大永4年(1524年)

第四百七十四話 長い手

高輪原 (三人称で進みます)


 伊勢宗瑞が亡くなった影響も癒え、かつ史実通り祖父太田道灌を殺されたことに不満をもつ太田資高の調略に成功した事を以て伊勢改め北条新九郎氏綱は武蔵攻略を開始した。相模と伊豆から兵を集め、一万の大軍で攻め入ることで権現山城(横浜市神奈川区幸ケ谷)を難なく落とし多摩川渡った高輪原(東京都港区高輪)に陣を構えて上杉朝興と対峙している。一月十三日に戦闘を開始してすでに十日が経過したが戦況は膠着状態だ。


「どうも決め手にかけますな」


「どうしたものか」


 扇谷の重臣、太田資高を調略し数でまさる我軍が圧倒できるかと思っていたがなかなかどうして思ったとおりには行かない。


「大和守(太田資高)は内応したのだろう?」


 風間衆の長、風間出羽守に北条氏綱が問う。


「それは間違いなく」


「であればどういうことだ」


「殿、そのような乱破の言うことが当てになりましょうや」


 風間衆を善く思わない将がそう云う。しかし風間衆は知っていた。昨年あたりから北条氏綱が武蔵侵攻から古河公方も小弓公方も討ち滅ぼさんと企んでいるという噂があることを。もちろん戦乱の世であることからそのような根も葉もない噂は五万とあるので聞き流されていた。


「無論だ。この文にも江戸城まで到達した際には城門を開ける旨がかかれておる。それに物見からは太田資高の幟がないと聞いておろう」


「なるほど確かにそうですが……それが罠であったのかも知れませぬ」


 氏綱はその可能性は否定できない。太田資高が祖父道灌を殺された恨みを持っていることは確実であり江戸城開城する旨を確約していた。しかし扇谷上杉朝興に謎の文が渡り、太田資高の動きは報され首が飛んでしまっていた事までは氏綱も知らず、風間衆も知らずにいる。


 そして悪い知らせが氏綱の本陣に齎される。


「殿、一大事です。扇谷に援軍が押し寄せていると知らせが!」


「どこからだ?山内か?」


「山内は勿論古河に宇都宮、小田、佐竹に武田も、で御座います」


「な、なんだと!?」


「そのほか大小の家々を併せたその数は四万を超えると」


 両上杉であれば対応可能だと考えたが、まさか対峙している扇谷の軍勢を併せて五万近い大軍になるという報せに氏綱の背を冷や汗が流れる。そして将らも敵の軍勢を聞き皆浮き足立つ。


「くっ……どうしてこうなった」


「殿、ここは退くしかないかと」


「やむを得んか……!韮山城に早馬を。忌々しいが今川上総介(氏親)に兵を借りるよう新六郎(氏時)に伝えてくれ」


 北条を自称し今川から独立したと自負していただけに今更今川に頭を下げねばならぬ事態に臍をかむ。


「小田原に退くぞ。どうせ敵は烏合の衆だ。長くは対陣して居れぬだろう」


 史実と同じには行かんかと思いつつ、なぜ敵の連携が取れているのかと疑問がわいてくる。同時に十万の大軍に囲まれても耐えきった小田原城であればたかが五万程度の敵兵、それも秀吉のような補給戦ができる組織化されている訳でもない敵軍に負けるはずはなく、退く際に後背を襲ってやれば良いとそう思う。


 それでも万が一を考えると今川に援軍を頼むしかなかった。


「殿、ここは阿曽沼にも援軍を求めては如何でしょうか」


 大道寺盛昌の言葉に氏綱はしばらく考え込む。


「そうだな……そう致そう。ではその遣いとして蔵人くろうど(大道寺盛昌)其方に行ってもらおう」


 阿曽沼がこの時代としては異質の軍を整備しているとは言え間に合うはずもないと思うも後方撹乱で敵が早く退いてくれるなら領内が荒れることも少なくなり助かるなとも思い直す。


「とりあえずは後ろの多摩川を安全に渡れるかどうか、だな」


「ここは某が殿を務めましょう」


「左馬助(松田盛秀)、死ぬかもしれぬぞ?」


「何を仰るか。このような誉れで死ぬであらば言うことはございませぬ。それに某はまだ死ぬ気はござらぬ故」


 こんなところで問答をしているわけには行かないので左馬助に任せて渡河を開始する。


「では任せた。其方は亡くすには惜しいのでな、なるべく生きて帰ってきてくれ」


「はは!では其のように」


 こうして粛々と渡河を成功させる。流石に松田盛秀率いる殿軍二千はおよそ七割を喪失するも松田盛秀は小田原城にたどり着き、休む間もなく籠城の支度をする。


 ちょうど遠野商会の船が早川の港に着いていたため、大道寺盛昌は準備もそこそこに船に飛び乗り大槌を目指す。


 幸い風に恵まれわずか五日で大槌に到着し、夜を通して笛吹峠を越えて六日目の朝に鍋倉城に到着する。


「これは大道寺蔵人殿、そんなに慌てて如何致した?」


 大道寺のただならぬ雰囲気にすぐさま親郷の前へと通される。


「是非とも陸奥守様のお力をお借りしたく参上仕りました次第で御座います」


「力を借りたい?一体何が有り申した」


「恥ずかしながら小田原城は扇谷の奸計により五万からなる軍に攻め寄せられております」


「なんと!新九郎殿はご無事か?」


「お陰様で。しかし敵は多勢。今川にも兵を借りるために遣いはでておりますが陸奥守様のお力を何卒!何卒お願い致しまする!」


「ふむ、しかし今すぐとなると……海軍は出せるか?」


「四隻は何時でも出せます」


「ではまず海軍に海上から支援させましょう。そして物資の運び込みも」


「有り難く!」


「陸軍は総軍で調練をしておったところですぐに出られる。当家の一万と新九郎殿の一万、それに今川の兵で挟めば如何に五万の大軍と言えど烏合の衆だ。ひとたまりも無いだろう」


 親郷の言葉に大道寺盛昌は涙を流す。このとき親郷の口角がわずかに上がっていたことを大道寺盛昌は気付くことはなかったが。


「蔵人、其方こそ真の武士よ。我らは総軍を以て盟友北条を助けに関東に入る。結城、那須、佐竹には死にたくなくば手出し無用と申しつけよ」


 翌日大道寺盛昌は大槌から海軍艦艇に乗るべく帰途につく。そして十五日後、騎兵五百と練兵一万の軍勢が篠川城を出立する。虎視眈々と関東に攻め入るタイミングを図っていた親郷はココがその最大のチャンスだと判断し進軍を開始する。ここで軍用備蓄のほとんどを使い果たす覚悟であった。


 それでも健気に反撃してきた白河結城ではあったが阿曽沼の大軍の前に足軽共はあっさり逃散し、結城左兵衛佐顕頼はそれでも籠城と反撃を試みたので小峰城に赤々と熱せられた砲弾を多数撃ち込んで多くの者を荼毘に付し白河の関に到達する。


「この矢立の松に矢を放ち、旗立ての桜に我らの旗を駆けるのは縁起が悪いだろうか?」


「義経公ですな。どうでしょうな、少なくとも縁起が良いとは言えぬかと」


 毒沢次郎の答えに暫し阿曽沼親郷は悩む。


「ここは平家を追い落とした故事に倣うとしよう」


 かつて源義経が平家討伐の際に射掛けた白河神社の松に矢を放ち、桜に幟を立て掛けた故事に倣い幟を立て掛け馬揃えを行う。


「ではこれより関東に入る!我らの強さを板東武者共に見せつけてやるぞ!」


「オオオオオオオオ!」


 士気を上げた阿曽沼は遂に関東へと足を踏み入れた。

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