第五百三十七話 十勝からの陳情

鍋倉城 阿曽沼陸奥守遠野太郎親郷


 今日は珍しく十勝農学校から陳情がきた。


「大津から釧路まで軌道を敷きたいとな」


「はい。今ある街道は春先や雨がふったりしますと、沼のようになってしまう事が多く移動に難渋しております。船を使おうにも春先から夏にかけては霧の日が多く、荷を運ぶにはあまり適しておりません」


 確かにあの霧は厄介だろうな。しかし俺が言い出すよりも先に軌道に目をつけるとは。


「まあ構わんが、だれが作るのだ?」


「勿論、我らが!」


「何?お前等がか!?」


「はい。いけなかったでしょうか?」


「いや構わん。作れるのならとやかく言うことは無いが人足は足りるのか?」


「は、そこは十勝守様(狐崎鯛三)に囚人をお借りできないか相談し、殿の御裁可次第と」


「そこまで手を回しておったか。抜け目がないな。学生の中心はお前か?」


 学生たちをまとめたのは代表できたというこいつ、弥吉というやつで資料によると成績優秀であったため給費生となっているという。


「父からはこれからは武ではなく学にて身を立てる時代になると言われまして」


「随分と気が早いな」


 そして物わかりが良い。此の時代なら大抵は戦で身を立てようとするんじゃないかろうか。


「父が戦で腕を落としまして、それからはまるでもう耳にタコができるくらいよく言い聞かせられております」


「ははは。それは大変なことだな」


「父も戦に出て運良く生き残りましたし、大功を積めば大きく出世すること間違いなしではあります。しかし昨今の大きくなるばかりの戦に出ては功を得る前に討たれてしまうかもしれぬと、なくなった腕を見せながらよく言っておりましたので」


「それで武ではなく学をということか」


 しかしまあこいつの父親も腕を落としても生き延びているとは運の良い奴だな。


「はい。私自身は戦に斃れるのも悪くはないと思っておりますが、それでは死んだ両親に合わせる顔も御座いませぬし、なにより残された幼い弟妹を養うことが出来ませぬ。ゆえに新天地たる北海道で身を立てようと思った次第でありますし、幸い殿のご厚意により学生の身でありながら禄を頂戴できております故、これからも学にて殿に御恩をお返ししたいと思った次第であります」


 両親は死んでいたか。何かと簡単に死んでしまう時代ではあるが辛いな。確かによほど身分が確りしていなければ、その幼い弟妹を残して戦に行くわけにもいかんな。


「その弟妹とやらは幾つだ?」


「八歳の弟と六歳の妹で御座います」


「可愛い盛りだな」


「いえいえ、生意気なものでして手を焼いております」


 しかしその二人も兄である弥吉になるべく迷惑をかけまいと勉学に家事に励んでいるという。この遠野への陳情も後ろ髪を引かれる思いであったが二人によく言い聞かせ隣近所、といっても学生寮の同期たちだが、に頼んでやってきたらしい。


「しかし軌道を使おうとよくも考えついた物だな」


 しんみりしてきたが本題に戻る。


「釜石の軌道なる物を見たことがあるおかげで御座います」


 そうかもしれぬが、並の者はアレを遣おうとは思わんだろう。

 それはそうとして軌道が出来れば開拓もすすむか。なんというのだったか殖民軌道だったか。北海道開拓の歴史が数世紀前倒しになったなこりゃ。


「釜石でもそうだが、重い石を積んだ貨車を牽かせるとあっという間に馬が潰れてしまうのだ」


 選りすぐりの大きな馬の二頭立てで牽かせているが直ぐに疲れてしまうので、牛に牽かせることが多いようだ。なかなか品種改良が進まないな。


「遠野の馬でも疲れてしまいますか。なれば馬では無く蒸気を使うことは出来ぬでしょうか?」


「出来るだろうが、蒸気に牽かせるのか?」


「はい。蒸気でしたら馬のように疲れることは御座いますまい」


 鉄の軌道では無く木の棒なんだが、蒸気機関車を走らせられるんだろうか。


「それはそうであるな。まあやってみるのは良かろう。蒸気は扱えるか?」


「それはこれからで御座います!」


「そ、そうか。では直ぐにとは行かぬが一台蒸気を融通する故、それで確り習熟するように」


「は!御恩情賜り恐縮に御座います!」


 向こうなら石炭も釧路やその周りで豊富に採れるから燃料に困ることは無かろう。巧く行けば北海道の開拓が進むな。


「いやいい。それよりもだ、もし巧く行ったならば箱館まで軌道を延ばしてほしいのだ」


「箱館まででございますか!」


「うむ、霧に影響されにくい箱館まで伸ばせればやりとりがかなり楽になるのでな」


 青函トンネルを掘れるようになるのは数世紀後だろうけど、本州の目と鼻の先まで運べるようになれば大助かりだな。函館までは無理でも室蘭まで伸ばせればあそこも数少ない天然の良港たり得る土地だから十二分に便利になる。


「それは確かに。大津も霧が多いですから箱館から物を運べれば我らとしましても大助かりですが」


「いや無理を申した。まずは釧路と大津で確りと経験を積んでからでよい」


 建設技術やらなんやらの発展は俺の想像以上になりそうだなこりゃ。

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