3 誰そ彼
「また来てくださいね。絶対ですよ。できあがったらお見せしますから」
小さな子供のように手を振るさゆりに見送られ、私が寮に戻ってきたのは二十時過ぎ。結局型を取るだけにとどまらず、採寸やらスキャンやら、何に使うのか体重まで量られてしまう。もはや令との約束をすっぽかしたなどという次元の話ではなくなっていた。ぐったりと疲れていたが、彼女に謝らなければと部屋を訪ねる。
「令、ごめんなさい」
今回も部屋にすら入れないと思ったけれど、同室の衣里が招き入れてくれた。おかげで前回のように、廊下で土下座する羽目にはならなかった。ご機嫌斜めが板につきつつある令は、毛先を弄るばかりでこちらを見ようとしない。
「誰に捕まったの?」
うんともすんとも言わない令の代わりに、衣里が話題を振ってくれる。彼女はアイスキャンディを片手に、ウインクを飛ばす。世間話をきっかけに、不可抗力だったという言い訳をさせてくれるらしい。先輩の気遣いに感謝しつつ、姫野ゆりこと人形たちのことを話して聞かせる。
令は顔色ひとつ変えなかったが、衣里の表情が見る間に曇っていく。
「そういう時は走って逃げなきゃ駄目」
草食獣は捕まったら死ぬんだよ、と衣里はため息をつく。
「もしかして、なにかまずかったですか?」
「まずいというかねぇ……人形のなかに、銀髪のペトルーシュカって呼ばれている子がいたでしょ。あの子、中学の同級生で高村
衣里のスマホに残っていた写真を見せてもらったけれど、まったくの別人だった。入学当初の高村光は、狐顔をした陰鬱な印象の女の子だった。カメラに向ける引きつった笑みは本人の卑屈さの表れのようにも見える。写真からは分からないが、切り落とすほどひどい欠点は見当たらない。
「シミがあったんだよ。五円玉ぐらいの、肩のあたりにね。右足はムダ毛の処理で、毛穴が気になっていたのかな。よくわからないけど、その程度だよ。でもね、一度でも気になり出したら、際限なく求めちゃうものだよ」
「たったそれだけで?」
私には信じられなかった。自分の体なのに、そう簡単に捨てられるものなのだろうか。
「自分の体だから。まっさらなものに交換できるなんて知ったら、放っておかない。汚れた洋服を捨てるみたいに。汚点だもの、我慢できるはずない」
黙って聞いていた令が小さく呟いた。
「令の言う通りだよ。それだけ体を作り変えるって行為は魔的なんだ。自分自身が生を終えずに生まれ変わることができる。とっても危険で魅力的な力さ。しかも、ゆりこの肉体改造は整形なんて次元をはるかに飛び越えている。あれはもはや別の生物に作り変えるものだよ」
生まれ変わりの願望を叶える魔術。それが姫野ゆりこの人形づくり。
作り変えられた結果、ただ美しいだけのお人形にされてしまった。身も心も作り変えられて、そこには元の人間性など残っているのだろうか。私はうすら寒くなって、自らの腕を引き寄せた。
衣里の話によると、生まれ変わった子は五人だけじゃないらしい。今の面子は割と長い方だが、定期的に入れ替わりが起きるようだ。同級生だったり、後輩だったりするが、手元に置いておくのは常に五人だけだという。あぶれてしまった子がどうなったのかは誰も知らない。
名目上は姫野ゆりこの立ち上げたテーマ研究のチームということになっているらしい。先進的な義肢開発という大きな実績をもつせいで、学院側も支援することはあっても、ゆりこを罰することはない。むしろ、学院はこういった異常行為を推奨すらしている、と衣里は肩をすくめた。
ここは猛獣の檻かよ、と令は眉を寄せた。
「でも、あの子だけは特別かも。金子
「もしかして、コッペリアって名前の?」
「そんな名前だったっけ? あの子たち、たまに入れ替わって遊んでいるから、はっきりとわからないのよね。同じ顔に整形しているし。おままごとっていえばいいか、ロールプレイっていうのか……自分たちですら、自分が誰なのか分からなくなっているんじゃないかな」
「まさか」
「あの子たちのことは分からないからね。なにがきっかけで過激な行動に走るかわからないし……要するに、無事でいたいなら深入りするなってこと。本当にやばくなったら、朱華に助けてもらうって手もあるけど?」
冗談でもなさそうな提案だが、それは五十歩百歩ではなかろうか。
「あの女に借りをつくるぐらいなら、お人形遊びが好きなイカレ女と戦う方がマシ」
勇ましい物言いの令。巻き込まれるのは私だということを忘れていないだろうか。親身になってくれるのは嬉しいのだが、なんにせよ過激で困る。彼女は年上の変わり者に対してつよいアレルギーを持っているらしい。
「やっぱ、あんたをひとりで放っておくと、こっちまで被害をこうむりそう」
そういって令はポットから取り出したスマホを投げてよこした。
「連絡先いれて。今度から遅れるときは要連絡。あと、勝手に変なやつのお茶会に行くな」
「わ、やった。いっぱいメッセするね」
「必要最低限」
私のスマホには新しく稲生令の連絡先が登録される。画面をみてにやけていると、令に頭を小突かれる。
「今日の話し合い。ついでに済ませる。私はあんたみたいに暇じゃないんだから」
「あ、うん」
衣里は、私たちのやり取りを終始生暖かい目で見つめていた。
「遅くなっちゃったな」
ゆりこの研究室から、寮へと戻る帰り道。時計を確認すると午後十九時をまわったところ。今日は前より一時間早い。西日に照らされて、学院を囲む山の木々が燃えているように赤い。
(あかい――ちみたいに、まっか。)
できあがったからおいでよ、とゆりこから連絡がきた。前回のお茶会からは五日ほど経っている。知識がないからよくわからないが、ずいぶん早い気がする。きっと張り切って仕上げたのだろう。嬉々として作業をする彼女の姿が思い浮かぶ。
最終調整のために本物が必要だ、ということで再び研究室まで呼び出されたのだ。行くべきか迷ったが、放課後に講義室まで迎えに来られたのでは逃げようがない。コッペリアが一年生たちの視線を集めて、凛と佇んでいる。
それに、少しだけ好奇心もあった。どんなふうに仕上がっているのか、見てみたかったのだ。
研究室ではゆりこの研究披露という形で歓迎を受け、散々自慢話を聞かされて、気が付けば二時間が経過していた。彼女から手土産を持たされ、人形たちに見送られて帰路を急ぐ。
理由は食事だ。寮の食堂は二十時までと決まっている。そのせいで、実は前回食べ損ねてしまったのだ。もちろん、自分で料理をすればいいだけの話なのだが、私は料理が苦手だ。それに部屋の冷蔵庫には、布雪のゲテモノ食材が詰め込まれている。虫や原型の残る肉片をみると、それだけで食欲が失せてしまう。それだけは避けたい事態なのだ。
夕日を背に早歩きで道を抜ける。
ここから森を突っ切れば、寮まで近道だったはず。
道をそれて、木立の中を突き進む。森といってもきちんと林道も整備されているから、少しばかり靴が汚れるぐらいだ。森のなかは木陰になって夜が早い。転ばないよう薄暗い足元に注意しつつ、先を急ぐ。
がさり――背後の茂みがゆれる。
ぱきり、と枝を踏む音が聞こえた。
大きな気配だ。この辺りでクマがでたという話は聞かない。鹿だろうか。それとも野犬だろうか。なんにせよ出会いたくない。
ゆりこから渡された手土産を胸に抱えると、早歩きから小走りに。
がさり。ぱきり。追ってくる。
振り返っても姿は見えない。ただ気配だけが近づいてくる。確実に私をつけ回している。
逃げないと。
動物でなくとも、学院に入り込んだ不審者かもしれない。捕まったら、どんな目に遭うかわからない。
走り始めた。
森の切れ目はもう視界の端にみえている。
ここを抜けたらもう安心だ。
その思いが気のゆるみに繋がったのか。暗がりでつまずき、転んでしまう。木の根が私の邪魔をした。まだ森の出口までは遠い。じわっと、膝に熱が広がる。転んだ拍子にすりむいたらしい。
(ちが――まっかなち)
はっとして背後をみる。誰もいない。
息を吐いたのもつかの間、あたりの異様な雰囲気に指が冷たくなる。
追ってきていた音が聞こえない。それだけじゃない。なにも聞こえない。
森が静まり返っている。鳥の声も、葉擦れも聞こえない。
ハア、ハア――わたしのいきだけが――ハア、ハア――あたまのなかまでひろがって――ドクン、ドクン――しんぞうがうごいて――ドクン――うるさくて――ドクン――きこえない――。
ゆっくりと首を戻すと、そこに立っていた。
「つかまえた」
まっしろな、かみなりのような、しょうげきが、わたしのからだを。
いたい。
いたい、いたい。
いたい、いたい、いたいいたいいたいいたいたいたいた……いやだ。
(ちだ――まっかな、わたしの――ち)
どろり。
まっかにとろける。
ぬらぬらと、わたしのてを、くびを、くちびるを、しめらせて。
よるだ。ちをとおして、よるがはいりこんでくる。
くさい。(いいかおり)
こわい。(たのしい)
くるしい。(きもちいい)
わたしのあしもとに、あのこがたおれている。
わたしじゃない。(やったッ)
こんなの、のぞんでない。(ずっと、こうしたかった)
あのこがうめく。まだうごく。まだいきている。
わたしはうでをふりあげた。
(やめてッ)
ちからいっぱい、ふりおろしたッ!
朦朧とする意識で、ポケットからスマホを取り出す。
画面が血で滑って上手く反応しない。なんども指を滑らせて、登録したばかりの番号を呼び出した。
力が抜けて、手から零れ落ちる。もう目を開けていられない。なんだか、だるくてしょうがない。つよい眠気が、毛布のように足から包み込んでいく。
コール音が一度、二度、たくさん。
『なに?』
不機嫌そうな声がスマホ越しに聞こえてくる。私はそれですっかり安心して、体の力を抜いた。
『これ風の音? ノイズがうるさい。あんたどこにいるの? 門限過ぎてるよ』
「れ、い……たすけ、て」
途切れかけた意識の中で、それだけ押し出すように声にした。
『ちょっとッ、李来ッ』
はじめて彼女が名前を呼んでくれた。
こんなときだけど、とっても嬉しかった。
『返事しろッ、李来ッ、李来ッ』
私はまどろみのなかへ、意識を手放した。
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