3 三つの勘違い
私は皺だらけの手紙を広げて、琉花にみせる。
「これは、お手紙でしょうか。字が欠けて読めないところが多いですね。しかし、これは」
琉花も文面に書かれた三つの名前をみて気がついたようだ。私は情報を整理しながら、自分の推論を積み上げていく。この場にいない令の代わりに、推理を見様見真似でやってみる。
「情報を整理してみようか。まず、二年の仲路先輩が原因不明の記憶喪失に陥った。記憶喪失の程度はわからないけれど、先輩は学院で普通に生活しているんだよね?」
「はい、日常生活や勉学には問題ありません。プライベートなことで、記憶の欠落が見られるようです」
琉花の言葉を聞いて、私は頷く。仲路の記憶喪失は日常生活に不安がない軽度のもので、恐らくある事柄に関してのみ記憶をなくしている。私の見立てでは、病気や怪異というより、精神的なものであるように思える。強いトラウマやストレスから来る、一種の解離性健忘と言われるものだ。
「次にこころ、はやせ、そう。この三人の後輩について。三人は仲路先輩と親しくしていたけれど、今現在は三人全員が示し合わせたように『記憶にない』反応をする。三人までもが記憶喪失というのは流石に考えづらいから、忘れたふりをしていると考えるのが妥当だと思う。そして、それを証明するのが、私が偶然拾った手紙」
広げた手紙のなかから読み取れる文言を指さして、手掛かりを明示していく。
「ひとつは名前。最後に書いてある『窓』はソウと読める、つまりこれを書いたのは一年生のそうさんだということ。宛先は汚れて読み取れないけれど、様付けと敬語で書かれていることから目上の相手。この場合は仲路先輩に宛てて書いたものだと思う。文中ではこころとはやせに罪悪感を抱いていることがわかる。『窓』が彼女らを裏切ってしまい、そのことを罪に思って、償いをしたいと考えている。そういう風に読み取れる文章なの」
「この『誓』というのはなんでしょうか。ちかい、と読むには送り仮名がないようですが」
琉花が文中の文字を指して、疑問を投げかける。前後の文字ははっきりと読み取れるため、送り仮名が隠れているということはなさそうだ。
「どうだろう。書き直した跡もあるし、脱字じゃないかな。乱れた筆跡からしても、冷静に書いた文章とは思えない。送り仮名のひとつやふたつ、なくても不思議じゃないよ」
「言われてみれば、おっしゃる通りです。話の腰を折って申し訳ありません」
そう口にした琉花だったが、なにか引っ掛かるようで、しばらく紙面をじっと見つめる。
私は気を取り直して、手元にある情報から結論を導き出す。
「仲路先輩と三人の一年生は、特別な関係にあったんだよ。例えば、朱華さんと琉花のような。彼女らは仲路先輩の眷族だった。はじめのうちは三人平等に可愛がられていて、三人のなかにも抜け駆けを禁じるような約束があった。でも、そのうちに仲路先輩との関係を独占したいと考えた『窓』さんは、こころとはやせを裏切って、ひとり仲路先輩とより深い関係を築いた。結果として四人の関係は崩壊、一年生三人は険悪になり、仲路先輩はそのことを気に病んで記憶喪失になった。一年生の三人は、このこじれた人間関係をなかったことにするために、すべてを忘れたふりをすることにした。つまり、私たちの前でみせた態度は演技だったわけ。仲路先輩の記憶喪失は紙魚なんて怪異じゃない。ストレスからくる健忘、れっきとした病気なのよ」
語りが後半に向かうにつれ、自分でも声が大きくなっていくのを感じた。口に出すほど確信が強まり、真実はこうに違いないという断定が沸き上がってくる。どんなに小さな謎でも、陳腐な結論でも、解き明かしてやったという達成感が、私を高揚させた。
「要するに、ある種の痴情のもつれってわけ」
「確かにそういう捉え方もできますね」
琉花も私の推理に賛同して頷いてくれた。なんだ、私にもできるじゃない。小さく拳を握り込んで、少しだけ特別に踏み込んだ私。もしかしたら、なんて思い上がっちゃったり。この学院にいれば、ただ平凡なだけだった人間性も変わっていくのかも、なんて。
私たちはすぐさま三人を集め直して、記憶喪失への解答を伝えることに。名付けて、『柏案』を引っ提げて小椋寮に乗り込んでいく。当然ながら、私たちでは三人を呼び出すことができないので、衣里に助力を願うことにした。三年生からの呼び出しであれば、いくら試験前とはいえ断ることはできまい。
小椋寮の高級ホテルの披露宴会場のような食堂に集まった彼女らは、お互いの顔を見るなり苦々しく唇を噛んだ。彼女らの険悪な様子を見て、私は自分の推理を確信した。
赤い絨毯とシャンデリアに囲まれる中、琉花の前で口にした推理を彼女らにも語ってみせた。図星をつかれた彼女らは、涙ながらに詳しい事情を話してくれる、はずだった。
「なんの話かと思ったら……馬鹿にしているの?」
そうが私を睨みつける。目線からほとばしる敵意で、私は射すくめられる。
「え?」
「恋愛にうつつを抜かす暇なんか、私たちには一秒たりともない。あなたの自己満足につき合わされて、私たちは時間を失っただけ。あなたには弁償なんてできないのよ。私たちにとって定期考査がどれほど大切か分からないしょう? 探偵ごっこなんかで自分を満たしているあなたには」
テーブルの置いてあった水差しで、頭から氷入りの水をぶちまけられる。文字通り冷や水を全身で浴びる。
「もういいですか。私たちは勉強しなきゃいけないので」
三人は立ち会った衣里に頭を下げると、さっと自室に戻ろうとする。
「どうして? この手紙は? あなたが書いたんじゃないの?」
私は食い下がろうと、そうの背中に問いかける。ほとんど叫び声のような言葉が自分の口から飛び出たことに驚いた。
「それ、私じゃないから。あなたも遊んでないで勉強でもしたら?」
三人が出て行った食堂で、私は真っ白になっていた。指先から立ち枯れた体。恥ずかしいとか、悔しいとか。どんな感情も吹き飛ばされて、訳が分からなくなっていた。ただ失敗したという事実だけが突きつけられていた。
失敗した。私にはできなかった。特別なんかではなかった。
私には、この汚点を、この失敗を、どんな手を使ってでも払拭することしか考えられなかった。
取り戻さなきゃいけない。正しい解答を導かなければならない。
気が付けば、ずぶ濡れの体で駆けだしていた。小椋寮を抜けて、葵寮へ。自室ではなく、彼女の部屋へ。なんど扉を叩いても返事はない。泣き叫んで彼女を呼んだ。誰の目も気にならなかった。
「助けてください……私を、助けてください」
扉の前で土下座した。床に額をこすりつけ、扉が開くのを待ち続けた。濡れた体にタイルの床は冷たく、手先は痺れてしまう。
どれだけの時間そうしていただろうか。体の感覚はなくなり、意識も溶けかけた頃、わずかに数センチ扉が開いた。話すのは勝手だ、彼女がそう言っているような気がした。
私はことのあらましを独り言のように話して聞かせた。支離滅裂で、まとまりのない話し方だったけれど、扉の向こうから言葉がさし挟まれることはなかった。呂律もろくに回っていない。手紙を拾ってから失敗するその瞬間まで、ことのすべてを包み隠さず話した。
「手紙」
すべて話終えたあと、一言だけ扉の隙間から聞こえた。混乱の中、私はあの場から掴んで持ち去っていた手紙の存在に気づいた。私はさらに酷い有様になった手紙を扉の隙間に差し出した。手紙が部屋の中に消えてから、数分の沈黙があった。私は朦朧としながら、頭を下げ続けた。
この苦しみから救って欲しい。それだけを願って、扉の向こう、稲生令に頭を下げ続けた。
「三つだ。アンタの推理には三つの勘違いがある」
開かれた扉から令が見下ろしていた。深い隈が彼女の寝不足と苦悩を表していた。髪に艶はなく、唇もひび割れている。それでも、その瞳にだけは強い光が灯っていた。
「立って。今から行くよ」
「行くって、どこへ?」
「決まっている。この手紙を書いた本人のところへ」
私を顧みることなく歩き出した令の後ろを、痺れた足を引きずって追い掛けた。
道中、令は私の勘違いについてひとつずつ解き明かす。
「まずひとつめ。手紙を書いた人間の取り違え。これを書いたのは件の二年生、仲路窓。読み方は『ソウ』でも『まど』でもどちらでもいいけれど、一年生の『そう』ではないということ」
「なぜ、わかったの?」
「手紙をみて」
彼女は私に再び手紙を押し返す。なんども読んだ手紙の内容を確認し直す。
『親愛……様へ
どうか、愚かにも……裏切……自らの罪……ます。
……、こころ、はやせに酷いことを……の欲求を満たすための道具でし……
ごめんなさい。謝っても……償い……て誓をここに……
……為が悪なら……する。……が■なら、秘密に……。
許されたいとは思いません。
■■窓』
「こころという名前の前に読点が打ってある。その前の文字は読み取れないけれど、文脈から列挙のひとつ目だと考えられる。もちろんまったくの他人という可能性も十分にあり得るけれど、これまでの情報から判断するとその場所に書かれているのは一年生の『そう』。元の文面は、そう、こころ、はやせという名前が並んでいるはず。とはいえ、私が判断した一番の根拠はそこじゃない。アンタ、入学後すぐに行われたテストの順位表を確認した? つい最近行われた全国模試の校内順位表でもいい」
「自分の順位ぐらいはみたけど。全国模試は受けてもいないから」
「入学後の成績は、
秋葉朱華の子分とは、琉花のことだろう。しかし、知っていたとはどういうことか。私の疑問を察したのか、令は二本目の指を立てる。
「勘違いのふたつめ。この手紙そのものへの誤解。この手紙は書き直しが多く、字も汚い。いくら感情的になって書いたとしても、遺書でもない限り、このまま送ったりはしない。加えて拾ったときは、ぐしゃぐしゃになっていた。練習か試し書きかは知らないけれど、この手紙は送られなかった。そして、送られなかった手紙があるということは、誰かに送られた決定稿の手紙があるということ」
「誰かって、もしかして」
「二年生の仲路窓が書いた手紙なら、敬語を使うのは三年生か大学生に対して。仲路窓は吸血鬼の眷族とやらで、書き出しに親愛なるなんて付ける相手はひとりしかいない。この手紙とほぼ同じ内容の手紙を秋葉朱華は受け取っているはず。そして、手紙の文面にある裏切りは秋葉朱華に対して行われ、文面には詳細な内容までは記載されていなかった。それ故に、風早琉花は命じられて裏切りの内容を探っていた。風早は自分の素性が仲路窓にばれることを危惧して、自分たちにまるで関係のないアンタを巻き込んだ。アンタが勝手に勘違いして動き、仲路や三人の一年生が尻尾を出すのを伺っていた。そう考えた方が、風早の行動に納得がいく」
身内のことを調べるなら、普通は外部の人間ではなく、同じ眷族の一年生にまず頼るはずだ、と令は言った。朱華を慕う後輩は二年にも一年にも数多くいる。仲路の件なら快く協力をする人間はいくらでもいるというのに、たった一度顔をみた人間を頼るのは不自然なこと。人見知りだというのならばなおさら。同じ眷族同士、交流がないはずがないのだ。
「内部の人間に勘ぐられたくない理由があった。それこそ、仲路窓の裏切り行為。風早琉花は秋葉朱華の遠縁なのだろう。内偵をするにはうってつけの人材じゃないか」
「それじゃ、私は最初から担がれて、騙されて……」
「少しは疑うことを覚えるんだな。なにせ、相手は人外を自称するような連中だ。ひとを利用したり、騙したりすることに今さらためらったりしない」
ショックだった。私には琉花の笑顔は本物にみえていたから。私のことを友達だと言ってくれた言葉が偽物に思えなかったから。あの笑顔や言葉は嘘ではなかった。だからこそ、利用されたこと以上に、嘘つきでない琉花のことが恐ろしかった。目的のためには例え友人だろうと、ともすれば肉親さえも、使えるものは使うことが当然なのだ。罪悪感すらにじませないほど当たり前の行為。風早琉花にとっては自然なことなのだ。
「そして、みっつめ」
三本目の指があがる。
「この手紙はわざと見つかるように捨てられたもの……ですよね。仲路窓先輩」
寮を抜け出た先、私が手紙を拾い上げた場所にひとりの女生徒がいた。すらりとした痩身で、血色の悪い顔は幽霊のように浮かび上がっている。彼女は道端に立ち尽くして、誰かを待っていた。答えを持ってくる誰かを待っていた。
「ちゃんと、気付いてくれたんだね。待っていたよ」
仲路窓は力なく微笑んだ。
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