4 血に潜む怪物

「どうでもいい……警察に突き出して終わりだ。どう言い繕っても犯罪者なんだから」

 令は血走った眼でポケットからケータイを取り出す。

「ちょ、ちょっと、それはあんまりだよ。なにか理由があるのかも」

「人間のくせに化け物の肩を持つのかッ?」

 彼女の拒絶反応は異常なものがあった。先ほどまでの最低限目上への礼儀を弁えた態度を捨て去り、朱華を親の仇のように睨みつける。一触即発の雰囲気に、違った意味で空気が張りつめる。

「朱華様を責めないでッ! 私がお願いしたんです。だから、騒ぎにしないでください」

 つんざくような悲鳴をあげたのは目を覚ました琉花だった。

「目が覚めたのね。あなたが倒れていたのに、気付かなくてごめんなさい」

「いいえ、私の方こそ。ご迷惑をかけてしまって」

 ベッドの上で上体を起こした琉花は傍に控えていた朱華にすがりつく。朱華の方も、琉花の頭を優しく撫でる。とても被害者と加害者の関係性にはみえない。

「どういうことなんですか?」

 唇を噛んで震えている令に代わって、私がふたりに問いかけた。

「あなたは根本から間違えた。最初から事件なんて、どこにも起こっていないのよ」

 朱華は、あなた、と令を示して言う。

「あぁ、やっぱり。そういう風習? プレイ? があるんだよ。悪趣味というか、物好きというか。下級生には憧れのお姉様に血を吸われたいって子がいるわけ。とんだとばっちりだよー、せっかく焼きたてのスコーンだったのに冷めちゃったし」

 一度は犯人だと名指しされた衣里が呆れて言う。

「首筋のやけど痕はッ、どう説明するんだッ」

 令は琉花が庇っている可能性を捨てきれずに声を上げる。その言葉を聞いた琉花はさっと、首に手をやり唇を噛んで俯いた。

「琉花のためを思えば、傷には触れないであげることよ。誰だって過去の傷には触れられたくないでしょう?」

「だったら、なぜ倒れていたんだ」

「彼女は貧血だと言っただろう。採血されたことによる貧血だ」

 真紀が令の疑問に答える。最初から自明だったのだ。私たちが勝手に勘違いして、騒いでしまっただけ。血を吸い上げられたように令の顔から血の気が引いていく。

「な、なら、なぜ噛み痕を、血を採る必要はッ? 怪談にかこつけた模倣犯に違いないはずだ!」

「だから、そういう吸血鬼プレイなんだって」

 衣里が令をなだめるように肩を抑えた。それは今にも暴れ出しそうな彼女を押し留める手でもあった。

「首から血を吸うと太い動脈を傷つけるかもしれないから、危険でしょう。それに口で噛んで雑菌が入るといけませんから、血を採るときは殺菌してある注射器を使うのですよ。真紀に頼んで手配してもらうの」

 令はまだなにか言おうとしたけれど、開いた口からはもう言葉が出てこない。

「哀れね、未熟な探偵さん。得意になって披露した推理ごっこは楽しかったかしら?」

 朱華は令に歩み寄って、その顎を撫でた。

「あなたは憑りつかれている。自分の力を示すため、知恵比べの快楽のために、事件が欲しくて仕方ないの。しまいには、自らの手で波風を起こし楽しんでいる。誰かのためでも、なにかのためでもない。自分の欲望を満たす事件を欲している。血が流れることを望んでいる。みにくい、みにくい、肥大化した欲望の塊……私とあなた、一体どちらが怪物なのかしらね?」

 自身の欲望を見透かされた令の顔には絶望が浮かんでいた。彼女の自尊心は粉々に砕かれた。

「令ッ……!」

 衣里の手を振り払って、令は救護室から逃げ出した。私は飛び出した彼女の背を追った。玄関を抜け、寮の外へと飛び出したところで、ぐずついた空から水滴が落ちてきた。小雨はすぐに激しい雷雨へと変わり、足跡は雨で流され追い掛けることはできなくなった。

 雨に閉ざされた学院に、悲痛な叫びが聞こえた気がした。細く長い、獣の慟哭が夜の山野に響き渡った。




「面白い見世物だったよ」

 令と李来が飛び出したあとの救護室で、有夜が手を叩いていた。

 縁は寮監室へと戻り、琉花は衣里によって自分の寮へと送り届けられていた。あとに残っているのは朱華、真紀、有夜の三人だけとなっていた。

「稲生家は跡取りに恵まれず、妖怪退治を廃業すると聞いていたけれど……なかなかどうして、将来有望そうな後継がいるじゃないか? 学院生活の退屈しのぎになってくれそうだ」

「忌々しい快楽主義者が。こんなもの不愉快なだけだ」

「あら、秋葉家の従者のくせにお気に召さなかったみたいだね。主催者は君の主だろうに」

「この女のやることなすこと、私が監督する義務はない」

 真紀は不機嫌な眉を崩すことなく、朱華を睨んだ。

「まあいいさ。今度、稲生令に会ったらおひねりでもくれてやることにするよ。また何かやるときは私も参加させてくれよ。それじゃ」

「ええ、おやすみなさい。有夜さん」

 軽やかな足取りで有夜が出て行き、救護室には二人だけが残される。真紀は息をついて、自身の主に苦言を呈する。

「少しばかり、やりすぎじゃないのか。稲生の跡取りが早とちりしたとはいえ、そうなるように誘導したのは朱華だろう。三階の窓は開けられていただけ、そうだろう?」

「そう怒らないでちょうだい。稲生の者には痛い目に遭わされてきたんだもの。ちょっとぐらい仕返ししたって許されるはずだわ。それに意地悪したのは私だけじゃないもの」

「縁様か……あの方も人が悪い。はっきりと朱華の足取りを証言すれば、三階から飛び降りたなんて思うこともなかっただろう。それ以前に、事件ではなく、同意の上の行為だと気付くこともできたはずだ。風早琉花の通った直後に朱華が階段から降りて来て、再び戻って行った、とな」

 真紀の言うように、事実は彼女らが出した結論とは少々異なる。朱華は超常的な吸血鬼の力をもって、三階から飛び降りたわけではない。階段を使って一階まで降りて、管理室でブレーカーを上げたのち、再び階段で戻って行った。

「あえて黙っていたのでしょう。彼女も私と同じ吸血鬼の片割れだから、ちょっとした意地悪をしたのよ。なにせ、吸血鬼を体と血に分断したのは、稲生家の人間なんですから。それに可愛い後輩はいじめたくなってしまうもの」

「後輩だからだよ。あの子は稲生の仕来りが嫌で逃げ出したのだろう? せっかく逃げて来たのに、わざわざ一族の宿命を背負わせる必要もない」

「真紀は優しいね。もしかして同情しているの? 私に仕えるのが嫌になった、とか」

「どうだかな」

 朱華はケースに入れた注射器を真紀に返した。

「こう見えても私は十分にヒントをあげたつもりなのよ。衛生状態を気にして注射器を使うような人間が、屋外で採血するはずないでしょう。琉花には二階のロビーで待たせておいて、血もそこで」

「そもそも、お前が風早に気を遣っていれば、こんな面倒になることも……そうか、わざと血を採り過ぎたんだな」

「あら、ばれちゃった」

 朱華は、みなの前で見せた採血管のほかに、もう一本の採血管を取り出した。

「呆れたな。どうしてそこまで稲生に拘る?」

「異能を憎み、異能を退けるために、異能を産み出した……滑稽な一族。突然変異で退魔の力を持った初代以外はただの人間のくせに。私はね、興味がある。ただの人間が、欲望と妄執だけでどこまでいけるのか。あの子には本物の探偵になってもらいたいの。まだ足りないわ。こんなんじゃあ、まだまだ足りない」

 朱華は血を夜の闇にかざして、その瞳を赤く染める。

「昔から、妖魔と人間の勝負は化かし合いと相場が決まっているでしょ」

 彼女は採血管の栓を外し、中の血を口に流し込む。喉を鳴らして、二本分の血液を味わう。

「それにね、血に刻まされた宿命からは逃れることなんてできないのよ。私も、あの子もね」

 歯を見せて微笑んだ彼女の口元には、人間にはない発達した牙が覗いていた。

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