第五百二十九話 芋と軌道
十勝農学校(十勝大津)
主人公が信州を飲み込んでいるその頃。
「これがパタタとかいう南蛮の芋か?」
「寒いところでもよく育つそうだ」
遠野の農業試験場からもたらされた芋はとりあえず新しくできたばかりの十勝農学校の試験農場でこの土地にあった育て方を調べるようにとの通達だ。
「遠野では三月頃(新暦四月頃)に植えるのだろう?」
「ならこっちだと四月頃か」
「三ヶ月ほどで芋ができるという話だ」
わいわいがやがやと話がすすむ。
「それでこのパタタというのは皮ごと食えるのか」
「そうらしい」
「殿が言うには味噌をつけて食うのもうまいが、蘇を火にかけて溶けたものをつけて食べるのが一等美味いというぞ」
蘇がどんなものかまだイメージがつかない者ばかりだが、数奇者の主人公が美味いと言っているなら間違いはないのだろうと当たりをつける。
「蘇か。牛も羊もまだまだ少ないな」
「どうするよ?」
「根室あたりだと芋すら難しいだろうからそこで牛豚羊を育ててはどうだろうか」
「あの辺りか。たしかに良さそうだが、行くのが遠いぞ」
一度行ったことがある学生が眉をひそめる。
「釜石では軌道とか言う木の棒を敷いてその上に車を走らせているぞ」
「なんだそれは」
「馬が鉄の石を運ぶのに使っているらしく、今度釧路の石炭を運ぶためにも使うそうだ。一度にたくさんの物や人も運べるらしい」
「まあ石が運べるなら人も運べるだろうよ」
「それはそうなんだがよ、そいつを使えば春になって雪解けの時期とか雨の後もぬかるみに足を取られなくていいんでねえか?」
春になると地面が溶けて酷いぬかるみになるほか、湿原のおおい十勝や釧路においてぬかるみにならないという言葉が魅力的であった。実際釜石では雨が降るとぬかるんで足を滑らせる道を歩くではなく馬に牽かせた車にのって鉱山まで行き来することがあるという新聞記事を思い出しながら学生の一人が言う。
「むぅ、確かにぬかるんで冷たい道に足を取られるくらいならそういう手間をかけたほうがいいか」
「そうだそうだ!」
「よっし、芋を作る班とその軌道を作る班に分けるか」
「まてまて、もう一つ、この南蛮の蕪が牛馬の良い餌になるというのでこれも育てるようにとのお触れだ」
「これも春植えでよいのだな」
「麦と豆と芋とこの蕪で畑を替えながら育てると良いようだ」
「この蕪も煮込んで食べることが出来るようだと書かれておるぞ」
「どんな蕪が出来るんだろうな」
そうして圃場班と軌道班にわかれ、そのうち軌道班は労働力がなにか使えないか十勝大津城に談判しにいくことと為った。
◇
釧路
十日後、釧路炭田に軌道敷設すべく準備工事を行っていた春雄の元に十勝大津から十勝農学校の生徒がやってきた。
「軌道ですと?確かにいま炭田から港に炭を運ぶものを作ってはおるが、それを十勝まで伸ばせと?」
「はい。十勝と釧路を結ぶ街道はできましたが雨が降るとぬかるんで荷車が動けなくなってしまいます。そこでその軌道というものを使えばぬかるみを気にすることなくものを運べましょう」
少し春雄が腕を組み思案する。
「理屈はようわかり申した。しかして物を運ぶなら船でも良かろう」
「船では今の季節のように霧がでると出せなくなります」
「ふむ、それはそうでありますな。ではこの釧路から十勝大津まで結ぶ軌道を街道沿いで作ってみましょうか」
「ありがとうございます!」
「それでこのことは殿の耳に入っておるのか?」
「それはこれからです。先に釧路様(春雄)に話を通してから連名で上申致そうかと」
「若いくせに知恵が回る。まあ殿も無碍にはなさらないだろう。少々待っておられたし」
そう言うと春雄は墨を溶いて主人公に宛てた手紙をしたためる。
「これを殿に見せればおそらく問題なかろう」
「ありがとうございます!」
「なに、軌道がうまく行くようならここから根室に伸ばして、殿からご提案いただいている根室周辺を牛馬豚羊鶏を飼う支度もできるでありましょうよ」
「そう言えばそういうのもございました。ではなるべく早く殿の御裁可をと思いましたが今は信州あたりに赴かれているのでしたね」
「折角来たのだからそう焦らずともよいでしょう。どうです?炭田に作っている軌道を見に行きませぬか」
春雄の言葉に学生たちが飛び跳ねる。
「良いのですか!?」
「ぜひ!」
その後トロッコの敷設現場を見て、一部完成している路線で貨車のかごに乗り込み乗り心地を確認する。バネはないので振動が直接伝わってくる。
「よく跳ねるものですな」
「人用ではなく物を運ぶものですからな。これに人を乗せようとは思いませなんだ」
「たしかにこれはぬかるんでいなければ歩いたほうが楽かもしれませぬ」
「もう少し人を乗せるなら乗り心地を良うしたほうが良さそうですな」
かくして十勝農学校内に軌道研究会を設立して軌道の改良を行っていくこととなった。
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