第五百二十一話 南蛮菓子
鍋倉城 阿曽沼陸奥守遠野太郎親郷
ずいぶん暑く、とはいえ前世から言えば過ごしやすい気温だが、夏という風に入道雲が流れていくある日、伊達景宗(留守景宗)が登城してきた。
「この度はお呼びとのことで罷り越しまして御座います」
「うむ、忙しいところ足労をかけてすまぬな」
「お心遣い恐縮で御座います。ところで此度は何用で御座いましょうか」
「まあそう急くな。まずはイスパニアの者から教わった菓子ができたのでな。団茶は飲むか?」
「は、ご相伴いたします」
いって出てきたのはいわゆるカステラだ。聖書の他、菓子や料理のレシピに技術書の翻訳などをさせているが今のところは布教を良いとも悪いとも何も言っていない。そろそろ布教に来たはずのイグナチオがしびれを切らしてきているという。
「イスパニアのなかでもカスティリャという土地の菓子だそうだ」
「かすていらの菓子ですか。しかしこれ面妖な」
「麦の粉と卵、そして砂糖で作る焼き菓子だ。ほれ感心しておらず食え」
「は、ではいただきまする……むむ!なんとこれは美味い!?」
「おおこれは美味いな」
久しぶりの洋菓子だ。和菓子も悪くないが洋菓子もいいな。伊達があっというまにカステラを平らげ茶を啜っている。
「それだけ旨そうに食ってくれれば包丁番も喜ぶ」
「こ、これはお恥ずかしいところをお見せいたした」
「はっはっは。甘い物で気持ちが落ち着いたであろう。ここからが大事なのだがな」
すっと俺の雰囲気が変わったことを受けて伊達景宗が背筋を糺す。
「其方のところに越後守護代の手のものが来たであろう」
「!!」
「もし俺を裏切るとなると先ほどの菓子はもう食えぬ訳だ」
「ま、まさか殿を裏切るなどと……」
「では何故直ぐに申し出なんだ?」
「そ、それは……」
伊達は伊達か。寝首をかこうという心意気は悪くないのだがな。
「越後守護代は其方の他にも色々と手を伸ばしているような。先日小田原からの文で今川にも手を入れて当家を襲わせようとしていたそうだ。となれば恐らく遠からず諸家を集めて当家に攻め入るのであろう」
茶を啜って話を続ける。
「そして反撃しようとしたところで其方が内応すればどうなるかは火を見るより明らか」
伊達景宗の手が振るえている。
「ここで貴様の首を飛ばすのは容易い。が、どうだ。ここは越後守護代の口車に乗ったと見せかけるのは」
「み、見せかけるので御座いますか」
「そうだ。越後に寝返ったと見せかけて向こうの動きをつぶさに報らせよ。そして事が起きたときは」
「は、はは、殿の御心のままに」
言い終わる前に伊達景宗が平伏してくる。まあ嫡男も正室もこの遠野で人質となっているのだし忖度して動いてくれることだろう。
「そう堅くなるな。俺は其方の忠義を信じて居るのだ」
「き、恐縮で御座います。必ずやご期待に応えて御覧に入れます」
「期待して居るよ」
伊達景宗が退室していく。
「よかったのですか?」
次の間から左近と袰綿勘次郎が入ってくる。
「構わんさ。それよりおまえたちもイスパニアの菓子を食うか?」
「では有り難く頂戴致しましょう」
二人がカステラに舌鼓をうつ。
「四条様と准三宮様から知らせを頂いたが大樹と九条等が越後と信濃、甲斐の各家に直状を出したそうだ」
「我らを討てと?」
「そうだ。越後守護代が動かしたらしい。丁度幕府への献金をやめようと徐々に減らしていたのが徒となったようだ」
「そうは仰いますがここ数年は殿が出した銭で幕府も朝廷も運営なさっていたはずで御座いましょう」
「それよりも俺が倒幕を企てていると思われているそうだ」
「おやそれは違わぬのでは御座いませぬか」
「まあ左近の言うとおりだ。今の幕府では民の安寧はないからな」
不完全だが警察機構や公教育などの構築を始めた当家とはちがい京一つの治安を維持出来ないどころか京から朽木谷に逃げているようでは当てにならん。とはいえ一気に攻め上っても国力が伴わんので結局統治に失敗しかねない。
「それはともかくまずは守らねばならん。が同時に連衡策を採るぞ」
「秦の始皇帝の故事で御座いますか」
「そうだ。向こうが合従策を採るのであれば此方は連衡にて切り崩しを図って敵勢を減じるのが必要だ」
古河や関宿に小金、国府台などの城の増築強化するが、それでも大軍での戦いとなれば多大な損害が予想される。となれば敵の数を少しでも削らねばならぬ。大きくなるにつれ書かねばならない文が増えて大変だ。
それにしても九条と一条は敵となるか。全く困ったものだが二条は敵にはならないのか。九条の分家だと思ったが、当家に室を入れたかったようだしなあ。それにしても少しの気がかりは管領細川高国が忽然と姿をくらましたとの報せ。各所に恨みを買ってたから暗殺されたのかもしれんな。
と思っていると保安局員が左近に耳打ちする。
「どうかしたか?」
「は、城下で民部少輔様を騙る不審者を捕まえたと」
「なに?民部少輔とな」
庭に連れてこられたのは見窄らしい格好ではあるがあるが、それは紛れもなく奴だ。
「げぇ!管領殿!なんでこんなところに!?」
左近も勘次郎も俺の言葉に腰を浮かす。
「おお、おお陸奥守、いや近衛次将殿!儂を家臣にしてくれ!」
「はい?管領殿、気でも触れましたか?とりあえず風呂を用意させます故、垢を落として来てくだされ」
半刻ほどして風呂から出てきて、余っていた服を与えて身なりを整えた細川高国が下座に座る。
「腹も減っているでしょう。まだ夕餉の刻では御座らぬ故とりあえず南蛮の菓子と茶でもどうぞ」
「忝い。おお、おおおこれは何という甘く美味い菓子ぞ」
瞬く間に菓子と茶を腹に収めて細川高国が人心地着いたようだ。
「それで何故管領殿が斯様な地に?」
「た、大樹が其方を敵に回すと聞いてな。管領なんかやってる場合じゃねえとばかりに出奔してきた、いや漸く今の状況をよく見えるようなって怖くなったんや」
いろいろ聞いていると当家ほどの家はどこにもないのに大樹が対決姿勢を取ることを決めてしまったが為に、管領争いなんてやっている場合じゃないと判断したのだとか。じゃあなんでこれまで京兆家当主を巡って争っていたんだろうかと思うが、俺と対決姿勢を取ると言われたときに漸く現状を理解出来たのだという。
それはそうとして向こうが大樹の名前を使うのなら此方は管領の名前を使って連衡策をとれる。タイミングとしては悪くない。
「わかりました。管領殿を当家に迎えましょう。ただ管領としての最後の仕事をしていただきたく」
「な、なにをすればいい?」
「越後に対抗するため諸国諸家に当家の味方をするよう交渉に赴いて頂きたく」
「わかった。それくらいならなんとかする」
期待はしていないが関東管領なんかよりも価値が高いだろう。敵方に混乱を生じさせられればその隙に一つずつ潰してやればいい。
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