞬腹が立ったが、すぐに冷静さを保つ。

 親しくもない事もない相手に、よくもそんな気軽に頼めるものだ。呆れと怒りの中間の思いで、俺ははっきりと断った。


「申し訳ありません、自分はこの通り足が悪いので引き受けられません」


 そそくさと立ち去ろうとすると、男性は「ちょっと待って!」と俺の肩を掴んだ。


「知ってますとも。魔導師が無料タダで働くとは思ってません。報酬は弾みますから、その足も治せると思いますよ」


 ここまで言って、この男は肝心の依頼内容を話そうとしない。この時点で怪しいのに、どう信用すれば良いのか。迷う素ぶりを見せながらも、俺の答えは固まっていた。ええと、とサラが買い物を終えるまでの時間稼ぎをする。


「ま、お話は考えといてください。それはそれとして……お話を聴いてくれた貴方に耳寄りな情報が」


 話を逸らし、すぐ話を切り替え、全く話を切らない男性に嫌気がさす。が、その情報とやらは気になったため「何です?」と耳を傾けた。

 にこやかな男性は口元に手を添えた。


「最近、この街で魔導師を消す研究がされているらしいんですよ」


「魔導師を、消す?」


「はい、私のように素質がない人間の嫉妬しっとでしょうね。ああっ、私は別に何とも思ってないですからね!ただ心配なので、貴方には聴いていただきたかったんです」


 魔導師を消す、とは一体どんな方法なのだろう。


「あの」


 男性が初めて笑顔を消した時「あれ、どうしたの」と半端なタイミングでサラが戻ってきた。手には四角い箱と長細い箱を持っている。


「誰、その人」


「ああ、ちょっと前に会った人。じゃ、俺はこの子とデ、デデ……デートしているので」


 男性の耳元で囁き、メモの切れ端を渡すと、俺は杖をついてむすっとしたサラの元に駆け寄った。男性に聞きたい事はあったが、それよりもサラに不愉快な話を聞かせたくなかった。

 後ろからは「若いねぇ、いい子だねぇ」と男性の冷やかしが、横からは「あの人誰」としつこいサラの質問が飛んできた為、堪らず俺は片耳を塞いだ。






*****





 その事件が起きたのは、街の買い出しから二日経った時だった。


 サラが薪を取りに森へ行っている間、俺はチェス盤を机に設置していた。もう無き実家から持ってきた唯一の娯楽道具は、まだまだ新しくて飽き足らない。ルールは単純なのに戦略はどこまでも広がるのがすごく良い。これ自体はかなり楽しいのに、通算三十二回のサラとの勝負で俺の勝ちはたったの二回だけ。頭の出来が違うのか、もしかしたら俺が極端に弱いのか、どうなのだろう。

 椅子にもたれて、はーと溜息を吐いた。昨日のサラの飛翔魔法は、危なっかしすぎて肩が凝った。早く一人前にはなってほしいが、俺の知らないどこか遠くに行ってしまうのは嫌だ。

 さて、サラはまだだろうか。時計を見てから扉に目を移した時、コンコンコンと三度のノックが響いた。サラはノックをしない、という事はまた望まない客人だ。


「……どうぞ」


「失礼します」


 ——やはり青白い顔の人達だ。しかも、三人。多分グループを組んでいる冒険家だろう。一人は魔杖ワンドを手にした女性で、もう二人は体格の良い男性だ。

 男の一人が背負っていた荷物を下ろした。いや、荷物ではなくて——死人、だろうか。


「私達は、しがない冒険家をしていました。四人で一つのパーティとして騎士と戦士、魔導師と巫女の四人で頑張っていました。でも、でも……」


 魔導師らしき女性は泣きじゃくり、顔を覆って涙を流した。俺が困ったように眺めていると、軽鎧の男性が代わって口を開いた。


「この山には、蘇生魔法が使える魔導師が暮らしているとお聞きしました。僕達は三日三晩かけて山全体を歩き回り、この小屋にいらっしゃると確信しました。そんな素晴らしい魔導師は、貴方様でしょう?僕達の仲間である巫女は……ラミラを、姉を庇って、死にました」


 わぁぁ!と女性が更に大声で泣き始めた。ラミラ、というのはおそらく彼女の事だろう。

 可哀想に、と俺は眉根を寄せた。まだ未来があるはずの姉妹に襲い掛かった悲劇の苦しみは、弟のいる俺には想像が容易かった。軽い気持ちで噂を流した奴を、殴ってやりたいと思った。

 どうして、こんなにも俺が罪悪感を背負わなければならないんだ。


「お願いします、僕達何でもするので、この子を生き返らせてください!金だって出します!だから、お願いします……っ」


 駄目なんだ。俺には勇気も、魔法も出せない。いつだって、誰だって嫌いだろ。

 俺は伏せた目を上げないまま「無理だよ」と辛うじてしぼり出した。


「え……」


「無理なんだ、俺はそんなすごい魔導師じゃない。蘇生なんて出来ないし、しようとも思わない。だってそうだろ?人を生き返らせれるなんて……ただの化け物じゃないか」


 俺の頬を、何かが伝った。

 話していた男性が、この言葉で絶望したのだと分かった。女性は「どうして、どうして!」と噂と俺を責めた。無精髭を生やした無言の男性も、拳を震えるくらい握り締めていた。

 ごめんなさい、本当にごめんなさいと心の中の罪悪感が爆発した。


「力になれなくて、こんな変なところに住んでいて、本当に……すみません」


「うっ、ひく……いえ、いえ……噂でしたから、仕方、ないんです。私達こそ、押しかけて、ごめんなさい」


 途切れ途切れで謝罪した女性は肩を落として出て行った。二人の男性も死人を背負い、軽く頭を下げて俺の小屋を出た。

 俺も涙を流していたと気付いたのは、彼らが出て行った後だった。








 そもそも、どうして俺が蔑まされなければならないのだろう。勝手に噂を信じて、勝手に家を探して、勝手に縋って。

 魔法は万能じゃない。

 そんなの、子供にだって分かるだろうに。


「シショー。次のターンはシショーだよー」


「ん……」


 彼らが去ってすぐ、サラが帰ってきた。腕いっぱいの枝を抱えたまま、あからさまに元気を失った俺の頭を撫でて。もちろん枝は足元にたくさん転がったけれど、サラは俺に何も聞かずに拾って「早く遊ぼ」と朗らかに言った。


「ほんっと、どうしていつも変なタイミングで……!」


「まーまー。ハインリヒが悪い訳じゃないんだし」


「でも、これで俺が悪名高い魔導師化してくのが許せねぇんだよォ……!」


「いつになく口が悪ーい」


 コトリ、コトリとチェスの駒が動かされる。俺は頭を抱えながら、なるべく娯楽に没頭しようとした。


「サラぁ」


「もう、なーに?」


 情けない俺はぐすっと鼻をすすった。


「俺の良い噂を、弟子として流してくれよぉ」


「無理。情けないぞ、お師匠」


 サラの食い気味の即答に、俺の心が折れた。


「良いよ、良いよ、どうせ俺はニセモノです」


「……酔ってる?」


「飲んでねえよ」


 たった一人の弟子にも信用されていないとは。心が折れたというのは、まあ嘘だがそれぐらい傷心していた。


「そ。……じゃあ一旦休憩して、紅茶でも飲もうか」


 サラは駒を自分のターン前で止め、棚からカップを二つ取り出すと、外の洗い場へと出て行った。

 俺は椅子からベッドに飛び移り、ゴロゴロと転がった。枕を抱きしめながら、希望を失った客人達の顔を思い浮かべる。名前は覚えていないのに、俺に向けた刺すような視線は忘れられない。「どうして」と身に覚えのない人に必ず失望されるのは、悲しくて悔しい。俺だって立派な魔導師なんだ。基礎魔法は息を吸うように当たり前に使えるし、複雑な魔法だって構築出来る。目立ちたくないから、父さんが残してくれたこの家に住んでいるってのに。


「いっその事、王宮魔導師に転職するか」


 その時、悲鳴らしきものが扉の向こう側から聞こえた。

 ——サラの、悲鳴だ。

 俺は杖を手に取る暇もなく、右足を引きずって外に出た。


「サラ、どうし……」

 

 扉を開けた瞬間、眼前に広がったのはおびただしい量の赤色と、それの中心に横たわる男性の姿。その赤色が男性から流れる血液だと気付いたのは、呆然としてから数秒後の事だった。

 ただならぬ現場に、俺は視線を宙に彷徨わせた。ここで何が起きた?何故この男が?一体どうして?疑問と混乱の渦に掻き回され、俺は反射的に口元を覆った。見るにも耐えず、俺が顔を逸らした先には、男性の血液に塗れたサラの姿があった。


「サラ、大丈夫か!?一体何があったんだ!?どうしてさっきの騎士が、ここに倒れているんだ!?」


 サラは放心状態で、カチカチと歯を鳴らしていた。目の前で人が死ぬのは、初めてだったからだろう。

 俺は意を決して男に近寄る。よく見なくても、大量出血した場所は明らかだった。首に、横側から深々とナイフが刺さっていた。貫通していて、抜けそうにない。男の口と首からゴボゴボと泡やら血液やらが溢れていて、目を覆いたくなる光景だった。でも、多分、まだ男は生きている。

 こういう時、どうすれば良いのだろう。回復魔法は使えるが、こうも深く刺さった異物は取り除く事が出来ない。このままでは、確実に死んでしまう。狼狽うろたえて、慌てて、俺はとりあえず回復の詠唱を開始した。意味のない事と分かっていても、見殺しには出来なかった。

 ——しかし、信じられない事に、魔法を唱えた俺の手を瀕死の男が掴んでいた。

 虚ろな瞳と目が合う。ゾクリと背筋が凍って、詠唱を停止してしまった。そして、男の手はすぐに離れた。いや、離さざるを得ない状況になったのだろう。


 目の前で、人が死んだ。

 先程訪れた四人の冒険家の内の一人で、無言だった男。


「どうして、そんな……」


 どうする、どうすれば良い?

 俺はサラの顔を見た。サラは目を伏せ、狼狽の表情を浮かべている。微かに震えた唇から、彼女はとんでもない事を口にした。


「生き返らないなら、俺も一緒に、死んでやる、って。私、分かんなかったけど、でも、手向けに、って」


 ——手向け。

 それは、何にだろうか。

 蘇生しなかった、俺への、憎しみだろうか。それ程までに、この人は追い詰められていたのか。

 俺が臆病だったから、勇気がなかったから、人を殺してしまったのか?

 いやいや、だって俺がリスクを背負うなんておかしいじゃないか。ましてや見ず知らずの相手に、そうだよ、別に俺は悪くない。


「違う、別に、俺は……なっ、なあサラ……」


 ——っそんな目で、見ないでくれ。

 だって、そんな……じゃあ、この人が死んだのは。





 俺のせい、なのか——?





 訳が分からなくて、頭が追いつかなくて。だけど、俺のせいでこの人は自殺をしてしまった。

 もう何も考えられなかった。気が動転して、自分のあやまちをなんとか取り払いたかった。ここで見過ごしたら、きっと後悔する。いや、後悔すると思いたい。俺は無意識に男性の手を取っていた。

 駄目だ。後追いはするものじゃない、絶対に。

 俺は、覚悟を決めた。


「神の息吹を、ここに」


 淀んだ空気を払って口にした、たった一言。俺が初めてハルを生き返らせた時、無意識に唱えていた魔法。詠唱もない、呪文もない。あるのは、唱えた時に出現する魔法陣だけ。たったこれだけなのに、この言葉は魔法として、蘇生という奇跡を呼び起こす。

 血に染まった地面に、鮮やかな魔法陣が浮かんだ。そして不自然に舞い上がった壮麗な風が、男性を包む。くるくると男性の身体を回った風がナイフを消し、浸透するように消えると、彼の喉から出ていた溢れんばかりの血液は勢いを失って、やがて止まった。

 何事もなかったように、静寂が訪れた。すでに男性の胸は上下に動き、寝息が漏れている。おぼつかない足取りでサラは血溜まりを渡り、恐る恐る男性の脈をとって「信じられない」と呟いた。彼女の光を失った目に、煌びやかな輝きが戻ったのを俺は見逃さなかった。


「信じられない、まさか、本当に……やっぱり貴方って蘇生魔導師だったんだ。人を生き返らせる魔法が使えるんだ……!凄い、凄過ぎるよ。ねぇ、ハ……」


 サラは言葉を切り、息を呑んだ。うん……申し訳ない。そこで俺は耐えられなくなって、地面に身体を預けた——つもりだったが思った以上に盛大に倒れてしまった。


「ちょっと!?どうしたの!?」


 血の海に横たわり、服が汚れてしまうなと思うや否、耐え難い激痛が身体を襲った。信じられないくらい息苦しくて、何度も咳き込む。空気を求める魚のように口を開閉させるが、どれだけ待っても酸素が吸えない。ハルとサラを生き返らせた時よりも激しい痛みに、全身が悲鳴を上げた。


「ねえってば!」


 なんとか叫ばないように声を抑えていると、俺の目からは涙が溢れた。滲む視界の片隅に、蒼い目に涙を浮かべたサラが映る。大丈夫。死にはしないと思う、きっとすぐに目が覚めるから、心配しないで。そう言いたかったのに、口から出た言葉は俺の悔恨と自責の念だった。


「だ、から……やり、たく」


 ——やりたく、なかった。


 涙でぼやけた視界が更に歪み、息をするのも忘れた。サラの腕に抱かれながら、俺は意識を失った。











 魔法は自分の性格と願いに連動する。

 ざっくりと言うならば、強気な性格なら得意魔法は攻撃アタックに、温厚な性格なら得意魔法は強化バフに、臆病な性格なら得意魔法は回復ヒールになる。また、空を飛びたいという思いから飛翔魔法は生まれ、楽をしたいという思いから操作魔法が生まれたように『願い』からも魔法は生まれる。


 その魔法が使えるか否かは、やはり素質だと言われる。

 そして自分の願いを具現化出来る人ほど、優秀な魔導師になる。ゆえに願いが強過ぎる魔法使いは、人とは呼ばれない。



 蘇生魔法なんてのは、間違った願いなんだ、間違った魔法なんだ。存在してはならない、人の手には余る代物しろものだ。


 ——だから、すでに俺は……きっと俺はもう人の道さえ踏み外している。






*****






 魔法で三人目を生き返らせてから、数週間が経とうとしていた。

 この数週間、色んな事があった。サラの提案で、逃げるように土地と小屋を売り払い、王都近くの山中へ引っ越した。小屋の外観と内装は当然のように違うが、それだけと言えばそれだけだ。仕事はキコリから内職に転職。


「あっつい、死ぬ」


 そして、あの時は死ぬかもと思った俺だが、今ではすっかり元気になった。

 何も変わらなかった、と言えば嘘になる。体調は崩しやすくなったし、時々身体の一部が激しく痛むようにもなった。


 断言しよう。明らかにあの時の蘇生は失敗だった。動揺していたにしろ、こんな身体が不調になるような魔法は二度と使わない方が良かっただろう。この足だって、本当は動くはずなのに。

 今思えば、蘇生魔法とは一体何なのだろう。前サラが言っていた「奇跡の具現化」というやつなのだろうか。どうしてこんなのが俺に使えるのか、どうして存在するのかも謎で、一時の感情に流されて三度も使った魔法。

 対価ハイリスク蘇生ハイリターンの、まさに神の領域と言っても過言ではない、有限な力。

 俺目線で言えば辛くて嫌な魔法だが、他人目線で言えば救済の魔法だろう。だって、代償リスクを負った今でも俺は生きている。俺一人の命で、確実に三人分の命を救ったのに。

 考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだ。


「サラー、サラー?」


 俺は額の汗を拭い、腰に手を当てた。魔法の修行の為に外に出たのに、肝心のサラが一向に小屋から出てこない。


「おい、サラ?」


 我慢出来なくなって小屋の扉を開けた。狭い部屋なのにサラの姿は見当たらなかったが、すぐに扉の死角で座り込んでいるのを見つけた。


「サラー、お前魔法が習得したいって言ってたろ」


「……うん」


「じゃあ早くやっちゃおう。基礎は出来てんだから、今度はもっと」


「嫌!」


 膝を抱えてサラは顔をうずめた。


「やだよ、私。だって、そんな……もう信じられない。知らない、そんな事……」


 サラは萎縮して怯える。あの日以来、ぼーっとして考え事が多くなったサラ。これも、俺のせいだ。誰に対しても厳しくて、自由気ままな彼女を奪ってしまった罪悪感は、俺の胸に警鐘を鳴らしていた。このままでは、いつかサラは生きる気力さえもなくしてしまうのではないかと。

 俺は頬を掻くと、無理やりサラの腕を引っ張った。立ち上がってから、サラは疲れた顔で俺を見上げた。


「……なに?」


「俺は大丈夫だぞ」


「嘘」


「そんなに信じられないのか?」


「だって、ハインリヒはお人好しの馬鹿で嘘つきで信じられない」


「ひ、酷い言われようだな……」


 すっとサラは目を逸らす。

 もうなんでこうなるかなぁ、まるで昔の毒舌だったサラだ。いや、それはそれでなのだが、今はそんな事考えなくて良い。俺は大きく息を吐いて、彼女の両肩を掴んだ。


「あのさ、俺の事は別に良いからさ。そうやってサラに元気がないと俺だって参っちゃうよ?弟子は師匠の言う事聞くもんだろ!?」


 「……は?」放心状態だったサラの口から、久しぶりに冷たい声が出た。「何、言ってるの?」

 じっと俺達は見つめ合った。俺は恥ずかしくなってニヤけてしまったが、なんとサラは盛大に吹き出したのだ。


「……あはっ、そうだね、そうだね!私は弟子だもんね!……うん、そうだよ。なら、精一杯師匠に応えるのが私だよね」


 言い聞かせるように復唱し、サラは不恰好な笑顔を俺に見せた。赤く腫れた目と、不自然に震えた笑顔は彼女の本来の笑顔とは違ったが、俺は美しいと思った。


「ビックリしたか?」


「……まぁ」


「初めて、自分の目の前で人が死んだもんな」


「……まぁ」


「えっと、今まで濁してて、ごめんな」


「……仕方ないよ、弟子だから。でも、もう蘇生魔法は絶対に、二度と使わないでね」


 サラは察してか再び微笑んだ。今度は、昔のように眩しい笑顔だった。


「そうだな。こんなの、使う必要もない」


「……でもあの人は、えっと、記憶とか大丈夫かな」


 「ああ」俺は首を縦に振った。「生き返ったら、それまでの記憶は消えるからね」


「……どうして分かるの?昔、使った事あるの?」


「さぁ、どうだろう」


 暮らしの質を上げたり引っ越したり、今の生活に高望みはしない。サラと、世界でたった一人の友人と過ごせるだけでも幸せな事なんだから。

 俺の事より、サラだ。もっと彼女に魔法を教えてあげよう。きっと、サラは喜んでくれる。



 ——俺はこの平和が、ずっと続くと思っていた。







*****






「……ハインリヒ、出掛けるよ」


 サラがすっかり元気になった翌日、不運にも俺の状態コンディションかんばしくなかった。ぐるぐると目が回って、まるで酔っているような倦怠感を感じた。

 うーん、うーんと唸る俺の布団をめくると、躊躇いながらもサラは外出を促した。


「歩ける?」


「あと、ちょっとだけ……もう少しで治るから待ってて」


「分かった、待ってるね」


 俺のせいでサラの行動を抑制したくなかった。

 俺は明らかに迷惑をかけていて、予定を組んでもその通りに進まないし、家事を分担してもほとんサラに任せっきりになるのだ。体調が酷い時は全く動けないから、今日のように僅かな不調なら、なんとかなる。

 数分枕に顔を押し付けていたが、目眩の程度は変わらなかった。俺はうーん、うーんとまた唸る。


「やめとく?今日の食事会」


「えっ、今日だっけ!?」


 勢いよく起き上がって頭を押さえると、俺は視界が回る不快さに顔を歪めた。あれだ、ぐるぐると回転して、目が回った時の嫌な感じに似てる。


「辛いの?」


「いやいやいやいや、そんな事ない」


 サラの事を気にし過ぎて、大事な行事を忘れていた。


 今日は、年に一度の食事会だった。参加者は、俺とサラ、弟とその仕事仲間の計十人程。レイモンド家を継いだ弟が主催の、個人的なイベントの一つだ。

 俺が二度目の蘇生魔法を使った時から、家族と世間上には縁を切った。それから父と母が亡くなって、俺と弟はたった二人の家族になった。そんな弟からのお願いで年に一度、静かな食事会は開かれる。

 あれ、とそこで違和感を感じた。何がかは分からないが、何かが胸に引っかかるような、変な感じだ。

 数分考えても分からない。だから俺は「おそらくどうでも良い事だろう」と割り切って、布団から飛び上がった。


「行くか!」


「えー、本当に大丈夫なの?無理強いしないよ、別に行かなくても、私はハインリヒの無事が分かれば良いから」


「……?いや……それはそれでなんか嬉しいな。でも、弟からの頼みだ。無視するわけにはいかないよ」


 「臭い台詞」サラは肩をすくめるとぼそりと呟いた。「それじゃあ私の箒に乗ってく?」


「えっ」


「怖くないよ、大丈夫」


「いやでも」


「心配しないで、大丈夫だから」


「いや」


「弟子の成長も見ない師匠って最っ低」


「……じゃ、じゃあサラの箒に乗せてもらおうかな」


 人差し指を俺の口に近付けながら、サラは食い気味に会話を返してくる。雪のように白い肌が目の前に迫り、羞恥心に負けて俺は頷いた。顔は火照ってないだろうか……って、何考えてるんだろ俺、 冷静になれ。


「はい、出るよ」


 ずい、と今度はサラの指ではなく、杖を顔面に突きつけられる。


 小屋の扉を開けると、前とは違う美しい景色が視界を染める。

 山の中にひっそりと佇む王国の首都は、花の街と呼ばれるほどに華やかで上品な都市だった。無論王都だけではなく、その周りだって豊かな花が咲き乱れている。俺達が引っ越した辺境付近に咲く花々も、備えていたつぼみを開花させ、色鮮やかに山をいろどっていた。

 満開の桜が春と温暖な気候を迎えている。俺は春の景色を堪能した。


 ——サラと過ごして何度目かの春は、昨年より暖かい。


「行くよ?」


 サラが箒に跨りながら、面倒くさそうに頭を掻いた。


「こんなに綺麗な景色を独り占め出来るなんて、滅多にないんだぞ」


 「へぇ」とサラは心底興味なさそうに髪をいじっている。俺はサラと同じように肩をすくめ、彼女の後ろに座った。

 箒では魔法を使う力、いわゆる魔力が高い人ほど重い物が運べる。サラは魔法が得意ではなかったので俺を乗せて飛べるか心配したが、サラは見違えるくらい丁寧に箒を扱い、難なく地面から足を離した。

 「どう?」驚きを隠せない俺に、サラはにやりと得意げな笑みを向けた。「練習したの、ハインリヒが寝てる時とかに」


 さすがだ、と素直に俺は唸った。






 空旅は成長したサラのおかげですぐ終わりを迎え、王都の駐箒場ちゅうそうじょうに辿り着いた。ほんの数分の旅だったが、人に乗せてもらうのはなんと心地良い事か。楽だし余所見をしても良いなんて。


「ふぅん、そ。楽したいだけだったんだ」


「えっ!!そんな事ないけど……なんで?」


「声に出てたよ」


 むす、と可愛らしく頬を膨らませ、サラは腕を組む。俺は「ああ、これはあまり怒ってない時の態度だ」と安心して「可愛いよ」とはっきり言った。

 まぁ、結果は顔を赤くしたサラが俺に肘鉄をかましたわけだが、それも愛らしくてしょうがなかったのでやられ損もといやられ得だった。


「……でも師匠が弟子に手をあげるって」


「なら弟子を口説く師匠もどうかと思うんだけど」


 王都に着いてすぐ、俺とサラは待ち合わせ場所の時計台に向かっていた。サラは「可愛いとか頭オカシイんじゃないの」と話題を変えないが、どことなく満足げに見えない事もない。


 時計台は王都中心部、城下町の南側に位置している。人工的に造られた地面の上に、金の台座を携えて空へと伸びる、実用的な時計台。赤褐色の四本柱に支えられた年季の入った時計ではあるが、数秒の狂いなく時間を刻んでいる。おそらく台座だけ新しく取り替えたのだろう、来るたびにそう思えてしまうほど、台座だけが異質な綺麗さを保っているのは気になる。

 この目立つ時計台で待ち合わせをしている人は多く、人混みの苦手な俺とサラは少し離れた場所で待機していた。


「体調は?」


「おかげさまで良好です」


「そ。……どんどん増えるね」


「何が?」


「人」


 「賑やか過ぎるね」サラは人々を疎ましそうに眺め、やがて溜息を吐いた。「やっぱ嫌だな」

 サラは都会が好きじゃなかったっけ、とやんわり言うと何故か問答無用の一蹴。うん、機嫌が悪いらしい。

 こうなると会話は止まってしまう。俺は気まずさを紛らわす為と、弟を探す為に周囲に目を向けた。


 俺の弟は服をだいたい黒で統一している。子供の頃から黒や青といった暗い色を好み、毎年ここで会う時も黒ずくめである。要するに、見つけやすい。

 ……ああ、やっぱりな。キョロキョロと辺りを見渡す黒い塊は、すぐに発見出来た。黒衣に身を包み、青く発光した大剣を背負っている弟の姿は遠目からでも目立っている。細身ながらも威風堂々とした佇まいは、一年前と変わっていない。

 声を掛けようと杖を動かした時、ちょうど弟と目が合った。


「やっほ。兄さん、元気?」


 母譲りの茶髪を揺らし、父譲りの翡翠色の目を細めて、弟は人懐っこく微笑んだ。


「そこそこだよ。えっと……」


 ……あれ。


「そこそこかぁ。あんまり家に閉じこもってばかりだと身体に良くないよ?」


「そう、だな」


「まぁ、久しぶりに会えて良かった。見つからなくって、来てないかと思ったよ」


「お前の目が悪いだけだろ、知ってるぞ」


 ……おかしいな。


「へへ、それなら魔法でこの目治してよね」


 冗談を言って、俺に握手を求める弟。

 弟の握手は、まるで習慣にしているかのように型にはまっていた。長男が家を継がない為に、代わりに家を継いだ弟。この握手からも、貴族の歯車として働いている様子が感じ取れる。感じ取れるのだが、そんな事より、ようやく違和感の正体に気付いた。


 ——どうしても弟の名前が、思い出せない。



 ぼんやりと手を見つめる俺を見て、弟は「あっ」と口を押さえた。慌てて手を引っ込め、何事もなかったかのようにサラに握手を求める。

 

「久しぶりですね、サリヴァンさん。お元気ですか?」


「はい、久しぶりです。ルークさんも元気そう」


 挨拶に慣れていないサラの返しを、弟は「良かったです」とやんわり受け取った。


「じゃ、早速行きましょうか」


 そうだ、ルークだ。

 俺はサラが呼んで、やっと弟の名前を思い出した。

 何故忘れているのか、と頭が真っ白になって、焦りで心臓の鼓動が早くなるのが分かる。胸に手を当てて視線を泳がせていると、また弟と目が合った。

 ルークは眉根を寄せ「兄さん、病気なのかい?」と心配そうに俺に近付いてきた。


「……い、いや?な、なんで?」


「すっごく顔色悪い」


「えっ、や……最近ちょっと体調が優れなくて、そんだけだよ」


「ホントかい?」


「ここで嘘吐いても、なんともならないだろ」


 実際、体調不良は嘘ではない。

 俺は不服そうな弟の前までゆっくり歩き、振り返った。「さっ、早く行こう。サラも疲れたってさ」


「別に疲れてないけど?」

 

「そこは疲れたって言ってくれよぉ」


「ここで嘘吐いても、なんともならないでしょ」


「んぁ!……おっしゃる通りです」


 俺とサラの言い合いを見て、ルークが「仲良くなったんだ」と呟いた——ように見えた。

 ルークのことが気になった俺を横目に、言い合いに勝利して満足気のサラは、ブーツの底をカツカツ鳴らし、遠回しに早く行こうと促している。

 言っとくけど俺とサラのせいで遅くなったんだぞ、なんて口が裂けても言えない。


「じゃあ、早速行きましょうか。サリヴァンさん、兄さんをよろしくお願いします」


 ルークのその言葉を合図に、俺達三人はようやく時計台から動き出した。




 ルークの家に向かう間、俺は目眩を起こし、サラに多大な迷惑を掛けた。歩いては立ち止まり、立ち止まっては空を仰ぎ、とにかく俺のせいでタイムロスしてるのが分かった。

 こんなことなら、来ない方が良かったかもしれない。

 「もう嫌だ、帰る」、「俺なんかは置いていけ、もうやめたい」とネガティブな発言を繰り返した俺は二人に手を引かれ、やっとのことで目的地に到着した。

 他の家と比べると、少しだけ古臭い家屋が目の前を覆う。立派なのは家の前にある門だけで、それ以外は特に目立つものはない、普通の家だ。

 資産があるレイモンド家当主は、俺が知る限り家を三つ持っている。一つはルークの居住地の屋敷、一つは聖都の屋敷、一つはこの小さめの家。ルークは確実に他にも家を持っているだろうが、そこは縁を切った俺には関係ない。

 俺とサラは豪奢ごうしゃな門をくぐり、ルークに招待された家へと足を踏み入れた。入った

途端に鼻腔びこうをくすぐる料理の匂い、僅かに聞こえる人々の話し声、外観からは判断出来ないくらい整った家具、壁や柱に飾られた武器の数々——間違いない、一年前と全く変わらない食事会の入り口だ。


「じゃあ、僕はみんなに兄さん達が来たこと報告してくるから、ゆっくり歩いてきて」


 そう言ってルークは奥の部屋に早足で向かうと、俺とサラは二人玄関に取り残された。俺は何気なくサラを見下ろすと、無表情のまま棚の上の水槽を見つめている。立ち尽くすサラにぎょっとして、俺は素早くスリッパに履き替えると、杖を持たない側の手で彼女の手を握った。


「大丈夫か、サラ」


 サラは曇った表情のまま「うん」と消え入りそうな声で返事をする。


「どうした?なんかあったか?」


「……何でもない。ちょっと、反抗期」


「今更かよ?」


「……うるさいなー、少しは黙ってよシショー」


 俺の手を振り払い、サラは鼻を鳴らした。

 違和感を感じたが、それは特に目立ったものではなかった為、俺は渋々口を閉じた。


「もう、良いよ。ハインリヒは律儀りちぎだね、早く行こ」


 サラは口角を上げると、払った俺の手を握り直してずんずんと奥の部屋に進んだ。そして迷いなく扉を引き「お邪魔します」と今日一の元気な声を出した。

 今日はいつにも増して感情の落差が大きいようだ。

 俺はサラの背中から恐る恐る顔を覗かせて、一礼した。毎年毎年、こんな俺でも快く受け入れてくれる弟の仲間達は、絶対に良い人だ。もし俺が家を継いでたら、こんなにも人望は集められず衰退していたに違いない。

 俺は見覚えのある面々に軽く挨拶を交わして椅子に座ると、次いでルーク以外の全員が腰を下ろした。

 こほん、とルークは咳払いをしグラス片手に微笑んだ。


「えー、本日お忙しいところ集まっていただきありがとうございます。短い間ではございますが、主に私の兄とサリヴァンさんとお話を楽しんでいただければ幸いです」


 お前なぁ、と俺は苦笑した。相変わらず、優しい奴だ。


「……さてと、僕自身そんなに長い話は好きじゃないので、堅苦しいのはこの辺で。みんな、今日は楽しんでほしいな。じゃあ、乾杯」


 食事会は去年と同じように始まり、そして去年と同じように俺達は談笑した。

 弟の仕事仲間と言うだけあって、皆高貴な生まれだ。こういう人達は俺のような奴を嫌うと言うが——確かに最初は毛嫌いされたが——魔法の知識が豊富であった為、割とすぐに馴染めた。サラもその独特な雰囲気からか、個性的な人達に好かれている。

 立ちながら食事や会話を楽しみ、しばらく何気ない日常を堪能した。今の世界情勢、国の貿易情報、世間の話題等々、田舎に居ては聞けないようなことをたくさん聞いた。


 そんな楽しかった食事会はいつのまにか終わり、貴族の人達が帰ったところで、俺は急に体調を崩した。

 気が抜けたからか、朝より酷い頭痛に襲われてつい頭を抱える。

 迷惑かけてばかりで、本当に申し訳ない。

 俺自身もどうしようも出来なくて、精神的に辛い。

 サラもルークも「帰る?」だとか「寝転がる?」だとか、心配してくれた。


「ほんっと、ごめん」


 そうやって謝ると、二人は怒る。

 恵まれた環境にいるんだって実感する。


「うわぁあ、もう、やっぱ寝る。寝てスッキリしたい」


 思考がおかしくなってきた。

 俺はなんてこと考えてるんだろう、まるで死ぬ直前じゃないか。縁起でもない、俺はまだまだやることがあるんだ。


「ルークさん、多分今のハインリヒのテンションおかしい。だから連れてこ」


「ですね。体調不良とかじゃなくって、頭のネジぶっ飛んでるんじゃないかな?うん、そう思っておきましょう」


 人が黙っているからって、なんて酷い奴らだ。ぐすっ、と俺は鼻をすすった。


「ほらぁ、サリヴァンさん、兄さん泣いてますよ」


「うん、情けない。こんなハインリヒ、もう用済みだね」


「……っとに、黙ってほしいんだけど!?」


 俺はもう、心身共に疲れ果てた。

 元気付けてくれようとしているのは分かるのだが、この二人の励ましははっきり言って面倒臭い。と言うより、この二人の掛け合いが面倒臭くて辛い。的確に俺の傷口をえぐってくるから、タチが悪い。


「ごめんよ兄さん。反応が面白いからつい……。さ、肩貸すから寝室連れてってあげる」


「悪いな、ルーク。サラもごめんな」


「ん、別に良いけど。早く元気にならないと許さないから」


「だな」


 今日、サラの機嫌は悪い。

 そしていつもとは何かが違った。

 だから嫌な予感はした。嫌な予感はしていたのに、俺は「大丈夫だろう」と楽観的に捉えていた。




 終わりは突然訪れる。

 俺はすでにもう日常を迎えられないことに、まだ気付いていない。





*****




 寝室に向かう通路でも、俺は息苦しさに何度も足を止めた。もう歩きたくなかったが、歩かないと自分の家にさえ帰れない。

 これは駄目だ、と俺は他人事のように俯瞰ふかんした。無理して来るんじゃなかったと後悔するが、もう遅い。

 弟とサラだけだったのは、不幸中の幸いだろう。こんな姿、他の人に見られたら何と言われるか。心配されるかもしれないが、これは俺の自業自得だから、関わらないでほしい。


「兄さん、ホントに体調悪いだけ?」


 勘の良い弟は、俺がしゃがみ込むたびにそう聞いてきた。

 サラはいつもより無言だ。

 だから俺は静かに「そうだ」とだけ答える。


「にしても、兄さん会うと絶対体調崩してるね?ちゃんとご飯食べてるの?」


「もちろん、だってサラもいるから」


「じゃあ何が原因なんだろうね。サリヴァンさんは何か分かりますか?」


 不意に話を振られると、サラは「あっ」と小さな声を上げてから話し始める。

 もしかしたらサラは本当に体調が悪いのかもしれない。いつもみたく饒舌じょうぜつじゃないし、元気がないのは体調不良からではないか?


 色々考えていると、いつのまにか寝室の通路に出ていた。通路沿いに飾られた名画や武器は、やはり磨かれていて綺麗だ。


「さて、と兄さんあとちょっとだからね」


「申し訳な……」


「謝らなくて良いから」


 ぐっと謝罪を呑み込むも、何か話したくて俺は話題を探した。

 探して間もなく、俺はサラに体調のことを聞こうと思った。きっと元気がないのは、俺が振り回しているからだ。

 ——もしくは、考えたくもないの状態か。

 

「なぁ、サラ。今日って……」


 振り返ろうとすると、強く背中を蹴られたような衝撃と異質な音を耳の奥に感じ、俺は動きを止めた。


 ——見てはいけない気がする。


 だけど、それは視界に映った。

 何かが身体を貫いている。俺は自分の身体から突き出た異物が、サラの購入した長剣だと瞬時に分かった。銀色に煌めく刀身は、街で会った男性に聞いた通りの『魔導師殺し』と呼ばれる剣の特徴に一致している。

 鋭く光る切っ先には真っ赤な液体が滴っており、まるで映像のようだ。

 が、自分が刺されたのだと認識した途端、痛いと思う間もなく、傷口が燃えるように熱くなった。急に力が抜けて、弟の肩から落ちるように膝を折ってしまう。


「あれ、どう……えっ」


 突然の事に困惑し、振り返った弟は目を見開いた。


「サ、サリヴァン……さん」


 ——ああ、やっぱり、後者だったか。

 今更後悔して、俺は目を閉じた。

 今日のサラは似ていたのだ、の彼女に。



 じわじわと熱が込み上げてくる。

 際限を知らない痛みは、蘇生魔法を使った時とは全く別物の激しい熱となって、俺に襲ってきた。

 長剣が覗く腹部を手で押さえ、目だけを後ろに向けた。


「サ……」


 ぐわん、と視界が揺れる。頭が割れるように痛み、サラの名を呼べないまま、反射的に顔を下げた。


「ずっとずっと黙ってたんだね、ハインリヒ。……私の事」


 冷え切った、低いサラの声が聞こえた。


「サリヴァン、貴方……自分が何をしたか……!!」


 次に聞こえたのは、怒りを露わにした弟の声。弟が立ち上がろうとした時、俺は弟の腕を掴み、首を振った。なんで、どうしてとサラを睨む弟に、ただ首を振り続ける。

 悪いのは、サラじゃない。

 俺は視線を落とし、足元に流れる自分の血を見つめた。


 サラの無機質な声が背中を打つ。


「そうだったね。アンタは、そういう人だった。家族の為に自己犠牲だっていとわないような、少し仲良くなった私にさえ優しくするお人好し」


 はあぁ、とサラが長い溜め息を吐いた。

 自分のした事に、後悔はなかった……今までは。

 彼女が何も不満を言わなかったから。

 彼女が側にいてくれたから。

 彼女の昔の記憶が、なかったから。

 つまり彼女が無知だったからこそ、この幸せは成り立っていたのだ。


「ねえ、どうしてハインリヒは」


 ——やめろ。

 サラが言う事は分かっていた。それを聞いたら、自分のしてきた事が無駄になって、自分の後悔に気付いてしまうと解っていたから、自分が保てなくなると解っているから——それを言うのだけは、やめてくれ。

 しかし俺の思いは虚しく、サラは予想通りの言葉を紡いだ。


「自殺した私を、生き返らせたの?」


「……っ」


「……え?」


 サラと弟の、憤怒ふんぬと戸惑いの視線が俺に向けられた。


「っ死にたいと思った人を生き返らせて!!都合良すぎる!記憶が消えたからって、自分の好きなように扱って……!」


 サラの声が震えている。それが怒りのせいなのか、悲しみのせいなのかは、俺には知ることが出来ない。


「アンタに蘇生魔法を使ってほしい人がどれだけいたか!!」


「サラ!!!」


 俺は彼女の名を呼び、後ろを振り返った。

 が、肺の空気を出し切ると痛みが加速した。長剣に手を当てたまま、前屈みになって苦痛に呻く。熱かった感覚が徐々に激痛に変わり、唇を噛まないと悲鳴を上げそうになった。


「……ご、めん」


 長衣の端を握り締め、出来るだけ大きな声で謝罪をしたつもりだった。なのに俺の声は相手に届く間もなく、空気に吸い込まれた。

 涙の滲む目でサラの表情を追う。怖いとか見たくないとか、そんなの言っている場合じゃない。

 サラは整った眉を寄せながら、罵倒を続けた。


「そんなの謝って済む問題じゃない!」


 視界の端でビクンと弟の身体が揺れた。


「……『蘇生魔導師』っていう立派な異名をもらっておきながら……ハインリヒは、自分が生き返らせたい人しか生き返らせないんだ。それが例え、例え私のように死にたい人だとしても。……噂通り、アンタは本当に偽物なんだ。本当の魔法を、本当に必要としている人には使わない。経験も実力も勇気もない!」


 呼吸を整えるとサラは嘲笑した。


「『名ばかりの蘇生魔導師』ってのは、あながち間違いじゃないね。ハインリヒは知らないと思うけど、生き返って記憶が戻ったら……死にたくなるんだよ?もう、もう私は!死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて堪らないのっ!!何も考えてないと、知らず知らずのうちに水辺に向かってるの……」


 サラは血が滲む程拳を握り締め、卑屈な笑みを浮かべた。


「限界なの、私。生きてるのが辛いの、昔みたいに頭の中は死でいっぱい。いや違う、昔と全く変わってないんだよ。……そーいえば、さ。覚えてる?ハインリヒの大切なペットは、同じ病気で死んでるって」


 一瞬でハルと過ごした記憶が頭を駆け巡る。楽しかった思い出、辛かった思い出、最後に見届けたハルの顔。

 ——どうして気付かなかったのだろう。サラの言う通り、ハルは蘇生する前と同じように死んでいった。どうして、何故気付けなかったのか。


 いや、違う。気付かなかったのではなく、気付こうとしなかったのだ。また過ごせるのが嬉しくて楽しくて、生き返らせたのを忘れようとしたから。




 床に手をつき、俺は重い身体を支えた。刺された場所はもちろん、喉も痛くてえずくような咳が出たが、サラからは全く目が離せなかった。サラが無理に笑っているように見えて、辛そうに見えて、どうしても言い返せない。……これももしかしたら、俺に都合の良いように見えているだけかもしれないが。


「ね、思い出せた?……もう言いたいことは分かるよね」


「アンタの魔法は蘇生なんかじゃない。歪んだ願いが生んだ、一時的な気休め。そんなものの為に命を削ってたんだよ。死んだ記憶を消して、思い出すまでは一緒に過ごせる魔法……ホント、アンタのエゴが魔法化した感じ。死んだ側こっちは思い出したいのに、昔の記憶を思い出したら死ぬってどういう魔法なのかな。蘇生魔法とか言っておきながら、実際は自己満足を満たすだけの……最っ低な魔法だね」


 サラの言うことは最もだ。

 いよいよ目が開かなくなってきた。多分、俺は死ぬのだろうか。

 楽しかった思い出は、走馬灯のようには流れてこなかった。ただ孤独で、怖くて、寂しいという思いだけが頭を埋めた。もういっそ、このまま死んでしまえば良いのかな。どうせ未練も何も——。


 はっとして俺は目を見開いた。


 いや、ある。俺には未練が、彼女に聞きたかったことが、昔からずっと聞きたかったことが、ある。

 俺はなんとか上体を起こして、心と身体の痛みに涙を浮かべながらも、口角を上げた。


「何で、アンタが笑ってるの」


 一通り笑い終えると、サラは再び怜悧れいりな表情で俺を見下ろした。


 ——俺はずっと昔から、毒舌で無愛想なサラに聞きたかった事があるんだ。


 多分醜い笑顔だろうが、精一杯笑って俺は尋ねた。


「っあ、のさ……サラは、俺の事……嫌い?」


 予想外だったのだろう。サラの二重の目が、大きく見開かれた。

 当たり前だ。さっきまで罵声を浴びせていた相手がこんな事を聞いてくるのは、状況的に信じられないだろう。

 言い切った瞬間、腕の力が抜けてルークに上半身を支えられた。

 

「おっかしいなー、どうしてそんな事聞くのかな?ここまで聞いて、まだ分からないの?私がどれだけアンタを軽蔑して嫌だと思っているのか、察せないの?」


 もう、無理だ。

 サラの声が遠くなり、俺は自分の限界を自覚した。せっかくサラに聞く事が出来たのに、先に会話から退場するのが俺なんて、溜まったもんじゃない。

 

「兄さん!?」


 遠退く耳に、サラの震える声が途切れ途切れに聞こえた。


「あはっ、これでサヨナラだね。……ったのになぁ、私は……こんなにも……なんて、初めてなんだもの。蘇生魔導師なんて、名前負けしてるしさ……だって……」


 霞む視界に映るサラの表情は、悲しげに歪んでいた。


「私は……っ、駄目だなぁ。どうしても、最後の最後で気が緩んじゃう……でも、でも、私が居なくなって……こんなにも悲しんでくれたの、ハインリヒだけ、なんだよなぁ……!だから、だから私……」


 俺の呻き声が消えると、サラの嗚咽が響いた。


「……私は。私は、生まれてきて、良かったのかな」


 俺が完全に意識を失う前、サラは最後にそう言った。







*****






 暖かな日差しを受け、眠気に襲われた。

 すると、空っぽになった頭に次々と思い出が流れてくる。その思い出は、良いものも悪いものもあって、人生を振り返っているようだ。

 ゆったりと椅子に腰掛け、俺はまどろみながら目を閉じた。





 『蘇生魔導師』と呼ばれ、最初で最後の友人を生き返らせた俺は、これからも彼女を支えようと思っている。

 そんな俺の魔法は、偽物で未完成の、一時的な願望を満たす逃避の魔法で——蘇生魔法ではなかった。大層な名前で呼ばれただけの臆病な俺は、に言われた『名ばかりだ』という言葉が、特に印象に残っている。

 『名ばかりの蘇生魔導師』という、批判的で侮辱を込めたこの呼び名は、俺にとっては忘れられないインパクトがあって、過去の自分と向き合えるから、胸に刻みたいと思う。


「ね、今良い?」


 俺の目の前で読書していたサラは、顔を上げて首を傾げた。


「ん、良いよ」


「……私の中では、最高の魔導師は貴方だからね」


「いきなりどうしたんだよ?あっ、まさかお前、また湖に……!」


「違うってば。今は大丈夫、一番辛いのは夜って言ったじゃない?」


「そ、そうだけど……」


「あのねー、ハインリヒばっか謝ってるけど、私だって……あの時、貴方から仕事奪っちゃった」


「それは仕方ない」


「ナニソレ。……もー、一人で背負い過ぎ。お互い様なんだから、その態度ホントやめてほしいんだけど」


「うっ、は、はい」


「で、話し続けるよ?今ちょっと、昔のこと思い出したの。そしたら、やっぱ生きてるって良いなぁって思えたから褒めただけ。駄目?」


「いや、嬉しいよ、ありがとう」


「そ。あ、あとさ」


 サラは悪戯っぽく目を細めて、俺に笑いかけた。


「これからもよろしく、私の蘇生魔導師様」





*****





 数年後、ある噂がまことしやかに囁かれた。

 「森の中で煉瓦れんが造りの小屋を見つけたなら、失ったものを取り戻せる」という、抽象的な噂である。誰もが馬鹿にして信じない中、一部の人はその噂にすがり、辿り着いたことがあるのだとか。

 噂によると、その家 小屋には師弟関係の男女が暮らしているらしい。優れた魔導師でありながら、名前を広めたがらない男性に、美しい容姿のまま、全く歳をとらない女性——と噂されている。


 「失ったものを取り戻せる」というのはその二人のどちらかが奇跡を起こせるから、だそうだ。

 願いは、なんでも叶うらしい。

 願いは、なんでも叶えてもらえるらしい。




 一時の奇跡を味わった後、寂しさで再度小屋を訪れると、二人にこう言われるそうだ。


「互いに願いが通じれば、奇跡は日常になる。信じることを忘れないで」


 彼らに逢えるのは、多くても二回。

 一度願いを叶えてもらうと、二度と逢えないと言われている。彼らの居場所を口外する人がいない為、どの森の、どの小屋かも断定出来ないそうだ。


 「少しだけど、楽しかった」と嬉しそうな言葉が飛ぶ中で——奇跡を目の当たりにした人達は、誰もが口々に言っていた。



 その二人は、本当に幸せそうだった、と。




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名ばかりの蘇生魔導師 辰ノ @viy

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