第三百九十二話 負けました
小田原城 阿曽沼遠野太郎親郷
「改めまして此方が当家の献上品目録になりまする」
昨日は付いたのが夕方だったこともあって挨拶もそこそこに宴会になってしまったからな。
「これはこれは……なんと千代丸(北条氏康)のために木馬まで。これは忝う御座います」
「昨年お生まれになったと伺いましたので心ばかりでは御座いますが」
「いやいや武家の子にとってこれほどの贈り物は御座いませぬ」
とりあえず悪い印象は持たれなかったか。金箔を貼りまくろうかと思ったけど子供が使うものだからと雪とか母上とかにやんわり制止されたのは残念だった。
「そしてこれが刻を計る絡繰りですか」
「当家では時計と呼んでおります」
氏綱は時計を知っているだろうが、それでも興味深く眺めている。
「私も詳しい絡繰りは分からないのですが、この発条と歯車で時を示す絡繰りになっております」
その他は麻布や生糸に鮭などだ。
「父上、阿曽沼殿と盟を結ぼうかと思っております」
「儂は構わぬが陸奥守殿は如何かな?」
「当家にとっては望外のご提案にございます」
氏綱の腹の中が分からぬが、奥方共々色んな意味で悪い感情を持っておらぬようだし、今後大きな障壁になることが予想できる伊勢と仲良くするメリットは大きい。もしかしたら伊勢家による関東統一も早まるかもしれないな。
「殿、質問してもよろしいか?」
「隼人佐(遠山直景)か。よいぞ」
「は、ありがとうございます。不躾な質問で申し訳ございませぬが、阿曽沼様と盟を結ぶ利が某にはわかりませぬ」
そらそうだ。
「大きな利があるぞ。最近当家に入ってくる銭が増えたであろう」
「あの随分ときれいな永楽銭ですか」
「ああ、あれはおそらく阿曽沼殿が作ったものでございましょう?」
そこまで調べがついていたか。
「いかにも。銭がないなら作れば良いですからな。それが出来るだけの銅もございます」
「当家でも銭が不足しておるからな。阿曽沼殿で不足する米を売って銭を入れたいのよ」
「なんなら鐚銭、欠け銭なども当家でしたら同じ重さで交換いたしますが?」
金や銀が回収できるから一対一での交換でも利益が出るのよな。水銀アマルガム法は住友が試験的に行ってそれなりに安定して行えそうだと言うから今後回収効率は上がるだろう。職人たちは長生きできないだろうから、その分高給にするよう言いつけてはいる。
「なるほど、しかしそれだけであれば交易をすれば済むことではございませぬか?」
「まあな。しかし阿曽沼殿はあと数年もしたら奥羽を統一しよう。そうなればどうなる」
「……それは確かに当家の利が大きいですな」
挟み撃ちにしたいか。しかしこちらは南下するにあたって蘆名と佐竹と強敵がいるからそんなすぐに奥州の統一が出来るだろうか。兵の養成を急がねばな。
「それとな、阿曽沼殿のところでは諸民が机を同じくして学問を為し、治水や田畑の改修など当家の数歩先を行く技術を有しておるそうでな、そこから学ぶことができれば当家はますます優位に立てよう」
技術支援はまだやるつもり無いのだけど。その余裕もないし。
「新九郎殿、申し訳御座らぬが当家にはこちらに指導のために割ける者が居りませぬ」
「何を仰るのです。こちらが教えを請うのですから当家から人を遣ります故、こき使ってくださればよろしゅう御座る」
機密に触れない範囲で使うしかないが、その分割り振りに余裕がでるし此方の人足として人を寄越してくれるのは正直有り難いな。
「ではそのようにさせていただきます」
「新九郎の願い出序でに申し訳ないが、鉄砲か大砲を見せてくれぬか?」
まあそうなるよね。
「鉄砲でしたらいつでも。大砲は非常に重く下ろせませんので……そうですな。いま三浦の新井城とやらを攻囲なさっていると聞いております。そこでご覧に入れましょうか」
「ほぉう。それは面白そうじゃのう。それで頼むとしようか」
とりあえずは納得してくれたので矢場に二丁の鉄砲を運び込ませ、程なく準備が完了する。
「では射ち方用意……射て!」
一斉射したのちに少しタイミングをずらして再度発砲する。今回は城内なので火薬の量は控えめでその分煙も少ない。
「おおこれが鉄砲ですか。確かに目では追えぬ速さですな」
「なるほどこれはなかなか。しかし火縄を使う以上雨では役に立たぬであろう?」
「はい。雨の戦であれば今まで通り弓と槍の戦いになるかと」
銃剣は装着していないけど、氏綱は転生者のようだからなんとかするだろう。
その後何発か実演し、一丁五〇〇貫文で二丁を売却することになった。硝石をどうやって手に入れるかが問題になるだろうな。大内は明から買えるかも知れぬがそれ以外は難しかろう。当家から買うのもそれはそれで高価だからさて如何するか見物ではあるな。
出陣までの数日間、箱根湯本の温泉に宿を用意され待機することになった。
「いやはや殿に着いてきたのは正解でしたな」
「おいおい勘次郎(袰綿勘次郎)、物見遊山ではないのだぞ?」
「そうは言いますがね、湯にゆっくり浸かるなど物見と変わりませぬ」
それはそうなんだけどね。
「それにしても十勝守様はご一緒なさらなかったのですね」
「船の方が落ち着くそうでな」
「はぁ、いっぱしの船乗りとなればそういうものなのでしょうか」
「さてな。大道寺殿には道案内までしていただいて忝いな」
「はっはっは!お気になさらず。拙者も久しぶりに湯に浸かれるのですから」
なかなか気安い男で助かるが、こういう奴は戦で相対すると怖いんだろうな。
「さて此方が陸奥守様を接待させていただきます館になります」
なかなか立派な館、上洛の途上では目にしなかったからその後に作られたのだろう。
「新九郎様が将等を慰撫するために作られた館ですが、此方の部屋は来賓の為に誂えられた部屋になります」
なんと総畳敷きの座敷じゃないか。
「これはこれはずいぶんと立派な部屋ですな」
「お気に召しましたら何よりで御座います。お付きの方は此方に」
次の間は流石に総畳敷きではないが一部畳が用意されたなかなか贅沢な部屋だ。
「風呂は此方で御座います」
続いて案内された先は畳敷きの風呂で仰天した。当家の鉛温泉保養所は総檜葉作りとはいえ負けた気がする。
「なんとも贅沢な……本当にこの風呂を使って良いのか?」
「勿論でございます。ごゆっくりくつろいで旅の疲れを解してくださいませ。では何かあればお申し付けくだされ」
そう言い置いて大道寺殿が出て行く。
「いやあこれは当家の湯も負けてしまいましたな!」
「……帰ったら鉛温泉の風呂を畳敷きにするぞ」
「御意」
勘次郎がニヤリと口角を上げるのが見えた。
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