3 0の推理

「停電が発生した20時50分ごろから21時までの間に、談話室にいなかった人間を集めてください」

 風早琉花を救護室に運んだあとで、令は先輩たちにそう言い放った。彼女が先輩たちを疑っているのは明白で、これから犯人捜しをするつもりなのだ。

 事件なのだからすぐにでも警察を呼べといった令を、なんとかなだめて、まずは話を聞こうという流れになったのだ。

 令のあまりに礼儀を欠いた物言いに冷や汗をかいた私だったが、先輩たちは素直に頷いた。

 救護室に集まったのは私と令、まだ目覚めていない被害者の琉花を除いて5人。つまり容疑者は5人ということ。

 停電を復旧しに行った秋葉朱華。

 純血会のはじめから隣の西寮に、お茶菓子を調達しに行っていた佐里衣里。

 会の最中二階の自室にいた七野有夜。

 夕方から寮の医務係と交代して、救護室に詰めていた三年の真木理真紀まきりまき

 そして、玄関ロビー横の寮監室にいた寮監の大学生三回生、嵯峨野縁さがのえにし

 成り行き上、退席するタイミングを見失ってしまった。私は先輩たちに囲まれて背中の裏に汗をかいているというのに、むしろ挑みかかるような視線を向ける令に胃がきりきりと痛む。

「これって一体どういうことなのかな。よければ説明してもらえる?」

 スコーンの入った紙袋を下げたままの衣里は、面白そうに集まった面子を見下ろした。見下ろすと言っても、彼女の身長では自然とそうなってしまうだけなのだが。

「20時50分から21時の約十分間この葵寮では停電が発生しました。その間に、ここに寝ている風早琉花が寮の東翼前にて何者かに襲われました。首の後ろにやけど痕があることから、背後よりスタンガンのような凶器で気絶させられたものと考えられます。そして、腕から血を注射器で血を抜き、首筋に傷を残して去りました。現場に彼女以外の足跡がないことから、一階の窓を使って犯人は移動したと思われます」

 令はつらつらと状況を流れるように説明する。手慣れた様子もそうだが、停電の時間を記憶していることにも驚いた。あの時は暗闇で壁掛けの時計など見えるはずもないし、彼女がケータイなどで時間を確認した様子はなかったはずだ。

「犯人って物騒な言い方だなァ。あそっか、私たちが疑われているわけね」

「その時間には我々は確かにひとりきりだったし、アリバイはないと。そう言いたいわけだ、一年生?」

 丸い眼鏡をかけた下からでも厳しい目つきを飛ばすのは真木理真紀。ベリーショート時代のアン・ハサウェイのような目鼻立ちのくっきりした美人だ。彼女がすごむと、それは恐ろしいものがある。

 真紀は青純女学院内の医学部に内定をもらっているらしく、今日も本来の医務係の代わりを務めている。青純女学院には大学に医学部があり、そこの実務とアルバイトを兼ねて各寮に医務係を置いている。女子校なだけあり、生理などで日常的に体調を崩す生徒は少なくないのだ。その真紀の見立てでは、琉花の症状はやはり貧血ということだった。

「その時間に限定する根拠は?」

 真紀の問い掛けにも臆することなく、令は確信をもって返答する。

「被害者である風早琉花は南の小椋寮の寮生。どういうわけか知りませんが、葵寮の純血会に潜りこんでいたようです。寮の門限は21時、それに間に合うように20時45分に談話室を退出したのを確認しています」

「私はそんなこと全然気が付かなかった。時間までよく覚えているね」

「アンタはお話に夢中だったからでしょ」

 私は素直に感心していた。令は記憶力もさることながら、観察力も人一倍優れている。何気ない日常の一場面を正確に記憶しているなんて、普通はありえない。まるでなにか起こることを予想していたかのようだ。

「……続けます。風早が倒れていた周囲には争った形跡はありませんでした。停電して視界が奪われた隙をついて気絶させたのでしょう。彼女が寮に戻る途中を狙ったもので、停電も意図的に起こされたものだと考えるのが自然です。分電盤は一階東翼の管理室にあり、被害者の行動を見ながらでも操作可能です。もっとも、ブレイカーを落とすために、遠隔操作や回路を意図的にショートさせる仕掛けがあれば停電自体はいくらでも起こせますが。秋葉先輩が仰っていたように、この寮の電気系統はかなり年季が入っているようですから」

「なるほど、そうですか。もし、ショートや漏電なら一度点検が必要ですね。あまり危ないことはしてほしくないものですが」

 すこしズレた意見をこぼしたのは寮監の縁。彼女は盲目で停電が起きたことに気づいていなかったようだ。

「というか、縁さんは容疑者じゃなくない? いくら勘が鋭くても、見えなくちゃねぇ。採血の痕みたけど、変に針が刺さった様子もなかったし、針入れ慣れてるよ」

 衣里が腕に注射するジェスチャーをしてみせる。彼女の指摘する通り、琉花の腕の針孔はひとつきり。刺し直した傷や無理矢理血管を探ったような痕跡はなかった。誰かに見つかるかもというプレッシャーと、発見までの短い時間のなかでやってのけるには、相応の慣れが必要だろう。

「私がやったと言いたいわけだ」

 衣里の台詞に眉根を寄せたのは真紀。

「誰もそんな事言ってないじゃん。医学の心得があって、注射器も手に入れやすいってだけで。別にマキマキは疑ってないよ。うちの生徒って、そういうこと得意そうな子ばっかりだしぃ?」

 噛みついてきた真紀をいなしつつ、衣里は不気味な笑みで静観している有夜や朱華をみやる。

「まだ誰がとは特定できませんが、嵯峨野さんだとは考えていません。嵯峨野さんは寮監室にずっといらしたので、いつ、誰が玄関ホールを通ったのかを聞いておきたいと思いまして」

「そういうことでしたら、協力できると思いますよ。目は見えませんが、その代わりに耳はとてもいいので。階段と玄関ホールに出入りがあれば聞き漏らすことはないでしょう。例え、靴を脱いで足音を殺したとしても」

 縁はアルビノ特有の真っ赤な目を見開いて、寒気がする笑みを浮かべた。彼女の前では悪事など御見通しである、と言わんばかりに。

 嵯峨野縁は大学三回生で、高大一貫の中においてもことさら特別だ(この学校に特別でない人間の方が極めて珍しいのだが、その中でもひときわ異様)。髪だけでなく、まつ毛も、眉も白く、全身に雪が降り積もったような立ち姿は神秘的ですらある。彼女は盲目だというが、日常生活で杖をついたり、段差に躓いたりしている姿を見たことがない。視力の代わりに聴覚が異常に発達しているとかで、舌でクリック音を発し、その反射で物体の形や距離を把握しているのだという。

 それゆえ、彼女が聞こえたというのであれば、その証言は確実な手掛かりとなる。

「純血会前後の時間帯でしたら、出入りは少なかったのでよく記憶しています。正確な時間は分かりませんから、玄関ホールを通過した足音の順番ということになりますが……はじめに降りていらしたのは、ストロークが広くて、踵から蹴り出す歩き方――これは佐里さんですね。あなたの足音はとても分かりやすい。しばらく時間が空いて、風早さんです。彼女はわざわざ私にご挨拶、もとい門限に遅れそうだから連絡してくれとのことだったので、判別がつきます。次は誰か分かりませんがひとり、階段を通られてから、駆け足で稲生さん、柏さん、それから朱華さんが降りてこられました」

「琉花のあとに通ったのは私でしょう。停電を復旧させに来ましたから」

 縁と朱華の話をまとめると、階段から玄関ホールを通ったのは、私たちの前には三人。まず会が始まる前に衣里。次に寮へ帰る琉花。最後に停電のために朱華。ほかには誰も階段と玄関ホールを使っていないことになる。

 葵寮の構造からして、上下の移動は中央の螺旋階段を使う以外に方法はない。また一階の東西を行き来するには玄関ホールを必ず通る必要がある。

「あえて、寮の各部屋の位置関係を明確にしながら話しましょう」

 令は皆の前で事態を明白にするため、状況を口に出して確かめていく。

「被害者が倒れていたのは一階の東翼中ほどの屋外。私たちはそれを、三階東翼の窓から発見して駆けつけた。ここ、救護室は一階西翼の端。真木理先輩はここから秋葉先輩が呼んでくるまで動いていない」

「ああ、そうだ」

 真紀が不機嫌に返事をする。

「もし真木理先輩が犯人だとすると、玄関ホールを通過するか、一度窓から外に出るしかない。ホールを通過した可能性はないし、足跡から外を通った可能性もない。二階を経由した可能性はありますが、時間的な制約を考えると、採血してから再び二階を伝って救護室にもどるのは不可能に近い」

「時間的な制約って?」

 令の推理の最中に、思わず疑問を挟んでしまった。先輩方の視線が私の方に向けられ、どきりとする。私は小心なくせに、時々思ったことをなんでも口にしてしまうところがある。今のもよく分からなかったから勝手に口から疑問がこぼれたのだ。案の定、令が嫌そうな顔をした。

「制約というのは当然採血にかけられる時間のこと。いくら医術に覚えのある真木理先輩でも、暗闇のなか手探りで完璧な採血をするのは不可能。少なくとも手元を照らす照明が必要になる。停電で辺りが暗くなっている状況で、照明を使うのは発見されるリスクが高い。すくなくとも停電が復旧した後でなければ、採血は行えない。そうすると、停電が復旧してから私たちが被害者を発見するまでの時間は約三分弱。私のカウントになるけれど、誤差はほとんどないはず。三分で採血と二階窓を経由しての逃走は不可能。つまり、真木理先輩が犯人の可能性は限りなくゼロ」

 真紀は自分の容疑が晴れても、顔色ひとつ変えずに眼鏡のブリッジを押し上げただけだった。

 令は続けて、朱華にも言及する。

「同じく、時間的な制約という点で秋葉先輩にも犯行は不可能。あの短時間で採血をして登ってくることはできないから、秋葉先輩が犯人という線もない」

 消去法で残ったのは、有夜と衣里のふたり。有夜にはアリバイがなく、自由に動ける時間が多い。停電する前から仕込みをする余裕がある。対して衣里は、西寮へ行くという行動があり、それは西翼側に残った足跡からも確かめられる。

 私が考え得る限り、犯人は有夜に決まりそうに思える。

「七野先輩、手を見せてもらえますか?」

「いいよ。好きなだけ、お触り」

 令は有夜の包帯に巻かれた手を改める。

 黄色い組織液と黒ずんで乾いた血の付着する包帯の下の皮膚は、度重なる傷と入り込んだ汚れによって腐ったような色合いをしていた。真新しい生傷も見受けられ、熟れた傷から汁がしたたる。

「きちんと治療しないと、そのうち切り落とすことになるぞ」

 真紀が彼女の手をみて溜息をつく。

「ご心配ありがとう。でも、杞憂というもの。どれも私には必要な傷で、時が来れば体はいくらでも替えが効く」

「気味の悪い女だ」

 どうやら有夜を毛嫌いしているらしい真紀は、吐き捨てる。しかし、これまでの条件からすると、有夜が犯行を行うためには、二階の窓から降りる必要がある。とてもではないが、この壊死寸前の手でできるとは思えなかった。

「さすがにこの体で、壁登りや綱登りは不可能ですね。風早の衣服にも土以外の汚れはありませんでした」

 令も同じ結論に達したのか、彼女の包帯を巻き直す。

「で、残ったのは私ってわけ? 同室の好なのに疑うなんて薄情だよねー」

 衣里は参ったなと、短い赤毛に手をやる。

「佐里先輩は西寮まで行ったようですが、それはいつですか? 西寮までは歩いても往復15分ほど。純血会が始まったのは20時半。足跡をつける目的で、行って帰るだけなら時間は十分ありました」

「いやいや、お菓子持っている人探して譲ってもらうのに時間かかっただけだって」

「その交渉にかかった時間を証明できますか? それに、あなたの身体能力なら、窓に手さえ届けば簡単に出入りできる。一階の窓の位置は、外からなら基礎部分があるので1.8mの高さ、一般的な女子がよじ登るには少々高い。その点、佐里先輩ならばなんの障害にもなりません」

「まあ、身体能力的にはね」

 衣里のボルダリング経験のことを言っているのだろう。時間的な制約という話に関しても、衣里は縛られることがない。

「佐里先輩は窓から一階東翼に侵入して、風早が来るのを見計らってブレイカーを落とす。その後、再び窓から風早を襲って、停電が復旧するのを待って血を採る。再び寮内にもどり、私たちが風早を救護室に運び入れるどさくさに紛れて戻ってきた振りをする。唯一寮外に出ていたあなたなら、戻って来る時間も自由に調整できる。風早琉花を襲うことができたのは、佐里先輩だけなんですよ」

 はっきりと犯人だと言いきられても、衣里は困ったように肩をすくめただけだった。それに対して、大きく溜息をついたのは真紀。

「まったく、とんだ茶番だ。ひとつ勘違いを訂正してやる、一年生。停電したのは三階だけだ」

 令が驚いて目を見張る。

「そんなはずッ――」

「いや、私たちは確かめていないよ」

 ない、と言い切ろうとした令の言葉を遮る。

 あの時私たちは勝手に寮全体の停電だと思い込んだに過ぎない。外的な要因でも、電子機器の同時使用による容量超過でもないのなら、老朽化でなにかのきっかけに漏電ブレーカーが落ちたのだろう、と勝手に勘違いした。そのせいで、人為的な停電であっても全体を停電させたと思い込んでしまった。

 私は頭の中で、何かがはじけるのを感じた。書かれた絵をひっくり返すと、まったく違う図柄が現れたときのような。

「もし、停電が三階だけなら、時間の制約はなくなる……停電を復旧させる前に、血を採ることは十分に可能なんだ」

 私は震える口から言葉を吐き出した。

 採血を行うのは停電明けに限る。しかし、それは全体が停電していればの話。一階の廊下が明るいままならば、私たちが全体停電していたと思っていた十分間の猶予があることになる。時間の制約は最初からなかったのだ。

「あの時、談話室ではお湯が用意されていた。復旧後、すぐにでもお茶を入れられる温度に保たれたお湯があったんだ。談話室でも、隣の部屋でもいい。三階では複数の電気ポットが使われていたんだッ!」

 私の叫びに、はっとして顔をあげる令。

 安全ブレーカーを落とすだけなら、いくらでも細工できる。すでに許容量いっぱいに電子機器が使われている状態で、あとはたったひとつ遠隔操作でスイッチを入れるだけでいい。電気ポッドでも、エアコンでもなんでもいい。最近ではスマートフォンから容易に指示が送れる装置がある。

 あとは風早琉花が出ていくのを確認してから、タイミングを見計らって停電させればいい。

「だが、下の階が停電してないんじゃ、相手に抵抗すらさせずに襲うなんてできないはずだ」

 令が反論を口にする。彼女の言う通り、廊下からの明かりがある状態で、一階の窓から気づかれずに襲うというのは無理がある。地面に足跡を残さずにとなると、背後から忍び寄ることもできない。

 そこで私は純血会で語られた吸血鬼の話を思い出す。

 外見は人と変わらず、大の男を片手で投げ飛ばす膂力と、一晩で数十里を駆ける脚力をもつ鬼。

 もし、伝説に少しでも真実が混じっていたら。

 もし、この学院に選ばれて集められた生徒たちが本物だったら。

 もし、もし、もし――。

 私は震える唇で、見逃していた事実を口にする。

「あのとき、窓は開いていた。

 停電明け、談話室から廊下に出た時、三階の窓のひとつが開いていた。夕方まで雨が降っていたから、窓が開いているのは不自然だ。

 私と令はその人物に視線を向ける。時間の制約が解放されることで、犯行が可能になる人物へ。停電の操作が容易で、停電させることによって離席の必然と時間によるアリバイの証明が可能になる人物へ。

「秋葉朱華、アンタは……吸血鬼なんて、化け物なんかいていいはずがない」

 令がからからに乾いた喉から、声を絞り出した。今にも泣き出しそうな声だった。

「なぜ否定するの?」

 朱華のポケットから取り出された容器には、真っ赤な血液が入れられていた。

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