第三百九十三話 油壺

新井城沖 阿曽沼遠野太郎親郷


「あれが新井城ですか」


 半島上にある城でなるほどこれはなかなか攻めにくい地形だ。


「十勝守、どこまで近づける?」


「少々お待ちを城の周辺を偵察いたします」


 カッターを数隻降ろして城の周辺を調べ、先導される。


「此方からか?」


「ええ、城の反対側は狭い湾になっていましてこの船では動きにくいので」


 湾への入り口に船を止め砲撃準備を始める。


「では宗瑞様、新九郎殿、我が艦隊の火力をご覧に入れましょう」


「おお、いよいよか。いやしかしこの大きな船は良いのう。当家も欲しいぞ」


「遠野殿、この船も売ってくださらぬか?」


「生憎とこの船はまだ代わりが御座いませんので」


 もう一隻建造中だけど蒸気機関の配置とスクリューの改良に手間取っていて進水していない。


「ではあっちの煙突も大砲も乗っていないものはどうだ?」


 子供のような顔で伊勢宗瑞が大槌型スクーナーを指さす。


「アレですとそうですな、ずいぶん使い込んでおりますし一千……いや八百貫文でしたら」


「もう少し安くならんか?」


「では七百五十で」


「もう一声!」


「では七百!」


「爺を大事にすると思ってもう一声!」


「ん~では六百八十で!」


「よし買った!」


 まあそろそろ廃船にするところだったそうだからヨシとしよう。新造費用がたんまり得られたわ。


「ところで三浦とやらは降伏させぬのですか?」


「もうその段階はとうに過ぎたわ」


 ああなるほど見せしめか。なら何も言うまい。


「承知いたした。では十勝守、発砲準備はどうか?」


「いつでも構いません」


「では合図は任せる」


「は!撃ち方用意!はじめぇ!」


 言うや喇叭が鳴り響き、続いて鉄砲とは比べものにならぬ轟音と白煙が海を染める。そしてしばらくして城の周囲に土煙が上がる。


「おお……これが大砲」


「噂に違わぬものでございますな」


 意外なことに氏綱はあまり驚いていない。


「しかしなかなか集弾率は良くないようで」


「そこはまだ研究中ですね」


 大砲のライフリングの研究もしているがおいそれと達成できるものでもなく、とりあえず砲身長を伸ばして対応するくらいか。


「そして前装式ですか」


「後装式も作ったのですが、信頼性と生産性で劣り、故障時は船上では扱いにくく、今のような形になりました」


 前装式ばかりだったのは理由があったんだねと再認識したわけだ。アームストロング砲みたいなのを作りたかったけど今の技術力では無理だった。


「遠野殿と新九郎が何を話しているのか分からぬがこれはいいのう。こいつも売って欲しいのだが」


 何でも欲しがるなこの爺さん。


「大砲ですと一門一千貫文ですな。これは鐚一文負けられませぬ」


「船より余程高価いのか!」


「そりゃあ鉄の鋳物ですから」


 もう少し技術がこなれれば安くも出来るけど、鋳鉄はすが入りやすくて難しい。今は職人が叩いて不良品の判定しているくらいなんでそんなにポンポン出せないの。


「なに!?遠野殿では鉄で鋳物を作れるのですか!」


 新九郎殿が鉄の鋳物というところに反応する。


「青銅ではないのですか」


「錫が手に入りませぬ」


 それでも高炉の均質な鉄がなければ難しかったろうな。


「いやはや……そう言えば、そういうことですか。なるほど」


 新九郎殿が勝手に納得しているが、釜石鉱山にでも思いが至ったのかな。


「いややはり遠野殿と誼をむすんだのは正解でございましたな。おや当家の幟が新井城に取り付いたようだな」


 土煙が晴れたところで火の手が上がり、伊勢家の幟が城に入って行っているのが見える。こうなると砲撃はできない。


「では沙汰を申し渡してはおるが見届けねばな。すまぬが浜に揚げてくださらんか」


 沙汰といっても見せしめなのだから族滅させるのだろう。当主と次期当主として見届けるために新井城近くの浜に送り届ける。


「始まったか。世の習いとは言え気持ちのいいものではないな」


 俺も手漕ぎカッターに乗り換えて湾の中ほどまで移動すると、およそ一刻ほど経った後、城から湾に飛び込むもの、斬られて投げ捨てられるものが見える。


「まるで油の壺のようですな」


 三浦一族の血で赤黒く染まった湾を見て誰とも無くつぶやく。


 戦が終わり三浦半島を伊勢が抑えて相模平定が完了した。当家が船を出した謝礼として米五千石を頂くことになった。大盤振る舞いだな。


「次は私が遠野にお伺いしたいと思います」


「是非に。遠野でお迎え出来る日を楽しみにしております」



「では殿、俺はこのまま小笠原諸島へ探索に参ります」


「ああ、気をつけてな」


 卯月の半ばを過ぎた辺りで海況が落ち着いていたからか、伊豆大島沖に差し掛かると島から船がわらわらと集まってきた。


 我らを取り囲むように小舟が集まっているがぼんやり眺めているだけで敵意は無いようだ。


「殿、どうしましょうか」


「数人乗せてみて話をしてみよう」


 上がってきたのは若い漁師が数人だ。


「あんたらはどこの人だ?」


「陸奥からきた阿曽沼遠野太郎親郷だ」


「陸奥……?あんな遠いところからか。いやしかしすげえなこの船。帆掛け船だって珍しいのにそれが三本もあるなんてしかも変な筒が生えてるしなんだこの船?」


 興奮気味に漁師が捲し立てる。


「おーい、親父ぃ!この人らを島に迎えられねぇかぁ!?」


「殿どうします?」


「ここは言う通りにしてみてもよかろう」


「お、あんた殿様か。いやあ流石に身形がいいなぁ。なに獲って食いやしねぇさ。こんなにでかい船を使うお人と酒を飲みたいだけだ」


 呵々と笑いながら漁師が言う。まあ悪意は見えぬな。


「そういうことなら酒は我らが出そう」


「お、さすが殿様!伊勢の殿様とは違うねぇ」


 伊勢の所領なのか。


「ところでお前さんの名前はなんだ?」


「おっといけねえ!俺は潮っていうんだ。生まれが悪ぃからよ、作法とかは勘弁してくれ」


「潮か、まさに海の男って感じのいい名前だな」


「へっ!あんがとよ。んじゃあ案内すっから付いて来てくれ」


 島の西側に錨を下ろして俺と十勝守を筆頭に二十名程度が下船してついていく。煙を吐いている山、三原山と呼んでいるそうだがこの山の神様は時おり勘気を起こすという。


 そんな雑談をしながら肝煎ではなくこの土地の代官の邸に案内される。


「代官のやつは戦だとかでここにゃあめったに来ねえんで、集会所にしてるんだ。まあ偉い殿様にはむさ苦しいところだろうが、寛いでくれ」


 しばらくして島で採れた魚が大皿に盛られてでてくる。


「この赤い魚は?」


「それはアカハタってやつだ。このあたりでよく取れる魚なんだが旨えんだ」


 早速口に入れると白身の淡白な味わいだ。


「奥州では採れない魚ですな」


 十勝守が箸を動かしながらそういう。


「そうなのか?」


「ええ、見かけたことは有りません」


 暖かい海の魚なのかな。

 当家の持ち込んだ酒を振る舞うと、珍しい清酒に皆舌鼓を打つ。


「いやあこんな上等な酒は初めてだ。なあ殿様、俺をあんたんところで使ってくれねぇか?」


「人手は足りぬから歓迎するが、何がしたい?」


「へ、知れたこと、あのでかい船に乗りたい」


「ということだが十勝守どうだ?」


「まあいいでしょう。我らとしても好んで来てくれる方が助かります」


「へっ!やったぜ!」


「ところでここは米は出来るのか?」


 道すがら畑は見受けられたが水田と思しきものはなかった。


「生憎と土が悪くて米はできねぇな」


「畑では何を育てているんだ?」


「豆が多いな」


「ところでこの味噌汁に入っている菜はなんだ?」


「そりゃあ明日葉っつうやつで山にいきゃいくらでも生えてる」


 これが明日葉か。


「これはすぐに育つのか?」


 今度は十勝守が興味深そうに尋ねる。


「おう、葉をもいでも次の日には新しい葉が出るくらいだぜ」


「これの苗木を貰えぬかな?」


「構わねぇけど、そんなのどうすんだ?」


「船で使うのだ」


 島の連中が不思議そうにする。まあ壊血病とかビタミンとか知られていないから仕方ないか。


「まあそういうことなら明日にでも二つ三つ苗木を採ってくるぜ」


「頼まれついでにもう一ついいか?」


「今度は殿様かい。いいぜ」


「椿を育ててほしいんだ」


「椿だぁ?」


「ああ、椿の実から油が取れるんでな。できた油は当家で買い取る故、どうだ?」


「だってよ、皆どうする?」


 潮たちが額を寄せて少しするとこちらを向く。


「皆特に異論はなかったぜ」


 これで椿油もそれなりに安定供給されるだろう。遠洋航海のいい中継拠点になりそうだな。

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