第五百四話 仮名目録

鍋倉城 阿曽沼遠野太郎親郷


 田植えが始まった頃、駿府から一つ情報がもたらされた。


「仮名目録か……」


「なんとか書き上げたようね」


 史実の仮名目録を読んだことはないからこれが前世と違うものなのかはわからない。


「結構この時代としては先進的な内容だな」


「そうなのよね。面白いのは十四歳未満が過失殺人した場合は不問にするとかね」


「少年法のような内容だな。あとはこの夜間に侵入した者を殺しても罪に問わない、また妻問い婚であっても家主に断りない場合も殺しても良いというのも面白いな」


 まあこの時代だと押し入りなのかわからんからしょうがない。


「あと俺としてはこれだ。川や海の境界争いが生じたら中間線にしろというのはこの頃から有ったのだな」


「無難な落とし所よね」


 無難ではあるがそれを推し進めるというのはなかなかうまくいかぬはず。国人が勝手に百姓の土地を押領するのも禁じているしかなり民をみた為政ではある。


「やはり今川は侮れんな。単純な武力なら長尾だろうけど内政面だと今川のほうが上かもしれん」


 長尾は良くも悪くもこの時代の領主だが、今川は頭一つ飛び抜けている。駿河でなければ桶狭間で敗死しなければ歴史がどうなっていたのか。


「そう言えばうちは成文にはなっていたっけ?」


「いやまだ不文法だな」


 やらなきゃなと思いつつどうせやるなら日本帝国憲法にしたいから今は成文化してないなどと誰にともなく言い訳をしてみる。


「しかし守護不入に関しては記載がないな。たしか仮名目録で入ってたはずだろ?」


「義元の時代にいくつか目録が付け加えられたはずだからその時についたんじゃない?」


「なるほどそういうことか」


 昔は知らないが少なくとも氏親以降は優秀だな。致命的に運がないというだけで優秀な一族なのは間違いないだろう。手許に置きたいが謀反されても困るから滅ぼすしかないのが残念だ。


「左近、いるなら今一度今川の情報を確認したいのだが」


「は、では失礼致します」


 左近によると今川上総介の息子は六人おり、嫡男の竜王丸に次男の彦五郎、寺に出されている三男の芳菊丸、庶流には出家している玄広恵探げんこうえたん象耳泉奘しょうじせんじょう、幼児の竹王丸という。なかなか頑張ったな。


 嫡男の竜王丸は普通の子であるようだが、次男の彦五郎は部屋住みの様で情報がほとんど無い。


「なぜ次男の情報が無いのだ?」


「どうやら居るようではあるのですが当主と御台以外は接触できぬようです」


「どういうことだ?まさか御台が自ら育てているのか?」


 多分寿桂尼なんだろうけどあれは勧修寺の娘のはず。となれば普通は乳母などに預けてしまうだろうにそれすらしていないのか。何かあるのかもしれないし少し興味あるが本題ではない。


「その次男は生きているかどうかもわからぬ。気にせずとも良かろう」


 三男の芳菊丸がたしか後の義元だったか。傅役はいるのだろうか。


「傅役と言いますか、九英承菊きゅうえいしょうぎくという優れた臨済宗の僧に短い間師事していたようです」


 九英承菊が太原雪斎の事だと雪から耳打ちされる。そうか子供の頃から師事していたか。こいつが義元以上に厄介なんだよな。しまったな太原雪斎という名前が見えなかったから見逃してしまった。坊主では酒もやらんだろうから暗殺も難しい。こいつは困ったな。


 海道一の弓取りを作り上げた秀才だ。おそらく釣り野伏せなんかも効かないだろう。やはり義元に家督を継がせないようにするしかないか。ん、まてよ?


「師事していた、ということは今は駿河に居ないのか?」


「はい、九英承菊は昨年上洛し建仁寺に入ったようです」


「そうか才人であらば学を修めようとするのもおかしくはないか」


 そうか今なら太原雪斎は居ないのか。これは良いことを聞いた。


「他の子らは?」


「玄広恵探は芳菊丸の一個年上で御座いますが、此方は側室腹で庶子になります」


「その側室は?」


「重臣である福島くしま某の娘の子となります」


「なるほどな。いや待て今川は当代も確か当主となる際に争っておったな?」


「は、北川殿の子である上総介様と庶流の小鹿新五郎(範満)の間で争って御座います」


 家督争いはいつの時代もあるもんだが、後継に問題が無く大きくなった後北条に対して今川がいまいち大きくなりきれなかったのはこのあたりにもあるかもしれんな。


「後の二人はまず上総介の後嗣にはならんだろうから気にせずとも良かろう」


 歴史ゲームでもほぼ存在感が無かったし無視していても良いだろう。


「ふむ何かの間違いで才人である九英承菊が駿河に戻っても困るな。駿河から京への遣いは捕らえられるか?」


「赤子の手をひねるが如くで御座いますな」


「九英承菊には落ち着いて学問を修めて貰えるよう、駿河の遣いが行かぬようにしてくれ」


「承知しました」


 そう言って左近が部屋を出る。


「暗殺……いえ史実を知ってる私からすればほとんど暗殺みたいなものね」


「何言ってんだ。坊主なんだから生臭に付き合わずゆっくり学問して貰おうという親切心だよ?」


 才に秀でた奴を相手にしなくて良いなら最高だ。史実通り最終的に義元が嗣ごうとも太原雪斎が居なければかなり難易度が下がるだろう。長尾為景とか毛利元就なんかが既に居るんだし、これ以上厄介なのが増えないならそれが良い。

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