第三百九十一話 小田原に着きました
小田原城下 阿曽沼遠野太郎親郷
「久しぶりの小田原だな」
あのときも随分と立派な城だと思ったが、更に広くなっている。
「おぉこれが小田原ですか」
旗艦遠野を筆頭に大槌型に早池峰型スループ、都合四隻の艦隊が小田原の湊のすぐ外側で一斉に投錨したものだから皆がぽかんとしている。ちなみにこの旗艦遠野はコールタールを試験的に塗りたくっており黒船になっている。
「お、小早が来るぞ」
タラップをおろし、伊勢家の者を招き入れる。
「ご無沙汰しております。大道寺盛昌でございます」
「おお大道寺殿か、息災なようで何よりだ」
迎えに来たのは石巻に使者として来た大道寺盛昌であった。
「いやしかし、斯様に大きな船でお見えになるとは思わず」
まあ安宅船があるかは知らぬが、関船などのこの時代の船と比べれば倍くらい、乾舷はもっと高いから大きく見えるだろうな。
「そちらのお方は……」
「某は阿曽沼の海軍を統括しております大槌十勝守兼海軍提督八郎得守でござる」
「十勝!そ、それに海軍提督でございますか?」
十勝の話は聞いているようだが海軍提督たる名称は耳慣れないからか不思議そうな顔だ。
「うむ、当家では海の戦を重視しておるでな」
「なるほど、そういうことでございますか。さて、もう少しお話させていただきとうございますが、大殿と殿がお待ちですので」
「うむ、ではよろしくご案内を頼む」
大道寺の小早を筆頭に当家の手漕ぎカッターがぞろぞろと着いていく。湊に降り立つと隊列を組んで行く。
「そう言えば阿曽沼の皆様は草鞋ではございませぬな」
「ああ、当家ではこの武撃突(ぶうつ)という革靴を戦で使っておる。草履より長持ちするでな」
「そんなものがあるのですな。阿曽沼様とお話していると某の見識が如何に狭かったのかと思い知らされまする」
「何を仰るか。当家は田舎故なんでもやってみているだけのこと」
そういう間に小田原城の立派な大手門を抜け、常御殿に到着する。
「足を洗う水は……」
「ああ、匂いがこもって居るのでいただけると助かる」
問題は足が臭くなるってことだな。草鞋や草履よりもジャブジャブ入念に洗って屋敷に入るがやっぱり少し蒸れてるな。
「大殿、殿、阿曽沼従五位下陸奥守様をお連れいたしました」
書院に通され伊勢宗瑞と思われるご年配の正面に座る。
「お初にお目にかかります、阿曽沼従五位下陸奥守遠野太郎親郷で御座います。此度はご招待賜り誠に忝う御座いまする」
両拳を突いて軽く辞儀する。
「早雲庵宗瑞じゃ。新九郎(北条氏綱)の無理を聞いていただき此方こそ忝い」
「伊勢新九郎氏綱に御座います。陸奥守様のご活躍はかねがね伺っており、是非一度お目にかかりとう御座いました。無理をお聞き頂き誠にありがとうございます」
宗瑞はなるほどかなり皺が深いな。苦労されたようだ。
「いえいえ拙者こそ幼き日にこの城を見てから何時かお会いしとう御座いました故」
「ぬ、この小田原に来たことが?」
「十二年ほど昔、上洛の途上で御座いますが」
懐かしいな。
「ほぉ左様でござったか。その頃は確か三河での戦が一段落した頃か。それで、上洛して見て京はどうであった?」
「噂に違わぬ活気にあふれた街で御座いました。しかし同時に恐ろしい街でもありました」
今上洛すればまた少し感想が変わるかもしれないな。
「そうじゃなぁ。あそこは伏魔殿じゃからのぅ」
宗瑞に言われると実感が出るな。
「父上、話も良いですがそろそろ宴でも」
「そうじゃな。いかんいかん年を取ると段取りが悪くなるわい」
そういって小姓に耳打ちするとバタバタと宴の支度が始められる。
「陸奥守様から頂いた酒も開けさせて頂きますね」
「ええ、是非ご賞味頂きたく」
豪華絢爛な食事が運ばれてくる。肉がないのが寂しいけど。
「ではまずは陸奥守様がお持ちくださった遠野の澄み酒を頂きましょう」
「む、これは真に陸奥守、其方のところで作った酒で間違いないか?」
「ええ、京での暮らしが長かった早雲庵様にはなじみのある酒ではないかと」
澄み酒と言えば上方のものという認識なんだろうな。献上用以外では生産量の問題でほとんど出荷していないから知らずともやむを得んだろう。同じ理由でビールもワインもあまり生産量がないので伊勢家では遣いで来た大道寺を除き初めて口にして目を白黒させている。
宴の最中、厠に立つと氏綱が何故か付いてくる。
「おや新九郎殿も厠で御座いますか?」
「ええ、それと人払いして話がしとう御座いました」
「長くなりそうですかな?」
「少々、どうぞ厠は済ませておいてくだされ」
正直膀胱がしんどかったので遠慮せず小用を先に済ませて別室に案内される。
「襲ったりはいたしませんのでどうぞくつろいでください」
なんとも返答に困る。
「いきなりで申し訳ありませぬ。阿曽沼様は胡蝶の夢を見たことがありますか?」
「荘氏、という訳ではなくですか?」
「お笑いになるかも知れませんが、幼き頃に不思議な夢を見たことがあるのです」
「夢とは元来不思議なものではございませぬか?」
「それはそうなのですが、私が見たのは日ノ本で当家は豊臣という家に滅ぼされ、松平が幕府を開くも南蛮人の来訪により幕府が崩れて帝が親政を、さらには清という国や露国という北の大きな国と大きな戦をしたかと思えば、遠くこの小田原から見える海の向こうにあるアメリカなる国に国土を焼き尽くされると言うものでございました」
なんだそれは転生、とはまた違うのだろうか。
「父上や母上にも相談したことがありましたが、余りに荒唐無稽でしたので悪い夢見だったと慰められて終いで御座いました」
それはまあそうだろう。俺の女神様から云々も父上や皆が聞いてくれたからコソだし。
「それを何故某に?」
「阿曽沼様が鉄砲や大砲というものを使うと聞き及びもしかして某の夢物語を笑わずにお聴きいただけるのではないかと。そして実際阿曽沼様はお笑いにならなかった」
「な、何を言いたいのか」
目つきが変わったぞ。こいつ間違い無く転生者だろう。
「鉄砲伝来もまだのこの時期に鉄砲や大砲を使い、この小田原の湊に西洋帆船を何隻も浮かべ、ビールやワインを作ったところを見るに転生者で御座いますね?」
「それを私に言ってどうなさりたいのか?」
「むしろ阿曽沼様が何を目指されているのかを聞きたいのです」
「何をと言われてもな。まずは生き残ることしか考えておりませんでしたよ」
結果として今があるわけだが、生き延び、民を食わせる。これが最初でかつ最大の目標だ。
「私の居る奥州は気候が安定いたしませぬ。常に飢饉と隣り合わせ、飢饉でなくとも冬になればバタバタ死んでいく土地で御座います。故にまずは食わせるために田畑を少しでも良くしようとしましたし、その原資として製紙を行っております」
「なるほどそう言うことの積み重ねで御座いましたか。私も農業改革など考えたのですが圧政を敷く他家を攻め落とす方が実入りが早く増えましたからな」
さすがは戦上手の伊勢家だ。戦略家の宗瑞とそれに育てられた氏綱なら存在がチートだから技術チートがなくてもなんとでもなるんだろうな。
「それでですなもし良ければ友になって頂きたいのです」
「と、友ぉ?」
思いもしない要望に流石に声が裏返ったわ。
「ええ、いや盟を結びたいのは山々なのですがまずは友誼を深めたいのです」
「左様でございます。聞くところによりますとこの草紙を書かれた彩綾様とは阿曽沼様の下女だとか伺っております」
そう言いつつ俺をモチーフにした例の草紙を持った奥方と思しき女が入ってくる。
「これ珠、阿曽沼様と話し中なのだぞ」
「何を言うのです大事な宴の最中に抜け出して人払いした部屋で二人きりだなんて、まるでこの草紙のようなことが!と思ったわけでは御座いませんが彩綾様にご挨拶もさせていただきたく」
なんでこんなところにまで例の草紙があるんだ畜生!しかも氏綱の正室が腐人だなんて知りたくなかったよ!
「ま、まあそれはともかく誼を交わすのは当家としても願ったりで御座います」
後でその草紙は回収したいけど誼は交わしたいな。技術移転はまだ出来ないけど。
「では正式には明日再び話し合いの場を設けてとりまとめましょう」
「それでお願いがあるのですが」
「阿曽沼様の頼みであれば何なりと」
「その草紙は焚書するので返してください」
「だそうだ珠、その草紙を阿曽沼様に渡しなさい」
「殿の命でもそれは聞けませんわ、おほほのほ」
流石に伊勢家の正室を斬るわけにはいかんからなぁ、左近に後でこっそり回収してきて貰おう。
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