4 記憶を消したいほどの
令は故意である証拠として、文中のたったひと文字を示した。
「誓い? これがわざと手紙を捨てた理由なの?」
「これは『ちかい』じゃくて、『うけい』と読む。古事記に出て来るような古臭い呪術の一種だよ。宣誓を行って、正邪を判断するもの。スサノオのエピソードが有名だけど、常識的に考えて意味なんかない。要するに運を天に任せる、ってこと」
手紙のなかの一文、『……為が悪なら……する。……が■なら、秘密に……。』が宣誓の部分にあたると指摘する。
「私の行為が悪なら、露見する。私の行為が善なら、秘密になる」
令の指摘を受けて、仲路が本来の正しい文章を口にする。自分でこの宣誓を立て、わざと私に手紙を拾わせたのだとしたら、自分の罪を暴いてほしいと言っているようなもの。手紙の文面から考えても間違いはなさそうだ。
「なぜ、そんなことを? 悪いことをして、後悔しているなら、自首すればいいじゃない。私はそのせいで巻き込まれたというのに」
私は抑えきれなくなった怒りを彼女に向けようとしたが、令に制される。話にはまだ続きがある、ということだ。
「彼女ひとりだけなら、そうしたんじゃないかな。できなかったのは後輩のことを考えたから。加担していたんだよ、三人の一年生が」
「加担していたわけじゃない。あの子たちはなにも悪くない。悪いのはすべて私」
令の言葉に、強い語気で反論する仲路。しかし、令は再び言い返す。
「気付いていて、利用したなら同罪です。最初は知らなかったとしても、二度、三度と繰り返せばおなじことだ。今回の考査でより酷くなりますよ。あなたが彼女たちにしたのは、それと知らずに麻薬を与えるのとまったく同様の行いだ」
令はひどく蔑んだ目で仲路をみる。
「だから、私はすぐにやめることにしたんだ。これじゃ彼女たちは苦しくなる一方で、救うことはできないって気づいたから」
仲路は頭を掻きむしって、獣のようなうめき声をあげる。よくみると彼女の左手の薬指がなくなっていた。切断された根元を包帯で止血しているが、彼女が動かす度にぽたぽたと零れ落ちる。
「どうだか」
鼻で息を吐いた令の袖をひく。
「私にもわかるように説明して。今回は知る権利があるはずだわ」
「情報不足で正確なところまでは分からないけれど、ある程度は察しがつく。さっき、一年生三人の入学テスト順位の話をしたよね。あれには続きがある。その後行われた全国模試の校内順位をみると、彼女たちが短い期間で異常に成績をあげたことがわかる。沖田心5位、中津湍4位、杵島宗7位。中の上ぐらいだった彼女たちが、一桁にまで登っている。これは努力がどうとか、そういう次元の話じゃない。どうやって模試の情報を手に入れたのかしらないけれど、仲路先輩が手引きして模試の問題を横流ししたんだろう。不正、いわゆるカンニングだよ」
相変わらずの記憶力を披露する令。赤の他人のテスト順位まで記憶しているとなると、異常を通り越して超常的ですらある。
「横流しされた三人は、恐らくテストを受けてすぐに気が付いたはずだ。けれども、頼ることをやめられなかった。千切れるとわかっていても、蜘蛛の糸にすがらずにはいられなかった。彼女たちは今回の考査でも、問題を見せるように仲路先輩に言い寄ったはずだ。一度味を占めたら、簡単には抜け出せない」
「でも、先輩は拒絶した」
「そう、記憶喪失なんて方便まで使って逃げたのさ。出来の悪い政治家とおなじだよ、記憶にございません、なんて。彼女たちの試験勉強に対する必死な態度はそれさ。頼みの綱が切られたんだ、自分で這い上がらなきゃ地獄に落ちる。彼女たち自身も不正を自覚しているから、仲路先輩のことや手紙のことを聞いても白を切る。ばれたら危うくなるのは彼女たちも一緒だから」
「そうか、三人が険悪だったのも」
「順位を奪い合う敵同士だから、だろうね」
仲路は否定も反論もせず、令の推測を黙って聞いていた。その沈黙は不正の肯定を示していた。話の筋は通っているし、私の出した結論よりも明快だ。ただ、一年生三人の行動に違和感が残る。
「それって、少しおかしくない? この青純女学院で、そこまでしてテストの順位にこだわる理由ってなに? 単位の取得方法なら他にも用意されているし、学院からの資金援助にしても不正をするほどのものじゃないよ」
「この学院では、成績が必要なさ過ぎるからよ」
私の疑問に答えたのは仲路だった。
「学院には朱華様のように、特別な方々が大勢いらっしゃる。個々に特別で、ひとりひとりが唯一無二の存在であるの。一般家庭出身の有象無象である私たちとは何もかもが違う。あまりに違い過ぎる。あの子たちは入学してすぐに、そのギャップに囚われて苦しんでいたわ。今まで培ってきた自分の価値がごみに変わり、周囲との深い断絶に苦しめられる。きらびやかで、華麗で、特別な世界に目が潰されてしまったの。ちょうど一年前の私、朱華様に助けてもらう以前の私と同じように」
持たざるものの苦悩。私にとっても他人ごとではない言葉だった。
「だからって、不正は――」
「彼女たちに残されたのは勉学の成績で自分を保つことだけなの。すがれるものはたったそれだけなの。人間として、生物として優劣のついた学院で生きていくのはとても苦しい。誰でもいい、なんでもいい、私を救って……あなたにこの気持ちがわかる?」
もし同じように手を差し伸べられていたとしたら、私は拒むことができるだろうか。
私には布雪のように何かを突き詰める興味も、朱華のような洗練された美しさも、令のような明晰な推理力もない。なにもない。気が付いたら学院に迷い込んでいた異物だ。ここでは普通の人間というだけのことが、凡人というあり方が不純物なのだ。私の体には価値がない。私の頭には意味がない。私の存在に理由がない。
私は彼女に、なにひとつ言い返すことができなかった。
責める資格も、理由も私にはなかった。
「馬鹿々々しい。自分の狭量を押し付けないでよ。特別? 凡人? そんな基準は意味がない。どいつもこいつも心臓を突き刺せば死ぬ。百年あれば塵になる。ただの物体だ。そこに特別もなにもあるものか。お前がそんな風だから、後輩も救われないんだ」
令はそう吐き捨てると、私から手紙をひったくって丸めた上で、仲路に投げ返した。
「救いようのない馬鹿には付き合っていられない。罰でもなんでも、自分勝手に受ければいい」
令は私の手首を掴んで、寮まで引っ張って行く。あとには自嘲気味に笑う仲路が、ゆらゆらとゆれているだけだ。
「私にはもうなにもないわ……なにもかも忘れたいほど苦しんだことは? いっそすべてを捨てられたら? 紙魚は実在するのよ。この学院に、あなたたちの目と鼻の先に。『本の虫に会え』。忘れたくなったら、この言葉を思い出すといいわッ!」
私たちの背中に仲路の叫びが投げつけられた。振り向きそうになったけれど、令が強く手をひくから、前を向いて歩かなければならなかった。
「今度から付き合う人間は考えた方がいい。どうせなら、まっとうな頭の人間と友達になれ」
琉花のことを言っているのだろう。今回巻き込まれたのは私のせいだけれど、令なりに気を遣ってくれているのかもしれない。
「琉花は悪い子じゃないよ」
「善い悪いの問題じゃない」
「じゃあ、令は友達になってくれるの?」
ぴたりと止まる足。沈黙が耳に痛い。戻ってきた葵寮からは、生徒たちの声が漏れ聞こえる。
どれくらいそのままだっただろう。握られた手首には、彼女の手の痕が残りそうなぐらいだ。
「考えてやってもいい」
ぼそり、と令は小さく呟いた。
暗闇の中、蠢く影がある。月明かりの差し込む窓辺に腰掛けてたゆたう。紅い瞳だけが、夜にぽっかり浮かんだ月のように見つめていた。
「朱華様、やはり彼女、予言の書を持っていたようです」
令によって、仲路窓の行為が明らかにされた夜。葵寮三階西翼の秋葉朱華の個室に、風早琉花が訪れていた。琉花の手には一冊の大学ノート。朱華がそれを受け取り、ぱらぱらとめくる。ノートには手書きの数式や英単語が並んでいる。
「ずいぶん俗っぽい予言もあったものね」
彼女は燭台の火にノートをかざす。燃え始めたのを確認して、備え付けの暖炉に投げ入れた。
「さすがの探偵さんも、予言で試験問題を知っていたとは気づかないでしょう」
「ひとによっては世迷言でしょうけれど、心に隙間のある子にとって、予言の言葉は魅惑的です。甘すぎて、歯だけでなく、身も心も溶かしてしまう」
「そうね……折角だから、探偵さんにひとつお仕事をしてもらいましょうか。この学院のごみを片付けるお仕事。予言なんて、あるだけ無粋じゃない?」
朱華はその紅い眼を愉しそうに歪ませた。そして、手元で弄んでいた指を口に放り込んでしゃぶる。ひとの薬指をしゃぶる。
「それは、仲路さんの?」
「あの子から送られてきたのよ。手紙といっしょに。私を裏切った償いに、契りを結んだ指を切り落として。本当に馬鹿な子、本当に愛しい子。愛おしい、私のにんげん」
朱華が持つ手紙には、宛名も差出人の名もなく、たったひとこと『ごめんなさい』と書かれていただけだった。
「朱華様、怒っていらっしゃるのですか? 悲しんでいらっしゃるのですか?」
「さあ、どうかしらね」
秋葉朱華は月明かりに照らされて、仲路窓の薬指を味わう。愛する眷族との別れを惜しんだあとには、すべてを飲み込んでしまった。
数日後、行方不明になっていた仲路窓が森の中から発見された。
彼女は一切の記憶を失っており、言葉はおろか、生理的なことすら理解できない赤子になっていた。記憶を食らう紙魚、しばらくそんな噂が学院内ではやることになった。
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