第五百三十二話 勘当

神部神社(南アルプス市) 阿曽沼陸奥守遠野太郎親郷


 文は送ったが反応が無いので信虎と馬を並べて、今川方が抑えている大師という村の近くに位置するこの神部神社に本陣を敷いて一触即発といったところだ。


 もちろん武田の兵が前で其の後ろから当家が支援する形だ。と陣形を図で確認していたら何やら騒がしい。


「この怪しい小僧め!こそこそ嗅ぎ回るとは!阿曽沼の陣と知っての狼藉か!」


 怒鳴り声と子供の声が聞こえてくる。戦の前、殺気立った陣に子供が潜り込むとかどこかの忍びか、それとも物売りにきた童か。後者なら随分と図太いやつだろう。


「どうした騒がしいぞ」


 幕を出てみれば警護局の者が数人の子どもを押さえつけている。


「童よ、なぜこのようなところにいる。ここは遊び場ではないぞ」


「童じゃありません!武田左京大夫が嫡男、武田太郎です!」


 よりにもよって武田の嫡男かよ。なおさら駄目だろう。


「左京大夫の陣ならここではないぞ」


「父の陣ではなく俺は近衛少将様の陣を見たくて!」


「見たいからと言って例え左京大夫の嫡男であろうとも勝手に潜り込むのは許されん。首を出せ」


 俺が刀を取ったことで漸く事の重大さを理解したのか、武田太郎とやらが青くなって小便を漏らしたのか匂いが漂ってくる。


「あ、あ、あの」


「童といえど捨て置けるわけがないだろう。そもそもおのれが武田の嫡男だと言うなら、何をやって何を言っているのか理解しておるのか!?」


 おっと言葉が強すぎたかベソをかき始めてしまった。こうなっては仕方がないか。


「童、歳は」


 大きく嘆息して気持ちを落ち着け歳を聞く。


「や、八つです」


 八つか。それじゃあまともな判断をするほうが無理か。本当に興味本位で潜り込んだんだろうな。


「誰か、至急左京大夫(武田信虎)を呼べ」


 半刻ほどで左京大夫が駆けてくる。もちろん真っ青な顔をして。


「こ、此の度は愚息が大変失礼を致しまして申し訳ございませぬ!」


 粗暴と名高い武田信虎が額をこすりつけながら土下座するなんてそうそう見れるもんじゃないな。


「なに腕白で良い子ではないか。それはそうと本陣に入ってきたのは其方の差し金か?」


「ま、まさかそんなコトがあろうはずは!」


 さっきまで額をこすりつけながら土下座をしていた者とは思えないほどの怒気を放ちながら武田太郎の襟首を掴む。


「何をやったかわかっておるのか!親に恥をかかせおって!お前など勘当だ!」


 そう言うと信虎が一発太郎の頬を叩く。それも前世なら確実に体罰で問題になる勢いで、そのあまりの勢いに武田太郎の小さな体が少し飛ぶ。


「そこまでだ」


 二人の間に腕を刺し入れ制止する。またこんな事して雪に叱られるかもしれんな。


「近衛少将と言えど親子の話に割って入らないでいただきたい!」


 そのとき遅れて武田太郎の傅役という武将が駆けつける。


「御屋形様、近衛少将様、此度はこの爺の失態で御座います。ここはこの爺に免じて太郎様をお許しくださいませ!」


 左京大夫よりも激しく土下座をして額から血が滲んできたのを見れば流石に引く。


「ええい駿河守!お前がいながら何という事よ!二人纏めて叩っ切ってくれる!」


 と思ったが左京大夫は余計に激昂してしまった。


「左京大夫、そこまでに為されよ。ここは武田の陣では御座らぬ。刀を抜くのであればそれ相応の覚悟をなされい。ところで傅役の其方は何と申す」


「板垣駿河守信方でございます!何卒、何卒御慈悲を!」


 俺ってそんなに無慈悲そうに見えるかねえ。


「それでだ左京大夫。そこな童、勘当されたというなら、ただの童は当家で預かろうと思うがよろしいな」


「ふん、好きに為されば良い!皆聞いたな!今このときを以て嫡男太郎は死んだ!」


 確かに失礼なことをしたのは間違いは無いし、武田の嫡男でなければ打ち首にしていたが勘当か。


「という訳だが太郎よ。当家に仕えるか?」


「ちちうえ……」


 聞こえていないな。親に捨てられたなど数え八つの童には堪えるだろう。板垣信方は青い顔で冷や汗をかきながら武田太郎を抱きしめている。


「殿、如何なさいますか?」


「捨て置くわけにはいかんし、武田の当主が短慮すぎだな。勘当されたとは言え嫡男だ。大事に扱えばそれなりに面白いことになるさ」


「そうするしか無いでしょうなあ」


「もしかしたら戦が終わる頃には頭が冷えてくるかもしれんから丁重に預かっておこう」


 他の子供、恐らく武田の嫡男に付いてきた童仲間だろう。こいつらもどうしたものだろうな。


「そこな板垣よ」


「は、なんで御座いましょうか」


「左京大夫はいつもあんな感じで短慮を起こすのか?」


「はっ、あいえ、決してそのようなことは」


 そこで少し言いよどんではそうだと言っているようなもんだ。


「どうだ、この際この太郎を武田の当主にせんか?」


「た、太郎様を?」


「そうだ。横暴な左京大夫を追い出して太郎を甲斐武田の当主にするのだ」


 勿論俺の庇護下という条件付きだがな。


「どうだ?悪い話ではないと思うぞ。もし甲斐武田の当主に興味なくとも、太郎が望むなら好きなだけ詩文を学ぶことも能おう」


 この小僧は恐らく史実の信玄だろう。信玄は史実で文学少年だったらしいし、保安局の調べでも暇があれば詩文に耽っていると言うからそうだろう。武将じゃないルートの信玄となるならそれも面白そうだ。紗綾につけたら面白いことになるかもしれんな。


「しょ、少将様、暫し考える暇を頂戴したく」


「おお、構わんぞ。戦が終わるまで確り考えるが良い。では左京大夫に通達せよ!我らは約定によりこれより今川を討伐する!左京大夫ら甲斐衆も確り戦われたしとな!」


 伝令を送るや、大砲の轟音が甲府盆地に響き渡った。

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