6 人形劇 三幕
「李来、体調はどう?」
ひとり残された救護室に、布雪がお見舞いに来てくれた。令と真紀は出て行ったきり戻る気配はない。落としたせいでひび割れたスマホの画面が、通知で光ることもない。
「すこし落ち着きました。まだちょっぴり痛い、ですけど」
「そりゃそうよね、自分で耳を切り落とすなんて」
「え?」
布雪の言葉に心臓が飛び跳ねた。いま、彼女はなんと言ったんだ。
「ばれないと思っていた? 私はあなたに噛みついたことがあるのよ? 血の匂いや味はしっかりと覚えている。その体にべったりと飛び散っている血液が、他人のものであることは、私の鼻と舌が証明してくれる」
「な、なにを……」
「あと、はいこれ」
ベッドのうえに置かれたのは、一本の鋏。乾いた血がこびりついている。私の血がついた、私の耳を切った、私が私の左耳を切り落としたときに使った鋏だ。これを彼女が持っているということは、なにもかもすべてをわかっているということだ。
「稲生令もあなたが怪我して動揺していたみたいね。隠し持っていた凶器に気付かないなんてね。あと、森からこれも見つけてきてあげたよ」
それは鋏以上に決定的なもの。私が姫野ゆりこからもたされた『お土産』の中身。
仮面。人形の仮面。赤い糸で輪郭を縁取った、生皮でつくられた姫野ゆりこの人形の顔。
「今度やるときはもっとうまくやらないと、ね? お友達に気付かれちゃうよ」
布雪は優しい口調で話す。泣きじゃくる子供をなだめるように、背中をさすってくれさえもした。私の悪行を知り、欲望を理解して、優しく囁く。
「今は吐き出していいよ。ひとを傷付ける快楽も、血を欲しがる気持ちも、異常への憧れも。なにも悪いことじゃないんだから……それはぜんぶ、ひとの持つ、まっすぐな欲望なの」
私は人形の顔を手に取り、自分の顔に張り付けた。
私は柏李来のままで罪を吐き出せるほど強くない。
違う自分にならなくちゃ。(すなおにならなきゃ)
生まれ変わらなきゃ。(なにがほしい? なにがしたい?)
ちが……まっかなちが……ながれている。
どくん、どくん。わたしのなかに、あのこのなかにもながれているよ。まっかなあかいちが、きれいな……きもちいい……めのまえがまっかにそまっている。
私はあの晩、夜に踏み出した。
19:30~
耳から血が流れている。一瞬の出来事だった。
人形の顔を被った、ゆりこが私の右耳を、切り取った耳をつまんで、見下ろしている。
森の中、背後から襲ってきた姫野ゆりこ。彼女は私に語りかけた。
「なにになりたい? どうしたい? なにがほしい?」
ゆりこは私に持たせたお土産――人形の顔を手渡す。私の顔を採寸して、形をスキャンして、五日の間に作り上げた、新しい姫野ゆりこの人形の顔。
(わたしのしらないよる)
痛みが私の衝動を呼び起こそうと、揺さぶりをかけてくる。
「まずは私のお人形をつかって練習しましょう。なにごとにも順序があるわ。すこしずつ、ひとつずつ、夜の住人になっていけばいいわ」
培養された薄い生皮でつくられた、私の顔に一番張り付く顔。私じゃないわたしのかお。ゆりこの青い瞳に、知らない私が映り込んでいる。
私はそれを受け入れる。
「お誕生日、おめでとう。私のお人形さん」
「あ、ああ……」
彼女に手を引かれて、私はゆっくりと立ち上がる。顔に赤い糸がひとりでに侵入してくる。まるで元々、この顔が私のものであったかのように、わたしになっていく。
「あなたも遊びたかったんでしょう? 羨ましかったのでしょう? いいわよ、あなたも玩具で遊びなさい。みんなが夢中になっている、稲生令という玩具で、仲良く遊びましょう?」
「あそび、ましょ……わたしと、あそびましょ……」
(どろり。
まっかな、とろける。
わたしからながれる。
なくなった、もの、とけだす、わたしの。
にくずれる。
わたしのからだが――こころが――せかいが――よるにとけてまざりあう。
あかい、くらい、あったかい。)
「わたしと、いっしょに、あそびましょ」
私は駆けだした。森を抜けて、途中の管理小屋に入り込み腰鉈を手に取った。準備万端で研究棟へ向かう。
あとは隠れて待つだけ。おにごっこ、かくれんぼ。推理ごっこ。
令、わたしといっしょにあそびましょう。
20:15~
ヘンリエッタを背後から襲い、お人形さんのようなすまし顔をした彼女を地面に押し倒した。その澄ました顔を引き剥したかった。(ちがう、きずつけたくなんか!)
人形たちにとって一番痛む場所を考えたとき、それは姫野ゆりこだった。彼女に認められた、美しいと褒められた、生身の手足だった。偽物で覆われていない生身の体は、傷付きやすくて傷みやすい。
みつけた。(やめてッ)
馬乗りになって、その右腕に、その右脚に、振り下ろした。振り下ろした。振り下ろした。
「あかい……まっかな、ちが……あったかい」
私は痛みで彼女が失神したことに気づいていなかった。肉を切り刻むことに夢中で、血の匂いを嗅ぐことに夢中で、とても冷静じゃなかった。もし叫ばれていたら、すべてが水泡に帰すところだった。
いけない、いけない。もっとしっかりしなくちゃ、令ががっかりしちゃう。簡単に推理できちゃう事件なんかじゃ満足してくれないでしょ。
ぴくり、手足を切り落としたヘンリエッタが血の海でもがいていた。
「あなたもあそびたいの?」
あのこがうめく。まだうごく。まだいきている。
わたしはうでをふりあげた。
(やめてッ)
ちからいっぱい、ふりおろしたッ!
21:00~
くたくたの体。でも、私の体は妙な満足感に包まれていた。でも、まだだ。最後の仕上げが残っている。
私の心は興奮で満ちていたけれど、頭だけは妙な冷静さを保っていた。
途中で通った森で人形の顔は隠してきた。手には鋏。
「私は人形たちの妬みによって襲われた。ゆりこさんに褒められた耳が気に食わなくて、切り取ろうとした……うん、この筋書きでいこう」
被害者を疑うのは難しい。まして、私の気持ちに気付いていない令が、私の犯行に辿り着くのはもっと難しい。私は今、彼女の疑念の死角にいるのだから。
アリバイがなく、なんの制約も負っていない。でも、見つからない。
気付いてくれるかな?
それともわからないかな?
事件と手掛かりは、私からのメッセージ。恋文みたいですこし気恥ずかしい。伝えたい気持ちは、そう多くはない。特別な彼女につり合う私に近づけたかな。
『令、私と遊ぼうよ』
私はにわかに緊張をにじませ、自分の耳の根元に開いた鋏をあてがう。上手く切り取れなくて傷口はギザギザになってしまう。
「うッ……い、たぁい……」
まっかな、あかい、あったかい、わたしのち。
どろり、ながれおちる。
くさい。(いいかおり)
こわい。(たのしい)
くるしい。(きもちいい)
ヘンリエッタの手足と同じに見えるように、切り取った左耳を切り刻んで捨てる。
鋏をスカートに挟んで隠し持つと、ポケットからスマホを取り出す。自分の血で滑る指先で画面を操作し、令の連絡先を呼び出す。
疲れと痛みで意識が飛びそうだった。
「れ、い……たすけ、て」
途切れかけた意識の中で、それだけ押し出すように声にした。
私の自白を聞いても、布雪はなにも変わらなかった。なにひとつ変わらなかった。
「自分に素直なのは、とってもいいことだよ」
彼女はベッドの脇においてあったタッパーに手を伸ばす。中身は私の切り刻んだ、私の耳が入っている。
「それじゃ、今度は欲望のコントロール、我慢を覚えなくちゃね」
「我慢?」
「そう、気持ちを抑えて、抑えて、ここぞという時を待つの。いっぱい我慢したぶん、いっぱい気持ちよくなるために、最高の舞台を整える。人間、どんなに刺激的なものでも慣れて飽きてしまう。それじゃあ勿体ないでしょう。だから、我慢を覚える。一度で精神を壊してしまうような快楽を、死よりも甘美な快楽を貪るために、いっぱい我慢する」
「快楽?」
「そう、きもちいいこと」
布雪は切り刻まれた耳に手を伸ばす。切れ端をつまみあげて、舌のうえで躍らせる。しかっりとしゃぶり尽くして飲み込むさまは、するめを食べているようにも思える。
「我慢はどうしたんですか?」
「時々、自分を甘やかしてご褒美をあげるのも、上手な我慢のコツよ」
彼女は制服を緩め、自分の肌をさらけ出した。噛み痕、ただれた肉、食いちぎられた僧帽。私が味わいやすいように、すこしだけ肌を傷付け、血を流してくれた。
まっかな、あかい、ち――。
彼女は私の耳を。私は彼女の肩の肉を。
これはいっぱい我慢するために必要なことよ。
楽しみにしててね、令。いつか、最高に楽しい舞台で遊びましょう?
「いただきます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます