第四百九十九話 新宮家の誕生

遠野兵学校 阿曽沼遠野太郎親郷


 兵学校の様子を見に来たのだが、のっけからめまいがしそうな光景に出くわす。


「陸奥守!見よ、余も速歩まで乗れるようになったぞ!」


 兵学校の門をくぐったところで乗馬の練習をしている清彦親王が目に入り、次いで俺を見つけた親王がパカポコ鳴らして寄ってきた。


「お、お上手でございますな」


 若干頬が引きつったような感覚を覚えながらなんとか褒める。


「まだまだ子供の頃から乗っておった其方等のようには行かぬが、皆の教えがようてな」


 守綱叔父上も流石に親王殿下の「お願い」では断りきれなかったことと、武人の学校だし今まで武芸など禄にやっていなかったはずの親王殿下であれば途中で音を上げるだろうと判断して渋々入校を認めたわけだがどうしたことでしょう。この溌剌とした笑顔は。


 馬にも進んで乗り始め、速歩までできるようになっている。他にも弓の修練や刀の振り方なども積極的に教わっており、周囲のものも親王殿下の覚えを良くしようと色々アドバイスするしているようで、まだまだ初心者ながらも腕前を上げているようだという報告に冷や汗が流れる。


「なにはともあれこれで態々輿などというかったるいものに乗らずに済む」


 とはいえ親王だから輿に乗る機会はまだまだあるとおもう。


「それにあのまま京におったら坊主になるしかなかった訳や。それはそれで悪いことや無いけど、男子として生まれたからには戦場に立ちたいものであるぞ」


「お、畏れながら親王殿下、いくら親王殿下が稽古しようと戦場に立つわけには行きませぬぞ」


「なぜじゃ!?」


「玉体に傷がつくともなれば春宮様にこの首を差し出さねばなりませぬ」


 しかし親王殿下の反応は予想を裏切ってくれる。


「はぁっはっはっは!なあにどうせ兄上も御座しますし、兄上に子がありますからな、余は帝になれぬ。ならば玉体がどうのこうのなど気にするようなものでは無い」


 朗らかに笑いながら親王がそう言う。

 

「し、しかし!」


「兄上から託かっているのだ。京から動けぬ兄の代わりにこの国と民のために働いてくれとな」


 そうまで言われてはもはや言い返すこともできない。 


「分かり申した。しかし戦場の何処に配置するかの指示には従っていただきます」


「それは無論のこと。余は其方等のように戦場を床としておらぬからな。熟達の其方等の指示に従おう」


 これで最前線に立たせなくて済んだかな。


「そうだ親王では呼びにくいだろう。これからは坪石文つぼのいしぶみ宮とでも呼んどくれ」


「坂将軍でございますな。しかし坪石文も存外呼び難いものでございます」


 多分そのうち坪宮にでもなるんだろうな。


「そうかのう?ならば衣川はどうか」


「平泉で御座いますな……」


 滅ぼされた平泉の歌枕を使うのは縁起悪いだろうに。


「貴様は源将軍とはちがうであろ?」


「それは勿論」


「では衣川宮で決まりだな。正式には今後帝にお伺いすることになるが兄上もおられるしなんとでもなろう。というわけでこれからは親王とは呼ばぬようにしてくれ」


 宮様なら言いやすくていいな。しかしこうなると宮家が誕生したことになるがこう言うのって基本的に帝から下賜されるのでなかったか。こういうやり方は有りなんだろうか。


「承知いたしました」


「よしよし、それでは余は稽古に戻るぞ」


 満足げに親王殿下が馬を戻していく。世襲親王家の歴史も変わってしまいそうだな。


「殿、すさまじい溜息ですな……心中お察しします」


「今後のことを考えると頭が痛いよ」


 あまり我らに肩入れしていると思われれば、帝や春宮様が討幕を企てていると思われて内裏が御所巻きされてしまうかもしれんぞ。


「急がねばならんが、生憎と今これ以上兵を出すのは難しい」


 備蓄物資のほとんどを使い果たしてしまったから、生産と他領からの輸入などで備蓄をせねば。それに兵も連勝だったとは言え長期の陣立てで疲れてしまっている。休暇の後に調練を行って練度の回復を図らねばならん。


 さらに今回の戦で少なからず傷痍と未亡人が出てしまっている。このあたりを如何するか。読み書き出来れば文官として雇ってはいるがそれも限りがある。放置しても治安が悪化するから捨て置くことも出来ないんだよな。


 すでに未亡人を集めた女郎屋がいくつか出来てしまった。傷痍の者が用心棒をしていたりする。自然な成り行きとは言え放っておく訳にもいかん。


「という訳で医学研究所に協力をお願いしたいわけだ」


 領内各所に治療を施しに旅立った田代三喜はいまは釧路にいるという。代わりに医学研究所を統括しているのは阿佐井野宗瑞だ。医書大全の翻訳の傍ら製薬部を立ち上げて薬の安定供給をすべく奔走している。


「我らにで御座いますか?」


「ああ、女郎屋では得体の知れぬ病が流行っていると聞く。その病の治療などを研究してほしいのだ」


 主に梅毒だな。京では既に梅毒が蔓延っているようで此方でもいつ出てくるか……いやすでにあるだろうからその対策、結局は抗生物質が見つかるまではどうにもならないが、基礎的な知識の蓄積はあって困るものでは無いだろう。


「……たしかに鼻がもげる奇病が御座いますな。わかりましたお手伝いいたしましょう」


「無理を言って済まぬ。研究所の禄は増やしておく」


 ついで警護局の奉行所に女郎屋の店主等を半ば強制連行が如く集める。


「なんだいなんだい!お上が何しようってんだい!」


 女郎屋の中でも一際威勢のいい女が声を上げる。


「陸奥守だ。其方威勢が良いな。名は何という?」


 取り押さえようとする警護局のものを手で制する。


「志麻だよ。はん、お稲荷様の生まれ変わりってえあんたか」


 煙管とか襟巻きとか似合いそうな女だ。


「稲荷大明神の生まれ変わりなどと俺が言ったことは無いがな。此度其方等を集めたのは別に罰そうというものでは無い」


「じゃあなんだってんだい?」


「鼻がもげる奇病が女郎などででておるだろう。当家としても捨て置けぬでな医学研究所に頼んで治療法を調べて貰おうと思っている」


 何時出来るかはわからんがな。


「へぇずいぶんと面白いことをしようってんだね」


「それでな、其の調べに付き合うという女郎屋は商いを許そうかと思っている」


「逆らう場合は潰すってんだね?」


「話が早くて助かるな」


「はぁ断る事なんてできやしないのは癪だけど、此方も大事な商売道具が壊れないようにできるってんなら願ったりだからね」


「いやあすまんな。併せて一所に集めさせて貰う」


「それも断れないって訳だろう。しょうがないねぇ」


 志麻が渋々といった顔で応える。


「ところで志麻とやら、其方が女郎屋のまとめ役か?」


「まとめ役?そんなものは端からありませんよ」


 無いのか。それは困るな。


「では志麻とやら、其方がまとめ役となれ」


「はあ!何言ってんだい!?こんな学も躾もない女に何をさせようってんだい!」


「だからまとめ役だ。貴様のその度胸が気に入った」


「はん、こんな阿婆擦れを気に入るとか何言ってんだい。まあいいよやったげるよ」


 その後、簡単に三つの取り決め、一つ、泊まり客は一晩のみで連泊を許さぬ。二つ、偽られて売られてきた娘は親元に返し、売りにきた商人を警護局に連行すること。三つ犯罪者などは届け出ること。


 この三つはすんなり受け容れられ、遊郭が医学研究所の分所と共に造成されることになった。

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