第五百三十三話 援軍の礼

躑躅ヶ崎館 阿曽沼遠野太郎親郷


 当家が砲撃を加えたが鉄砲は知っていても大砲の咆哮は聞いたことがなかったようで武田の騎馬隊とやらも木偶の坊のように立ち尽くしているだけであったし、大砲の音に慣れていなかったようで武田の馬は暴れて将らを振り落としどこかに駆けていってしまった。今川も馬が使い物にならなかったようだが伊勢からいくらか聞いていたのか、馬を置いて皆徒武者として突っ込み、乱戦となった。


 砲撃を追加して武田を督戦しつつ側面から騎兵突撃を二度実施し、続いて隊列を組んで順繰りに銃弾の雨を降らしたことで漸く武田の足軽等がまともに動きだし、今川が撤退を開始した。追撃は武田に任せ躑躅ヶ崎館に帰還する。もちろん砲撃準備を済ませて。


「約定どおり今川を追い出してやったぞ」


「……にありがたく」


 戦では棒立ち、当家の支援があって漸く立ち直って勝ちはしたものの戦の内容では実に不甲斐ない内容であった。とはいえ武田単体では勝てなかったことを考えれば御の字であろう。


 武田信虎は顔を引き攣らせてなんとか笑みを作っているが不機嫌そうだ。


「そ、それで此度の礼でございますが」


「なに貴様の廃嫡された息子を貰い受けたので十分だ、といいたいがそれだけでは其方の面子も立たんだろう」


 甲斐をと思ったこともあったが今川との緩衝地にもなるし、そもそも金山以外はろくな産物もない貧しい土地で江戸が本拠地な徳川幕府と違って防衛戦略的重要性も低い。今後回収するのはするが今は必要ない土地で、元嫡男を受け取ったならばそれで十分だ。


「度々今川から荷留を食らっておるそうではないか。今後は今川から荷を買うのをやめて当家から買ってくれればそれで良い」


「な、いえ、それは……」


「それに今川より余裕があるでな、今川より安く荷を送ってやろう」


「そ、それはありがたく存じますが、そんなもので?」


「当家からの品や商人からは関銭を取らぬ、当家から入る荷の量にも制限をかけぬ、値は当家が決めると確約してくれるならそういたす。当家にとっては甲斐と誼ができたことが何よりであるからな」


「も、もちろんでございます」


「快諾してくれるか。では此の起請文に俺と其方の名と花押を」


 都合二通の起請文に俺と武田信虎の署名と花押を書き、お互い確認した後に血判で割印を押しそれぞれ一通ずつ保有する。武田信虎らはすこし首をかしげながらも署名し花押を印す。


 細かく読むと当家から入った産品を余所に売ってはならないなども少し小さな文字で書かれている。


「俺も嬉しいし甲斐にも悪い話じゃない。甲斐の民も今までより安く安定して物を得ることができる。邪魔立てをした今川以外は困るものが居らぬな」


「ここまでして頂けるとは此方からの礼になりませぬ。それに廃嫡したとは言え愚息が無礼を働いたお詫びも必要で御座います故、少ないですがお礼の物を用意いたします」


 そう言って出てきたのは立派な栗毛の駿馬とほか十頭の馬に馬具一式など、なるほど精強な騎馬で名高い甲斐らしい土産だ。


「これは立派な馬であるな」


「近衛少将様に気に入って頂けて重畳に御座います」


「有り難くもらい受ける」


 土産をもらい受け帰路につく。


「諏訪にも行きたいがそろそろ皆疲れておろう」


 折角なので諏訪大社まで足を伸ばしたいが、そろそろいったん兵を帰してやらねばならん。


「そうですな。それに急がずとも何れ参詣する日は来るでしょう」


「それもそうだな」


 (袰綿)勘次郎の言うとおりまた来る日はくるだろう。まずは上田まで街道を整備して補給体制を構築してからだな。


「この海尻うみじり城ももう少し頑丈にしておかねばな。ところで何故海もないのに地名に海があるのだ?」


 海ノ口もそうだが湖もないのに何で海なんだ。


「某にはわかりませぬな」


「僭越ながら、かつて遠い昔のころこのあたりに淡海があったと伝えられておりまする」


 板垣信方がこのあたりの言い伝えとして、光孝帝が崩御為さった際に八ヶ岳の神が嘆き山が崩れ湖が出来たという。やがて湖から水が溢れ下流の佐久などでは大洪水となったという。そしてその水の一部が松原湖として今も残っていると話してくれた。


「ほう流石だな」


「お褒めに預かり恐縮で御座います」


 至極当然といった顔で板垣信方が応える。


「しかし山の神はなかなか困ったものだな」


「何が神の気に触れるかわかりませぬ」


「そこは殿でしたら神様にお話しできるのではないのでは?」


 勘次郎の言葉に板垣信方と武田太郎が訝しむ。


「最近はあまり女神様に会うこともなくなってしまってな」


 熱を出さなくなったんで会う機会が減ってしまったんだよな。


「近衛少将様は女神にお会いになると?」


「そうだぞ。今奥羽で作っている米は殿が神様に貰ったという米が多くなっている」


「まさかその様なことが……」


 板垣信方は俄に信じられぬようだ。


「お陰で奥羽の各家に較べて遠野は食うに困らなくなってここまで攻め上ってくることが出来るようになったのだ」


 勘次郎が誇らしげにそう言う。

 一時期豊作にして貰ってたからなあ今も女神様には頭が上がらない。相手は神様だからこっちが上になることはないはずだけど。


「なるほど、他にはないのでしょうか」


「他となると今回は持ってきておらなんだが麦酒に入れる薬草も女神様から貰った奴ぞ」


 ホップも女神様にもらったんだよな。


「薬草もですか」


「他にも色々あるんだよ。蒸気とか聞いたことあるだろう?」


「噂に聞く煙を吐いて動く絡繰りで御座いますな」


 その辺は元々弥太郎が持っていた知識だから女神様から貰ったわけじゃないんだが、遠野に送り込んでくれたから実質同じか。


 その後も勘次郎らと板垣信方が弾んでおりどうやら馬が合ったようだ。


「そういえば太郎は詩文が好きと聞いているが、お伽噺なんかは好きなのか?」


「はい。そういったものも好いております」


「それはよかった。遠野に来ればいくらでもお伽噺を読むことが出来るぞ」


 そう言うと子供らしく武田太郎が喜んでいた。

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