2 風早琉花の相談

 話せば話すほど、風早琉花という女が、いかに私から遠いかを思い知ることになった。

 寮の前で待ち伏せされた私は、時計をみて門限が近いことを確認する。ひとまず翌日話を聞くことにして、その日は引き取ってもらうことにした。

「絶対、絶対にお願いいたします。お願いですよ? 約束しましたからね」

 彼女は帰り際なんども振り返って約束を確認した。おかげで後姿が見えなくなるまで見送ることになった。

 日が開けてお昼休み。私は約束通り、琉花のお願いとやらを聞くため庭園のガゼポ(西洋風の東屋)に足を運んでいた。背の高い生垣によって迷路と化した庭園のなかにある隠れ家。足元には名前も分からない季節の花が赤、白、桃と咲き乱れており、現実社会から切り離された楽園の一部にも思える。

 小さい子供なら一日中でも遊んでいられるのだろうが、私はむしろ圧迫感を感じて内心焦っていた。私よりも背の高い生垣は閉じ込められたようだし、一切ひとの目の届かない場所でなにをされるのか、と緊張していた。少なくともどんなに難しいお願いをされても、断りづらくなった。

 ガゼポにはトランク型のピクニックバスケットと両開きの手提げ型のふたつが用意されており、トランク型の方にはナイフやフォークなどの銀食器と皿まで入っていた。ガゼポに備え付けのテーブルには純白のクロスと、ふたり分の曇りひとつないグラス。彼女が手作りしてくれたらしいバゲットサンドには、ハムやレタス、トマトに加え、見覚えがありそうでない黒光りする粒が挟まっていた。サーモンとチーズをのせたクラッカーにもふんだんにのせられた黒い粒。

 琉花自らボトルを持って、わざわざグラスに注いでくれる。ボトルから引き抜かれたばかりのコルク栓は、赤紫色の汁がたっぷりと染みこんでいた。

「これ、ジュースだよね?」

「フランスでは16歳からアルコールが飲めるんですよ」

「いや、私まだ15だから……」

「冗談です、ただのシャンメリーですから。私のお小遣いが少なくて、安物で申し訳ないのですけれど、本当においしいんですから」

 そう言った彼女のもつボトルのラベルは、やたら高級そうな箔押しがなされている。

 それからしばらく、彼女は怒涛のおしゃべりをみせた。多分に脱線を含んだ発言から理解できた情報をまとめると、琉花は朱華の親戚筋にあたるようで、今まで碌に同年代の友達がいない相当な箱入りだということ。今日は朝から自主休校して、手ずから昼食会の準備を張り切っていたこと。私が大量に飲み込んだ黒い粒はキャビアという名前らしいこと。気分が昂ると、一人称が『わたし』から『わたくし』になること。

わたくし、お友達とこんなにお喋りしたの、初めてですっ」

 下品でない程度に鼻息荒く、彼女は黄色い声をあげた。

 現代にこれほどまでこてこてのお嬢様が生き残っていたことを、たっぷりと感動しつつ、たっぷりと黒い粒を飲み込む私。現金な感情を差し引いても、私はこの愛らしいお嬢様が気に入っていた。やたらアクと癖の強い先輩方が多い中で、彼女の精神の幼さや可愛らしさは私を安心させてくれた。朱華が気にかけている理由もわかる気がした。

「それで、なにか相談があるんだよね?」

 一通り琉花のお喋りが落ち着いたところで、本題のお願いを聞くことに。

「はい、そうでした。あの……私、見てのとおり世間知らずでして。気軽に話しかけられるお友達も、李来さんぐらいしか」

 いつ私がそんなに親しくなったんだ、と突っ込みかけたが、話を進めるためにぐっとこらえた。どうやら先ほどまでの間に、私は琉花の親友ポジションに収まったらしい。元々空席だったので、入るのは容易だ。友達がいないのは私も同じだし、この際彼女が私を友達と認めてくれるなら、それもいいかと思った。

 先の事件で顔と名前を知った、私ぐらいしか頼れる者がいなかったのだろう。同級生はもうひとりあの場にいたのだが、あまりにも険悪な空気を発していたし、消去法で私になったのか。こう考えると妙な縁だ。

「実はここだけの話なのですが――」

 彼女は周りに誰もいないのに、声を潜めて顔を近づけた。こういう仕草もやってみたかったのだろう。

「朱華様の眷族である二年生のお姉様――仲路なかみちさんがおかしなご病気になってしまわれたのです」

「ちょっと待って、眷族って吸血鬼的な意味の?」

 頭に過ったのは血を吸った相手を吸血鬼にしてしまうという、伝染病のような特質のこと。令によってトリックが明かされたので、朱華を本物だと思っているわけではない。しかし、一度根付いた疑いはそう簡単に晴れるものでもない。彼女ならありそうだ、と思わせる雰囲気が朱華にはある。

「いいえ、あくまで朱華様を慕う下級生たちの呼び名です。そちらのほうが、雰囲気出ますでしょう?」

 眷族というのは、さしずめファンネームといったところだろうか。さすがにアイドル的というか。吸血鬼プレイに眷族とはなかなかキマっている。

「そのおかしな病気というのは?」

「紙魚です」

「え? シミ?」

 意味が分からず、オウム返しに聞き返した。

「ご存知ありませんか、記憶を虫食いにしてしまう病気のことです。病気というのは正確ではありませんが、本の頁のように記憶をぼろぼろにしてしまう。脳は一切健康なのに、記憶だけが失われていく状態のことです」

「初耳なんだけど……それって記憶喪失とは違うの?」

 そんなものがいるのだろうか、と眉をあげる。吸血鬼に続き、突拍子もない話だ。

「呪いの一種とも、寄生虫の一種とも。怪異の類いで、私もあまり詳しくはないのです。もちろん怪異といいましても、なんの原因もなく発生したりはしません。朱華様はその辺りの事情を探っていらっしゃるようで。原因が分かれば、治すこともできるかもしれません。それで私もお力添えしたいと思ったのですが……」

「うん、事情は大体わかった。紙魚のせいで記憶をなくした、眷族先輩のことを調べたいってことね。でも、ひとりじゃ心細い、と」

「はい、おっしゃる通りです」

 琉花は深々と頭を下げて、お願いいたしますと繰り返した。私は慌てて彼女に頭を上げさせた。放っておくと、地面に手を突いて土下座してきそうな勢いだった。

「協力自体はいいんだけど、私って、あんまり役に立たないと思うよ? 学院にも、怪異? にも詳しくないし、別に頭とかが良い訳でもないし、特別なにかができるわけでも。こういうのが得意そうな子に心当たりはあるんだけど……今は、ちょっと」

「もしかして、稲生さんのことですか? その節はご迷惑をおかけしました。あの方にも私から、謝罪をしなければと」

「それはやめておいた方がいいんじゃないかな」

 琉花はそもそもの原因だ。姿を目にしただけでも、去勢された猫ぐらいには怒り狂うだろう。

「それでなにから始めればいいの?」

「その先輩には、親しくしていた三人の一年生がいらっしゃるようなのです。私も朱華様から又聞きしただけで面識はないのですが……こころ、そう、はやせという名前で」

 どこかで、聞いたような名前にひっかかりを覚える。一体、どこだっただろうか。

「私は聞いたことないから、同じクラスではないよね。葵寮でもないと思う」

「実は、三人は小椋寮の子たちなのです」

「琉花も小椋寮だよね? ひとりじゃ話しかけられなかったんだ」

「恥ずかしながら。葵寮にいることが多いので、小椋寮の方々とは……」

 純血会もうちの寮に潜りこむぐらいだ。日頃から朱華にくっ付いて回っているのだろう。忠犬というべきか、金魚の糞というべきか。小椋寮に頼れるひとがいるならば、そもそも私に相談などしないか。かくいう私も人見知り、葵寮の同級生とも食卓を囲むほど親しくない。先日の一件で、この学院の生徒に普通の人間がよほど少ないことがはっきりわかったのだ。おいそれと話しかけられるわけがない。



 授業の合間や放課後を狙って、三人それぞれに話しかけてみたが、結果からいうと空振りに終わった。

「仲路先輩? そのひとがどうかしたの? 他人に構っている暇なんてないって」

 最初に話しかけた『こころ』は、まるで反応がなかった。それどころか、先輩のことすら知らないような態度だった。迷惑そうに私たちを一瞥すると、そそくさと立ち去ってしまった。

「紙魚ねぇ。よく分からないけど、もういいかな。結構忙しいの、あなたたちは……暇そうでいいわね。もうすぐ定期考査なのに」

 講義室の前で声をかけた『はやせ』は、むしろ私たちを睨みつけてきた。手には試験対策らしい、付箋だらけの問題集が握られていた。

「誰かと勘違いしてない?」

 そういって参考書を開いた『そう』。皆似たり寄ったりの反応で、私たちをいぶかし気にみただけだった。

 私たちの調査は開始一日目にして頓挫することになった。話を聞こうとした三人は、仲路と親しくしていたようには思えない。彼女のことを知らず、紙魚についても同様。青純女学院に通っているにも関わらず、怪異など微塵も興味がない様子だった。

 学院生はこの手の話には敏感だ。興味に目を輝かせる子もいれば、令のように露骨に避けようとする子もいる。専門的な知識や見解で意見をくれる、やけに詳しい子もいる。対して三人は無反応。現代人としてはいたって普通なのだが、学院生としては異常だ。普通の学校ならば、定期考査前にこんな怪現象を調べ回っている私たちの方がおかしいのかもしれないけれど。

「本当に人違いってことはない? 同じ名前の別人に話しかけたんじゃない?」

 他人に拒絶された私は、そこはかとなく傷付いていた。琉花は後ろからついて来るだけだし、自然と話しかけるのは私の役割となる。令から始まり、敵対的な視線に辟易としてきたところだ。なぜ、こんなことをしているのか。自分でも疑問を持つ。

「それはないと思います。仲路さんも小椋寮の方ですから。もしかすると、あのお三方も紙魚に記憶を食べられてしまったんじゃ?」

「そんなことってある?」

 そもそも紙魚についても、私はまだ半信半疑だ。

 持て余した手をカーディガンのポケットに突っ込んだとき、入れっぱなしにしていた手紙が手先に触れる。そこで手紙に書かれていた文面を思い出す。

「こころ、はやせ……差出人はソウ。これもしかして、あの子の手紙なんじゃ?」

 私の頭のなかに、あの夜のような衝撃が走った。散らばった点と点が繋がる、あの感覚が再び蘇ってきた。

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