大永8年(1528年)
第五百二十五話 古河会戦前夜
水戸城 阿曽沼陸奥守遠野太郎親郷
越後勢を中心とする反阿曽沼勢との戦はまだなく緊張感を保ちつつも戦のない正月を過ごしたが雪が溶け始めるとともに信濃から箕輪城に越後勢が入ってきたと知らせが届く。
「そうか長野信濃守(業正)は越後守護代に味方したか」
「関東管領の嫡男を担いできては断れなかったようです」
「管領殿の言葉より関東管領を優先したか」
「管領を投げ出した管領殿の声を聞くかと言われますと…。当家への警戒心が強い様で御座いますな」
「どこも似たようなものだが致し方あるまいよ。俺たちの考えがこの時代からズレすぎているんだ」
俺の言葉に、そんなもんですかねと毒沢次郎がつぶやく。
「そもそも価値観が違うからな。当家の中でも俸禄ではなく所領を寄越せと思っている奴は居るわけだしな。まあ初等教育を始めたことと主だった武将を遠野に集めたこと、そして紗綾達のお陰で価値観の変化は始まってきたがな」
一番影響が大きかったのは武将を土地から引き剥がしたことと紗綾の絵草紙もとい漫画のお陰か。
「価値観ですか」
「そうだよ。うちだと俺と雪を筆頭に転生者が複数いるからやや前世寄りの価値観になっているだけだ」
再度そんなものですかねと次郎がつぶやく。そして来内新兵衛のほか重臣らが入ってきたので話を打ち切る。
「さてでは始めようか」
俺の言葉にいくつか物が設置されていく。
「は、では早速ですが此方を御覧ください」
そう言って毒沢次郎が古河周辺を標した布の大地図を降ろして説明を始める。大きな地図が開帳されると評定衆が少しどよめく。
「我が方は古河を中心に阿曽沼城、栃木城、祇園城、結城城、下妻城に兵を分散配置して迎え撃つ」
地図の真ん中に利根川と鬼怒川の流れが描かれ、山や城も主だったものが記されている。川のその両脇に安全ピンで自軍と敵軍の勢力を布上に配置されていくのでわかりやすい。
「古河以外に狙われるところはないのか?」
来内新兵衛が聞いてくる。
「大目標として古河以上に重要な拠点は現状我らが詰めているこの水戸になるんだ」
地図で向かって右側に大きな城が描かれているのがこの水戸城だそうだ。水戸城は川港が整備され、小山や宇都宮など内陸への街道整備が進んできていることもあり事実上当家における関東支配の中心地として機能している。そのため戦略目標としての価値は高いのだが敵からすれば縦深があって攻めにくい場所になる。
「ああ少々奥まっていて敵サンからすれば危ないのか」
「そういうことだ。なので最終的にここを狙えるなら狙ってくるだろうが、まずは古河府の奪還を狙ってくると思われる」
古河公方の敗北と水戸城の整備が進んできていることでやや衰退の兆しが見られる古河ではあるが北関東への水運拠点としては依然重要であるし、何より古河府の奪還という象徴は実益以上に大きいものと言えるだろう。
「そこまでわかってるんなら、なおのこと古河に集めた方が良いんじゃないのか?」
「そうしたいのはやまやまだが、どこから敵が侵入してくるかまでは読み切れんのだ。古河だけに集めて先ほどの城を落とされ拠点とされるのもまずいし、迂回されてこの水戸を攻められても困る」
「まあ一理あるか……」
弱冠釈然としないといった感じの来内新兵衛だが一応は納得する。
「それで守将は誰がやるんです?」
「伊達四郎(景宗)だ」
「はい?あの伊達を守将にするんですか?そういえば姿がありませんな」
「そうだ。伊達景宗たっての願いでな。俺としてもそろそろ任せてやろうかとも思っていたところだったのでな、既に古河城に入っている」
「殿がそう仰るなら反対はしませんが、奴は食えませんぜ?」
やっぱり伊達だからかな、結構反発があるな。
「新兵衛、後で詳しく説明するから、な」
「あ?次郎どういうことだ」
「そういうことだ。あまり作戦の詳細をここで開示すると漏れるやもしれぬ」
「ああまあそうだな。んじゃあとで詳しく頼む」
毒沢次郎の言葉に察したようで矛を収める。
その後多少細かい作戦内容を通達し評定を終え、俺は袰綿勘次郎らを含む本陣備とともに栃木城に入城する。
そこで細川高国が戻ってきた。
「陸奥守殿、ただいま戻りました」
「管領殿、首尾はどうでしたかな?」
「は、管領職を捨てた儂の言葉に耳を貸してくれるものはほとんどおりませなんだ。力足らずで申し訳ない」
当てにはしていなかったからそれはかまわんのだが口にはしない。
「ただ諏訪殿から言伝を預かっております。時機を観て敵の背後を突くと」
「相わかった」
「それともう一つ」
「なんだ?」
「
海野ってあんまり印象にないな。戦国時代を題材にした戦略ゲームでもいつの間にか消えてたし。
「真田、という者が内応すると」
あれか真田といえば家康を苦しめたとかなんかの逸話がある奴か。この時代は弱小な土豪でしかなかったか。とは言え寝返るならありがたい話だ。
「まあ管領殿が斬られなくてよう御座いました」
「ははは」
細川高国が思い出したように乾いた笑みをこぼす。
色々回って来て得た話としては今川にちょっかいを掛けて逆に怒らせてしまったようで、今川が甲斐に攻め込むという。北条も相模の再統一に動くというから武田も江戸に逃げた足利も此方には兵を差し向けられぬだろう。
信濃守護小笠原は越後守護代の声もこちらの声も突っぱねたと言うが松本平は諏訪盆地と接しているから空けられないんだろうな。
さて真田は信用すべきか問題だな。この時代から配下に組み込めば不穏なことはしないだろうか。伊達と同じく獅子身中の虫にならないだろうか。
「管領殿、御苦労であった。よく休まれよ」
「はは、では失礼致す」
「左近頼まれてほしいのだが」
細川高国が出て行ったのを見計らって左近を呼ぶ。
「真田でしょうか」
「ああ、真田なる家が信用できるか探ってほしい」
探っている時点で信用していないんだけど、有用であれば一旦は信用してもいいかとは思っている。
「承知しました」
「あと諏訪と小笠原、武田の動向を確り見張っていてくれ」
諏訪も嫡男は俺と仲良くしたいようだがいかんせんまだ実権を握っているどころか元服前だからな。
「は、もし不穏な動きが見えましたら如何致しましょう」
「いまは泳がせておいて良いよ。ああそうだ甲斐と信濃の地利も調べて置いてくれ」
「承知しました」
後は伊達景宗が予定通り踊ってくれるだろうかね。
数日後、上杉朝興の嫡男たる上杉五郎(後の朝定)が栃木城へと逃げ落ちてきた。さらに数日後、上杉朝興が籠もる栗原城が落城した。その際に上杉朝興は槍が二本刺さっても暴れたため更に三本の槍で突かれたとやや誇張が入っていそうな壮絶な討ち死にをしたと知らせが届きいよいよ決戦の日が近づいてきたことが肌に感じられた。
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