2 人形たちのお茶会
天井からぶらさがる肢。フィギュアの塗装待ちをするパーツのように、棒に刺さって無数に生えている腕。妖しい培養槽で泳ぐ舌。水槽で肉付けされていく骨盤。トレイに載せられた頭皮の上で、稲の苗のさながらに生えそろった様々な色の毛髪。解剖された肉、肉、肉――。
「ようこそ、我が工房へ」
通された大学施設の研究棟の一角。奥まった立地の地下二階。手袋の彼女、姫野ゆりこの棲家に招かれた。
人間の枝肉が大量に吊るされている光景に、私はせりあがりそうになる吐き気押し留めるのに必死だった。四方の壁が白く、リノリウム張りの床をした冷蔵だったならば、そこは出荷待ちの牛や豚の倉庫と何ら変わりない。ロッキーだ。スタローンが肉を叩き出そうとしている。頭をふって陰気な幻想を振り払う。ひとつ救いだったのは、私の想像するような無機質な研究室でなかったことぐらい。
木くずが散らばっていてもおかしくないような、漆喰の壁と作業台に囲まれた工場。バラバラのまま放り出された四肢を無視すれば、ヴァイオリンの工房だといわれても違和感はない。
部屋の四隅は培養槽と工作機械が占有して、部屋中央の作業台を圧迫して空間を手狭に感じさせる。部屋は丁寧に区分けされており、肉を育てる培養区画、大型の工作機械が並ぶ区画、肉を切るための刃物が並んだ区画、サンダーなど電動工具が並ぶ木工区画。そして、中央に今まさに部品を組み上げる作業台。近代的な研究室と伝統的な工房の風景が混じり合う不思議な空間だった。
「こうやってお客様を招くのはいつぶりでしょう。散らかっていて恥ずかしい」
ゆりこは作業台に載せられていたぶつ切りの腕をぞんざいに放り投げた。
「あの、あまりお気遣いなく……」
べちゃりと音を立てて捨てられた腕。作業台を囲んで中央に私、向かい側にゆりこ。扉からは一番遠い場所に座らせられ、内心の動揺を隠せない。
人形たちは整然と動き回り、ロックアイスが涼し気な音を立てるグラスが私の前に出された。
「お砂糖とミルクはご自由に」
フランス人形の艶やかな指先が、私にグラスをサーブしてくれる。彼女の白いシャツの袖口からふと覗いた肌に怖気が走る。またボディステッチだ。今度は装飾の刺繍ではなく、抜糸が終わっていない縫合痕である。手首の付け根から動脈に沿って肘まで縫い合わされている。それだけじゃない。おびただしい数の手術痕。すぐにでも席を立ちたくなった。
「改めて自己紹介をしましょう」
ゆりこがテーブルに肘をついて顎を支える。人形たちはテーブルに着かず、彼女の背後に控えている。こうして並んでいるところを見ると本当に人形のようだ。
「私は姫野ゆりこ、三年生よ。義肢装具士とか、整形外科医とか呼ばれるけれど、肩書としては正しくないわ。資格も持ってないのにね。実は気に入っている名乗りがあるの――人形師。私は人形師、姫野ゆりこ」
自ら人形師を名乗る彼女。思わず視線を背後に控える人形たちに向ける。彼女ら、いやそれらは、本当に人形なのか。それとも人か。私は彼女がどうやって人形をつくるのか知らない。
「彼女たちも紹介しないとね。この子たちは、私の共同研究者で、作品なの」
ゆりこが手をあげ、合図を出す。
人形たちは何のためらいもなく、身にまとっていた制服を脱ぎ捨てる。下着さえ剥ぎ取って、彼女たちの体を隠すものは一切なくなる。
糸と皮膚、傷と肉。つぎはぎの体。球状の丸い関節。
彼女たちは無表情に、機械的に、恥ずかしそうに、誇らしげに、自慢するように、自らの肉体を晒した。
「この子は『コッペリア』。私とは一番長い付き合いで、子供の頃から私が体を整えてきたから愛着があるの。両腕と両脚をより良いものに交換したの。ほかにも肋骨の形も整えたわ。骨盤が開きすぎて美しくなかったから、脚と合わせて交換したのよね。あとは腹筋を整えたかな。腹筋の形は生まれつきで後天的に筋の位置を変えられないの。だから、均整の取れた区分けに整形するしかなくて。青い瞳は私のつくったものじゃないけれど、だからこそ、とても美しいわ。きれいよ、コッペリア」
うっとりとしたゆりこは、彼女の手足を撫でて、最後に頬にキスを落とす。コッペリアと呼ばれた青い目のフランス人形は、軽く瞳を伏せて礼を示しただけだった。
『コッペリア』は編み込まれた金髪と青い瞳が特徴的で、凛とした女性である。四肢の継ぎ目には溶接したようなみみず状に盛りあがった皮膚と、目立つ赤い糸の縫合痕。縫合に関しては一種のデザインらしく、かわいらしく唐草模様が縫い込められている所もある。彼女は五体の人形のなかで、唯一関節が球状になっていない。
少なくとも物ではなく、ひとであるらしい。
その調子で彼女は並んだ人形たちを披露していった。今まで機会がなくて、誰かに自慢したくて仕方なかった様子。光る泥団子をつくって誇らしげに磨いてみせる子供に似ている。
右から順にペトルーシュカ、ヘンリエッタ、イヴ、雛子と名のついた人形たちを披露していく。紹介に合わせて最初の印象と名前を頭の中で対応させていく。この四体は球体関節の義肢をつけており、より人形らしい。肩、肘、手首と股、膝、足首にそれぞれ球を挟んでいる。
『ペトルーシュカ』はプラチナブロンドのロングが美しい、無機質なロシア人形。彼女は右腕と右脚の、右側すべてが義肢になっている。左側は生身で、ゆりこは美しい生の素体をほめそやした。彼女は褒められても特段反応を返さなかった。
『ヘンリエッタ』は栗色のボブと弱気な眉毛がかわいらしいイタリア人形。ペトルーシュカとは対照的に左腕と左脚が義肢になっている。褒められると小さな子供のように顔を赤くして、髪の毛を弄る仕草がいじらしい。
『イヴ』は波打つブロンドの強気に私を見下ろしたイギリス人形。彼女は右腕と左脚が義肢になっており、ゆりこの美しいという賛辞に、当然とばかりに鼻を鳴らした。
『雛子』は切り揃えられた黒髪で、艶っぽく微笑む日本人形。左腕と右脚が義肢で、彼女の方からゆりこに絡みつくようにキスを求めた。五人のなかでは一番体の傷が少ない。
「どうかしら? 私の自慢のお人形さんたちは?」
彼女たちの体はグロテスクさと奇妙な美しさが同居しており、姫野ゆりこの確かな美学を感じることも確かだった。怖いものみたさとは少し異なる、妖しさの魔力とでもいうべきか。
彼女たちはきれいだった。
私も素直というか、間抜けというか。
先ほどまで早く帰りたいと思っていたのに、つたない語彙の中から自分の感動を伝えようとしている。ゆりこに気に入られたいわけじゃないけれど、わざわざ自分を偽って嘘を吐く理由もない。
単純に綺麗や美しいという言葉は正確じゃない。かといって妖怪に感じるような薄暗い好奇心とも違う。人間の形をして、人形の体をもった、歪な人間。人間の形に異形が押し込められた人形。
「まるで夜みたい」
ひねり出した言葉は我ながら意味不明だった。
月が見ている。私以外は真っ暗な夜。闇は蠢き、真夜中は香り立つ。
私がこの学院にきて出会った不可解な人々とその力がまさしく、『私の知らない夜』だった。怖く、甘く、妖艶に私を魅了する。暗闇に惹かれる気持ちを、口に出して自覚した。さゆりの人形を通じて、異形への憧れを見つけてしまった。
さゆりは満面の笑みで頷いた。意味と感情がごちゃまぜになった言葉から、なにかを察してくれたらしい。
「折角だから、工房の設備も紹介していいかしら?」
私の答えをいたく気に入ったらしい彼女は、私の腕をとって義肢や設備をひとつひとつ説明して回る。
「私のつくる義肢は装着者本人の細胞から培養するから、生身の肉体と馴染みやすいの。幹細胞を取り出して、培養槽につけて細胞を増殖させた後に、3Dプリンターによって分子レベルで筋線維を合成する。ここまでは機械がやってくれる作業なのだけど、ここからが私の腕の見せ所ね。細い糸状になった筋線維を、パーツごとに手作業で成型していくの。糸を撚るようにして一本ずつを太くまとめたあと、理想の筋肉の形になるように盛り付ける。私のつくる特別な義肢は球体関節を採用しているから、人間の筋肉の作りとは異なる。筋線維の収縮と関節の可動域を考えつつ、細胞も生かしたままで作業するのはとても神経を使うところよ」
「どうして球体関節を?」
「良い質問ね。ひとつには培養筋肉の脆弱性があるから。人工的に精製した筋肉は、細胞個々の結びつきがとても脆くて、強い衝撃が加わると簡単に分離してしまうの。自己の筋収縮でも、許容を越えると断裂したり剥離したりする。いわゆる肉離れね。ふたつには一般的な筋肉と違って成長しない点ね。精製した細胞は筋線維として収縮する役割はもっているけれど、筋肉として筋肥大しない。細胞は常に劣化し続けて、いずれ義肢ごと交換しなければならないの。生身と違って新陳代謝の機能が小さくて、完全には生きた肉体とはいえない。球体関節を使えば、摩擦の少ないベアリングによって、生身より小さな負荷で体を動かせるようになるの。この小さなパーツにどこまで拘れるかが、関節の良し悪しを決めるのよ」
彼女は材料として置かれていたベアリング単体を取り上げてみせる。円形の輪にボールがはまっており、滑らかに回転する。
「つまり、姫野さんのつくる義肢は脆くて弱い、ということですか?」
「利点が小さいと思う?」
私の直球な感想にも気を悪くせず、大きな瞳を見開いて問い返すゆりこ。
「えっと、はい。機能で考えれば」
「正直ね。でもね、私の義肢をつけた人形はそれでいいの。跳んだり走ったり、力仕事をしたり。肉体的な頑強さは何ひとつ求めていない。ただ美しくあればいい。ティーカップより重いものを持ち上げる必要はないし、歩くときは静かに淑やかに。人形に人形としての美しさを求めるのは当然でしょう?」
「姫野さんは人間の体がお嫌いなのですか?」
とんでもない、と彼女は目を輝かせる。
「自然に造られたものこそ、人の手では作り出せない美がある。生まれ持った才能と言い換えてもいいわ。ほら見て、彼女たちに残してある生身の肉は、とってもきれいでしょう? 歪みのない骨格と、均整の取れた筋肉。筋張りも、血管の走りもいい。私は人間の体を愛しているわ」
「なら、どうして?」
人間の体とは異なる形の義肢をつくるのか。彼女の技術なら、人間と同じ形で、同じ機能をもった義肢がつくれるのではないか。実際コッペリアはひとの形をしている。彼女だけは特別なのだろうか。
「人形の体をもった人間。人間の肉でつくられた人形。私はその歪さに焦がれているの」
ゆりこは恍惚とした表情を両手で覆う。湧き上がる欲望を押さえつけるように体を震わせる。
「人間という形に押し込められた異質。私が追い求める美しさは、どこまでいっても人の形でなければならないのよ」
指の隙間から覗いた目は狂気にぎらついていた。この人は危ないひとだ。欲望と道徳がはじめから天秤の上にのっていない。彼女の倫理や道徳は、彼女の欲望を正当化するための理論でしかない。そう肌で感じた。
彼女の雰囲気に危険なものを感じた私は、とっさに視線を走らせる。目についたものに話題をそらす。
「あの、じゃあこのよく見る機械っぽい義足は?」
ああ、とゆりこが溜息を吐く。先ほどまでの危険な雰囲気は、それによって霧散する。
「時々、こういうナンセンスな依頼をしてくる人がいるのよ。まあ、研究資金を手に入れるために仕方なくやっていることだけどね。学院や取引先からの資金じゃ回らないことが多くて。私の特別製の義肢をつくるのはお金がかかるから。この機械の足を使いこなせば人よりも速く走ることは容易。人間の機能を越えたければ、人間の体に拘らなければいい。簡単なことよ。手足や頭も、道具とみなすことができれば幾らでも。だけど、それじゃあつまらない、でしょ?」
おもしろいかどうかは置いといて、彼女のつくる肉の義肢は美しい。機械の義肢が駄目というわけではないが、なまめかしさは持っていない。
「私も、こっちより、姫野さんの特別製の義肢のほうがいいかなって思います」
「本当に? そう思ってくれる?」
ゆりこの瞳孔が大きく開く。
口にしてしまったと思った。今の発言は正直すぎた。
「は、はい。ちょっとだけですけど。ほんのちょっと」
あわてて修正しようとするがもう手遅れだった。
「柏さん、あなた血液型は?」
「A型です、Rh+の」
「私たちと同じね、素晴らしいわ。輸血用の血液は補充したばかりだし……麻酔の用意もできている……よし、いいわ。すぐにでも取り掛かれる」
「あの……私、そろそろお暇しようかと――」
扉に向かって踵を返したが、御見通しとばかりにコッペリアが進路を塞いでいる。諦めろ、と小さく微笑んだ。
「柏さんッ! あなた、私のお人形にならない? いいえ、なるのっ!」
ゆりこが私の体に絡みついて、逃がすまいとする。お人形になる、ということは腕の一本や二本は覚悟しろという意味だろうか。まだ使えるのに、切り落とされて交換されたのではたまらない。
「あなたの体も顔もすべてを完璧なものにしてあげるわ。きっと、いいえ、必ず気に入るっ! あなたが望めば、どんな要望も叶えてあげるッ」
「わ、私にはちょっと荷が重いというか」
「待って、どうか逃げないで!」
体が小さくて軽いゆりこを引き剥そうとするが、体格に対して力が強い。いや、強いのは執念か。研究者気質のせいか、彼女の欲望には遠慮がない。朱華や布雪とは異なるベクトルで厄介な人だ。
「それなら、せめてッ、せめて、お耳の型だけでもとらせてちょうだい!」
「そ、それで無事返して下さるなら……」
ここで折れなければ一生返してもらえないかも。
渋々了承すると、作業台のうえに寝かせられる。背中に固い感触を感じていると、柔らかい感触に耳が包まれる。消しゴムとガムの中間のようなピンク色のゴム材。熱して柔らかくしたのか、ホットタオル程度には熱い。
「ちょっとの我慢ですからね」
歯医者で似たような経験をしたことがある。虫歯になって詰め物を作るための型をとるとかで、口の中に印象材を押し込まれたのだ。息苦しいうえに、薬品臭で吐きそうだった記憶が蘇ってくる。
私が返事しないのをいいことに、さゆりは聞いてもいないことをひた喋り続ける。彼女はオタクだ。自分の好きなことをひたすら語りたがるオタクなのだ。趣味が高じて、肉体まで造り初めてしまった人形フリーク。それが人形師姫野さゆり。
「耳は3Dプリンターが登場するまではとても成型が難しかったの。三次元的な軟骨の作製が難しかったのね。耳はとっても個性的な部品だから。生まれ持った形を再現するには正確なモデリングが――」
聞いている間にも助手である人形たちが、私から勝手に血を採ったり、皮膚を一センチ角に切り取ったりと好き放題している。サンプルだ。私の体からサンプルを採集している。麻酔があるのなら、何も分からないように眠らせてほしかった。
抵抗する気力も失くしてしまった私は、なるだけ早く終わるように目を閉じて祈った。
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