1 お茶会の誘い
付き合う人間は選べ。令の忠告を忘れたわけではない。この学院内にはふらりと迷い込んだばかりに、無事では帰って来られない場所も少なくない、と聞く。肉体の話でもあり、精神の話でもある。身体のパーツを取られたり、廃人になったりしたくない。
君子危うきに近寄らず。しかし、どれだけ近寄らないようにしていても、引きずり込まれることはある。なんせ、彼女らは捕食者であり、逃げる手段を持たない一般小市民は格好の獲物である。彼女らがなにを求めているのか、私には知る由もない。新鮮なモルモットか、研究の素材か、単なる気まぐれか。
その日の放課後、私は空き教室を借りるべく申請書を学生課まで提出しに行っていた。紆余曲折の末、手つかずのまま放り出されていたテーマ研究を令と共同で行うことになったのだ。テーマ研究は、個人研究とは違いグループワークが基本とされている。テーマ研究では学年に関係なく、既存のグループに参加するもよし、新たにテーマを設定してグループを立ち上げるもよし。三年間という長期に及び、与えられる単位は必ずしもひとつとは限らない。
チームとして研究を発表し、その内容により単位が与えられる。複数の論文や発表があれば、その分を単位として変換してくれる。必ずしも成果が必要なわけでなく、失敗であっても見るべきものがあれば評価されるし、研究を引き継いだ後輩が数年越しに成果を出すこともある。
一番楽な方法は、すでにある研究チームに入ること。雑用なりをこなして、発表の際に共同研究者の欄に名前を加えてもらうのだ。残念ながら、私はそれほど器用ではない。グループに加えて下さいと言うこともできず、気が付けばあぶれてしまっていた。私にできたことといえば、同じようにあぶれていた令に頭を下げ、共同研究をお願いするぐらいだ。
なにをするか決まってもいないのに、とりあえず場所の確保だけは済ませておいた。お花見の場所取りさながら、放課後の時間に毎週一日、小さめの講義室を貸し切ったのである。
今日はその、初めての話し合いの時間になるはずだった。
学生課からの帰り道、上級生に捕まるまでは。
背後から突然肩を掴まれ、耳元で声が囁く。
「素敵な
こんなのが欲しかった、とその人は呟いた。ショーケースの高価な玩具に憧れる子供のように純粋で、わがままな視線。
本格的な夏を目前に控えた七月半ば。野暮ったい髪にこもる暑さに耐えかねた私は、髪をまとめてアップに。後頭部にお団子をつくっていた。もみあげを耳にかけており、蝉の鳴き声が直接耳朶を打つ。どうやら、それがいけなかったらしい。偶然にも通り掛かった上級生の目に留まってしまった。
それは奇妙な一団だった。美しいという意味では他に引けを取らないが、どこか無機質で人間的でない。私を呼び止めたひとの格好は季節感がまるでない。この気温のなかレザーの手袋をはめ、袖の長いジャケットをしっかりと着込んでいた。常人なら熱中症で倒れてしまいそうだ。大きな白目はつるりとしたエナメルのようで、人形のような透き通った黒い瞳が印象的だった。
彼女を囲む五人の生徒たちも、異様な美しさを持っていた。
まるでお人形さんみたい。
静かで、無駄がなくて、不気味なほど均整がとれている。
ひとりは青い目のフランス人形。彼女は、中央の手袋のひとに日傘をさしかけている傘もち。編み込まれた金髪と覚めるような青い瞳。決して日本人では有り得ない遺伝子のもつ魅力に吸い寄せられそうになる。
ひとりは色素の薄いロシア人形。白に近い金糸の髪と体が透かせるほど透明度の高い肌。眉やまつ毛に至るまで徹底したプラチナブロンド。まるで妖精だ。
ひとりは不安そうな栗色ボブのイタリア人形。顔に散ったそばかすは幼さを感じさせ、全体におっとりとした印象がある。小首を傾げた姿勢で、少しぼんやりとした立ち姿。
ひとりは波打つブロンドのイギリス人形。はっきりした目線は気の強そうな女性像を匂わせる。風になびかせた髪と、肩で風をきって歩き出しそうな色の濃い、はっきりとした存在感。
ひとりは日本人形。腰まで伸びるほつれのないストレートの黒髪。直線的に切り揃えられた前髪。白粉を塗りたくったように白い肌と、鮮やかな赤い紅。妖艶な笑み。
驚いたのは、全員が同じ身長、同じ顔立ち、同じ体格をしていること。五つ子かと見まごうほど。
ひとりひとりまったく異なる雰囲気をしているのに、基本的なパーツのひとつひとつは同じ形。髪型や着色、表情が異なるだけ。型にはめて生産されたように、瓜二つなのである。ひとり、ではなく、一体と数えた方がしっくりとくる五体のお人形さん。
そして、目を引く赤い糸。ボディステッチというのだろうか。顔の輪郭沿いが真っ赤な糸で縫い付けられている。これではまるで、同じ形の顔を縫い付けられているようではないか。
「あなたお名前は?」
中央にいる、彼女たちのなかで唯一違う顔をした厚着のひとが声をかける。彼女のことは寮でも授業でも見かけたことがない。制服を着ているから大学生ではない、雰囲気からして三年生だろう。
「か、柏李来といいます」
言葉遣いを間違えないように、スカートの裾を握り締めて喉を絞る。
「柏さん、素敵。よかったら、これから私の研究室でお茶にしませんか?」
さっと、四人の人形が動いた。
私の退路を断つように取り囲んだ人形たち。傘もちのフランス人形だけは微動だにせず、薄い笑みを浮かべたまま。
「まぁ、久方ぶりのお客さん」
「あの、よかったら。よかったら、ね?」
「丁度退屈していたの」
「怯えちゃって、可愛い子」
人形たちは口々に賛同を述べる。お誘いではあるものの、私に選択権はないらしい。とても断れる雰囲気ではなく、逃げ出せる気もしない。私の第六感がはっきりと危険を告げているのだが、避けて通ることはできなさそう。ここで強引に断って、彼女たちの機嫌を損ねるほうがよほど恐ろしい。
「私なんかでいいのでしょうか? 面白い話もできませんし――」
「あなたがいい」
手首が握り込まれる。痛いぐらいに力が込められている。
手袋のひとが抑えきれずに、私の言葉を遮る。やんわりと逃げようとしたら、この食いつきよう。観念して首を縦に振る。
「あの、ぜひ、ご一緒させてください」
心の中で令に手を合わせる。第一回目の話し合いからすっぽかすことになってしまった。きっと彼女のことだ、待ちぼうけの上に変な先輩に捕まったと知れば、また絶交されかねない。腕組みした仁王立ちが目に浮かぶ。
人形たちに囲まれ、ほとんど拉致されながらも、頭の中では気の利いた言い訳を考えていた私だった。
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