第四百八十九話 亡命
川越城 扇谷上杉修理大夫五郎朝興
儂らが小田原に攻め込んだ隙に陸奥から北条などとは比べ物にならぬ怪物が現れた。その怪物は瞬く間に古河公方を落とし、常陸を平らげ、今まさに上野に攻め込まんとしている。
しんと静まり返った評定の場では陸奥守に下るかあるいは山内(上杉憲房)の援軍の依頼を果たすかの稟議をしているが結論が未だに出ぬ。
「ふむ、皆良い案は出ぬか」
「殿、やはりここは先の戦で援軍を出してくれた山内に加担すべきかと」
「しかしな安独斎(上田政広)、北条なんぞより遥かに強い陸奥守にどう戦う?」
「守り戦であれば籠城でなんとでもなりましょう」
「籠城したところであの大砲に打ち破られるのではないか?」
太田美濃守彦六資頼が安独斎に反論するが、確かにあの大砲とやらはこちらの攻撃が当たらぬ遥か遠くから赤く灼けた鉄の弾を飛ばしてくるという。
「ぐっ……」
最終的には一騎打ちで敗れたとは言え、古河も二万を超える軍でありながらあの大砲や鉄砲に蹴散らされた。公方はなんとか生きながらえているようだが足は動かず、床で寝起きするのみの状態と伝え聞く。戦で死ぬのは構わぬが死にきれぬとはなんとも地獄よの。
「ふん彦六、大和守(太田資高)が北条に通じていたのと同じようにお主、阿曽沼に通じておるのではなかろうな?」
「何を言うかと思えばそんな莫迦げたことを」
美濃守が盛大に嘆息するが、儂も嘆息してしまう。
「お二方、そのくらいになされよ」
弾正(難波田弾正少弼憲重)が二人をたしなめてくれる。
「では弾正は如何する?」
「ここは公方様に出張っていただくべきかと」
「右兵衛佐(足利義明)様か。確かに手を借りられれば阿曽沼にも対抗できようが手を貸してくれるか?」
「殿、阿曽沼は古河を押さえておりますれば、江戸湊にも食指を伸ばすのは必定。なんとなれば公方様も刑部少輔様(里見義堯)も黙ってみていることなど出来ぬでしょう」
「それは確かにそうだが阿曽沼に勝てるか?」
手を組んで対抗した古河公方もあっさり負けているのだ。多少手を組んだくらいではもはや対抗し得ないのではなかろうか。
「阿曽沼が上野を攻めている後背をつけば如何に阿曽沼と言えどひとたまりも無いでしょう」
「ふむそれはそうだな。それで我らが攻めているときに北条が我らの後背を突くということは無いか?」
「そのおそれはありますが、先の戦で相模をしっかり焼きましたのであっても大軍とはなり得ぬかと」
そう聞けばうまくいきそうな気がしてくる。
「となればあとは管領家(山内)がどう出るかですな」
弾正の言葉に安独斎も落ち着きを取り戻してそう答える。
「あの五郎様(上杉憲房)がそうそう下るとは思えませぬ」
続いて美濃守も落ち着きを取り戻したようだ。
「ふむであらば五郎殿の動きを見てからではあるな」
しかしこの段になって援軍の話もないとは一体どうしたのだと思っていると小姓が駆けてくる。
「御注進!関東管領、五郎様が倒れて人事不省となったと!」
「なん……だと!?それは真か!」
皆の腰が浮く。わしも思わず腰を上げそうになったわ。
「五郎殿の嫡男は確か龍政丸がおったな」
「は、今年二歳になるお子が居られます」
「二歳……か」
わしの言葉に皆も落胆する。
「二歳の当主ではまとまりませぬな」
「これでは山内も戦どころではなかろう。はぁ……もはやこれまでか」
山内とは戦をしたり仲違いしたりの間柄であったが相手を叩き潰す、ましてや幕府を壊すような戦など思いもせなんだわ。阿曽沼は明らかにわし等とは別物。小田原の新九郎も異物を感じたが阿曽沼はその比ではないな。
「この扇谷の家を残すとなれば阿曽沼に謁見するしかあるまい」
「修理大夫殿!名門たる扇谷がおめおめと下るなどご先祖様に申し訳が立ちませぬぞ!それに其方は藤王丸様の後見人でしかござらん。勝手を為す事まかりならぬ!」
安独斎が熱り立って叫ぶ。
「安独斎、ではどうやって勝つというのだ?」
「ぐっ……しかし戦もせずに下るなど武家の恥ですぞ!」
「殿、この太田美濃は殿のお考えを尊重いたします」
「献策致しましたが、事ここに至りましてはやむを得ません。難波田弾正少弼は賛意申し上げます」
「貴様らは武家の恥ぞ!構わん!この俺一人でも阿曽沼の首を取ってくれるわ!修理大夫殿、これまでお世話になり申した!」
そう言うとドスドスと床を鳴らして安独斎が部屋を出ていく。おそらくは難波田弾正の言っていた小弓や里見に通じて阿曽沼と戦うのであろう。
「藤王丸とてまだ六つの幼子よ。何かを判断できるような年頃ではない」
「左様でございますな」
「とは言え土産もなく阿曽沼に話を持っていったとしても聞き入れてくれるとも限らん」
「では如何致しますか?」
「ここは藤王丸を人質に出すしかあるまいよ」
せめて今川が代替わりして居れば北条と手を切らせることもできたろうに。そうすれば弾正の言うように連合して打ち勝つことはできずとも勢いを削ぐことはできたろうがな。
とりあえず後見をしている藤王丸を阿曽沼に送れば本気と捉えてくれるだろう。
「陸奥守に文を送る。美濃守、陸奥への遣いになってくれぬか」
「承知致しました」
数日後いよいよ阿曽沼に遣いを送りだして数日後、上田の幟と太田の幟が川越城を取り囲んでいる。
「一体どういうことか!」
「謀反にございます!」
難波田弾正が駆け込んでくる。
「何故!安独斎はともかく美濃守は阿曽沼に下るのを賛同したのではなかったのか」
「太田美濃からの伝言でございます。尊重はするがやはり戦もせずに下る腑抜けは当主にふさわしくないと。藤王丸様の後見は太田美濃と安独斎がやるので安心して逝けと」
「愚かな!」
しかしこれから足軽を集めても間に合わぬ。万事休すというやつか。
「殿、お方様とともに我が城へお下がりくだされ」
「わ、わかった」
これすら罠ではないかと思いつつもどうすることもできぬ故連れられるまま難波田城へと逃げるしかないか。
「まさかこんな終わりだとはな」
「何を仰るか。生きてこそこの恨みを晴らせましょうぞ!」
そうだな。まずは泥を啜ろうと生き延びねばならぬな。阿曽沼の臣となってでも安独斎と美濃には必ず報いを与えねば気がすまぬ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます